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向かった先のエレベータは扉が取り払われていて、床板だけのような状態だった。電力が来ている様子もないのにどうするつもりだろうと窺っていると、全員が乗り込んだ後、腕に金属を埋め込んだ男がエレベータのケーブルを軽々と引く。途端に箱は数十階の高さを上がっていき、最上階で乱暴に止まった。
下手なアトラクションよりも恐ろしい仕掛けだ。心拍数が上がって荒い息を吐いていた柚木を、眼帯女が外に促した。
そのフロアは展望台だった。四方がガラス張りで、都市の全てが見渡せるようになっている。このエリアは直径五キロメートルほどあるだろうか。他のエリアとの接続点が六つほどあり、それぞれの方向に椅子が置かれ、監視できるようになっている。
眼帯女は中央に置かれたソファーに腰掛け、天羽と柚木はその前に置かれた椅子に座らされる。そして交渉相手であるはずの天羽ではなく、柚木を全身くまなくしげしげと眺めた。
「よほど用心深いのね。まだ寄生されていないなんて」
完全に両目は塞がれているが、金属はMR装置のような役割を果たしているのだろうか。
「その、金属は何なのですか」
天羽や<先生>では気後れしてしまったが、逆に見ず知らずの相手になら尋ねられた。眼帯女はしっかりとした家の出らしい。艶やかに膝を斜めにして座り、真っ白な両手を腿の上で重ねている。
「彼らは<ウェアラブル・デバイス>と名乗っている」
「彼ら?」
「これを着けると、何か人工知能的なサポート役が見えるようになる。ただ彼らは本当にデバイスの使い方のレクチャーしか出来なくてね。この世界が何なのか、どうして私たちが送られてきたのか、何も答えてくれない」
「害は、ないのですか」
「わかってる範囲では、見てくれが悪くなるだけね」彼女は黒子のある口元をつり上げ、両目を塞ぐ金属を指し示した。「まぁ、元々私は目が悪かったから。これのおかげで逆に色々なものが見えるようになって、デメリットよりメリットの方が大きいわ。貴方は、そう――珍しい、情報戦型とマッチングするようね。早く付けた方がいい。ここで生きていくためには必要よ」
柚木は更に質問を重ねようとしたが、眼帯女は難しい表情で黙り込んでいる天羽に顔を向けて続けた。
「それで貴方は――」
「私は天羽。彼は柚木。日本人よ」
天羽は一部始終を話し始めた。地球上で不可思議な重力異常が頻発していることに気づき、その場所を探っていたこと。そこで閃光に包まれ、ここに来ることになってしまったこと。やがて二人と<先生>の関係に話が及ぶにつれ、眼帯女は口元に浮かべていた穏やかな笑みを消し、きつく真一文字に結ぶようになった。
柚木は危惧していた。ひょっとしたらこの異常現象を生み出した原因は柚木であり、天羽であり、<先生>なのかもしれないのだ。それを知った彼らは、柚木たちを憎む可能性は十分にあった。
天羽が一通り話し終えた後でも、やはり眼帯女は表情を緩めなかった。そして脇に控えていた兵士の一人を呼び寄せて小声で何事かを相談すると、二人に顔を戻して言った。
「貴方たちが事の発端であるラトビアにいて、<金属男>の下で働いていたことは知っている。見覚えがあるという人が何人もいるようだから」
確かにこちらに見覚えがあるのだから、向こうも知っていて当然だ。だからあえて天羽は、全てを正直に話したのだろう。
眼帯女の答えに天羽は小さく頷きつつ、言った。
「あの時も、私たちは<先生>を止めようとした。それも聞いて貰えればわかるはず。今も同じよ。どうにかしてあの人を止めたい。そしてあわよくば、元の世界に戻りたい。それが私たちの望み。貴方たちも同じでしょう?」黙ったまま見つめる眼帯女に、天羽は付け加えた。「その目で見て貰えればわかるはず。私が嘘を吐いていない事は」
