第三話 赤星雅治
久我と柚木は、所轄の警察署へと出向いていた。朝から各種申請や事件事故処理のために混雑する署内を歩きつつ、久我は尋ねる。
「しかし、『建造物等損壊罪?』ってのは何なんだ。どうしてハテナが付いてる」
右足を引きずってヒョコヒョコと歩く柚木は、脇に抱えたファイルから一枚の写真を取り出し、久我に差し出した。
道路が映し出されている。整った歩道などによくある、レンガ状の道路だ。
「これがどうした」
「わからんだろうな」楽しげに云いつつ、柚木は写真の中央を指し示した。「ここを」
そう云われても、意匠か何かのように、路面の一部が丸く灰色になっているだけだ。それで眉間に皺を寄せつつ苦情を口にしかけた所で、柚木はもう一枚、写真を差し出した。
「これが元の状態」
見比べて、ようやくわかる。
「この丸い灰色の部分は、誰かが後から、こうした?」
「その通り。この部分は周囲のレンガと異なり、コンクリートだそうだ」
「誰が、何でまた、そんなことを」
「さぁね」
柚木はこのミステリーを楽しむよう、笑みを絶やさなかった。
警察署で担当として現れたのは、五十過ぎの定年間近風な刑事だった。彼は二人に自己紹介した後、応接室の机にファイルを叩きつけるように投げ捨て、酷く疲れた風に云った。
「もうね、何がなんだか、わからんのですわ」そう付近の地図を広げてみせる。「今月に入ってから、もう十件です。どっかのアホが、道路を削って、そこにコンクリを流し込む。誰が何で、そんなことを?」
それはこっちが聞きたい。
そう口を開きかけた久我を遮り、柚木は真っ直ぐに背を伸ばしつつ、机上で両手を組んだ。
「それで、我々。災害予防局に連絡を入れていただいた。何故?」
「何故って。〈エグゾア〉ですよ!」はっとして、久我は柚木を眺める。刑事はそれに気づかぬ風で、更に何枚かの写真を机上に投げた。「ご覧の通り、どれもこれも、丸く道路が抉られている。鑑識が云うには、道路工事屋でも、こう完璧な円形は不可能らしい」
「掘ってはみたのですか?」
「あぁ」と、また別の写真。「見ての通り、すり鉢状に元の道路は抉られてる。こちらも完璧な円だそうで。そこで思い出したんですよ、エグゾアを。アレって、地上十数メートルを中心にして、完璧な球形に、元あった物が消え去っちまう現象なんでしょう? ひょっとしたら、それの小型版かなって。それで予防局に連絡してみたんです」そして彼は大きなため息を吐いて、柚木に身を乗り出させた。「で、どうなんです。これってエグゾア?」
柚木は楽しげに、久我へ視線を向ける。
さっぱりわからない。だが、わからないながらも、疑問点は幾つかあった。
「こいつの、直径は?」
尋ねた久我に、刑事は表を差し出す。
「物によって違いはありますが、概ね一メートル。こっちの適当な計算からすると、道路上一メートルの所から、直径二メートルの球状に消え去ったことに」
「記録にある最小のエグゾア現象は、三年前にブラジルで観測された直径二十メートルの物だ。それは小さすぎて発見されていないのもあるかもしれんが、ここまで小さいのは。桁違いだ」
「予防局は〈災害予測システム〉で、エグゾアの発生を予測出来るでしょ? そのシステムで、何かそれっぽいデータは。出てないのかな」
予測システムについて、久我は詳しくない。それでそれは柚木が引き取った。
「予測システムは、重力観測衛星による重力異常の探知が中心となっています。エグゾアが発生する地点は、発生の四十八時間前から、特有の重力異常が見られる。その値からエグゾアの規模も予測可能ですが、仮にこれが極小のエグゾアだとしても。ここまで小さいものは、一般の重力異常との区別が付かないでしょう」
「それに」と久我も割って入る。「エグゾアが発生した跡に残るのは、灰と鉄くず。スラグと決まっている。コンクリが詰まってたなんて話は聞いたことがない。やっぱ、どっかの暇人がやったんじゃないのか? あるだろ、夜中に学校に忍び込んで、椅子を校庭に並べたとか。そういう類の」
