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第二話 法

 これまでにも何度か久我は他人の記憶を奪ってきたが、自分が奪われるなんて経験は初めてだった。


 とにかく、何も感じなかった。ただフィルムが切断され、また繋ぎ合わせられたように、一瞬のうちに景色が変わっていた。


「ったく、いい気分じゃない」


 呟いた久我に、柚木は真顔で答えた。


「それを私は、キミにやられた。二度も」


「それは謝ったろう! 悪かったって!」


 様々な電子機材が積まれた、移動指令室であるキャブコン。そこが久我と柚木のオフィスのようになっていた。小さなベッドの上に座り込む久我に対し、柚木は一番大きなスクリーンに、整理した情報を表示して見せる。


「八重樫英弘。五十二歳。独身。彼はMIT卒業の優秀な電子工学博士で、クォンタム・テクノロジー社に入社後は主に次世代半導体の研究開発を担当。五年前に早期退職制度を利用して離職後は、政府のデータベースによると住所不定無職。繰り返し海外に渡航しているが、これはエグゾア対策が十分に行われていない国々ばかりだ」


「前にヤツが自分で云ってた。砂漠や秘境で発生したエグゾアは、調べ放題だってな」


「確かに、そうしたモグリの〈異物ハンター〉、〈異物研究者〉は、かなりの数が確認されている。恐らく彼はそうしたネットワークを利用して、世界各地の異物を集め、研究していたのだろう。結果、彼は退職金を使い果たし、次いで何者かの支援を受けるようになった」


「その支援者に、オレは記憶を消された」軽く瞳を向けた柚木に、久我は尋ねた。「アンタ、記憶が消されても復活させられるんだろ? それ、オレのイルカでも出来ないのか?」


「無理だな。私のスリーが情報戦型だから出来ることだ。キミの多目的型では、記憶の一時保管をする容量が足りないだろう。さて、キミの記憶を奪ったのは何者なのか? 少なくともキミの命を奪わなかったことから、そう攻撃的な存在とは思えない。先に出会った海坊主とは、また別の組織系統に所属する〈ホスト〉だろうな」


「ホスト?」


「これまでそう多くなかったから曖昧に云っていたが、これからは〈異物〉に寄生された人物を、そう呼ぶことにする。宿主の事だ」渋い表情を浮かべた久我に、彼は首を傾げた。「いけないか?」


「いやぁ。よくよく考えてみると、オレたちは寄生ってほど寄生されてるワケでもないし。それにホストって云うと。何かチャラい」


「チャラい? では何か、他に名案が?」


「そうだな」僅かに思案し、久我はパチンと指を鳴らした。「〈ドライバー〉ってのはどうだ? コイツらを使うのは、あくまでオレたちだ。活かすも殺すも、オレたち次第」


「私はどうでもいいから、ここはキミの美的感覚に合わせることにする」素っ気なく云われて口を尖らせる久我に、彼は続けた。「とにかく相手が攻撃的ではないとはいえ、異物のデバイス・ドライバーに関しては、我々は最優先で調査、確保、無力化を行わなければならない。そこで早速、問題のプロメテウス・インベストメント社について追加で調査を行った。彼らは当局に目を付けられない最低限の範囲で投資活動を行い、かなりの収益を得ているものと思われる。大抵の投資先は国内および海外の株式だが、不明瞭な資金の流れが幾つか確認された。その一つが八重樫から辿り着いたラインだが、他にも幾つかある。先ず私は、それを洗ってみようと思う」