「それはわかる。でも貴方はレッドに寄生されてる。もう既に頭がどうにかなってるのかもしれない」
「それはない。じゃあ彼を見て。彼が私の言葉を否定している?」
恐らく彼女の眼帯は、嘘発見器のような機能もあるのだろう。柚木がただ呆然としたまま視線に耐えていると、小さく息を吐き、頷いた。
「そうね。でも貴方は無理」苦笑して抗弁しようとする天羽を遮り、彼女は背後の兵士たちに言った。「彼女を拘束室に。何をするかわからないから、十分に注意を」
柚木はどうしていいのかわからなかった。ただ腰を上げて天羽を捉えようとする兵士たちの前に立ち塞がろうとしたが、すぐに天羽に腕を取られる。
「大丈夫。彼女を信用させて」
「しかし何をどうすればいいのか――」
「普段通りで大丈夫。貴方は誠実な人だから」
最後に天羽は笑顔で頷くと、兵士たちに連れ去られていった。
白く輝くドームに覆われているため、柚木は時間の感覚をなくしていた。だがおそらく午前三時くらいにはなっているはずだ。続きは明日と眼帯女に言われベッドがあるだけの個室に通された瞬間、強烈な疲労と眠気を感じてマットレスに倒れ込んでいた。
夢も見ないまま目を覚ますと、ようやく部屋の様子に気が回った。割れた窓が板材で塞がれていて、壁という壁に数式のようなものが殴り書きされていた。
精神異常者でも隔離していた部屋だろうか。しかし数式は相当に高度で、ざっと見た限りでは何を示しているものなのかわからない。ただ、何か重力関係の式のようには見える。一体何なのだろうと冒頭の部分を探している間に、眼帯女が現れた。彼女には壁の向こうなど見えているのかもしれない。雑穀の入ったスープのようなものを手にしていて、柚木に促しながら自分は傍らの丸椅子に腰掛ける。
得体の知れない物は口にしたくない質だったが、そうも言っていられないほど空腹だった。意を決して口にすると、彼女は黒子のある口元を緩めて笑う。決まりが悪くなって、柚木は塩辛いだけのスープを嘗めながら尋ねた。
「あなたは、食事は? 金属があれば不要なのですか」
「いえ。多少自在になるというだけ。身体の構成要素をある程度意識的に利用出来るようになるの。食いだめが効くようになる、って言えばわかりやすいかしら」
「脳の不随意な領域を制御出来るようになるのか。それは素晴らしい」
本当に感嘆して呟いた柚木に、眼帯女は首を傾げた。
「不随意。制御。久しぶりに聞く単語だわ」
「あなたも、学者か何かなのですか」
「ただのエンジニアよ。IoT機器の開発を担当していた。奇妙な所に行くのが趣味でね。延々と炎が燃え続ける地獄の穴とか、海底遺跡だとか――日本なら軍艦島に行ったことがあるわ。知ってる?」
「いえ――サブカルチャーには疎くて」
「そう。それでこの鬼城も面白そうだったから来て何日かキャンプしてたら、急にこんな所に飛ばされたってわけ」眼帯女は居住まいを正し、続けた。「私はエリザベス・ウィアー。カルフォルニア出身」
「あ。これは失礼。柚木です。KEKの研究員で――」
「それは知ってる」
彼女は笑い、口を噤んだ。金属の眼帯のせいで、柚木を見つめているのか、視線を泳がせて間を探っているのか、まるでわからない。そこで柚木はスープを飲み干してから、率直に尋ねた。
「私は、どうなるのです」
僅かな間を置いて、エリザベスは答えた。
「実は、どうしようか迷ってる。あなた自身には問題ないように思えるけど、彼女と一緒だったというのに引っかかってる」
「天羽さんの何が問題なんですか。あの赤いレンズ。レッドと呼んでいましたが。あれの何が危険なのですか」
エリザベスは立ち上がり、柚木を部屋の外に促した。展望台の窓から見える領域は相変わらず白々とした明かりに包まれていた。彼女はガラスに手をついて、足下に広がる難民キャンプを見下ろす。
「あなたは、空から降ってくる金属の雨を見た?」
「ええ。来てすぐに」
