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第八話 無用

「クソッ、あの馬鹿! 着信拒否しやがった!」キャブコンの中、久我は舌打ちして、運転席側の窓を叩いた。「おい、急げ! 信号とか無視しろ!」


「回転灯を」


 柚木がコンソール脇のボタンを押し、運転手に告げた。間もなく黒塗りのキャブコンは高らかなサイレンを鳴らし始め、揺れが大きくなる。久我は立っていられなくなり、ベッドに倒れ込みながら柚木に云った。


「警察に通報しろ。クォンタムで殺人が起きそうだと」


「もう通報はしたが、あまり効果はないだろう。今の状況では、彼らは敷地に入ることも出来ない」


「どうしてだ! ヤツらは確実に、涼夏を殺すぞ!」


「令状がなければ、クォンタムの強制捜査は不可能だ。令状を取るには証拠が必要だが、今はそれが何もない」


「証拠? 証拠だと? 証拠ならそこにあるじゃねぇか!」久我は柚木のコンソールを指し示した。「涼夏の携帯のデータだ! 明らかにクォンタムは人体実験を」


 酷く疲れたように、柚木は答えた。


「さっきも云ったが、これは何の証拠にもならない。キミは正義のためならば法を無視しても構わないというスタンスを取るが、それはこうした場合にもネックになる。我々が得た情報は全て、法を無視して取得した物だ。それでは令状は取得できないし、仮に裁判になった場合でも、それが採用されることはない」


「じゃあ、涼夏を見殺しにしろってのか!」


「誰もそんな事は云っていない。私が云っているのは、今の状況で、他の組織を頼ることは出来ないということだ」舌打ちしつつベッドを殴りつけた久我に、柚木は静かに続けた。「落ち着きたまえ。現場まで、もう十分もかからない。それに私は今、なんとかしてクォンタムの警備システムを乗っ取ろうとしている。それで多少は、彼女の動きを誤魔化せるかもしれない」


 クソッ、と久我は吐き捨て、再び運転席側に張り付いて道の先を見つめた。


 間もなくキャブコンは幹線道路から離れた。周囲の明かりも少なくなってきて、目前にクォンタム・テクノロジーセンターの低層ビル群が迫ってくる。その門前には二つの赤色灯が瞬いていて、制服の警官が守衛と何かを話している様子が窺えた。


「停めろ!」


 僅かに離れた所でキャブコンを停めさせ、久我は後部ハッチを開いて路上に駆け出した。


「どうするつもりだ!」


 叫んだ柚木に、久我はイヤホンを叩いて応じた。


「証拠証拠って云うが、ならこっちも、証拠を取られなきゃいいんだろ?」


 察した柚木は、激しくキーを叩きながら応じた。


『待ってくれ、今、彼らの監視カメラを落とす』


 久我は正門に投げかけられている灯りの範囲を避け、停められた警察車両の影に飛び込む。守衛は何事かを尋ねる警察に対し、後ろを向いて資料を探す。その隙を逃さず、久我は進入禁止のバーを飛び越えて構内へ駆け込んだ。


 恐らく間に合ったのだろう、ふぅ、と柚木が大きく息を吐く。


「柚木、落ち着いてる場合じゃないぞ。涼夏は何処だ」


 広大な敷地を奥に進みつつ云った久我に、彼はすぐに応じた。


『あ。あぁ。そこの通りじゃない。もう一つ奥の通り、二つ目のビル』


 既に二十時を過ぎているが、未だに、ぽつりぽつりと社員らしき連中が歩いている。久我は彼らに怪しまれない程度の小走りで通りを進み、柚木が示した棟へ向かう。


 広々としてはいるが、人影は全くなかった。受付の類もなく、あるのは駅の自動改札風なゲートだけ。久我はそれを躊躇なく飛び越えると、エレベータホールに向かってランプを眺めた。


「何階だ!」


『悪いが不明だ。監視カメラは掌握したが、何処にも人影がない。録画へのアクセスも試みているが、もう少し時間がかかる』


「何云ってんだ! 涼夏にはスリーの子機が入ってるだろう!」


 僅かな間の後、彼は答えた。


『そうだ、うっかりしていた。ちょっと待ってくれ?』そして、彼は酷く困惑した風に続けた。『待ってくれ。消えた』


「あ?」


『消えたんだ! スリーが、彼女の居場所を捉えられなくなった!』


「何? どうしてまた、こんな時に」


『わからない! こんなことは初めてだ!』


「まさかアイツ、殺されちまったんじゃあ」


『いや、そうした場合でも、スリーは子機から位置情報を受け取れるはずなんだ。だが、今は子機ごと、彼女の存在が消えてしまってる。一体、彼女に何が起きてる?』


「クソッ、オレが知るかよ!」


 とにかくボタンを押して一基のエレベータに乗り込み、下から虱潰しにしようと二階を押しかけた時。向かいのエレベータランプがチカチカと瞬き、四階で止まるのが目に入る。久我もすぐに〈4〉のボタンを押し、柚木に叫んだ。


