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14(#8最終話)

「さぁ、なにをぼうっとしているの。急いで」


 天羽は当然のように、てきぱきと動き始めた。加速器の状態を改め、壁際の主電源を入れ、制御コンソールを起動させる。


 柚木は様々な疑問の中から、辛うじて一つを拾い上げた。


「制御室にも、もう一人います」


「あの大男でしょ? 真っ先に片付けた」


 エリザベスたちと繋ぐ糸が切れ、柚木は宙に投げ出された。途端に膨大な疑問が浮かんでくる。


「一体何なんです。ここで何を。どうして彼らを殺したんです!」


「彼らを片付けたのは邪魔をされるに決まっているから。ここには元の世界に戻るために来た。一体何なんです? その問いは漠然としすぎてるわね」そして彼女は、光速測定装置から吐き出されていたデータログの紙を柚木に投げつけた。「貴方の情報戦型でこれを分析すれば、光速変動を予測して正常に加速器からエネルギー出力させられるようプログラムを変更出来るでしょう? さっさと組んで」


「ちゃんと説明してください! それに何の意味があるって言うんです! まさか<先生>の代わりに、インターセクションを開こうと――」


 天羽はようやく動きを止め、腕を組みながら柚木に言った。


「落ち着いて。言ったでしょう、これが元の世界に戻るための唯一の方法だって」


「どうするんです! どうやるんです! インターセクションはここと我々の世界の交点ではない! ここと、彼らの世界の交点なんです!」


 天羽は言葉の途中から、説得を諦めた様子だった。大きくため息を吐きながら頭を振り、最後には柚木に拳銃を突きつけた。


「そんなことわかってるわよ。いいから急いで。時間がないの」と、腕時計に目を落とす。「あと三分。あなたは帰りたくないの? 帰りたければ、今は私の言うことを聞いて。いい?」


 帰りたいか帰りたくないかと問われれば、帰りたいに決まっている。しかし今は、天羽は酷く信用できない存在になってしまっている。


 柚木は時間と信頼を秤にかけたが、十分な検討は不可能だ。結局は天羽との長年の絆に背中を押される形になり、迷いを残しつつも彼女が投げてよこしたデータログを拾い上げた。


 スリーはすぐに必要な数値をピックアップし、先ほど完成させた式に代入させる。次いでコンソールからプログラムを呼び出し、結果として出来上がった式を電力制御サブルーチンに組み込んだ。


「帰ったら全て、説明してください」


 その言葉を合図と受け取って、天羽は加速器のスイッチを入れた。


 途端に装置全体がうなり声を上げ、それに応じてヴォイドの触手が縮まっていく。<先生>がしてみせた時と同じように、やはり完全な球体となったヴォイドの中央には、白く輝く部位が出来はじめていた。


 そこで天羽は加速器内のプリズムを動かし、荷電粒子をヴォイドに直射した。


 途端、輝きは拡大し、その中には何かが見えてきた。


 それはなんとも形容しがたかった。渦のようでもあり、制止しているようでもあり、人間の視覚を通しては正常に見通せる物ではないように思える。しかしやがて、複数の確かな何かが見えてきた。結晶体、分子模型、複雑だが完全な幾何学模様――スリーは素早くそれを分析し、一つの濃縮された何かが判別されようとした、その時だ。唐突に穴は塞がり、ヴォイドは元通り触手を伸ばし始める。


 一体何が、と目を向けると、天羽はプリズムの位置を更に動かし、荷電粒子のビームはあらぬ方向に向けられていた。


 直上方向だ。そこは核ミサイルを発射するため地上と直通しており、今は轟音とともに蓋の扉も開こうとしている。


 そこにはいつの間にか、また別のプリズムが仕掛けられていた。ビームはそこに入射されると方向を変え、何処かへと向かっている。


「急いで!」


 叫ばれて気づくと、天羽は資材搬入用エレベータに、例のフォークリフトごと乗り込んでいた。


 ここまで来ると、もう彼女に従うしかない。地上に向かうと隔壁は開かれていて、未だに複数のプラズマ球や弾丸が飛び交っていた。しかし核サイロの真上からは一筋のビームが発せられていて、エリアを覆っている天球の一部に直射されている。


