第十四話 決着
「柚木! やっぱりヤツの攻撃は絶縁体を透過しない!」
叫びつつ、身を起こして転がる久我。柚木はすぐに応答してきた。
『本当か、久我くん』
「あぁ! ガラスは透過しない!」
だが事態は、好転したワケではなかった。ガラスを盾にして攻撃を逃れられた久我に対し、海坊主はすぐに対応してきた。久我は矢継ぎ早にゴム弾を打ち込んだが、彼は蹌踉めくだけで、次々と拳でガラス・パーティションを破壊し始める。
「くっそ、ゴム弾は駄目だ! イルカ!」
ガラスが全て破壊されては、もう終わりだ。久我は叫び、右腕を鞭のようにしならせた。途端にレンズからは数メートルの長さの青白い鞭が発し、床を、ソファーを、ガラスを焼灼する。そしてその切っ先がガスの向こうの影に届いた瞬間、海坊主の身体全体が薄い光の膜のようなもので輝いた。彼は多少眩しそうに瞳を細めたが、ゴム弾のように衝撃を受ける事もなく、すぐに久我を追い始める。
「なんだぁ? ゴム以上に駄目じゃねぇか!」
ガラスはもう、殆どが破壊されてしまっていた。久我は素早く辺りを見渡し、プラズマを照射しつつ、厨房に続いている通路に飛び込む。
どうやら目眩ましは効いたらしい。彼は厨房に逃げ込んだ久我を見失ったらしく、未だに客席側で破壊音を上げ続けている。
「やべぇな、プラズマは駄目だ。物理攻撃でないと」
タイル壁を背にし、上ずった息を飲み込みつつ呟いた久我に、レシーバの向こうの柚木が云った。
『それは可笑しい。プラズマだって物理的な現象だ』
「こんな時に揚げ足を取るな! オレは質量を叩きつけなきゃ、効かないって云ってんだ!」
『しかし、プラズマを照射し続ければ、敵はバリアでエネルギーを消費し、ガス欠を招く事が出来るかもしれない』
「んなことわかってるがな! 物理で攻撃しないと、照射し続ける隙が出来ないんだよ!」そこでふと、気づいた。「物理。そう、プラズマか。それにタイル。イルカ、コイツのプラズマって、マイクロ波で生成してるのか?」
呟いた久我に、イルカは答えた。
『え? そうだよ。アンタがイメージする射線に向けて、マイクロ波の焦点を制御してんの。照射点は二つ。生成可能距離は最大三十メートル。遠ければ遠いほど威力が下がるよ』
「やっぱりそうか。最初にそれに気づいてりゃあ、もっと楽だったんだが」
久我が念じると、小さなプラズマ球が宙に浮く。
これは、行ける。
確信して辺りを照らし出し、包丁やアイスピックといった類の物をかき集める。次いで厨房の壁に貼られたタイルを改めると、レシーバを叩いて云った。
「柚木、監視カメラはまだ生きてるか?」
『あぁ。非常電源に繋がれているから無事だ。もっとも、煙で何も見えないが』
「SATの連中を下がらせろ。ちょっと無茶をする」
『何をする気だ』
「換気する」
久我は昔の感覚を思い出そうと、手の上で包丁をクルクルと回転させてみる。血を溢れさせている左腕は、とても痛みで使えない。だが右腕の感覚が問題ないことを確かめると、破壊音のする逆側から厨房を忍び出る。そして煙の向こうで暴れている影に向かって、続けざまに包丁とアイスピックを投げつけた。
ガスを切り裂き、影に達する包丁。海坊主は僅かに蹌踉めいただけだったが、その隙に久我は身を上げてプラズマを発した。
だが、それは海坊主に向けてではなかった。道路に面したレストランのガラスというガラスを、一気に焼灼していく。激しい破壊音を立てながら、砕け、溶け、消失していくガラス。途端に夜の冷たい空気が流れ込んできて、室内を包んでいた煙が流れ出ていった。
ガスが完全に流れ去る前に、久我は再び厨房に飛び込む。そしてレシーバを叩き、柚木に叫んだ。
「海坊主が見えるか!」
『あ。あぁ、ソファーの影に隠れている。キミが何をしようとしているのか、わからないようだ。それは私も同じだが』
「位置を教えろ」
『何?』
「だから位置を教えろって云ってんだ! この厨房の壁はタイルだ! 陶器だ!」