「待て柚木! 四階は何か見えるか!」


『待ってくれ』僅かな後、彼は答えた。『どのカメラがどの階を映しているのか、良くわからない。もう少し時間をくれ』


「クソッ! 肝心な時に、何もかも不調じゃないか! どうなってるんだ!」


『これでも急いでいる! だいたいこの手の事は、計画性が大事なんだ!』


「追々、アンタにも臨機応変って物を学んで貰わないとな!」


 ポン、と音を鳴らし、開きかける扉。久我は素早く壁に貼り付き、右手のグローブを外しながら、そっと中を覗き込む。ロビーは明るかったが、人の気配はない。


 まさか急に撃たれる事はないだろうが、と思いつつ慎重に足を踏み出してから、すぐにその考えを改めた。ほんの数時間前、その調子で行って、銃弾の雨を浴びたばかりだ。


『気をつけろ、久我くん。イルカはまだ充電完了していないだろう』


 柚木の云う通りだった。ちらりとレンズに目を落とすと、薄い空色。八重樫の騒動のおかげで、今日はかなりのエネルギーを消費してしまった。


「おいイルカ、バリアーのエネルギー消費、もっと抑えられないのか?」


 囁いた久我に、彼女は脇に現れて普段通りの大声で云う。


『しゃーないじゃん。プラズマで何かを焼き切るのは一瞬だけど、バリアーはずっと出してなきゃならないんだもん。いやならアンタが銃弾飛んでくるの察知して、出し入れすればいいじゃん』


「マトリックスじゃないんだ、無理に決まってるだろ!」つい、大声になってしまった。慌てて口籠り、小声で続けた。「よし、今のエネルギー残量で、何秒出せる?」


『十秒ってとこかな。一発二発なら、食らってから万能細胞ジェルで治した方が経済的だよ? 頭以外ならね』


「ホント最悪なコンシェルジュだな。消えろ」


 通路は一本だった。久我は不意に静かになった廊下を、何時でもプラズマ・バリアを出せるよう集中しながら、慎重に進む。だが久我が先に見える扉に辿り着く前に、その奥から複数の叫び声が響き始めた。


 反射的に久我は駆け出す。一瞬、涼夏か、と思ったが、すぐに違うとわかる。


 男だ。男の叫び声だ。それも複数。


 何か、間違ったか?

 思った瞬間、耳に柚木の声が響いた。


『やっと出た。確かに涼夏さんは四階で降り、それから十五分後、複数の男が同じく四階で降りた。彼らは何者かを探している様子だ』


「何人だ!」


『六名。手には銃を携えている』


 十秒のバリアで、六人全員を無力化出来るか? 殺さずに?


「クソッ! 無理臭い!」


 だが連中は、相手が涼夏とはいえ、無力な女を襲おうおとしている。この際、焼灼してしまうのも仕方がない、だろうか。


 そう迷いつつ扉に駆け寄った時、不意に一発の銃声が響いた。

 もう、迷っている場合じゃない。


 久我は決断し、扉に右手を向ける。一瞬の青白い炎。それで扉には円形の穴が空き、久我はすぐさま頭から飛び込んだ。


 とにかく多勢に無勢だ、バリアを張り、隙を見て、全員の拳銃を焼灼していく。


 そういうプランとも呼べないプランを描きつつ、素早く起き上がった時だ。全員の銃口がこちらに向いているのを想像していたが、まるで違う状況に呆気にとられる。


 確かに、六人の男たちがいた。全員が、何処か似合わないスーツ姿。彼らは手に手に銃を携えていたが、まるで久我に気付いた様子もなく、焦ったように銃口を右往左往させている。


 一体、何事だ。

 思った時、不意に一人の男が宙に浮いた。


 まるで何の前兆もなかった。ただ急に身を捩ったかと思うと、腕を妙な方向に曲げつつ悲鳴を上げ、そのままグルリと回って床に叩きつけられる。次いで何かの力を加えられたかのように絶叫を上げ、股間を抑えながら転がり始めた。


 そして彼が取り落とした拳銃は、急に力を加えられ、部屋の隅に転がっていく。


 残る五人は完全に混乱し、二人が宙に向けて引き金を引いた。だが直後にその二人も宙を舞い、同じように股間を抑えて悲鳴を上げる。


「一体全体、何が、どうなってる」


 思わず呟いた久我。それでようやく、残る二人は久我の存在に気づいた。彼らは事の元凶が久我だと思い込んだらしく、躊躇なく銃口を向けて引き金を引こうとする。


「おい待て!」


 久我が叫び銃を焼灼するのと、二人が宙に弾け飛んだのは、ほぼ同時だった。予期していたように二人は股間を抑えていたが、それは完全に無駄だった。床に叩きつけられた直後、彼らはガードする手ごと股間を踏み潰されるか何かして、間もなく、失神する。


