第五話 二重
久我はジャケットを翻し、足早に横断歩道を渡った。
先を行く男。まるで久我が殺してしまった八重樫と瓜二つな男は、携帯の画面を眺めながら、フラフラと通りを進んでいた。
「おい柚木よ、一体全体、何がどうなってんだ?」
焦りつつ囁いた久我に、キャブコンにいる彼はキーを叩く音を響かせつつ答えた。
『八重樫には弟が一人いる。名は俊郎。俊郎だって? プロメテウス社の代表と同じ名だ。加えて彼らは一卵性双生児』
「双子だと? 本当か?」
『あぁ。小、中、高、大と一緒だったが、その後の事は不明。久我くん、とにかく大至急追加で調査を行うが、状況がわかるまで下手に手を出さないでくれ。追跡を続けるんだ』
とにかく付かず離れずで、尾行を続ける。彼は徒歩で有楽町、そして銀座へと向かい、サラリーマンや観光客の間を暇そうな様子で歩いていく。
「一体、何処に向かってるんだ。柚木、何かありそうか?」
『わからないな』
「ヤツはあのビルで、何をしていた?」
『あのビルは証券会社のものだ。確認したところ、そこにはプロメテウス社の口座があった。恐らく証券取引関連の話をしに行ったのだろう』
そう話をしていたところで、久我は妙な事に気がついた。
二十メートルほど隔てて、尾行する久我。だが八重樫と瓜二つな男を追跡しているのは、どうやら久我だけではなさそうだったのだ。
「柚木、別の尾行がいるぞ。ウチの人間か?」
『いや、違う。何者だ?』
「男が二人だ。ガタイはいいが、追跡のプロじゃなさそうだ」
そう、久我の十メートルほど先を行く二人の様子を窺う。フラフラと歩く八重樫風な男に対し、スーツ姿だがとてもサラリーマンには見えない二人は、明らかにテンポが悪い。
久我は結局、三人の男を追跡する格好になった。先頭の太った男に釣られ、二人の男も路地裏に入っていく。次第に人通りは少なくなり、二人の追跡者と八重樫似の男の距離は、どんどん縮まっていった。
「こりゃ、何か仕掛ける気だ」久我は囁きつつ、小走りで彼らとの距離を縮めた。「柚木、保安部を回してくれ」
『了解したが。ターゲットは? 八重樫似の男か? それとも』
「そんなの、臨機応変だ!」
久我は叫び、駆け出していた。路駐されていた黒ワゴンの扉が開き、不意に一人の男が飛び出してきたかと思うと、追跡していた二人も加勢し、八重樫似の男に躍りかかっていたのだ。
「おい、オマエら、何やってんだ!」
大抵の連中は、これで逃げ散る。何者かに悪事を見られる事自体が、この国では致命的なのだ。
だが、この時、この場所においては、まるで状況が違っていた。不意な攻撃に暴れる八重樫似の男、それを強引に抑えつけようとする男。そして残る二人は懐に手を突っ込み、久我に向かって拳銃を向けたのだ。
「おいい! あり得ねぇだろ!」
久我は思わず叫びつつ、路駐された車の影に飛び込ませていた。彼らは格好だけではなかった。矢継ぎ早に引き金が引かれ、久我の隠れる車のガラスは弾け、ボディーに穴が開く。
「どうなってんだ! 東京は何時からゴッサムになった!」
叫びつつ頭を抱える久我。不意に銃弾が飛び交う道端にイルカが現れ、興味深そうに男たちを眺めた。
『あんなの、プラズマで消しちゃえばいいじゃん』
「だからここはゴッサムじゃねぇ!」
『ゴッサムって云ったの、アンタじゃん』
「うるせぇ!」久我は云って、耳のイヤホンを叩いた。「柚木! 撃たれてる! 保安部はまだか!」
『まだそこから五分ほどの距離だ』
「クソッ!」
叫び、恐る恐る、車の影から顔を出す。途端に銃弾が飛んできて、久我は再び車の影に隠れた。ちらりと見えた限りでは、八重樫似の男の身体は、殆ど黒ワゴンに突っ込まれていた。
「えぇい、一か八かだ! イルカ! 銃を焼灼するぞ!」
『いいけど、ちゃんとターゲットしてね? アンタに見えないヤツは、狙いが適当になっちゃうよ?』
「見えるかよ! 頭が吹っ飛ばされる!」
『じゃあプラズマ・シールドやってみる?』
