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第三話 遇

 柚木の予想通り、三十分ほどして涼夏からの電話があった。彼女は久我に対して、先日の情報提供料の残りを支払う、という餌をちらつかせてきた。


「で? 幾らだ?」


 軽々しく乗った方が、相手に警戒される。そう考えて云った久我に、彼女は深いため息を吐いた。


『前回と同じ』


「ふぅん。まぁいい。何処に行けばいい?」


 彼女が指定してきたのは日比谷公園だった。


 きっと彼女は、久我のような草臥れたオッサンとお上品な所に入るのが嫌だったのだろう。そう当たりをつけつつ日比谷に向かうと、平日午後の微妙な時間帯で閑散としている公園の中で、彼女はグレーのパンツスーツに濃いサングラスという出で立ちで待ち構えていた。


 どっちがエージェントだか、わかりゃしない。


 そう苦笑いしつつ近づいていった久我に、彼女は踵を返し、とりわけ人気の少ないエリアに向かった。そして無言で、封筒を差し出す彼女。しかし受け取ろうとした久我からそれを逃し、ヒラヒラと振りながら睨みつける。


「なんだよ」


 云った久我に、彼女は僅かな沈黙の後、尋ねた。


「貴方が私に流した、湯島別館が解体されるって話。アレ、予防局の作戦か何かだったの?」


 クソッ、と胸の内で毒づく。直後、インナーイヤホンから柚木の声が響いた。


『キミの元奥さんは、上司よりも勘が鋭いようだ』


 久我はそれを聞き流しつつ、頭を巡らせる。


「何だよ。一体なんの話だ?」


「とぼけないで。貴方、京香を危険に晒したのよ? 貴方たちの法を無視した囮捜査のおかげで、私と京香は」


「ちょっと待て」酷い理屈に、一度に理性が吹き飛んだ。「ふざけんな。そりゃ責任転嫁だろ。オマエこそヤバい物を運ぶのに京香を同乗させるなんて」


「じゃあやっぱり、アレは本当に〈異物〉だったのね?」


 何処まで作戦かわからなかったが、すっかり久我は手持ちのカードを晒された。舌打ちしつつ、両腕を開いてみせる。


「だから尋問でも、そう聞かれたんだろ? オマエの上司は、オマエに危険な物の運び屋をやらせた。知らなかったのか?」答えない彼女に、久我は苦笑いした。「ハッ、あんだけクォンタムに人生を捧げてたってのに、あっさり裏切られてたってワケだ。無様なもんだ」


「やめて」鋭く遮り、涼夏は続けた。「それより予防局は、何を掴んでるの?」


 考え込む久我。そこに再び、柚木の声が響く。


『彼女は信頼できる。話しても裏切ることはない』


「ハッ、アンタはコイツの正体を知らないんだ」


 思わず口に出した久我に、涼夏は眉間に皺を寄せた。


「何?」


「何でもない。それより事態は、オマエが考えてるよりも、より深刻だ」


 そして久我は、話した。〈異物〉は現代科学を遥かに超える力を持っており、それをクォンタムは随分以前から研究していたらしいこと。そして彼らは湯島オフィスを襲ったエグゾアの痕跡からもそれを発見し、何かに利用しようとしていたということ。


 そして、別の場所に運ぼうとしていた涼夏たちを襲った、何者か。


「え? じゃあ、あれはただの事故じゃなかったの?」


 涼夏の言葉に呆気にとられたが、当事者はそんなものなのかもしれない。

 しかし。


「運び屋の一人が、ヤツに消されたんだぞ? クォンタムは何か云ってなかったのか?」


 当惑したよう、彼女は頭を振った。


「だって、気がついたら病院だったし。あの二人は全然知らない人たちだったし。予防局も、そんなこと。一言も云ってなかったじゃない!」


「言えると思うか? 相手は人外の異物を使ってるヤツだぞ? そんなの公表したら、パニックになる!」更に何か云おうとする涼夏を遮り、久我は続けた。「とにかく、そいつがやったことが問題だ。そいつは運び屋の片方を消滅させただけじゃなく、京香は」