 そうか、そういう事か。


 ビームが向かう先を見て、朧気ながら天羽の作戦を理解した。


 目映い光線が投射されているのは、<先生>が新しいエリアが出来つつあると言っていた場所――あの黒い裂け目だったのだ。


『おい! 一体何が起きている!』


 ヴィソツキーの声が響き、応答に迷った。フォークリフトは天羽の運転で、真っ直ぐに亀裂の方向に向かっている。柚木は彼女の肩を叩き、風音や爆発音に負けないよう叫んだ。


「天羽さん! このビームで壁を破壊できるのですか!」


「えぇ、生成途中の空間への壁ならね!」


「それで、我々の世界の空間との入れ替わりが行われるときに、向こう側に戻る? 本当にそんな事が可能なんですか!」


「言ったでしょう、これが唯一の方法よ!」


 レッド――この世界の何者かに半ば支配された彼女が言うのだ、信じる価値はあると思ったが。


「なら、他の人たちも一緒に! どうしてこんな無茶な方法を!」


「時間がないと言ったでしょう! <転移>はあと二十秒で起きる! 説明している暇なんてない!」


 なんてことだ。


 柚木は言葉を失い、ただ正面に迫っている黒い亀裂を見つめるより他になくなっていた。


 耳元には、繰り返しヴィソツキーからの呼びかけが届いている。しかし彼に何と言っていいのかわからなかった。荷電粒子が直射されている黒い亀裂は、次第に赤銅色に染まっていた。やがてそれは赤に、そして白昼色になり、フォークリフトが衝突しようとしたその瞬間、まるで陶器が割れるときのような音を立てて破裂した。


 以前にここが転移された時の事を思い出す。地球側に現れたのは、真空で、鉱滓にまみれた不毛の地だった。やはり壁が割れた瞬間、柚木と天羽は亀裂の中に吸い込まれていく。そして凍えるほどの寒さと息苦しさを覚えた途端、二人の全身は真っ白な閃光、そして甲高い破裂音に包まれた。




◇ ◇ ◇




 話の間中、久我は問いを挟むこともなく、ずっと難しい顔をして黙り込んでいた。時折珈琲を口にし、苦みに口を曲げ、宙を見つめている。


「そして我々は戻ってきた。モンゴルのステップ地帯だった。私も天羽さんも全身に放射線を浴び、酸欠に加え凍傷にもなりかかっていたが、天羽さんが懇意にしていた文科省の手配で何事もなく日本に戻り、治療を受けて回復した。


 色々な疑問はあったが、ご想像通り、私と天羽さんとの間は、あまり突っ込んで話が出来るような関係には戻らなかった。しかし私は一つだけ進言した。今度は十分に必要な装備を調え、再びANDに向かうと。だがそれを否定したのはスリーだった。変動する光速の範囲は予想より複雑で、再び向かっても同じ式で通用する可能性はかなり低いと。それがわかったのは、我々が戻ってくるまでに要した時間からだ。我々がANDにいた時間は、おおよそ一日半。式が正しければこちら側の経過時間は一週間ほどのはずだが、実際には二週間が経過していた。


 そこで思い出した。どうして壁に数式を書き連ねていた男は、窓から身を投げたのか? 式を完成させることが不可能だと悟ったからだ。あの式の満たす条件は非常に短期間に限られていて、永続的に通用する物ではなかったんだ。


 行ったとしても、そのままでは戻って来れない。加えて現地の情勢がどうなっているのかわからない。<先生>が死んでしまっていては、式の改良を試みるのも困難だ。


 私がそうしたことに時間をかけている間に、天羽さんは次々と手を打っていた。肝心なのは生きているかもしれない<先生>に力を与えないよう、エグゾアと名付けられた現象で運ばれる資源を可能な限り限定すること。人間、そして科学技術製品だ。そこにエリザベスたち生存者を顧みる視点はなかった。やがてエグゾアは国際的に認知される現象となり、天羽さんはそれを取りまとめる国際機関の設立に尽力した。重力観測衛星を打ち上げ、監視機構を整備し――そして日本でも、災害予防局を設立させた。


 それら一連の出来事に、私は主体的な関与を行わなかった。気乗りしないまま天羽さんの手足となり――いや、それは正確じゃあないな。彼女の従順な僕として働かされていただけで――」


「しかし彼女は<マーブル>になっちまった」


 言った久我に、頷く。


「そう。当時は何が起きたのかわからなかったが、今となっては推測できる。きっと彼女は何らかの方法で、<彼ら>の誘惑を抑え込んでいたのだろう。エグゾアの向こう側に戻りたいという欲求をね。しかし最後には抗いきれず、こちら側に戻ってから一年と半年後、緋色のビー玉となってしまった。これをスリーで稼働させるよう、言い残してね」


