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 <先生>からは、地下にあったフォークリフトのような乗り物を宛がわれた。速度は出ないが、亀裂を通り抜けるにはこのサイズが限度だろう。


 天羽は厳しい表情で、押し黙ったまま車両の状態を改めている。彼女はもはや、<先生>と積極的に話す意志を失ったのだろう。だが山ほどの疑問を抱えたままでは、これが最後の仕事になってしまいかねない。


「燃料は足りているのですか。食料は」


 思い切って尋ねた柚木に、<先生>は普段通りの笑顔で自らの身体を指し示した。


「この<デバイス>は便利だよ。きみも何か着けないとね」


「それが、燃料も食料も作ってくれる?」


「ある程度は。わかるでしょう、物質転換に要するエネルギーがどれくらいか。だから頻繁にはね。必要な分だけ」


「そのデバイスのエネルギー源は何なんですか」


「情報ポテンシャル」


 ぶっきらぼうに、背後で天羽が呟く。柚木はそれの意味するところを理解するのに、数秒かかった。


「情報ですって? それは理論的には情報からエネルギーが得られるのは知っていますが、それが実用的なほどのエネルギー源になるとは」


 <先生>は相変わらず、救いがたい、というように苦笑いで頭を振りつつ、傍らに転がっていたスパナを手に取った。何をするつもりかと見つめる柚木の前でそれを何度か宙に放り投げ、最後には右手で握りしめる。


 途端、スパナは消失した。


 ただ消えただけではない。スパナがあった座標は真っ黒に塗りつぶされ、<先生>が離れても宙に固定され続ける。


「結局、この世の全ては情報なんだ」<先生>はいくら示唆しても理解出来ない生徒にタネ明かしする時のように、真理を口にした。「物質、素粒子、時空間。そうしたものの根本は、全て情報でしかない。つまり最大のエネルギーは情報ということ。それを奪うと、この通り」と、中空の<穴>を指し示す。「<無>になる。宇宙の外側に広がっていると言われている<無>だね。そして<無>とは何か」


 <先生>は今度はドライバーを手にして、<無>に投げ入れる。それもまた、宙に空いた穴に吸い込まれるよう、消えてしまった。


「<無>は<無>だ。何も存在し得ない。触れた途端に消えてしまう、ヌルの領域だ。面白いでしょう?」


 何も面白くない。


 柚木は目の前で起きている現象が恐ろしく、宙に浮かぶヌルから目を離せなかった。とても軽々しく扱っていい能力じゃあない。この力がもし暴走したら? 悪人の手に渡ったならば?


 そしてあることに気がつく。もし本当にこの<デバイス>が情報を餌にする存在なのだとしたら――そしてもし、この<デバイス>が乱用されている世界ならば、このドームの外側は一体――


 柚木がその世界像を思い描けずにいる間に、天羽が歩み寄ってきていた。そして宙に浮いたヌルに、赤いレンズの埋め込まれた右手を叩きつける。


 途端、ヌルは消失した。


 つまりあの赤いレンズが、<空間>を生み出したのか?


 ただただ混乱していた柚木の腕を天羽は取り、促した。


「行くわよ。のんびりしていたら、ロシア人たちに車の機材を奪われる」


 確かに、こんなことを『面白い』だなんて表現する人物は、野放しにしておくべきではないのかもしれない。


 そう相変わらず笑顔の仮面に覆われた<先生>を見据えつつ、柚木は車の荷台に乗り込んだ。


 地上に出てからも、天羽は無言で運転を続けた。しかし接続点を経てアルゼンチンエリアに達すると、二人が襲撃された場所で車を停め、周囲を見渡した。


 死体がなくなっている。


 ロシア人たちの仲間が、既に埋めるか何かしたのだろう。ということは周囲は一通り調べられたに違いなく、やはり十和田に通じる亀裂の先に乗り捨ててきた車からは、何から何まで奪い去られてしまっていた。


 遅かった。


「すぐ戻りましょう」


 柚木は言ったが、天羽は暫く周囲を見渡したあと、進路を右手に変えた。


「天羽さん、ラトビアはあっちです」


 指摘した柚木に、天羽は進行方向を指し示した。


「何が見える?」


「――畦道が続いています」


「そして新しいタイヤの跡も」


 意味がわからず、柚木は荷台から身を乗り出して天羽の横顔を覗き込んだ。


「どういうことです。彼らの根城に行く? 彼らは私たちを襲ってきたんですよ!」


「そうね」


 ただ、挑発的な笑みを浮かべる。


 やはり彼女はどうかしてしまったのかもしれない。この赤いレンズのせいだろうか。


 柚木はハンドルを握る右手に貼り付いた金属を見つめたが、それ以上何かをする事も出来なかった。緊張して行方を凝視していると、焼けた林の向こう側に新たな接続点が見えてきた。それは十和田やラトビアとの接続点よりやや広く、辛うじて小型のトラックならば通り抜けられそうに見える。そして天羽の追跡するタイヤ痕も続いていて、接続点を抜けて次のエリアへと向かっていた。


