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第一話 監視者

■これまでのあらすじ


 装着者ドライバーに異能を発揮させる〈異物〉。その対策班に配属された久我には、大きな目的があった。不意な事件で余命一年とされてしまった愛娘を救うための、医療型の異物を探すこと。捜査の矛先となったのは、謎の研究者である八重樫、そして異物の商業利用を企むクォンタム社だった。


 久我は首尾よく八重樫を捕らえ、次いでクォンタム社に勤める元妻・涼夏の協力を取り付け、クォンタム社が行っていた極秘研究開発を突き止めることが出来た。しかしそれと同時に久我は、自らが所属する災害予防局の不穏な動きを知ることになった。


 時を同じくして、捕らえたはずの八重樫が脱走する。彼は分裂の能力を持つドライバーで、元々予防局内に保管された〈シャード〉と呼ばれる異物を盗むのが目的だったのだ。


 シャードとは果たして何なのか。予防局の真の目的は。久我が探る上でその鍵を握るのは、久我の上司でありパートナーでもある、柚木しかいなかった。

 目の前の痩せた男は荒い息を吐き、肩を震わせながら、ジリジリと後ずさっていた。久我は自らの異物、イルカから発しているプラズマの盾に隠れつつ、ゆっくりと、彼に歩み寄る。


「なぁ。もう諦めろ。わかってんだ。オマエはブラック企業で死ぬほど働かされていて、心身ともに疲れ果ててた。オマエが偶然手に入れていた異物で、上司を殺そうと考えちまったのは。仕方がないことだ」


 柚木の纏めた調査記録を眺めるだけで、虫唾が走った。彼は朝から深夜まで散々働かされ、ろくに家にも帰れず。そもそもそういう境遇が普通なのだと、会社ぐるみで洗脳されていた。


 まだ、動けていた時は良かったろう。だが張り詰めた糸はいつか、ぷっつりと切れる。ある日職場で倒れた彼は病院送りにされ、会社をクビになり、更には業務停止に伴う損害賠償を請求された。


「わかるよ。オレだってそんな目にあえば、上司をブチ殺したくなるだろう」久我は云って、目を血走らせている男に、一歩近づいた。「生憎アンタは失敗しちまったが。あの会社はもう終わりさ。労働管理局に目を付けられた。それでアンタの目的は達成されたんだ。もういいじゃないか」


 不意に男は引き攣った笑みを浮かべ、ヒハハッ、と震える笑い声を上げた。


「アンタみたいな公務員には、わからないよ。もう終わり? 終わるワケないだろ! アイツらは当局に目を付けられたって、今の会社を解散させて、また別の会社を作って、同じ事を始める!」


「そういう、もんなのか?」


 正直に応じた久我に、男は激情を発した。


「当たり前だろ! 何でブラック企業がなくならないと思ってんだ! 連中は暴力団の傘下にあって、法律ってもんを。役所ってもんを知り抜いてる! ヤツらは絶対に捕まる事はないし、制裁を受けることもない! 殺す以外、手はないんだ!」


