表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
2/114

第二話 接触

「やぁ、久我くん。湯島の現場、その後はどうだい」


 溜まった事務処理を片付けるために、久しぶりに災害予防局のオフィスに戻ると、早々に局長の柚木が見咎めて、左足を引き摺りながら寄ってくる。眼鏡の小男で、インテリ風なファッションを常に心がけている。酷く高そうなスーツに、胸元のポケットには綺麗なハンカチ。ネクタイをぴしっと締めている様は、まるでオックスフォードか何かの教授のようだ。


「どうもこうも」久我は酷い疲労で、言葉を探し当てるのに苦労した。「クォンタムの連中が、やたら騒ぐんで。未だに半壊したビルの解体に取りかかれてない」


「聞いてるよ。おかげで科学班の調査も限られていると」


 詳しく知らなかったが、柚木も科学班閥の出身らしい。おかげで久我にとっては、一番の無駄としか思えない領域から横やりを入れられる。


「仕方がない。あんな場所で重機で発掘作業なんてされたら、ビルの基礎がヤバイ。それよりも隣のブロックまで閉鎖を続けなきゃならない方がキツイです。糞ガキや火事場泥棒が入り込まないよう監視を続けるのが、どれだけ大変だと」


 より現実的な問題を口にした久我に、柚木は硬い表情を浮かべた。


「それはわかってる。元軍の工兵だったキミの判断は、当然重視している。現場の安全を重視しているからこそ、キミのような経歴の人物を、災害予防局にスカウトしたんだ」と、柚木は腰を屈め、声を潜めた。「しかし、〈エグゾア〉の調査を進めるにあたって、科学班の動きもまた、重要だ。キミはどうも、それを十分に理解出来ていないような話を、あちこちから耳にする」


「理解してますよ」久我は仕方なしに抗弁した。「だが、人手も時間も限られてる。科学調査が後回しになるのは、仕方がないでしょう」


「キミの苦労は察するよ。しかし」


「オーケー、お互いが幸せになれるベストな方法は、クォンタムの崩れかかったビルを壊すことです。政治的に動いて貰った方が、早いと思うんですがね?」


 久我の指摘に、柚木は大きくため息を吐いた。


「私も最大限の努力はしている。だがそれも、現場との意思統一が出来てこそ、最大限の効果を発揮する。

 〈エグゾア〉は、未知の現象だ。あるとき不意に、半径数十メートルから数百メートルの範囲の空間が、ごっそり消え去る。残るのは何だ? 灰と鉱滓の山だ。そんな現象が国内で年間五十数件発生していながら、未だに原因が掴めていない。これが市民に、どれほどの不安を与えると?」


「予防は出来てる。別に不安がってるヤツなんて」


 〈エグゾア〉は既に、市民生活の一部だ。彼らの殆どは、久我も含め、その事象に神秘的な畏怖など感じてはいない。ただ不運な場所に住んでいたヤツが、不運に見舞われるだけ。少し突飛で、少しエネルギーが集中する地震や竜巻みたいなものだ。


 そう、一般的な感覚で答えた久我に、柚木は静かに、頭を振った。


「いや。予防は出来ていない。出来ているのは予測と、それに伴う避難措置だけだ」


「それで十分じゃないですか。何が問題なんです」


「問題は、我々が〈災害予防局〉だということだ」


 云われ、久我は僅かに口元を歪めて見せた。


 彼の云いたいことは、こうだろう。予防局と名付けられながら、自分らに出来ていることは予測だけだと。


 だが、そんなことは久我に何の関係もなかった。


「それより、超過勤務する度に一々申請書を出さなきゃならない仕組みは。何とかならないんですかね。オレなんてほぼ毎日だ。そんなに給料ケチりたいんで?」


「それが公務員の決まりだ。決まりは守らなきゃならない」


 無表情で云われ、久我はため息を吐きつつ片手を上げ、踵を返した。


 柚木は悪い上司ではない。軍時代のサディストの少佐や、それこそ涼夏などよりは、何倍も自由にしてくれる。だが組織に対する忠誠心だけは異常に強く、根っからの仕事人間だ。


 そこがどうも、金だけ欲しい久我と、合わない。


 久我は辛うじてその日の仕事を終えると、終電間際の地下鉄で新宿へと向かう。酒、煙草、化粧に香水。そうした鈍色の匂いを掻き分けながら裏路地へと向かい、パーカーのフードを深く被り、軽く辺りを見渡してから、目的の古マンションのインターホンを鳴らす。