 これで全てだろうか。彼に言わなかったことはないだろうか。


 柚木はこの十年のことを思い起こしたが、恐らく重要な点は全て話したろう。さすがに疲れて珈琲をすすってから、付け加えた。


「きみは聞いたね。どうして私がこんなことを続けているかと。これが答えだ。エグゾアの引き金を引いたのは私。だから私には、エグゾアに関わる全ての出来事――ウェアラブル・デバイスを用いた犯罪、国際的な謀略、それにきみの娘さんのこと――その全てに責任があるんだ。責めるなら責めてくれていい。確かに私は、深く考えもせず、<先生>や天羽さんに翻弄されてきた。決断しなければならないとき、その決断を怠ってきた。それには非常な責任がある。もし誰かがもっと上手く事を運べるのなら、喜んで立場を譲りたい。しかしそれも難しい。ならば一人でやるしかない。そう思い込んで、これまでやってきた。しかしそうではない。もしきみが許してくれるというなら、これからは――」


 そこで久我は珈琲を飲み干し、不味そうに顔を歪めて唸った。


「ここだけ時間が十年前のままだな。珈琲まで腐った味がする」


 意味を取りかねていた柚木に対し、久我は傍らの窓から見えるヴォイドを見上げ、首を捻った。


「いいか、だからあんたは官僚向きかもしれんが、リーダーとしてイマイチなんだ。何かをやろうって時に、相手の都合なんて考えてちゃ駄目なんだよ。使えそうなヤツは巻き込めばいいんだ。俺にやった時のようにな」そこでふと、何かを悟ったような表情をした。「そうか。あれも天羽の指図か?」


「あぁ。私としては非常に困難な仕事だった」


「困難でも可能だったんだ。続ければいい」


 そして久我は怠そうに立ち上がり、ポケットに手を突っ込み、地下四階から去って行こうとする。しかしエレベータの前で立ち止まると、柚木に振り向いた。


「こっちじゃ十年。向こう側はどれくらいの時間が経ってる?」


「言ったように正確な計算は不可能だが、恐らく一年ほどだろう。周期が大幅に変わっていなければ」


 久我は頷き、やってきたエレベータに乗り込んだ。


「これからどうするつもりだ」


 尋ねた柚木に、彼は閉じかけた扉を押さえて渋面を浮かべてみせる。


「マックスを探す。ヤツの力があれば、不安定なエネルギーに四苦八苦して壁を破壊する必要なんてない。向こう側に転移して、確実にこちら側に戻ってこれる。そういう話だろう?」


「あぁ。<先生>もその可能性を第一に考えていた。しかし医療型の彼が生きているとは限らない」


「なら片っ端から金属を拾い集めてくるさ」


 恐らくそれが、真実に近づいた者なら誰しもが考えることだろう。しかし柚木は、その行き先が恐ろしくて仕方がなかった。<先生>がやってみせた、ヌルの生成。それが氾濫してしまえば、この世界も、向こう側の世界と同じ、得体の知れない物になってしまいかねないのだ。




◇ ◇ ◇




「ということで、事態はやや複雑になりつつあります。なんとか制御出来るよう試みていますが、何があるかわからない。もし私に何かあった場合は、久我捜査官を後任に。彼には全て話しています」


 目の前のソファーに座る六十近い眼鏡の男は、柚木の報告に対し、官僚特有のどうとでも取れる表情を浮かべながら繰り返し頷いていた。


「確かに内調からも、ここのところ国際的な諜報機関の活動が活発になっていると聞きます。ミカミインダストリーという会社も聞き覚えがある。最上組についても何かないか、公安と掛け合ってお知らせしましょう」


「助かります」


 立ち上がる柚木に、男は付け加えた。


「柚木さん、あなたは天羽さんの後任として、よくやっている」


「ありがとうございます」


 深く礼をし、柚木は豪華な応接室から出て行く。続きの部屋で全てを聞いていた秦は扉を開け、電子タバコのスイッチを入れた文科次官の前に座った。


「全館禁煙かと思っていましたが」


「ここは文科省だよ? 科学的に害がない物を禁止するなんて自己否定だよ。そうは思わんか?」そして大きく煙を吐き出し、装置を持った手で秦に指を向ける。「科学的といえば最たる物がエグゾアだよ。未解明な自然現象。誰もがそう言っている。一流の科学者だってね。それをきみは予防局の欺瞞だという。死んだと聞かされていた天羽さんも生きているという。議員の紹介でなければゴシップ誌の記者に言えと伝えて終わりにするところだよ?」


「そうしなくて正解ですな」秦はソファーに深く腰掛け、足を組んだ。「エグゾアも科学的、論理的にご説明差し上げますよ。それこそが、私がここに来た理由です」


〈#8 了〉

◇ ◇ ◇


#8もここで終わり。随分不定期&長くなっていますが、引き続きお付き合い戴いて有り難うございました。重ねて申し訳ないですが、例によって#9までの間は少しお時間を戴ければと思います。死なない限りエタることはないと思いますので、気長にお待ちください!


それではまた。


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