「大抵の人は、あれでウェアラブル・デバイスに寄生される。その殆どは青く光るレンズを持っていて、私たちに有益な能力を与えてくれる。肉体強化やプラズマ生成能力が多いけれど、物質複製や透視、超演算能力を得る人もいる」
「その力で、あの壁を破壊してみようとは思わなかったのですか」
彼女は口をへの字に曲げた。
「やけになって全力でプラズマを放射した男がいたわ。結果は――全てのエネルギーが反射されて、一瞬で塵になった」
下手なことをしなくてよかった。そう胸をなで下ろしていた柚木に、彼女は苦々しい笑みを浮かべた。
「結局私たちも、この領域が何なのか、この金属が何なのか、全くわからない。このドームを作った連中が何を企んでいるかもわからなければ、食料も医薬品も殆どないし、助けが来る望みもない。得体が知れないのは確かだけれど、このウェアラブル・デバイスだけが唯一の助けなの」
「しかし、レッドは違う」
先を読んで言った柚木に、エリザベスは頷いた。
「レッドはブルーと、根本的に何かが違うの。それが何なのかはよくわからない。でも彼らの言葉を総合すると、レッドには<彼らの記憶>が詰まっているらしい。そして寄生された人物は、それに促されてしまう」
彼女の言葉の意味が上手く受け取れず、柚木は何度かその言葉を反芻した。
「つまり――レッドは第二の脳、ということでしょうか。ここを作り出した異星人たちの記憶が詰まっている?」
「異星人か何なのかわからないけれど、それに近いんじゃないかしら。最初はレッドに寄生されても、覚えのない記憶を思い出すといった症状が出るだけ。でも次第に、何て言うか――」
「偏執的になる?」
天羽の症状から思い当たる単語を選び出した柚木に、エリザベスは頷いた。
「そう。偏執的。何か良くわからない思想――それは多分、赤いレンズに詰まっているアルゴリズム――に支配されて、些細な事、意味不明なことに熱中するようになる。私は今までレッドを二人見た。一人は次第に何処かへ行かなければならないと信じるようになり、ある日私たちが集めた物資を全て奪い、消えてしまった。もう一人は発狂したように意味不明なことを叫び続け、宥めようとした仲間の頭を鉄パイプで滅多打ちにして殺してしまった。彼はここの一室に隔離して調べようとしたんだけれど、延々と何かの計算をし続けていたかと思ったら、窓から飛び降りて死んでしまった」
あの部屋は、その人物が隔離されていたのか。
そう壁一面の数式を空恐ろしく感じていた柚木に、彼女は続けた。
「彼女は寄生されて、まだ一日。彼女は冷静に提案しているように見えるけれど、実のところはレッドから何らかの指令を受け、実行しているだけなのかもしれない。そこの境界は、私にも見通せない。だから彼女は信用出来ないの」
いや、兆しは十分にある。天羽は<先生>を嫌ってはいたが、平然と『始末する』などと言えるほどではなかったはずだ。それに<先生>の指示を無視してここに来たこと自体、用意周到な天羽のすることではない。彼女は十分に過激で、無鉄砲になりつつある。
「で、ですが、何か手があるはずだ」柚木は言って、エリザベスの眼帯を見つめた。「そのデバイスを取り除く方法はないのですか。あなたのは危険かもしれないが、腕や手にあるのならば――」
「これは外見的な物でしかないの。実際は体内に無数のナノボットが流れ込んでいる。そして私たちは、既にそれに依存してしまっている。取り外した途端、私たちは機能不全で死んでしまうと、コンシェルジュ――サポート役の人工知能のことだけど――は言っている」
「それは事実ですか。そもそも、そのコンシェルジュが真実を述べていると、どうして言えるのですか。実はブルーもレッド以上に危険な代物で、周到に何らかのタイミングを狙っているだけなのかも――」
我を忘れて言っていた柚木に、エリザベスは微笑んだ。