 途端、男の歓喜の声が響いた。


『遅いよ! 湯島の件だろう? 今か今かと待ちわびていた!』


「いいから開けろ。こっちはお忍びなんだ」


 すぐにロビーの自動ドアが開く。久我は素早くマンション内に入り込んで、エレベータで十階の部屋に向かう。汚れた廊下、不機嫌に瞬く蛍光灯。何処にでもある寂れた風景。


 だがインターホンを鳴らし扉を開いた途端、その景色は一変した。


 壁という壁に、様々な電子機械類がうず高く積まれている。灯っているのは床に転がる橙色のライトだけで、その周囲にも様々なケーブルが這っている。久我がそうした物に足を引っ掛けないよう奥に進んでいくと、例によって八重樫が、眩しい照明の当たるテーブルに齧り付いていた。


 久我の倍はあろうかという胴体。白髪で、腹や頬が弛んでいる。その彼は酷く楽しげな様子で、机上にある不思議な形状の金属物体に、装置から伸びる電極を触れさせていた。


「何だそりゃ」


 尋ねた久我に、彼はその外見通りの、少し間の抜けた口調で答えた。


「わからないよ! わからないから調べてるんだ。見た感じ、何かの装着装置のように見えるけど」


「ホントかね」見た感じ、ただの歪んだ金属だ。「ソイツは、どっから手に入れたんだ?」


「ゴビ砂漠だ。今日、国際郵便で届いた。あの辺はエグゾア対策が全く取られてないから、現地の遊牧民の格好の稼ぎになってるらしい」


「オマエ以外にも、こんなモンに金を出すヤツがいるのか?」


「当然だよ! 〈異物〉の相場は、年々上がる一方だ。特に、これだけ原型を留めていそうな物はね」ふぅん、と興味なく呟いた久我に、八重樫は太い笑い声を上げた。「キミにとっちゃ、ガラクタかもしれないが。これらには明らかに、何かしらの知的生命体の関与が必要だ。だから私は、これらの〈異物〉には。何らかの用途があると信じている。何かの観測装置か、電子機器か、あるいは武器なのかも」


「じゃなきゃ、異星人の歯ブラシかひげ剃りかもな」


 云いつつ、久我は鞄から金属物体を取り出した。湯島の現場で、科学班より先に確保できていた〈異物〉。途端に八重樫は、おお、と感嘆の声を上げ、そろそろとその太った指を近づけてくる。


「これはなんだろう? こんな形状の物、今までに見たことがない!」そして慌てて手を引っ込め、傍らの汚れた布で摘み取る。「見てみろ! これは明らかに、何かの光学装置だぞ? 集光装置なのか、光学レンズなのか」


 久我にはただ、高熱でケイ素がガラス化しただけの、偶然の産物にしか見えない。八重樫は災害予防局の科学班の連中と一緒。いや、それよりもキチガイじみてる。


 大体いままで、〈異物〉に何かの意味を発見しただなんて話、聞いたことがない。


 きっとこんな物には、何の意味もないのだ。たまに起きる、不可解な自然現象。その結果生み出される、自然の産物。


 そうでなければ、とっくに何かが掴めているに違いない。


 しかし八重樫は。それに柚木にしても、エグゾアを解明する鍵として、この〈異物〉を重視している。いや、正確に云うなら、これ以外に手がかりはないのだ。彼らはこれまでの人生、科学で解明できない物はないと信じてきた。神も仏も全てヒトの弱さが生み出した物であり、大宇宙の神秘は必ずヒトの知性で解明できると信じていた。


 だが、それが敵わない、唯一身近な現象。エグゾア。


 いや、そんなことはない。科学は万能だ。この未知の現象にしても、必ず科学で解き明かすことが出来るはず。


 彼らはそう信じたが、しかし彼らは十年以上も、何の成果も出せていない。唯一出来たのは、単なる出現パターン分析による予測だけで、それだって何の意味があってのパターンなのかも、掴めていない。


