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第十三話 絶縁体

 キャブコンが厚木に向かう間、柚木はコンソールで何事かの調査を続け、何処かに命令を発し続けていた。そして問題のファミリーレストランに到着した時、後部扉がコンコンと叩かれる。現れたのは見覚えのある局保安部の人間で、彼はダンボール大のケースを幾つか運び込み、去って行った。


「必要な物を、大至急かき集めた」辛そうに柚木は腰を曲げ、箱を開いた。「状況はこうだ。現在時刻、二十六時。レストラン内の客は、海坊主以外に六名。彼らはこれから十分以内に、何事かの所用に見舞われて店を出る事になる」


「何事かの、所用?」


 怪訝に云った久我に、柚木は自らの〈異物〉、スリーを指し示して見せた。


「私のスリーには、物理的な戦闘能力は皆無だが。こうした情報操作は得意でね。彼らのスマートフォンのアカウントをハッキングし、偽の緊急情報を送り込む。例えば親が危篤だとか、職場で緊急事態が発生したとか、そんな風だ」


「何だかその程度、その辺のハッカーでも出来そうな事だが」


 苦笑いで云った久我に、柚木は遺憾の表情を浮かべた。


「そんな事はない。情報機器に対して不正な操作を加えるにあたって、一番の障害となるのが暗号認証だ。ハッカーはその暗号を解くワケではない。あくまで暗号認証プロセスの穴を探り、それを突くだけ。しかしそれには数時間から数日、あるいは数ヶ月という時間が掛かる。しかし私のスリーは、現在知られている暗号化メソッドの全てを、非常に短時間で解読する力がある。こんな事は、世界最高のスーパーコンピュータでも不可能だ」


「わかったよ。そうムキになるな。それで?」


「それで。緊急情報に釣られて全員が店を出た後、店側の人員にも密かに出てもらう。これは既に、予防局の権限で手配済みだ」


「そして、そこにオレが乗り込む」


 云った久我に、柚木は頭を振った。


「いや。先ずは催涙ガスを流し込む。そして次のフェーズから、キミの出番だ。用意した物は以下の通り。ガスマスク、テイザーガン。これは知っての通り、電撃によって敵を麻痺させる物だ。加えて暴徒鎮圧用のゴム弾を装備した拳銃。そして工業用絶縁スーツ。これは手に入れるのが大変だった。とにかく無力化した敵にこのスーツを着せれば、任務完了だ」


 久我は伸びかけてきた髭を親指でジョリジョリと鳴らしつつ、箱の中の装備を見つめた。


「このスーツ、オレが着た方がいいんじゃないか?」


「残念ながら、この短時間で手に入れられたのは一着だけでね。それにスーツを着ていては、キミのイルカもプラズマを出せないだろう」


 ふむ、と久我は唸った。確かにスーツを着ていても、プラズマを放った途端、穴があいてしまうだろう。それでは意味がない。


「で、オレが頼んだ物は?」


「それはこちらの箱に」中を改め、ある物はポケットに、ある物は鞄に詰める久我。柚木はそれを怪訝そうに眺めつつ、云った。「とにかく云われた物を準備したが、何に使うんだ? 特に、バナナなんて」


「腹が減ったんだ!」


 万能細胞ジェルで消費された血と肉の所為で、このままでは満足に戦える気がしない。


 それで食欲がないながらも無理に皮を剥いて貪り食う久我に、柚木はため息を吐いた。


「好物か? 覚えておくことにしよう。とにかくこの作戦は全て、敵が絶縁体に弱いという仮定を元にしている。彼は確かに絶縁体を分解出来ないかもしれないが、それを透過する可能性は十分ある。その場合、絶縁スーツも無意味だ。キミはすぐさま撤収してくれ」


「で? 海坊主は野放しか?」


「いや。後は警察に任せる。SAT(特殊急襲部隊)が既に展開済み。目的は海坊主の抹殺だ」


 無表情で云う柚木。

 確かに、〈異物〉には、そうしなければならないほどの力があるのは確かだが。それにしても事が物騒すぎて、久我は当惑してしまった。


「SATが、抹殺?」


「困惑するのも無理はない。だが政府上層は、〈異物〉は放射性物質以上に危険だと考えている。事実、そうだ。SATに海坊主の無力化は難しいだろうが、集中砲火による抹殺は可能だろう。なにしろ、〈異物〉は。エネルギー消費量が大きいという弱点があるからね。しかしこれは最後の手段だ。SATには、海坊主がガス欠を起こした瞬間に攻撃を止める、なんてことは出来ない。彼らが発砲する時には、海坊主を殺す事だけを考える」