「肝心な点を忘れている。これがなければ、私たちはとうに死んでいるということ。他に選択肢がある?」と、彼女は眼下に広がる鬼城に片腕を振った。「今のところ、ここに来たエリアは十五――いえ、昨日の日本のエリアで十六になるわ。直径は数百メートルから数キロとまちまち。そして手っ取り早く開発可能な資源を持つのは、十くらいのエリアしかない。私たちは生きていくので精一杯なの。ブルーは利用する。レッドは排除する。今はそうするより他にない」
「でも――そうだ、<先生>がいる。<先生>はこの現象の相当量について解き明かしているに違いない。<先生>ならばレッドを取り外す方法を知っているかも――」しかしすぐ、<先生>が彼らの仲間にした事を思い出した。「い、いや、確かに<先生>は突飛な人ですが――」
「突飛? とてもそんな言葉じゃ彼を言い表せていない。彼は完全なマッドサイエンティストよ。前にこんなことがあったわ。みんなが必死で拾い集めた資源を納めている倉庫に私が行くと、どうやって入り込んだのか彼がいた。ただ、例の気味の悪い笑顔で勝手に装置類を漁ってるの。私は警戒しながら聞いたわ。『何をしてるの? あなた誰?』 すると彼は、こちらに顔も向けずに答えた。『気にしないで。すぐ帰るから』 そして無造作にいくつかの装置を持ち去ろうとした。すぐに仲間を呼んで遮ろうとすると、彼は躊躇なく二人を殺した。それだけじゃあない。新しい世界が現れて資源を探しに行こうとすると、決まって彼が現れる。彼の力を見たでしょう。とても太刀打ちできない。結局私たちが得られるのは、彼が興味を持たなかった残り物だけ」
<先生>ならばやりかねない。
そう苦い顔をしていた柚木に、エリザベスは顔を近づけた。
「――どうやらあなたは、彼の支配下にあるわけではないようね。でも彼を尊敬してもいる」
「その<眼>で、そこまでわかるのですか」
「ある程度はね」
「ならばわかってもらえたでしょう。私も<先生>は危険な存在だとは思っていますが、その能力は信じています。あの人は天才だ。もし我々の苦境を救える人がいるとするなら、<先生>以外に考えられません」
「あなたのお友達は、そうは考えていないようだけど。彼女は私たちの力を借りて、<先生>を始末しようとしている。違う?」
確かに、その通りだ。
あまりにも状況が異常すぎて、整理して考えることが出来なくなっている。ここは一体何なのか。自分たちはどうなってしまったのか。一体何をどうしたいのか。自分の目的は何なのか。<先生>の目的は何なのか。天羽をどう扱えばいいのか。何もかもわからない。
そう額に手を当てながら呻く柚木の前で、エリザベスは言った。
「混乱しているようね。でも、全ての発端はあなたたちよ」
つい油断していたが、やはり彼女は自分たちがこうなった責任が柚木にあると考えているようだった。思いがけない鋭い口調に緊張したが、彼女はすぐに笑みを浮かべた。
「そう怯えなくてもいいわ。でも、責任は果たしてもらわないといけない。考えて。ここは一体何なのか。どうすれば私たちみんなが<金属男>の脅威から逃れて、元の世界に戻ることが出来るのか」
それは天羽の役目だ。
そういう考えが頭を過ぎった瞬間に、エリザベスは頭を振った。
「駄目。彼女は信頼できないと言ったでしょう」
気圧されたが、そうなると手は一つしかなさそうだった。
「――ならば我々は<先生>の元に戻り、あの人が今までに解き明かしたこと、そしてこれから何をしようとしているのかを探ってきます」考え込むように口元を歪めるエリザベスに続けた。「その目で見てもらえればわかるでしょう。我々は必ず戻ってきます」
エリザベスは一歩歩み寄り、その眼帯で柚木の目を覗き込む。
どれだけそうしていただろう。彼女は身を離すと、背を向けながら言った。
「一人で行って。彼女は駄目」
「いや、しかし私は彼女ほど<先生>に重用されていない」
「いい? 行くなら、一人で」
繰り返され、柚木は力なく頷くしかなかった。