 そして彼らは、気が違った。いくら研究しても原因が掴めない現象。その中で唯一、意味がありそうな物体。何らかのテクノロジーの残骸に見える〈異物〉に執着している。


 たが久我にとって、そんなことは、どうでも良かった。


 重要なのは、八重樫は金は持ってるということだ。それもかなりの金。そしてエグゾアが何であろうと久我の人生は続くし、予防局がある限り給料は貰えるし、八重樫が狂っている限り、こうして小遣いも手に入れられる。


 金。

 そう、それが〈異物〉より何より、一番重要だ。


「ま、何でもいいが」早速湯島の〈異物〉に電極を触れさせ始めた八重樫に、久我は云った。「そんなに価値がある物なら、いつもの倍はもらわないとな」


「あ、あぁ、金か。少し待ってくれ?」


 云って、脇の小部屋に姿を消す八重樫。久我はため息混じりでそれを見送り、ふと、周囲を見渡した。


 ざっと見ただけでも、数十の〈異物〉がある。そのどれもがただの歪んだ金属片で、とても何かの価値があるとは思えない代物。


 何かを信じるというのは、恐ろしいものだ。


 久我は思いながら、机上にある、様々な電極の繋げられた〈異物〉に指を走らせた。


 こんな物のために、彼はどれだけの金を注ぎ込んでいるのか。久我への報酬にしたって、そう安くはない。恐らく数千万から数億。あるいはもっと、それ以上か。


 だが久我自身も、涼夏に人質に取られている京香に、似たような投資をしていることを思い出して。苦笑いするしかなかった。


 ろくに会えもしない、話をすることも出来ない存在。それに対して久我は毎月、身の丈余る養育費を振り込み続けている。


 それを考えると、久我も、八重樫も。そう違いはないのかもしれない。


 信じるもの、信じたいもの。崇拝するもの。


 そんなものがないまま生きていくには、今の世界は辛すぎる。生きていたって、何もいい事はない。だが、それでも生きていかざるを得ない。だから、生きている意味を見出したい。


 そして縋るのが、未だ無垢な自分の子供。

 そして完璧と思われた、人類の叡智、というヤツだ。


「ホント、クソったれだ」


 久我が呟いた時、不意に指先に電撃が走った。


 咄嗟に指を、〈異物〉から離す。ただの静電気だと思ったが、ビリビリとした刺激は収まらず、久我は完全に混乱して右手を振った。


 そして気づく。〈異物〉と久我の指先は、何か青白い放電のような物に繋がれていた。幾ら振り落とそうとしても青白い線は切れず、引き離して切ろうとしても、次第に指先が引っ張られていく。


 そう、確かに、引っ張られている。


 机上の物体は、そう重そうには見えない。だがその引力は次第に強まっていき、今では久我が全力で踏ん張らなければ、その場に留まれないほどになっていた。


「なっ、何だよコレ!」


 思わず叫び右手首を左手で掴む。途端に脇の部屋から八重樫が駆け出してきた。彼は大きく瞳を見開き、太った腹の底から声を上げた。


「何だ、何が起きてる!」


「知るか! なんでもいいから、コイツを止めてくれ!」


 八重樫は慌てて左右を見渡し、何かの鉄棒を掴み取る。そして大きく振りかぶり、机上の〈異物〉を叩こうとしたが、不意に息を詰め、棒立ちした。


「おい、何してる! 早くぶっ叩け!」


「いや、けど。この現象は」彼は混乱の中、困惑したように尋ねた。「キミは何をした?」


「何もしてない! ただ軽く触ってただけだ!」


 額に汗を浮かべ、放電で繋がれた〈異物〉と、久我の右手とを凝視する八重樫。指先だけで繋がれていた放電は、いつの間にか五本の指に触手を伸ばしていた。ビリビリして、酷く痛む。更に引力は強くなり、久我の足も、徐々に滑り始めていた。


「何やってる! 早く何とかしろ!」


 叫んだ時、八重樫は鉄棒を手放していた。ガランと音を立てて転がる棒。そして彼は左右を見渡し、棚にあったカメラを掴み取り、慌ただしく操作を加えていく。


「いや、これは」そう、震える声で、云う。「これは明らかに、有意な現象だ。初の。そう、〈異物〉が初めて意思を見せたんだ! 久我クン、抵抗しないで。そのまま〈異物〉に、近づくんだ」


 マジでコイツ、狂ってやがる!


 久我は、完全に絶望し、混乱した。

評価をするにはログインしてください。
この作品をシェア
Twitter LINEで送る
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