 それは、何十発、何百発という銃弾を打ち込まれては。早々にエネルギー切れを起こしてしまうに違いない。


 それにしても、この平和主義の国で、簡単にSATが出張ってきて、民間人を抹殺だなんて。


「ヘタすると、オレも似たような事になってたってワケか。アンタ、随分凄い政治力を持ってるんだな」苦笑いで云った久我に、柚木は黙り込む。「ま、とにかくアンタには、逆らわない方が良さそうだ」


「私は敵ではない。恐怖を感じるより、信頼してもらいたいね」そして、ポン、と手を叩いた。「さて、他に何もなければ、作戦を開始しよう」


「あぁ」


 柚木はコンソールから伸びる何かのアタッチメントを、自らの〈異物〉、スリーに巻きつける。するとコンソールに対して矢継ぎ早にコマンドが送り込まれ、膨大な通信ログが流れはじめた。


 間もなく、ファミリーレストラン内の監視カメラに接続されていた画面から、一人、また一人と、客が消えていく。


 残ったのは、硬そうな頭蓋骨、灰色のコートという、海坊主だけだ。彼は特に周囲の異常に気づいた風もなく、巨大なステーキをナイフで切り裂き続けていた。


 久我は渡されたヘッドセットを装着し、キャブコンから降り立つ。ざっと辺りを見渡すと、道路の向こう側にSATの物らしい複数の車両が路駐され、対面のビルには狙撃手らしい影が見える。広々とした駐車場には数台の車両が止まっていたが、その中の一つ、柚木のキャブコンに似た車両からは、戦闘服に見を包んだ局の保安部の人員が現れた。彼らは植え込みに身を隠しながらレストランに近づき、催涙弾を装填したランチャーを構える。


『久我くん、準備はいいか? 打ち合わせ通り、彼らが催涙弾を発射すると、SATがレストランを包囲する。キミは二十秒後に突入だ』


 ヘッドセットの向こうの柚木に云われ、久我は暗視装置の装備されたガスマスクを被りつつ、答えた。


「あぁ。いつでもいい」そして、続ける。「イルカ?」


『はいよ』


 現れた彼女を苦々しく見つめ、久我は云った。


「これから近接四型との戦闘に入る。今のエネルギー残量は?」


『八十、ってとこかな』


「じゃあ、エネルギーが十パーセント減る毎に通知してくれ。それとオレにヤバそうな何かが飛んできたら、指示を待たなくていい、プラズマで盾を作ってくれ。出来るか?」


『そういうの無理。私はあくまでコンシェルジュだもん。通知は出来るけど、プラズマ出すのは自分でやってよ。慣れれば口に出さなくても、念じるだけで出せるようになるからさ。頑張って練習して?』


「んな時間、ねーよ」


 呟き、舌打ちしている間に、保安部の人員は動き始めていた。


 そして不意にレストランの電源が落とされ、辺りが暗闇に包まれる。直後、三隊に別れた彼らのランチャーが、ポン、ポンと音を発し、催涙弾がレストランに飛び込んでいく。派手な音を立ててガラスは破られ、内部はまたたく間にもうもうとした煙に包まれる。次いでSATの車両がタイヤを軋ませながら突入してきて、レストランの前面、そして恐らく背面も取り囲み、突撃銃を携えた十数人のSAT隊員たちが飛び出してきた。彼らは車両や植え込みを盾にして、銃口をレストランに向ける。


 十秒経過。

 煙に包まれた内部から、海坊主が飛び出してくるような気配はない。


 久我は大きく深呼吸し、絶縁スーツの入った重い鞄を携え、慎重にレストランの入り口に足を進めた。


『二十秒経過。久我くん』


 柚木に云われ、久我は扉を押し広げ、先に鞄を投げ込む。そしてゴム弾の装備された拳銃を手に、腰を低くしながら、煙の中に足を踏み入れていった。


『どうだ、久我くん』


 久我は囁き返した。


「どうもこうも、煙で何も見えねぇ」加えて久しぶりすぎる実戦で酷く緊張し、吐きそうだった。「イルカ、この吐き気を何とかしろ」


 突き刺さるような頭痛に続いて、吐き気は収まり、集中力が戻ってくる。


 暗視装置の向こうに、辛うじてインテリアの影くらいは見える。


 慎重に足を進める。揺らぐ煙は次第に薄れつつあったが、当然聞こえていいはずの海坊主の嗚咽などは、まるでない。


 クソッ、全然効いてねぇんじゃねぇか?