 そこで不意に、言葉が出てこなくなった。

 当惑し、口籠る久我に、彼女は怪訝な表情を浮かべる。


「京香は?」


 結局久我は、何かを口にしたようだった。自分でも何を云っているのか、よくわからなかった。だが久我にとって、自分が死ぬ以上の最悪の事態は、とても冷静に口に出来なかった。


 何度か何か問われ、それに応える。そこで久我が辛うじて守り通せたのは、自分が問題の異物に、取り憑かれているという事だけだった。


 気がつくと涼夏は、完全に無表情になっていた。小さく薄く唇を開け放ち、サングラスの奥に透けて見える、僅かに皺が窺えるようになった瞳を細め。


 だが彼女の京香に対する想いは、久我のそれより、遥かに軽いようだった。

 いや、単に彼女は、久我よりも強靭な意思を持っているだけなのかもしれない。とにかく彼女の見せた微妙な表情は、ほんの一瞬のものだった。


「なんてこと」彼女は呟き、苛立った瞳を久我に向けた。「それで? その京香を治せるかもしれないレリックを。クォンタムは隠してるの?」


「レリック?」問い返した久我に、彼女は、しまった、というように口籠った。「おい、今更隠し事はナシだ。京香の命がかかってるんだぞ?」


「わかってる」云って、彼女は続けた。「異物の事を、クォンタムではそう呼んでるらしいの。私も詳しくは知らない。ただ新しい製品の核心技術には、それが用いられているって、漏れ聞いて」


「その、新しい製品ってのは。何だ」黙り込む涼夏。「おい、わかってんのか? 京香の命がかかってるんだぞ? 裁判までしてオレから奪った娘より、会社の方が大事なのか?」


「無茶云わないで。仕事がないと、京香を育てられないでしょ?」


「オマエ、オレが幾ら養育費を入れてると思ってんだ! オマエは一体、何にそんなに」


『久我くん』と、疲れたような柚木の声が響いた。『申し訳ないが、今はそんな事で争っている場合ではない』


「わかってる」鋭く云って、涼夏に目を戻した。「とにかく、今は少しでも、情報が必要だ。クォンタムは何を企んでる? どれだけその、レリックとやらを隠してる?」


「知らない。私は開発部門の人間じゃない」


「だが、そこにアクセス出来る権限はある。なにしろ経営計画部長さんだ」


 彼女は薄い唇を噛み、俯き、考え込み。

 そして彼女は、宣言した。


「スパイをするつもりはない。でも、京香の問題を解決するためなら、何でもする」


「その線引きは、難しいと思うぜ? なにしろオマエじゃ、見つけた物がガラクタか医療型か、見分ける事も出来ないだろ」


「でも、やるしかない。何かわかったら、連絡する」


「おい、ちょっと待て」踵を返しかけた彼女の携帯に、久我は一枚の写真を転送した。「そいつ、知ってるか?」


 送られてきた映像。八重樫の顔写真を眺め、涼夏は首を傾げた。


「誰、この人」


「元、クォンタムの研究員だ。退職してから、独自にレリックの研究を続けていたらしい。今でも何か、関係があるのかも」


「そう」そして今度は、本当に踵を返した。「一応、調べてみる」


 背を真っ直ぐに伸ばし、去っていく涼夏。

 本当に、彼女は裏切らないだろうか。

 そう不安に思いつつ眺めていた久我に、柚木がふと、声を上げた。


『興味深い』


「何がだ?」


『彼らの使っている用語。〈レリック〉だよ。レリックとは本来、〈過去の遺物〉を意味する。彼らは単に、人智を超えた物としてレリックという言葉を使っているだけなのだろうか。それとも本当に、異物を過去の物だと認識しているのだろうか。だとすると、何故だ?』


「知るか。それより八重樫の件は、何か掴めたのか?」


『あ、あぁ。一人、八重樫が出資を受けていたプロメテウス社の関係者らしい男を見つけた。今から情報を転送する。早速向かってくれ』


 震えた携帯を取り上げ、眺める。場所は大手町。徒歩圏内だ。久我は徒歩ナビに促される方向に向かいつつ、尋ねた。


「で、何者だコイツ。名前は?」


『不明だ』


「何が。正体か? 名前か?」


『両方だ。キミが記憶を奪われたプロメテウス社付近の携帯基地局を調べた所、頻繁にその付近に訪れる番号が幾つか確認された。調査の結果、殆どが同じビルに入居する会社の社員の物だったが、一つだけ無関係な番号があった。それに登録されている人物はホームレスだった』