『久我くん』と、イヤホンの向こうにいる柚木が声を発した。『とにかく彼を落ち着かせるんだ。出来れば彼を、傷つけたくない』


 それは久我も同じだ。


 しかし男の云うように、久我は劣悪な労働環境というものを経験したことがない。その久我が何を云ったところで、とても彼は耳を貸さないだろう。


 そこで久我は、一か八かの賭けに出た。


「イルカ、シールド解除」


 云った途端、脇には異物の化身である人工知能的なコンシェルジュが姿を現した。


『えっ、ホントに? エネルギーはまだ余裕あるよ?』


『止せ、久我くん』と、柚木も声を被せてくる。『彼の攻撃をモロに食らったら、キミは確実に死ぬぞ』


「いいから解除だ」


 ふっ、と、久我と男とを隔てていた青白い発光が掻き消えた。


 驚き、警戒し、更に一歩、後ずさる男。


「なっ、なんだよ、何する気だよ」


「別に?」久我は頬を歪めつつ云った。「オレたちがどうしてオマエを追っていたか。わかるか? 別にオマエの腐った上司がどうなろうが、オレの知った事じゃない。問題はオマエが、他の善良な市民を巻き込むような騒ぎを。起こさないかって所だ。だが話してみてわかった。オマエは絶対に、赤の他人を殺したりはしないヤツだってな。だからいいさ。行けよ。行ってあの腐れ上司を殺してこい。ついでにバックにいるヤクザも潰してこい。その方が、世の中平和になる」


『久我くん!』


 鋭く云った柚木を無視し、久我は男に続けた。


「どうした? 行けよ」彼は身構え、相変わらず荒い息を吐きながら久我を凝視する。「何やってんだ。行けと云ってるだろ」


「本当か? 本当にアンタらの目的は、それだけなのか?」


「あぁ。オレだってサラリーマンだ。『人殺し、駄目、絶対』だなんて正義感を振りかざせるほど、余裕のある人生じゃない」


 それでも彼は、警戒を解かなかった。


 そして不意に、彼の身体の周囲に、数本の光の棘が浮かんだ。


 狙撃型、とイルカは云っていた。その名の通り、彼は細い光の棘を数本同時に操り、まるで追跡ミサイルのように対象を攻撃する異物に取り憑かれていた。


 攻撃力は、それほどではない。一般の銃程度だ。だがその射程距離は数百メートルあり、一度目視して発射してしまえば、相手が逃げようが何しようが確実に追跡し、着弾させることが出来るらしい。


「いいか」と、男は光の棘の狙いを久我に定め、云った。「そう、オレは、無関係な人は。絶対に殺したくない。でも、アンタは別だ。オレの邪魔をする。妙なことをしたら、すぐに殺すぞ」


「いいから。行けって云ってんだろ」


 彼は光の棘を久我に向けたまま、袋小路を抜け出そうと、じりじりと久我に近づいてくる。そして不意にダッシュすると、久我の脇をすり抜け、開けた倉庫街に飛び出して行く。


 久我はため息を吐きつつ、振り返った。


『久我くん、一体どういうつもりだ』


 困惑した風で尋ねる柚木。軽く口元を歪めつつ、久我は応じた。


「仕方がないだろう。アイツを殺すのは駄目。オレだって死にたくない。なら、こうするより他にない」


『こうする? キミは彼を信じるのか? まさか、彼は正義で。彼の元上司を殺させるのが、本当のこの国のためになると思っているのか?』


「落ち着け柚木。オレはそんな阿呆じゃない」


 久我が云った時、ふっ、と狙いを定めていた光の矢が消え去った。


 まだヤツの異物の射程距離内だ。それでもこうして消えたということは、久我の作戦が上手く行ったという事だろう。


 ふらり、と久我は袋小路から歩み出て、左右を見渡す。倉庫街特有の、広い道路。そこに停められた久我たちの移動基地であるキャブコンの脇には、問題の男が、転がっていた。


『何だ。どういうことだ』


 キャブコンから降り立ち、男を見下ろしながら云う柚木。久我はそちらに歩み寄りつつ、答えた。


「簡単な化学さ。オレのプラズマを、ヤツの鼻先で発生させ続けた」


「何? じゃあ彼の異常な息遣いは。単に興奮していたからじゃなく」


「あぁ。酸欠になりかかってたのさ。だからもうひと押ししたくて、逃げさせたんだ」


 柚木は感嘆したような、疲れたような、大きなため息を吐いた。


「いつもキミの機転は素晴らしい物があるが。そうならそうと云ってくれ。いつもいつもこの調子では、私の胃が保たなくなる」


「スリリングで楽しいだろう。だいたいアンタには、その機転ってヤツを学んでもらわないといけないからな。アンタはいつも、突発的な出来事に弱すぎるんだ。今回だってそうだ。アンタがちゃんとしてりゃあ、コイツに潜伏してたホテルから逃げられることもなかった」何か言い掛けた柚木を遮り、久我も彼の脇に並び、男を見下ろした。「しかしま、可哀想なヤツだ。コイツをこんな風に追い込ませたヤツを、一発くらい殴らせてやりたかったが」