刑事は大きくため息を吐く。
「いやね、私も最初はそう思ってたんですよ。ですがね。このコンクリもまた異常なんですよ。コンクリってのは、調べると何時作られたのかわかるらしいですが。これって、十年以上前に作られた物としか思えないらしくて」
「馬鹿な!」
思わず叫んだ久我に、彼は鑑識が作成した資料を突き出してきた。
「妙な事ばかりなんですよ。だいたいコンクリが固まるのって、一日二日かかるらしいじゃないですか。わかりますよ、誰かが夜中に道路削って、コンクリを流し込む。そりゃあ出来るでしょう。でもそれでも、完全に固まる前に誰かが歩けば、足あとくらい付くでしょう。でもそれもない。変でしょう! ワケがわかりませんよ」
久我は慎重に資料を改めつつ、呟いた。
「確かにコンクリートは、放射性年代測定とか炭酸化の度合いで、作られた時期を推定出来るもんだが」どう見ても、鑑識が行った検査に穴があるようには見えない。「目撃者は?」
「いません。だいたいあんまり綺麗すぎる仕上がりなんでね。誰も気づかなくて、いつ変わったのかも、正確にはわからんのですわ」
「監視カメラは」
「全部裏路地とかでね。まるで映っていません」
確かにこれは、一流のミステリーに違いない。
そう、異物さえ、絡んでいなければ。
刑事から各種資料を預かり、こちらでも調査してみると言い残し、二人は警察署を出る。そしてキャブコンに戻った途端、遂に久我は詰めていた息を吐き出すようにして疑問を口にした。
「どうもこの近辺の貿易会社が、異物の取引に関わっているらしい。その周辺で、こんな訳のわからん現象が起きてる。これって偶然か?」
柚木は未だに楽しげな笑みを絶やさず、答えた。
「偶然とは思えないね。可能性として考えるのは、こういうシナリオだ。貿易会社の関係者が、取引で扱っていた異物に偶然とりつかれた。そしてその人物が、何事かをしている」
「オレもその可能性を考えていた。だが、その〈何事か〉ってのは。何だ。どうして地面をくりぬいて、アスファルトを流し込むだなんてことを?」
「わからないね。とにかく私は、刑事さんから預かった防犯カメラ映像を分析し、共通する人物が付近を通っていないか調査する。キミは重吉極東貿易を当たってもらいたい。彼らは定期的に異物のオークションを開いており、幸いにして今日も開催される予定だ」
「オレがそこに入り込んで、内情を探る?」
「あぁ。これを」そう、柚木は数枚の名刺を差し出した。「彼らと取引がある企業の物を偽造しておいた。恐らくこれで問題なく、会場に入れるだろう。問題を起こしているドライバーは、重吉極東貿易の従業員である可能性が高い。怪しい人物がいないか注意して見てきてくれ。ついでに異物取引網の全容を把握できると嬉しい」
「わかった」
とにかく問題を起こしているドライバーが何者で、どのような力を持っているのかわからなければ、強制捜査も危険過ぎる。こうしたケースは今までにも何度かあって、自然と久我と柚木の役割分担が出来上がっていた。
柚木がまず、ネットから標的の概要を調査する。そして久我が実際に現場に出ていって、疑わしき人物の写真や声を確保する。更にそれを柚木にフィードバックし、彼は更にネット上で調べるという流れだ。
問題の重吉極東貿易は、従業員数が数十人という、中小規模の貿易会社だった。それだけに出勤時間帯となっても、オフィスビルに入っていく人物は、そう膨大な物ではない。久我は路上で待ち合わせをしている風を装い、彼らの顔を携帯に納めていく。
「そう給料の良さそうな会社とも思えんが」草臥れた社員たちの顔を眺めつつ、呟く久我。「この会社の平均年収は?」
『五百万そこそこといったところだね』と、柚木。
「異物取引は、そこそこ金になるはずだが」そこでふと、思い出す。「そういやこの間の遠距離型ドライバー。その後どうなった?」
