第一話 調査
■ここまでのあらすじ
未知の現象〈エグゾア〉の対応を行う災害予防局。元工兵の久我は予防局で現場主任を務めていたが、別れた元妻への高額な養育費に苦しみ、エグゾアの痕跡で発見される謎の〈異物〉を闇に流し、支払いに充てていた。
しかしある時発見された異物を謎の科学者・八重樫の元に持ち込んだ時、異物が久我の肉体に張り付き、暴走を起こす。発せられたプラズマによって八重樫を殺してしまった久我は事件の隠滅を図るが、事は上司である柚木局長に知られてしまう。
追い詰められた久我だったが、柚木は久我を助け、かつ怪我のために余命一年とされた久我の娘・京香を救うヒントを与える。
それは、彼女の怪我を治せると思われる、医療型の異物を手に入れること。そして久我は柚木とともに、謎の異物を捜索するチーム、異物捜査特務班を結成することとなった。
■登場人物
久我 多目的型の異物、イルカを持つ。元工兵。
柚木 情報戦用の異物、スリーを持つ。久我の上司でありパートナー。
涼夏 久我の元妻。クォンタム社の重役。
京香 久我の娘。十一歳。異物により余命一年とされる。
八重樫 謎の科学者。
海坊主 近接戦用の異物を持つ。久我によって無力化される。
犯人は必ず現場に戻るというが、こんな形で戻ることになるとは、久我はまるで予想していなかった。
なんともいえない感情を抱きつつ、ゴミゴミとした部屋を見渡す。無数の電子機器で2LDKの間取りの殆どが埋まり、狭い四畳半一室にのみ、ベッドと服が散らかっている。
「相変わらず。まるでマッド・サイエンティストの研究所だ」
呟いた久我に、柚木はピョコンと頭を上げる。こちらも相変わらずの、ピシッとしたスーツ姿だ。カフスボタンに、太いネクタイ、茶色いベスト。だがそれに包まれた柚木は小柄なものだから、敏腕サラリーマンという風ではなく、どこか余所行きの服を着させられた子供のような雰囲気にしかならなかった。
だが、その内部は違う。有名大学の教授的だ。
「そうは云うが、ここにある装置は全て、未知の物質を調査するために必要なものだ。よく個人でこれだけ高価な装置を揃えたものだよ」
「良く知らんが、八重樫は金だけは持ってた」
そう、事故とはいえ久我が殺してしまった男、八重樫。その家は災害予防局の調査班により、家宅捜索が行われていた。
指紋を取る者、うず高く積まれた書類を改める者。そうした連中の邪魔にならないようにしながら、久我はビニール袋の嵌められた手で、キャビネットに並べられた鉄屑。エグゾアの痕跡で発見されたという、〈異物〉をつついた。
「まったく、こんなガラクタに、幾ら出してたんだか」
「止したまえ」鋭く柚木に遮られ、久我はビクリと身を震わせる。「キミはまだ懲りないのか。〈異物〉の価値は、見かけでは測れない。それは経験済みだろう?」
「ごもっともで」
苦々しく応じた久我に、彼はパソコンの電源を入れつつ云った。
「久我くん、暇ならばイルカに、その〈異物〉の外観を見てもらってくれ。何か見覚えのある物があるかもしれない」
「了解」ため息混じりに呟き、久我は云った。「イルカ?」
『はいよ』
軽々と云って、久我の脇に現れる彼女。その姿は久我の十一歳になる娘、京香と同じだった。長くて細い髪をツインテール風に結い、広い額と大きな猫目を露わにしている。だがその性格は、どうも京香そのものとは少し違うとしか思えなかった。
京香はどちらかというと、必要なこと以外は云わない質だ。かといって引っ込み思案かというとそうでもなく、声を発する時は淀みなく、躊躇なく、要点を抑えた言葉を口にする。
久我はその風を、如何にも賢そうで、頼もしく思っていた。
だが一方で、少し怖くもあった。あまり子供的じゃあない。まるで久我が昔所属していた組織、軍隊にいた、よく訓練された兵士のようだ。
恐らくそれは、久我の別れた妻、涼夏の薫陶によるものなのだろう。彼女は、女性も賢く生きるべきだと信じているようだった。多分彼女はそれを自分の娘にも実践して欲しいのだろうし、久我もその方針には異議はなかったが、どうにも京香には、まだ早すぎるような気がしてならなかった。
あまり京香は、子供らしくない。
それが気がかりだった。
しかし目の前のイルカは、姿は同じでも京香のように理路整然としていない。言葉は適当だし、どこか投げやりだし、よく久我の指示を勘違いする。正直云って世話が焼ける。だが、久我はそれがあまり苦痛でないどころか、少し楽しんでいた。
そう、まるで、気を遣わなくていい友人のような感覚だ。
それがイルカの元々の人格設定なのかもしれなかったが、久我はなんとなく、こう推理していた。
