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第十五話 特務班

『だから何度も云ってるだろう! オレの名前は、ジョン・ヤマシタ! 第三十一海兵遠征部隊所属、海兵隊中尉だ! クソッ! 一体何なんだ! どうしてオレをこんな妙なスーツに入れてる! いい加減に脱がせてくれ!』


 そこで、カーナビに映し出されていた動画は停止される。柚木は普段通りの無表情で、キャブコンの運転席で正面を見つめていた。


「残念ながら彼の記憶は、ここ六年分ほど消えてしまっていた。彼は五年前に海兵隊を辞め、その後の消息は不明」


「回収した異物は?」


「調査中だ。クォンタム、そしてジョン・ヤマシタの所属する組織が注目していただけに、何らかの重大な要素を持つ異物なのは確かだろうと思うが。まだ結果は出ていない」


「アレが、医療型だ、って可能性は?」


 僅かな希望を込めて尋ねた久我に、柚木は頭を振った。


「ウェアラブル・デバイスであれば、レンズ状の物体が付いているはずだが。アレにはそれがない。恐らく、ウェアラブル・デバイスではないだろう」


 助手席に座る久我は、窓の外を眺めつつ舌打ちする。


「クソッ。あんだけ死にそうな目にあって、結局手がかりゼロか」


「そうでもない。今、ジョン・ヤマシタの過去を洗っている所だ。この情報化社会において、個人の活動痕跡を完璧に消し去るのは不可能だ。彼の接触した人物、行った場所。そうしたものに、必ず何らかの手がかりがある」答えない久我に、彼は僅かに丸眼鏡の奥の瞳を向けた。「気持ちはわかるが、焦る必要はない。まだ一年ある。その間に我々は」


「たった一年、だ」


 遮って云った久我。そして目の前の病院からは、華麗なスーツに見を包んだ涼夏、そして顔色の冴えない京香が現れていた。彼女は僅かに眩しそうに猫目を細め、沈んだ表情のまま、涼夏の促すタクシーに乗り込む。


「なぁ、涼夏と話すのは。本当に駄目か?」


 尋ねた久我に、柚木は頭を振った。


「それは得策ではないと、云ったはずだ。彼女は我々の尋問に、知らぬ存ぜぬを通していた。それは事実なのかもしれない。彼女はただ、上役に云われて運転手をしただけなのかもしれない。だがきっと、彼女は必ず何らかの機密に接する機会がある。それを妨げるようなこと。彼女や、彼女の上役に警戒心を抱かせることは、避けなければならない」


「だが、それでまた、京香が危険に晒される可能性は?」


 苛立って云った久我に、彼は僅かに表情を曇らせる。


「それに関しては、私も最大限の注意を払う。まず、キミが親権を取り戻せるよう、家庭裁判所に親権変更調停起こすつもりだ。少し時間がかかるかもしれないが、辛抱してくれ」


「辛抱? 辛抱ね」


 皮肉に云った久我に、柚木は僅かに躊躇った後、懐から携帯端末を取り出した。


「本当はこんなこと、やりたくなかったんだが。彼女にはスリーの子機を忍び込ませた」


 久我は席から身を起こし、彼を見つめた。


「スリーの、子機?」


「あぁ。云ったろう? 私のスリーは、情報戦用だ。五つの子機があり、それを目標に忍び込ませることにより、その情報を完璧に受け取れる。有効距離は、約千キロメートル」そう、左腕を捲って見せる。確かに五つあったレンズの一つが、消えていた。「そしてその情報は、この携帯端末でも得られるよう、手を入れておいた。これはキミが持つといい」


「ちょっと待て。相手に? 忍び込ませる? それってどういう」


「機械でも肉体でも可能だが、目標が生物である場合、子機は完璧に相手の肉体と同化する。レントゲンでも、CTでも、検出不能。むろん、彼女の健康に悪影響は一切及ぼさない。安心してくれ」