「ヒヤリとしたぞ。キミはまさか、本当に彼を逃がすつもりかと」


「なに。ぶっちゃけオレは、ブラック企業を仕切ってるようなクズ野郎、死んで当然だとは思うがな。問題は、その先だ。ヒトは力を持つとな、最初は正義だ何だ、最初は世のため人のために行使するが。そのうち自己肥大してきて自分の欲望のために力を振るうようになるのさ。コイツも上司を殺したあとは、そうなる。そんなヤツをオレは、散々見てきた」


「それは、シリアでの話か?」


 向けられた丸眼鏡、丸い瞳に、久我は僅かに口の端を歪めて見せた。


「まぁな。最初は国のためだ何だと云ってた連中も、偉くなれば最後は欲にまみれる。確かに、前にアンタが云っていた事は正しい。オレも、アンタも。自律が必要だ。この力を好き勝手に使うことを覚えたら、オレたちは終わりだ」


 間もなく、柚木が手配した災害予防局保安部の連中が現れる。彼らが男を厳重に拘束し、護送車に乗せるのを見守りつつ、久我は顎をしゃくって、柚木をキャブコンに促した。


「そこで疑問が出てくる。オレの事は、アンタは完璧に監視してる。悪さの仕様はないし、今のところする気もない。だがアンタは? 誰がアンタを監視してる?」


「特に、誰も。私は私自身が監視している」


「それって、不公平じゃないか? アンタはオレのこと、何でも知ってる。嫁の事も、京香の事も、極秘なはずのシリアのこともだ。なのにオレはアンタの事、何も知らない。出身地も。何処に住んでるのかも。趣味は何で、土日は何をして過ごしているのか」


「そんな事か?」彼は傷か何かを抱えた右足に苦労しつつキャブコンに乗り込み、指定席に座った。「別に云う機会がなかったから、云わなかっただけだ。出身は名古屋。今は文京区のマンションに住んでいる。趣味はクラシックと美術館巡り。土日はほぼ、それに費やしている。火急の仕事がなければだがね」


「いや、オレが云いたいのは、そういう事じゃなく」


 口籠った久我に、彼は不思議そうに首を傾げた。


「では、何だ」


「もういい」


 どうにも久我は、未だに柚木との距離感が掴めない。それで飲みにでも行かないかと誘うつもりだったが、この受け答えでその気も削がれてしまった。


 しかし、と思い出す。


『貴方、予防局のこと、どれだけ知ってるの?』


 久我の元妻、涼夏の言葉。彼女は予防局その物を疑って当然の証拠を、手にしていた。


 そしてそれを、久我も見た。


 涼夏が疑問を提起してから、もう一月になる。だが予防局内部について探ろうにも、一番の壁であり、一番の核心なのは。この小男だ。


 柚木。元局長で、今でも予防局で最大の力を持つ男。


「なぁ」と久我は、無理にやる気を起こして云った。「後のことは保安部に任せて。飲みにでも行こうぜ。ここの所、忙しかったし」


 振られた柚木は、ぴくり、と身を震わせ、普段以上に壁のある表情を向けた。


「いや。彼がどうやって異物を手に入れたのか、未だ不明なままだ。それを調査しなければ。また今度にしよう」


 これだ。


 そう思いつつ、久我は苦笑いして見せる。


 だがこの壁は、何とかして打ち破らなければ。


 久我の唯一の希望。娘の京香を助けた万能細胞が劣化し始めるまで、あと十ヶ月。


 残り時間は、刻々と、少なくなりつつあった。

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