それで察したように、柚木は、あぁ、と感嘆の声を上げた。
『だがイルカの電磁波照射点は一点なはずだ。プラズマの透過性は、あくまで複数照射点による効果で、一点からの場合は壁を焼き切る事に』
「んなことわかってる! 古いデータは知らんが、六型は二点から照射してる!」
『なんだって。予めそれを知っていれば。とにかく、それは使えるぞ久我くん。少し待ってくれ、レシーバで検出したキミの位置と向き、そしてカメラで捉えた海坊主の位置を元にスリーで解析を行い、適切な方向を指示する』そして僅かな間の後、彼は云った。『十一時の方向。俯角十二度三十分。距離二十四メートル、十五センチ』
「んな細かい指示されたって、わかるわけないだろ!」
そう大体の方向に目星を付けようとしていた所で、不意にイルカが現れて云った。
『腕の向きを出せばいいんでしょ? それくらいなら出来るよ。出す?』
「あ? あぁ、やってくれ!」ぱっ、と網膜に半透明の窓が現れ、久我が腕を動かす度に数値がクルクルと変わる。「スゲぇなこれ。って何でこんな機能があるんだよ」
『だから多目的型だって云ったでしょ? 距離とか角度とか図りたい時は云って?』
「わかった」
そして久我が数値に腕の向きと角度を合わせようとしていた所で、柚木が声を挟んだ。
『僅かに移動した。十時三十分、距離と角度同じ』
久我は慎重に狙いを定める。目の前は厨房の壁。タイルだ。
瞳を閉じる。それでも数値は表示され続ける。
マイクロ波。電磁波だ。身近なところでは、電子レンジで使われている。そしてイルカが生成するプラズマは、電磁波で気体を加熱することにより、生成されている。
もしイルカの電磁波照射点が一つならば、プラズマはイルカから伸びる刃のようにしかならない。壁に穴を開け、海坊主に気づかれ、久我はヤツの衝撃波をモロに受けて終わりだ。
しかしプラズマは、鞭のようにしならせることも出来たし、宙に浮かべる光球にも出来た。
それで気がついた。イルカの電磁波照射点は複数ある。
そう、複数の照射点から電磁波を発する。するとイルカ本体からではなく、照射点の交点に、プラズマを発生させることが出来る。
つまり、遠隔点に、プラズマを発生させるのだ。
加えて都合のいいことに、この厨房の壁はタイル。陶器だ。陶器は電磁波を透過する一方で、絶縁体だ。
久我はイメージする。向き十時三十分、俯角十二度三十分。距離二十四メートルの位置に、不意にプラズマ球が発生するのを。そう、このタイルを溶かさない、ギリギリの威力で、だ。
『久我くん!』柚木が叫んだ。『いいぞ、成功だ!』だが客席側で海坊主が暴れる音に続いて、彼は指示してきた。『一時十五分、ゼロ度、二十メートル』
素早く位置を合わせ、プラズマを発生させる。海坊主は客席中を分解し、塵と化し、攻撃者を探そうとしているようだった。無闇矢鱈に移動され、次第に柚木の指示も追いつかなくなってくる。久我も次第にプラズマの扱いに慣れてきて、その形状、強さ、そして当たった物体から受ける抵抗値まで掴み取る事が出来るようになっていたが、流石に目に映らない状況までは完璧に掴めない。なかなか海坊主を捉えられないまま、無駄にエネルギーを消費していく。
『四十パーセント。三十パーセント』
またたく間にイルカの報じるエネルギー残量が少なくなっていく。そして海坊主から感じる抵抗値は、減る気配がない。
「ヤバイぞ柚木! エネルギーが切れる!」
叫んだ時、彼も同時に叫んでいた。
『久我くん! そっちに行くぞ!』
不意に、厨房の扉が粉々に。そう、文字通り、粉となって散った。同時に冷たい風が流れ込んできて、灰色のロングコートを翻す坊主頭の男が飛び込んでくる。
久我は心臓が締め付けられ、本当に恐怖を感じたが。
それを無理に押さえ込むよう、苦笑いを浮かべた。
「やっぱオマエ、プロじゃねぇな。それとも自信過剰か? 逃げる側はトラップを仕掛けるのが基本だぜ」