「闇番号か」


『その通り。その番号を辿って相手の携帯をハッキングしてみたが、内部の情報は常にワイプされる仕様らしく、メールボックスも通話履歴も空。辛うじてGPS情報を拾えるだけだ』


 ふぅん、と応じつつ、久我は頭を掻いた。


「思ったんだが、そのハッキングってヤツは。違法なんじゃないのか?」


 僅かな間の後、例によって柚木は何の感情も感じさせない声で応じた。


『その話は後にしようと云ったはずだが?』


「今がその時だ。どうして何の犯罪も犯してないかもしれないヤツの携帯をハッキングするのはオーケーで、真っ黒なクォンタムを違法捜査するのはアウトなんだ? それがわからないと、オレも何処までやっていいのか。判断出来ない」


 更なる沈黙の後、彼は答えた。


『これでも私は、必死に自制しようとしているんだ。私は神ではないとね。だがどうしても、こうした誰にも危害を与えない軽微な罪であれば、犯してしまう。だが確かにキミの云う通りだ。私がこの調子では、キミも判断に困るだろう。この追跡は止めにして、プロメテウス社の事は別の線から』


「待て待て!」慌てて久我は遮り、舌打ちし、言葉を探した。「わかった。人命に関わる緊急事態であればオッケー。あと、誰にも被害を与えないのもオッケー。それがオレたちの線引きだ。そうしよう」


『私は最初に云ったはずだ。キミの行動の適法性については、最終的にはキミに委ねると。思い出してくれ。キミは八重樫を、跡形もなく消し去った。それだけの力が、我々にはある。我々には自制が必要なんだ』


 融通の効かない柚木を少し虐めるだけのつもりだったが、完全に藪蛇だった。とても議論では柚木に勝てそうもない。


 久我は舌打ちしつつ、目的地付近に立ち止まり、辺りを見渡す。ポインターはビルの中にあり、警備がいる。正面から入れる系統の会社ビルなのか、よくわからない。


 とりあえず傍らのガードレールに腰掛け、様子を見る。


 そう、確かに久我は、八重樫を殺し、その遺体を消し去った。前者は明らかな事故だったが、後者はそうではない。遺体損壊の重罪だ。


 もし、久我にイルカがなければ、そんなことは思いつきもしなかったし、かといって自らの手でバラバラにするなんてことは。出来るはずもなかった。


 そう考えると、柚木の言葉も、なんとなく理解できる。

 オレは確かに、凄い力を持っている。

 だがそれに慣れ、人外の力を平気で振り回すようになってしまったら。

 オレは終わりかもしれない。


 そうだ、八重樫にも当然、親がいただろう。まだ存命なのだろうか。柚木からは何も聞いていなかった。彼らは八重樫の遺体を供養する事も出来なかった。それも全て、久我の所為だ。


 八重樫の墓は作られたのだろうか。彼は今、何処で供養されているのだろう。


「柚木」


 八重樫の肉親は?


 そう、インナーイヤホンを叩いて、尋ねかけた時だった。手にしていた携帯の地図上で、瞬いている目的人物のポインター。それが巨大なビルの中から出てくると同時に、一人の太った男が白昼の下に現れた。


 まるで海藻のように頭に貼り付いている髪。弛んだ頬、弛んだ腹。彼はずり落ちそうになっているスーツのズボンを引き上げつつ左右を見渡し、眩しそうに目を細めながら路上に踏み出した。


 久我は口を開け放ち、身動きできなかった。


『どうかしたか?』


 柚木の声に我に返り、久我は慌てて男を追いはじめた。


「どうもこうもない。ヤツは一体、何なんだ」


『何のことだ。ターゲットに接触したのか?』


「あぁ。ヤツは死んだ八重樫、そっくりだ」


 そっくりどころか、瓜二つ。双子か何かとしか思えなかった。

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