「アンタの得意分野だな。で、オレは?」


「実は別件がある」


「別件?」


 尋ねた久我に、彼は口籠る。そして黙ったまま人差し指を立てて注意を引くと、コンソールを操作して何かの音声を再生させた。


『一体、私が運ばされたのは何だったんです?』


 その声に、久我は口元を歪める。

 聞き違いようがない。久我の元妻、涼夏の声だ。


「彼女に忍び込ませていたスリーの子機が、先ほど面白い会話を拾った。彼女の現在位置は、品川のクォンタム本社内」


 柚木の注釈に続いたのは、いけ好かない口調の男の物だった。


『ある研究素材だよ。そうとしか云えない』


『そんな。彼らは私が、〈異物〉を運んでたって云うんですよ? そうなんですか?』


『坂本くん』と、男は涼夏の事を、久我姓になる前、そして今現在の彼女の苗字で呼んだ。『キミは知らないほうがいい事だ』


『でも。ホントに? ホントにウチの会社は、何か違法な事をやってるんですか? コンプライアンスはどうなってるんです?』


『コンプライアンスというのは、〈バレないようにしろ〉という意味だ。知らなかったのか?』口籠る涼夏に、男は続けた。『なぁ坂本くん。頼むよ。ただでさえウチは今、災害予防局に目をつけられていて。誤魔化すのに必死なんだ。内々で騒ぐのは勘弁してくれ』


『騒ぐ? だって私の娘が、死ぬかもしれなかったんですよ? 危ないなら危ないで、どうして予め』


『危ないとは思わなかったんだ。他にも〈異物〉を調べてる所があるなんて考えてもみなかったし、他に秘密の守れる人物を探す暇もなかった。キミを信頼していたんだよ。現にキミは予防局に、一言も漏らさなかった』


『漏らす? 漏らすって、何を?』黙り込んだ男に、涼夏は口調を強くした。『やっぱり! まさかとは思いましたけど、アレは通常の研究開発の成果じゃないんですね? アレは〈異物〉を調べて得た技術? どおりで!』


 男は、宥めるような口調で云った。


『それより坂本くん、キミの前の旦那さんに聞いてみてくれないかな。予防局はウチについて、何を掴んでいるか』


『それは』


『頼むよ』


 そこで音声は途切れる。渋い顔を続けている久我に、柚木は居心地悪そうにしながら云った。


「ここから先は微妙な押し問答が続いたが、結局彼女は男の依頼を受けた。恐らく数時間中に、キミの携帯が鳴ることになるだろう」


「虫唾が走る」


 吐き捨てた久我に、柚木は大きなため息を吐く。


「気持ちはわかるが、協力してもらいたい。どうやらクォンタムは、かなり以前から〈異物〉の研究を行い、何らかの成果を得たようだ。それが何か知りたい。それに八重樫が、元クォンタム研究者だというのも気にかかる」


「そんなの、アンタのスリーで。ハッキングでも何でもして、調べりゃいいじゃないか」


「普通の企業の研究機関は、インターネットに接続されていないよ。しかも極秘研究だ、その辺の用心はしているはずだろうし、無駄だと思うね。それよりも重要なのは、クォンタムは先の強制解体命令が、我々の仕組んだ罠だということに気づいていない様子だということ。キミの元奥さんが何らかの機密を知っているということ。更に重要なのは、彼女はクォンタムに不信感を抱きつつあるということだ」


 久我は察し、慎重に、尋ねた。


「アイツをスパイに出来ないか、って?」


「その通り」時に見せる鋭さで、柚木は言い放った。「この会話からすると、彼女は娘さんが危機に晒されたことで、会社に疑問を持ち始めている。そこでキミは、彼女を説得し、社内で何が起きているかを探らせてもらいたい」疑問を口にしかけた久我を遮り、彼は続けた。「確かに、それはキミの元奥さんを危機に晒す事になる。だからこれは命令ではない。あくまで提案だ。しかし私が思うに、彼女もまた、娘さんに迫っている危機について。知る権利があるのではないかな」


 娘さんに、迫っている危機。

 そう、このまま何もしなければ、京香は一年以内に、死ぬ。


「権利? アイツにそんな権利があるもんか。あるのはただ、自分をチヤホヤしない世の中に対する不平不満だけだ」


 投げ捨てた久我に、柚木は無表情で云った。


「しかし、彼女は母親だ」


「アンタ、結婚は?」


「いや」


「なら、アンタにはわからんさ。世の母親全てが、子供の事を一番に想ってるワケじゃない。アイツは単に、京香をさっさと自分のコピーにして、早々に独り立ちさせたいだけだ」