『異物の全エネルギーを放出させた。知っての通り、異物は一度エネルギーが切れると、再充電は不可能。これで彼は、二度と異物の力を使えない。無力化済みだ』
「で、ヤツが異物を手に入れた経緯は? それも不明だったろう」
『それだがね。少々不可解なんだ。あの遠距離型ドライバーの男が云うには、知らない男に渡されたというんだ』
久我は僅かに首を傾げた。
「知らない男?」
『あぁ。彼は自らが受けた酷い仕打ちを、ネットで暴露していた。それを見たという男が接触してきて、手渡されたと』
「これで復讐してやれ、と?」
『そんな所らしい』
「気に入らないな。異物をばらまいて復讐を扇動してる? 一体何者だ」
『それだがね。思い出してみてくれ。彼は云っていた。彼が酷使されていたブラック企業は、暴力団の傘下企業だと。調べてみると、それは事実だった。最上組だ』
「最上?」久我は舌打ちした。「泣く子も黙るワールドワイドな日本最大のヤクザ屋さんか。じゃあひょっとして、その異物を渡してきた男ってのは。最上を潰そうとしてる他の暴力団?」
『その可能性が高いように思える。現在その線で、調査部が追っている所だ。彼らが異物の力を正確に把握しているとなると、それはこの国の治安を守る上で、重大な危機だ。この重吉貿易にしても、同じく暴力団の息のかかった企業である可能性は十分ある。可及的速やかに対処する必要がありそうだ』
ヤクザ屋さんか、と久我はため息を吐く。最近では麻薬や美術品の密輸と並んで、異物取引も重要な資金源になっていると聞く。もし本当に異物の力を知り、抗争に利用しようとしている暴力団があるならば、早急に潰さなければ酷く危険なことになる。
午後になると、久我はオークションの開催場所だという倉庫に向かった。それはドラマなどでよくある秘密地下オークションといった風ではなく、ごく普通の商談会のような様子だった。入り口で名刺を差し出して通された先は、天井の高い倉庫そのもの。内部には無数に長机が置かれ、それぞれに数個ずつ、歪んだ金属片がガラスケースに納められ並んでいた。
客は意外と多い。数十人が、まるで美術鑑賞でもするかのように机を巡り、異物の品定めをしている。殆どが中高年の男で、スーツ姿もいれば、薄汚れたジャンバー姿のもいた。久我も彼らに混じり、異物を眺めていく。殆どは焼け焦げが金属片にしか見えなかったが、脇にはそれが発見された場所、解析の結果などが掲げられていた。
写真撮影は禁止されていたが、柚木から預けられたスマートグラスの超小型カメラで、その様子は彼に伝わっている。それで時折、彼は久我に指示し、幾つかの異物の詳細を確かめさせた。
「で、目ぼしい物は?」
インナーイヤホンの通話ボタンを押しつつ呟いた久我に、柚木は難しそうな声を返してきた。
『少なくともウェアラブル・デバイスらしい物はないが、どうかな。彼らの調査結果が正しいとは限らないし、何とも言えない』
「そもそもウェアラブル・デバイス以外の異物って。何があるんだ? こないだクォンタムが見つけた異物もそうだが、他にどんな物が?」
『正確に云うと、異物の中で、ある程度用途がわかっている物が、レンズ状の物体が付いているウェアラブル・デバイスだけだということだ。それ以外の物は、何か強大な力を秘めている物もあるかもしれないし、あるいは本当のジャンクなのかもしれない』
「しかし、八重樫。八木は、あのクォンタムが見つけた異物を選んで盗んでいった。アレは特別な何かなんじゃないのか?」
『わからないね。持ち去られてしまった以上、調べようがない』
これも嘘だとしか思えない。クォンタムはあの異物に価値を見出し、隠そうとしていた。そしてクォンタムは既に、予防局の監督下にある。柚木は彼らから情報を得ているに違いなく、『アレが何だかわからない』なんてこと、ありえない。