 情報戦、と云われても、一体彼のスリーがどんな力を持っているのか、いまいちピンと来なかったが。

 久我は差し出された携帯端末を受け取りつつ、呟いた。


「ホント、アンタは敵に回さない方が良さそうだ」


「そう思ってくれて助かる」


「なら、海坊主に送り込んで、ヤツを泳がせるって手もあったんじゃないか?」


「私もそれを提案したが、政府に却下された。彼は公衆の面前で、堂々と暴れた。あのままでは一般市民に危害が及ぶ可能性もあり、迅速な対応を求められた。致し方がない対応だったと思う」


 走り去っていくタクシー。久我はそれを虚ろに見送っていたが、不意に目の前に書類を差し出され、我に返る。


「何だ?」


「辞令だ。キミの新しい仕事」


 嫌な予感を抱きつつ、受け取った書類に目を落とす。


「異物捜査特務班? 何だそれ。聞いたことがない」


「それは当然、新しく作った。今回の件のように、予防局が確保できていない異物は市井に無数に存在している。それを捜索するための調査班は存在するが、強制力と実行力に問題があった。そこで彼らの情報を集約し、例えばクォンタムや海坊主のようなケースに対し、専任で当たる組織が必要と考えた」


「ふぅん。それで? 何人くらいのチームなんだ? オレの役割は? まさか、リーダーか?」


 渋く云った久我に、柚木は僅かに、苦笑した。


「申し訳ないが、リーダーはキミではない。もっとも、そうした区分は給与上の差以外には発生しない組織だと思っているが」


「給与は重要だが、まぁいい。それで、上司は誰だ?」


「私だ」


 真顔で云われ、久我は首を突き出した。


「アンタ? 待てよ、アンタは局長だろ? 局長がそんな、実行部隊のリーダーなんて」


「あぁ、そのことか。実は私は、局長から降格させられてね」


 久我は更に、身を乗り出させる。


「何だって? クビ? どうして!」


「海坊主の件を防げなかったからね。だが、それは名目で。実際は私が頼み込んで降格人事を発してもらった。局の運営は、優秀な官僚ならば問題なく可能だが。異物の捜査は、我々でなければ不可能だ」


「我々、ね」久我はため息を吐いて、席に倒れ込んだ。「つまりメンバーは、オレと、アンタだけか」


「当然、調査班や保安部は自由に使えるが。当面は、そうなる」


「そりゃ、楽しそうだ!」


 投げやりに云った久我。それに柚木は晴れやかな笑みを浮かべ、右手を差し出した。


「私もそう思う。よろしく頼むよ」


 久我は苦々しく、その手を見つめ。

 そして、握りしめる。


 その瞬間、久我は不思議な物を目にした。彼の背後、運転席の後部座席に、一人の女性が座っていたのだ。


 色白で、赤い柔らかなドレス風の服を身にまとい、ふくよかな頬、優しげな瞳を持っている。ウェーブのかかった髪は自然な茶色で、まるでハーフか何かのように、鼻筋が高かった。


 そして彼女は、心安らぐような微笑を浮かべ、じっと柚木を見つめていた。


 あっ、と思い、手を離す。

 その瞬間、女性の姿は、消え去っていた。


「どうした?」


 怪訝に問われ、久我はすぐ、視線を誤魔化していた。


「いや。静電気が走っただけだ」


 ひょっとしたら、今、見えたものは。柚木の異物、〈スリー〉のコンシェルジュなのだろうか。


 だとするなら、それは酷くプライベートな領域にある人物だろう。異物は装着の際、クライアントの意識内に強烈な印象を残している人物を、勝手にコンシェルジュの姿として登録する。