『何が、どうなってる』


 困惑した風に呟く柚木。久我は片膝を立てた姿勢のまま、慎重に唇を舐めた。


「何だかわからんが、ここには、透明な悪魔がいる」


『透明?』そして彼は、はっと息を詰めた。『まさか涼夏さんが見つけた、あのドライバーは。他にもいるのか?』


 そうだ、涼夏。

 久我は思い出した途端、すぐに嫌な予感がしはじめた。

 こんな無慈悲なことを、平気でやれる人間といえば。

 久我は一人しか知らない。


「涼夏?」


 慎重に、尋ねた久我。

 答えはない。


 だが少しして、ふと硝煙の中に、覚えのない高そうな香水の香りがした。

 そして小さな、笑い声。


「おい。止せ」久我はイルカの貼り付いた右手で股間をガードしつつ、云った。「待て。オレが何をした。助けに来たんだぞ!」それでも、低く続く笑い声。そこで久我は思い出し、囁いた。「イルカ、透視だ」


『はいよ』


 パッ、と網膜に映し出された電磁波レーダー。ビルの鉄骨類が白々と浮いて見えたが、辛うじて人影と思える輪郭が驚くほど間近にあり、久我は驚いて尻もちを付いてしまった。


「おい! 止めろって!」


「え? 見えるの? 何その右手」


 声とともに、目の前の空間が僅かに揺らいだ。


 一瞬、焦点が合わなくなる。だが瞬きの間に、確かに昼間に会った涼夏の姿が現れていた。彼女は床にしゃがみ込み、不思議そうに久我の右手を眺めている。


「これ、〈カメレオン〉と同じ。まさか、貴方も? どうして!」


「どうもこうもねぇ!」久我は叫びつつ、立ち上がった。「オマエこそ、何なんだ。どうやってそんな、あんな」


「あんな?」と、久我が指し示した、失神した男たちを眺める。「あぁ。あれくらい。京香と護身術習ってるから」


「いや、じゃあ、どうやって。透明? 何なんだそれ!」


 あぁ、と呟きつつ彼女も立ち上がり、右手にぶら下げていたブレスレットをクルクルと回した。


「これ。これがクォンタムが開発していた、次世代ステルス装置」


「ステルス?」


「そ。自分らで開発しておいて、それの見破り方を用意してないなんて。馬鹿ばっかよね、この会社」


『クォンタムだけじゃない』と、柚木が呟いた。『涼夏さんの情報が取得出来るようになった。そのステルス装置は、スリーの探査すら、防いでしまう。非常に危険だ』


 一方の涼夏は腕を組み、じっと久我を見つめた。


「それはそうと、何しに来たの」


「何しにだと? フザけんな! オマエがヤバイと思って、助けに来たんだろうが!」


「へぇ」と、僅かに呆気にとられた表情を浮かべる。「でもどうやって中に? 予防局に、そんな権限ないでしょ」


「権限だと? 権限?」


 完全に頭にきて詰め寄った久我。しかし涼夏は小さくため息を吐きつつ踵を返し、転がってる男たちを眺めた。


「でも、別にいいわ。もうこんな会社、うんざりした。内部告発する?」


「告発だと?」


「そ。予防局には証人保護プログラムとかあるの? これじゃあ私も京香も、死ぬまで追われそう。予防局は私たちを守ってくれる?」


『可能だ』答えたのは柚木だった。『非常にいい流れだ。これでクォンタムを正式に告発出来る』


「そりゃ、そうだろうが」


 苦々しく云う久我に、柚木は何か焦った風に続けた。


『とにかく久我くん、大至急、彼女と戻ってくれ。緊急事態だ』


「どうした。増援が来るのか?」


『いや。私も良くわからない。だがどうやら、予防局に連行した八重樫が、脱走したらしい』


「はぁ? 脱走だと? どうやって!」


『状況は確認中だが、とにかく戻ってくれ。そうだ、証拠の確保は忘れないように』


 八重樫が、脱走、だと?

 一瞬当惑していた久我に涼夏は振り向き、怪訝そうに首を傾げた。


「どうしたの」


 そしてようやく、久我も我に返る。


「どうもこうも、ここんとこ忙しくてな。おい、オマエは予防局で保護する。何か証拠にあるものがあったら急いで集めろ」


 涼夏はすぐに隣の部屋から書類の束を集め、久我は久我で、失神した男たちから身分証の類を確保する。


 その様子を眺め、彼女はふと、呟いた。


「何だか知らないけど、元気そうでなによりだわ」


「ハッ! オマエからそんな言葉を聞いたの、初めてだ。寒気がする!」


「初めて?」


 苛立ったように云う涼夏。久我は僅かに彼女と向き合い、ため息を吐きつつ廊下に促した。


「止せよ。まだオレを恨み足りないのか?」


「恨んでるのは、そっちでしょ!」


「当たり前だ! あんだけの金を搾り取られて、平気なヤツがいるか!」


「お金? そう、そりゃそうだわ」彼女は背を向けつつ、云った。「でもね、私は貴方のお金、一銭も自分には使ってない。そんなこと、するもんですか」


 そして、先を行く涼夏。久我は僅かに困惑し、立ち竦んだが。軽く頭を振ると、すぐに彼女の後を追いかけた。

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