「私は詳しい事情を知らないから、その可能性は否定しない。だが母親の愛の形は様々だ。それに彼女は、娘さんの死を願ってるワケではない。違うか? ならば全てを明かし、彼女の協力を得るべきではないかな」


「全てを、明かす?」久我は戸惑い、問い返した。「異物の事も、何もかも。話していいっていうのか?」


「なるべく隠しておきたいのは確かだが、それが彼女の説得に繋がるというのならば、許可しよう。むしろスリーの子機の事を匂わしてくれた方が、話が早いかもしれない」


 結局柚木は、提案する段階で全ての可能性を検討し尽くしている。仮にこちらの提案を涼夏が蹴ったとしても、常に盗聴されていると知れば、こちらの手の内を自社に知らせることも出来ないだろう。


「わかった。やってみるが」そう久我は両手を投げ出しつつ、云った。「どうしてさっさと、クォンタムを潰さないんだ? ヤツらが隠してた異物が、海坊主に奪われた。それで連中の犯罪は証明されるだろ」


「キミはクォンタム・グループという存在について、何も知らないのか?」口籠る久我に、彼は続けた。「この国最大のMIC(軍産複合体)だ。クォンタム・インダストリー、クォンタム・エレクトロニクス。そうした様々なグループ企業の研究開発を一手に担うのが、クォンタム・テクノロジー社だ。当然政界との繋がりも深いし、海外の政府や諜報機関とも関係がある。異物の横領程度では、我々は何も出来ない。だからあの時も、可能な限りクォンタムを泳がせ、その研究所なり何なりを突き止めたかったんだ」


 確かに久我が軍にいた頃も、クォンタム製の装備や電子機器モジュールは数多く見かけた。


「しかし、アンタには些細な犯罪を握り潰すくらいの力がある。なら、何かしらの適当な証拠をでっち上げて、政府を動かすことくらいは出来るだろう」


 柚木は静かに片手を挙げ、遮った。


「どうやら勘違いしているようだが、私は法を無視した事は一度もない。やむを得ない場合は拡大解釈する事もあるが、それも明らかな違法行為ではない。そこはキミにも、十分理解してもらいたい。我々の活動は、法を無視しない。でなければ、キミの云う〈ドライバー〉という存在が、この世界を破滅させてしまう事になる」


「だが、オレたちは正義だ。悪いヤツらが異物を使って好き勝手しようとするのを、止めるのが仕事。違ったか?」


「だから法律を無視しても構わない? 違うね。それは非常に危険な考えだ。今現在、この国で異物を一手に扱うのが、我々予防局だ。その重要な立場にいる人間が、法律を無視して〈好き勝手〉をし始めたらどうなる? 考えてみてくれ、我々は非常に危うい立場にあるんだ。もし、私が世界征服を企む悪人だとしたら、どうする? 私にはそれなりの力がある。キミにもだ。その暴走を止められるのは、法だけかもしれないんだ。違うか? ならば我々は、適切なドライバー関連法と、しっかりと第三者に監視される対策組織が出来るまで、我々自身を律しなければならない。でなければ我々は、世界を破滅させる原因を作ってしまうかもしれないんだ」


「世界征服なんて興味ないが。アンタは、何か大それた事を企んでるのか?」


「そういう話しではない。原則論だ。キミは私について、何も知らないだろう? ならば軽々しく、私に法を破れとか云わないことだ」


「確かにオレは、アンタの事は何も知らんが。なら知ればいい。教えてくれ。アンタは一体、何者だ?」


 軽く云った久我に、柚木は口籠り、そして背を向けた。


「この話は、また後にしよう。とにかくキミは、法律の順守を心がけ、事に当たってもらいたい。以上だ」


 否応のない口調。久我は軽く口の端を曲げ、立ち上がり、軽く敬礼してから、キャブコンを降りた。

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