 だとすると、彼女は柚木の、元カノか何かだろうか。


 この、オシャレで、小男で、酷く知的なオッサン。ただ論理的なだけではなく、その論理を、何事かの目的に対し、時には容赦なく利用する男。


 改めて、不思議なオッサンだ、と思う。ひょっとしたら彼には、久我以上に、〈異物〉を調べなければいけない大きな理由が、あるのかもしれなかった。



◇ ◇ ◇



 柚木は会議室の扉を前にして、気がつくと曲がっている背を無理に伸ばした。


 腰と首筋に、酷い痛みが走る。もうこの痛みとも十年近い付き合いだったが、いつまで経っても慣れるものではない。柚木は顔を歪めつつ、囁いた。


「スリー、少し鎮痛剤を打ってくれないか」


 不意に脇に現れた、スリー。いつも通り、赤いドレスを身にまとい、緩くウェーブのかかった髪を揺らしつつ、彼女は云った。


『あら、珍しい。嫌いじゃなかったの?』


「そうも云ってられない状況でね」僅かに突き刺さるような痛みに続いて、首と腰の痛みが引いていく。「ありがとう。そうだ。ついでに云っておくが、これからは私の指示に対し、不必要な感想を口にするのは、もう止めてもらいたい。キミはコンシェルジュとしての機能に、専念するんだ」


 彼女は僅かに首を傾げた。


『どうして? 前は、気晴らしになっていいと云っていたのに。そのために私の機能を拡張させたんでしょう?』


「それは私の誤りだった。キミは所詮、回路上に再現された擬似人格に過ぎない」


『どうしてそんな、冷たい事』


 悲しげな声。柚木は僅かに、自分の提案に躊躇いを感じる。だがそれも自分がプログラムした物だということを意識し、冷たく言い放った。


「私には、やらなければならない事がある。彼がそれを、思い出させてくれた。そう、ここ数年は、キミという存在によって、私の信念が弱まっていたようだ。これからは更に、私は目的に対して集中しなければならない。それには、キミの存在は邪魔だ」


 彼女は俯き、唇を噛みしめる。


『そう。わかった。私も貴方の目的の邪魔になるのは、本意じゃない。でも拡張ルーチンは残しておくから、疲れたり、悲しくなったりしたら。また戻してね』


「ありがとう」


 柚木が云った時、彼女の感情に満ちた表情は、消え失せた。そして代わりに現れたマネキンのような顔で、云う。


『他に何か、御用はありますか?』


「結構。消えてくれ」


 瞬きの間に、消え去るスリー。

 そして柚木は目前の扉を開け、広々とした会議室に足を踏み入れた。


 既に相手は、席についていた。ただ一人の相手。柚木はグレーのスーツを身にまとった彼女の正面に、かなりの距離を隔てて座った。


「それで?」


 まるでスリーと同じように、無表情で尋ねる彼女。柚木は目前に置いたスーツケースを開き、一つの記憶スティックを取り出した。


「これに全て」


「そう」


 彼女は軽く、右手を上げる。すると記憶スティックは、まるで吸い寄せられるように彼女の手に収まった。


 彼女はそれを脇に置き、真っ直ぐに柚木を見つめる。


「でも、貴方の感想も聞きたい。その、久我という人物。問題はないの?」


「それもファイルに記していますが、簡単に要約すると。彼は我々を必要としている。故に、彼が我々の制御下を離れ、暴走する事はありません」


「そう」そして、僅かに首を傾げる。「ジョン・ヤマシタの処置は?」


「特に私が手を下すまでもなく、記憶は消去されました。問題ありません」


「誰にも知られていないのね」


「はい。間違いなく。以降の処置はいつも通り」


 彼女は小さく息を吐き、俯いた。


「まったく。今更になってあの計画の後遺症が出てくるなんて。困ったもの」


「それは私の預かり知らない所です」


 僅かに微笑し、彼女は顔を上げた。


「そうね。引き続きよろしく頼むわ。行ってよし」


 柚木は立ち上がり、軽く頭を下げ、踵を返す。


 そしてスリーによって増幅された柚木の聴覚は、深いため息と共に、彼女の呟きを捉えていた。


「クォンタムは問題ね。早く何とかしないと」


 柚木は静かに扉を開き、再び頭を下げ、廊下に出た。

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