 そう嫌な予感を抱きつつ、海坊主が座っていた席付近に近づくと、床に転がる人影らしきものが目に入った。


 両膝を突き、頭を抱え、うずくまる人影。

 久我は軽く息を詰め、銃口を海坊主の太い首に向けつつ、そろそろと足を進める。

 彼は意識を失っているのか、まるで身動きしない。

 もう、手が届きそうだ。

 久我は中腰で海坊主を見下ろしつつ、僅かに躊躇してから、右手を彼の肩に近づけた。


 そして、気がつく。彼を取り巻く煙が、まるで彼を避けるように、流れていた。


「やべぇ!」


 思わず叫びながら脇に飛び退いた時、海坊主は怪物の咆哮のような声を上げながら身を起こし、右手を横に凪いでいた。


 パン、パンと、あらゆる物が弾ける音がする。隣席のテーブルと椅子の間に飛び込んでいた久我は、すぐに再び身を転がし、彼から距離を取ろうとした。


『久我くん、どうした久我くん!』


「どうもこうも、ガスが全然効いてねぇ!」


 叫ぶ柚木に、叫び返す。それでも、彼に暗視能力はないらしい。久我が奥の喫煙エリア側に逃げ込むと、海坊主は完全に敵を見失った風で、雄叫びを上げつつ無闇に右手を振り回している。


 その度に弾け、消失する、様々な物。


 そして久我は、ガスが完全に無駄ではないことに気づいていた。海坊主が発する、謎の衝撃波。それは確かに家具や食器を簡単に粉々にしていたが、併せて消失するガスの煙は、せいぜい一メートルほどの範囲でしかなかったのだ。


「だから近距離戦型か。こりゃ運が向いてきた」


 久我は呟き、ぱっと身を起こし、矢継ぎ早にゴム弾を発射する。それは海坊主のバリアを貫通するのか、それとも衝撃は完全に打ち消せないだけなのか、彼は痛みの叫びを発して身を揺るがせる。


 だが、あまりダメージは与えられていないようだった。加えて彼は、その銃撃で久我の位置を掴んだらしい。歪んだ瞳を真っ直ぐに久我に向けると、右腕を振りかぶりながら突進してくる。


 格闘技の中でも、突進速度では随一な剣道。久我はその段位を持ってはいたが、海坊主の速度は、久我のあらゆる経験を上回るものだった。


 完璧に対応が遅れ、あり得ない速度で胸元近くまで飛び込まれる。プラズマを展開している余裕もなかった。出来たのはただ、ほんの数十センチばかり、横に転がるだけ。その瞬間に感じたのは、本当に不可思議な感覚だった。左肩がブルブルと震え、細胞という細胞が沸騰する。


 左腕の肉が、ほんの数センチだが弾け飛ぶのが見えた。

 ほんの数センチ。だがその痛みは、尋常ではなかった。


 叫ぶ久我。しかし相手は待ってくれなかった。更に追撃をかけようと、久我の転がった方に向けて右腕を振り下ろす。もはや腰が完全に落ち、転がる事も出来なかった。久我の目前のガスが数十ミリ秒の間に消失していき、海坊主の姿、形が、はっきり見え始める。


 そして久我は、無意識に両腕で頭をガードする。

 ぐっ、と息を詰め、どれほど構えていただろうか。


 ふと、とっくに自分の頭は弾け飛んでいていいはずだ、と知覚して瞳を開ける。


 久我と海坊主の間には、未だにガスの薄い膜が残っていた。


 そして、久我と、ガスと、海坊主の間には。喫煙エリアと禁煙エリアを隔てる、ヤニに黄ばんだガラスがあった。


 絶縁体。


 確かに海坊主の力は、絶縁体に対して、無力だった。

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