次の瞬間、海坊主の身体は燃え上がっていた。久我は事前に厨房の入り口に油を撒き、柚木に手配してもらっていたケーブルとライターを用い、着火トラップを仕掛けていたのだ。
彼のシールドに、炎がどの程度の効果があるのかは、全くわからなかった。だがこの事態に対し、海坊主が完全に混乱しているのは確かだった。真っ赤な炎に包まれた彼の瞳。それは大きく見開かれ、恐怖に包まれていた。
チャンスだ、と思った久我は、右手を突き出して全力でプラズマを照射させる。真っ赤な炎、そして青白いプラズマが混じり合った渦に包まれた海坊主は、それでも攻撃を諦めなかった。数メートル離れている久我に、右手を振りかぶりつつ突進してくる。
だが彼の速度を掴んでいた久我は、辛うじて敵衝撃波の間合いから逃れる。そして起き上がり、すぐさまプラズマを発する。
『残り、十パーセント。ヤバイよ?』
云ったイルカに、久我は叫んだ。
「さっさとくたばれ、このタコ野郎!」
その瞬間、ふっ、と彼から感じていた抵抗値が急減した。慌てて久我はプラズマを止めたが、しかし彼を包んでいた油による炎は消えなかった。彼の全身を覆っていた炎はまたたく間にコートに燃え移り、火柱を大きくした。
途端に絶叫し、のたうち回る海坊主。彼はゴロゴロと厨房の中を転がったが、炎は次第に彼の身体を焼いていく。
「やっべえ! どうするこれ!」ここまでは想定外だった。久我は咄嗟に考え、イルカに念を押した。「わかってるな! 服だけだぞ!」
『まっかせて!』
彼女の答えを受けて、久我はプラズマを発した。
直後、彼の燃えるコート、そしてズボンが、青白い光に包まれ、弾け飛んだ。海坊主を包んでいた殆どの炎は四散し、残った火は久我がジャケットを脱いで叩き消す。
逞しい骨肉を露わにした海坊主は、完全に失神していた。レンズを翳して状態を確かめたが、火傷はせいぜい数パーセント。命に別状はない。
終わった。
急に力が抜け、へたり込む久我。そしてようやく、ヘッドセットから柚木の懸命な叫び声が続いていることに気がついた。
『久我くん、どうなった久我くん!』
「どうもこうも」
まるで息を詰めて全力疾走した後のように、全身から力が抜ける。
もう、何もかも、ワケの分からない状況だったが。
ともかくも、これで一段落なはず。
「大丈夫だよ」
辛うじて云ったが、応じたのは、イルカだった。
『大丈夫じゃないって! 聞いてなかったの? こっちもエネルギー、残り一パーセントを切ってるってば!』
「何だって?」
完全に、何も聞こえていなかった。慌てて起き上がり、レンズを確かめる。確かに、完全に色を失い、鈍い灰色に近くなっていた。
「クッソ、柚木! エネルギーがヤバイ! すぐ充電しに行く! 準備しろ!」
『間に合わないよ! すぐに何かで補給しないと!』
イルカに云われ、真っ先に目に止まったのは。気を失った海坊主だった。
「しかし。コイツの記憶を奪ったら。せっかくの手がかりが」
当惑し、呟く。だが僅かな間の後、柚木が冷静な声を投げかけてきた。
『背に腹は変えられない。やるんだ、久我くん』
「だが」
『今、キミのイルカが、ただの外せない装飾品になってしまう事の方が、余程致命的だ』じっと海坊主を見つめたまま答えない久我に対し、彼は続けた。『大丈夫。どうせ彼が、尋問で何かを吐くとも思えない。彼の身柄を抑えたことで、十分だ』
それも、そうかもしれない。
だが。
『早く何とかしてって!』
イルカの叫び。どちらの秤も重すぎて、見極められなかった。方や、久我の唯一の希望である京香を救うための、手がかり。もう一方は、手がかりを得るための、最大の武器。
「クソッ! 五パーセントだ! それ以上は駄目だぞ!」
遂に久我は決断し、レンズを海坊主に向ける。またたく間に回転する金属。右に、左に。
そして横たわる男が僅かなうめき声を発した時、全てが終わっていた。