ひょっとしたらイルカは、別に久我の中の京香の記憶を元に作られたワケではなく。こういう人に傍にいて欲しい、と思う久我の望みから生成されたのではないか、と。
とにかく久我は、イルカの京香と瓜二つな姿は気にしない事にしていた。彼女は京香とは別人だし、そもそも人格があるのかどうかもわからない。単に久我が〈異物〉を扱う手伝いをする、コンシェルジュ・プログラムなのだ。
「イルカ、ちょっと見てくれ」指し示す久我に、脇に寄ってくる彼女。「見覚えのあるヤツはあるか?」
うぅん、と唸って、猫目を細めてガラクタを眺めるイルカ。
『データベースに一致する形状はあるけれど、確実とは云えないなぁ。どれもこれもボロボロなんだもん。ガラクタだよ』
「つか、オマエのデータベースには何があるんだ? 元の世界の事は知らないんだろ?」
『知らない。データベースにあるのは、他のウェアラブル・デバイスの事くらいかな』
「変じゃないかそれ」と、久我は前々から疑問に思っていた事を口にした。「オマエらは戦闘用に作られた装置だろ? なら、敵の情報とか、地形情報とかあってもいいだろ。なんでそんなのが空なんだ?」
『私に云われても知らないよ。ないものはないんだもん』
舌打ちし、パソコンに向かっている柚木に視線を投げる。彼は丸眼鏡の奥の丸い瞳でディスプレイを眺めつつ、云った。
「私にもわからない。理由は不明だが、ウェアラブル・デバイス内の情報は、装着者の記憶が殆どを占める。装着者の知識が多ければコンシェルジュもそれだけ賢くなるし、逆もまた然り」
「オレが馬鹿だから、イルカも馬鹿だって云いたいのか?」
苦々しく云った久我に、柚木は驚いた風に瞳を上げた。
「そんなつもりはない。だがキミも経験しているように、コンシェルジュの的確なサポートを期待するならば、キミもそれだけ賢くなければならない。私が思うに、ウェアラブル・デバイスがそういう設計になっているのは、彼らが〈情報〉をエネルギー・ソースとして利用している理由と関係があるように思える」
そう、久我のイルカ、そして柚木の情報戦用ウェアラブル・デバイス、スリーにしても、その稼働エネルギーは全て、情報を消去することで得られる。
「そういや、情報くらいしか、まともなエネルギー・ソースがない世界だったな」
呟いた久我に、柚木はディスプレイに顔を戻しながら云った。
「そう。彼らが作られた世界について、辛うじてわかっていること。恐ろしくエントロピーが大きくなっている世界で、固まったエネルギー源が〈情報〉くらいしかなくなっている環境だということ。だから敵と戦うにしても、そうした集約された情報を内蔵することで、敵に回収された際に敵を利する可能性を避けたかったのではないかな。代わって装着者の記憶を元に装着者を補助し、敵の記憶を食って稼働する」
久我にはどうも、その世界観が理解できない。
「そんな世界で、連中は何を食ってるんだ? 植物にしても、動物にしても。そんな世界で生きていけるのか?」
「わからないね。過去の資産を食いつぶしつつある世界なのかもしれないし、そもそも異物を制作した種族は、宇宙生命体や情報型生命体とか、我々が直感的に理解できる知的生命体ではないのかもしれない。だから私はそれについては、あまり深く考えないことにしている」
どうにも柚木の言葉も理解できず、久我は首を傾げた。
「だが、オレたちは災害〈予防〉局だろ? そう云ったのは、アンタだ。予測しか出来ていないエグゾアを、予防できるようになりたいと。違ったか?」
「違わないね」
「なら、〈異物〉の作られた世界がどんな風か、知らなきゃならないだろ?」あまりに当然過ぎる理屈に、久我は逆に不安になってきた。「違うか? オレは何か、勘違いしてるのか?」
「いや。キミの考えは正しい」そう、無表情にキーを叩きつつ、彼は応じた。「しかし現時点では、推理しようにも情報が不足し過ぎている。少ない情報を元に、あれこれ推理を巡らすのは時間の無駄だ。ならばその時間を、情報を集める事に費やした方が、より効率的だ」そして、パチン、とキーを叩き、ディスプレイに目を凝らした。「ふむ。これは興味深い」
「どうした?」
脇に寄って覗き込む久我に、柚木は表示されている数値を指し示して見せた。
「八重樫の資金源について、何か情報はないかと探っていたが。見てみたまえ。ネット・バンクの彼の口座には、定期的に、かなりの額の振り込みがある」
数字に目を凝らす。その額は変動していたが、毎月、数百万の振り込みがあった。
「つまり八重樫は〈異物〉の研究をするのに、何処かからか支援を受けていたってことか?」