だが今は、下手に推理力を発揮して見せて、警戒される方が怖い。ただでさえ尾行を感づかれてしまったばかりだ。柚木はそう気にしている風ではなかったが、ここは大人しくしているのが上策だ。
「まぁ、何でもいいが」と、久我は会場を見渡した。「重吉貿易の社員らしいヤツは、四、五人ってとこだな。社員の全員が全員、異物の取引を知っているとも思えないし。実質これに関わってるのは、コイツらだけかな」
『ちょっと待ってくれ』鋭く柚木に云われ、久我は視線を戻した。『それだ。彼。彼は道路工作の現場、数カ所で、防犯カメラに捉えられている。彼が問題のドライバーか?』
ふむ、と久我は呟き、何気なく近づいていった。
彼は面長な顔に営業的な笑みを浮かべていたが、鋭い瞳を持っていて、少し悪そうな感じがする。年の頃、三十代中盤といった所だろうか。きっちりと黒い細身のスーツを着こなしていて、異物を眺める客相手に、解説を加える役をしているらしかった。
「何か、お探しの物が?」歩み寄って目の前の異物を眺め始めた久我に対し、彼は瞳と同じように鋭さを感じさせる声で云った。「これはA2863、150221のエグゾアで発見された非常に珍しい逸品です」
「A2863?」久我はその、全ての確認されているエグゾアに割り当てられているエグゾア・コードを思い出した。「アレか。パキスタンの人工湖で起きた。ソイツはレアだ」
男は細い瞳を僅かに見開き、笑みを浮かべた。
「おお、ご存じですか! なにしろあのエグゾアは直径数キロに達し、人工湖が決壊し、数千万の難民が発生しました。一時パキスタン全土に厳戒令が発せられた程です」
「だろ? それだけにパキスタン政府は、今でもあのエグゾア痕跡は聖地扱いして、完全封鎖してたはずだが。どうやってそんなもの、手に入れたんだ?」
「それは、弊社のバイヤーは実力者揃いですから。お疑いのようでしたら、こちらに発見時の写真がございます。デジタル加工が一切行われていない事については、検査会社の証明書付きです。加えて異物の調査結果についてはこちらに。ご存じのように異物には共通して極微量のパラジウムが含まれており、こちらについても確かにパラジウムが」
そう男は、ただの金属片にしか見えない異物について、得々と営業トークを始めた。言葉に淀みはないし、久我の質問にも適当に誤魔化している様子はない。かなり頭が切れる男だというのは確かだろう。
『ふむ。彼の名前は赤星雅治。三十四歳、独身。趣味は旅行。英語、フランス語、アラビア語、中国語と五ヵ国語に堪能』と、ネットで探っていたらしい柚木が云う。『SNSの情報でそれくらいはわかったが、プライバシーに関しては気を使っている男らしい。辛うじて横浜近辺に住んでいることはわかるが、それ以外。経歴その他、ネット上ではあまり探れそうにないな』
ちょっと考えてみる、と当の赤星の前から離れ、久我はインナーイヤホンのボタンを押しながら柚木に答えた。
「頭いいぜ、コイツは。あんまり不用意に探れそうもない。会社の人事情報は?」
『当たってみたが、あまり情報化されていない会社のようだ。内部情報はネット上に存在している気配がない。恐らく、まだ紙での管理をしているんだろう』
ふむ、と久我はため息を吐いた。
「そうなると、古典的な尾行で行くしかないか」
『そのようだ』柚木は同意し、付け加えた。『しかしキミの尾行には、穴がありすぎる。調査部の教練書を送っておくから、読んでおくように』
久我は渋い顔をしつつ、携帯に送られてきたドキュメントを眺めた。
「柚木、今日のアレだがな、別に深い考えがあったワケじゃなく。アンタがあまりにも秘密主義なもんで、つい興味本位でだな」
『別に気にしてはいない。昔から周囲には、そういう風に見られがちだった。私にも責任はある』
それだけで、彼の応答は途切れる。
参ったな、と思いつつ、久我もインナーイヤホンのボタンから手を離した。