そういえば、そんな技があった。
「だが、そいつは銃弾を防げるんだろうな?」
『大丈夫だと思うけど。特殊な弾丸使ってたらワカンナイ』
一瞬、銃声が止む。黒ワゴンのエンジンがかかり、何者かのくぐもった悲鳴が聞こえる。
「クソッ! オーケー、やってやろうじゃねぇか」
それでも決心が付かず、久我は何度か、身体を勢いづかせる。
そして息を詰め、パッ、と路上に飛び出した瞬間、右手甲を胸の前に置き、身体を覆い尽くす青白い盾をイメージした。
ヒュン、と音がして、銃弾が頭を掠める。思わず身を縮ませたが、次の瞬間、右手甲を中心にして、楕円形のプラズマが放射されていた。
チリチリ、ビリビリと空間が震える。それを目にした男たちは、一瞬、口を開け放つ。だがすぐに我に返り、彼らは繰り返し引き金を引き、幾つもの弾丸を放ってきた。
うっ、と声を発し、久我は再び身を縮ませる。だが銃声と同時に弾けたのはプラズマの皮だけで、銃弾は身体には達しなかった。次々と放たれる弾丸は青白い炎の上に小さな波を残すだけで、久我は次第に自信が出てきた。
「お、オーケー、行けるじゃねぇか」
久我は呟き、ジリジリと男たちとの距離を縮めていく。まるで拳銃が通用しないとわかって、彼らは方針を変えた。未だに暴れる八重樫似の男、それを強引にワゴン車に突っ込もうと、三人がかりで手足を抱えようとする。
「止めろ! 何なんだオマエら!」
八重樫似の男から発せられる叫び声。それもまた八重樫と瓜二つで、久我が思わず戸惑い、足を止めた時だ。彼の細い瞳は久我を捉え、叫んでいた。
「久我! 久我クン! 助けてくれ!」
オレを、知ってる?
まるでワケがわからなかったが、既に彼の身体は殆ど車に押し込まれ、強引に扉は閉じられようとしていた。
久我は駆け出し、バリアを解除し、鋭く右手を振った。
イメージした通り、青白い閃光が、暴漢の一人の腕を切り裂いた。皮一枚で済んでいるはずだが、男は大げさな悲鳴を上げて転がり、その隙をついて八重樫似の男は路上に転がり出る。
そこで最早、連中は計画遂行を諦めたらしい。転がる仲間を素早く車に押し込み、残りの二人も飛び乗り、タイヤを軋ませながら発進しようとする。
「させるかよ!」
久我は叫びながら駆け、再び右腕を振り、タイヤをパンクさせようとした、その時だ。路上に転がり出ていた八重樫似の男が、まるで正反対な方向に逃げ始めたのだ。
「おっ、おいっ!」
逃げる車。逃げる八重樫。どっちを追うか一瞬迷ったが、ここは八重樫似の男の方が重要だった。
「クソッ! てんてこ舞いだ!」
八重樫が消えた角にダッシュする。ターゲットの背中が、辛うじて見えた。太い腹を揺らし、ずり落ちそうになるズボンを引っ張りながら、ワタワタといった風に逃げる。またたく間に二人の距離は縮まってきて、久我が後ろから飛びかかろうとした時だ。彼は不意に速度を落とし、喘ぎ、宙を仰ぎながら、フラフラと足を止めた。
そして酷く疲労困憊した風で振り返り、片手を突き出し、息を切らせながら云う。
「待ってくれ。待ってくれ。悪かった。もう、逃げないから」
声。その声も八重樫のものと、全く同じ。それで久我は相手と向き合いながらも、何と言葉を発していいか、わからなかった。
「八重樫、なのか?」
辛うじて云った久我に対し、男はようやく息を落ち着け、汗で濡れた海藻のような頭を拭い、答えた。
「いや、でも、そうだ」戸惑う久我に対し、男は気楽な調子で。それこそ八重樫と同じような調子で久我の腕を取り、路地の先へ促した。「疲れたよ。とにかく、助けてくれてありがとう。もう逃げないからさ、そう、座って珈琲でも飲もうよ。ね?」
口調。それにこの、妙な馴れ馴れしさ。
まるで、八重樫、そのものだ。
「柚木、保安部はまだか?」
尋ねた久我に、彼はいつも通り、冷静に云った。
『もう少しだ。とにかく久我くん、気をつけろ。彼は油断させて記憶消去を狙っているのかもしれない』
確かにそれだけは、二度と、味わいたくない。