「まぁ待て。単に不労所得がある資産家なだけかもしれない」
そして柚木はブリーフケースから、様々なケーブルが伸びるアタッチメントを取り出し、左腕を捲り、自らに寄生した〈異物〉、スリーに被せた。そしてもう一方のアタッチメントをパソコンに繋ぎこむ。途端に画面は矢継ぎ早に切り替わりはじめ、様々な文字、数値が浮かんでは消えた。
久我のイルカも、そこそこの情報処理能力はあるようだったが、インターネットへの接続は出来ない。それをカバーするために、柚木は随分、情報戦用のスリーの研究を行ったのだろう。明らかなヒトの手による技術でインターネットに接続された彼は、脳内に送り込まれてくる情報に集中するため瞳を閉じ、虚ろな表情で呟いた。
「いや、違うな。彼の資産は、この口座以外は殆どゼロ。この住処も賃貸だ。つまりこの振り込み人は、八重樫の支援者と見ていい。それは、誰だ?」更に現れては消え、消えては現れるデータ群。「ヤシマ・インダストリー社。所在地はケイマン諸島。明らかなペーパー・カンパニーだ。その設立者は? マイケル・ウィアー。籍は香港。仕手筋の人間だ。恐らくこれもダミーだろう。その背後にいるのは誰だ? メール、そしてSNSをチェック」更に幾つものダミー・カンパニーを経由する。そして間もなく、彼はある人物の情報に辿り着いていた。「プロメテウス・インベストメント社。代表はヤギ・トシロウ。住所は東京都渋谷区。ここで行き止まりだ。彼に関しては名前と住所以外、何の情報もない」
「地球を一周して、結局渋谷か。で? どうするんだ?」
「とりあえず、キミが行ってみてくれないか。私はここの調査を続ける」
「へいへい」
ため息混じりに腰を上げる久我に、柚木は云った。
「云うまでもないと思うが、事故に注意してくれ。少しでも異常が感じられたなら、独断で動かずに連絡を」
「了解、ボス」
苦笑いしながら軽く敬礼して見せて、久我は八重樫の部屋を出た。
状況が良くわからないまま特務チームのメンバーとなってしまったが、久我のライフスタイルにこれといった変化はなかった。相変わらず何か妙な事があれば昼夜構わず呼び出されるし、移動は基本電車だし、服はユニクロで靴はボロボロのブーツ。
一点だけ変化があるとすれば、それは柚木から高性能な携帯を預けられた事くらいだろう。常に耳には小型イヤホンマイクを差し込んでいて、何かあればすぐに柚木と会話出来るようになっている。
彼が指示した住所は、渋谷の繁華街の裏手にある、寂れた雑居ビルだった。目的の会社はビルの六階にあるはずだったが、社名が並ぶプレートは空だ。
仕方がなく、エレベータで六階へ。薄暗く小汚い廊下を歩き、一応正面玄関らしい扉を見つけたが、呼び出し用の電話もチャイムもない。
「ったく、ここもダミーか?」
呟き、さてどうしたものかと柚木に尋ねようとしたが、不意にくすんだガラスの向こうに人影が見え、久我はイヤホンのボタンを押す手を止めた。
息を詰め、右手を覆っていたグローブを外す。しばらく様子を窺っていたが、人影は消え、物音一つ聞こえてこない。
「イルカ、オマエには透視能力とかないのか?」
小声で尋ねた久我に、彼女は脇に現れて答えた。
『あるよ』
「マジか! 聞いてみるもんだな!」そんな能力があれば、何でもやりたい放題だ。「いいぞ、やってくれ」
途端に網膜に窓が開き、右手のレンズが捉えたらしき映像が映し出される。だがその全体は黒々としていて、ビルを構成する鉄骨らしき白い影が、ぼんやりと映るだけだ。
「何だこりゃ? こりゃ電磁波レーダーじゃねぇか!」壁や地面に埋まった鉄骨やパイプを探るための、工事用レーダーだ。「もっと薄い透視でいいんだ! 壁とか、服とか、そんなのが透視できれば」
『この機能はプラズマ照射用の機能を応用してるだけだもん。そういう細かいのは無理。残念!』
舌打ちし、使えない機能を止める。だがその時、人影は向こうから近づいてきた。久我が身構える前に扉が開き、コーヒーカップを手にした男が顔を出す。
いや、そんな気がした。確かに誰かが現れた気がした。
だが次の瞬間、半開きの扉の向こうには、誰もいなくなっていた。
最初は目の錯覚かと思った。瞳を擦り、眉間に皺を寄せ、首を傾げ。
そして気づいた。久我の目の前には、空のコーヒーカップが、転がっていた。
これは、まさか。
久我は混乱し、震える手で、ゆっくりとイヤホンのスイッチを叩いた。
『どうした?』
すぐに応じてきた柚木に、久我は乾いた唇を舐め、云った。
「なんだかわからんが、どうもオレは、記憶を奪われたらしい。敵は異物に、寄生されている」