 そこは、都市だった。しかし普通の都市とは何処か異なっている。二十階建てくらいのビルが大通りに面して林立しているが、その全てが同じ形、同じ外装をしているのだ。


 少し行くと、簡体字の看板が現れる。どうやら中国の一都市らしい。しかしこれだけの都市が消滅したならば幾ら中国でも報道されそうなものだが、そうしたニュースは見た覚えがない。


「鬼城ね」


 天羽の呟きで、全てに合点がいく。不動産投資だけのために作られた幽霊都市だ。そうしたものの中には砂漠の真ん中に作られた実用性皆無な代物もあると聞く。きっとここは、そうした捨てられた都市の一つなのだろう。


 泥の付いたタイヤの跡を追って交差点を右手に曲がると、すぐ先に廃材が積み上げられたバリケードが現れた。その上には見張り台がある。最初人影は椅子か何かに腰掛けていたようだったが、二人の乗るフォークリフトを見ると慌てて腰を上げ、遠くから銃口を向けてきた。


 それが軍服を着た若い男だとわかるくらいに近づいた頃、天羽は車を停め、両手を掲げながら降り、大声で叫んだ。


「撃たないで! 私たちは味方よ!」


 英語そしてロシア語で繰り返す。若い男は背後に向けて何事かを叫んでいたが、やがて一人の小柄な女が壇上に現れ、二人を見つめた。


 いや、そう見えた。しかし彼女の両目は件の金属に覆われていた。あれで見えているのだろうかといぶかんだが、彼女は天羽に顔を向けると、人差し指を向けながら英語で叫んだ。


「貴方はレッドに寄生されてる。ここに貴方の居場所はない。わかるでしょう?」


 赤いレンズのことだろうか。そう天羽を窺うと、彼女は眼帯の女に叫び返した。


「別に居場所を求めてる訳じゃない。協力出来る事があると思うの。せめて話だけでも聞いて」


「協力、ですって? じゃあ<あいつら>に言ってやってよ! 私たちを、元の場所に戻してって!」


 天羽は僅かに口ごもったが、不意に悪魔的な笑みを浮かべ、答えた。


「話はあの――何て呼んでるかしらないけど、ラトビアの<金属男>についてよ。貴方たちも困ってるでしょう? わたしもよ。協力して何とかしない? そういう提案」


 ようやく柚木は天羽の狙いを理解した。<先生>は彼らと敵対している。ならば、敵の敵は味方だということだ。


 しかし性急すぎる。何の状況もわかっていない。これは普段の天羽のやり方ではない。


 柚木は危惧したが、天羽の提案は彼らの心を動かしているようだった。女は周囲に集まってきた男たちと相談をし、最後には顔をこちらに戻し、叫んだ。


「二人とも、地面にうつ伏せになって。下手な事をしたら、すぐに撃つ。わかった?」


 そして廃材で作られたゲートが揺れ、薄く開き始める。天羽は腹ばいになって頭に両手を乗せる。柚木もまた、彼女に従うしかなかった。


 柚木は天羽と共に後ろ手に縛られ、ゲートの中へと連れ込まれた。そこは尖塔型のビルを中心とした難民キャンプのようになっていて、様々な人種、様々な格好の人々が集まっていた。


 ざっと見る限り、二百人くらいはいるだろうか。彼らは文明の庇護が得られない状況で、何とか自給自足をしようと努力しているところらしい。イネ科の植物が刈り集められ、数頭のウシが飼われ、イヌやネコの姿も見える。


 人々は一様に、身体のどこかしらに金属が埋め込まれていた。一人の青年は手から発する熱線で金属を溶かそうとしており、また別の一人は素手で木を細切れにしている。彼らは引き立てられていく天羽と柚木を怪訝そうに眺め、次いで天羽の赤いレンズに対して忌々しそうな視線を注ぐ。


 これほどまでに赤いレンズが警戒される理由は何なのか。ひょっとしたら、<赤いレンズ>と<青いレンズ>は敵対関係にある何かなのだろうか。


 思っている間に、二人は中央の尖塔に連れ込まれた。行政庁か何かになる予定だった建物らしい。広々としたロビーは様々な廃材で溢れている。加えて幾つかベッドが設えられ、何人かが横たわっていた。その中の一人の顔を見た途端、柚木はぎょっとした。見覚えのある顔だったからだ。


 彼は確かに、<先生>に殺されたロシア人たちの一人だったはずだ。崩れ落ちてきた瓦礫の下敷きになっていた。通りで彼は全身が砂塵まみれで、見るからに四肢は歪み、血の気は全くない。


 だがそこに肥った男が一人、歩み寄ってきた。彼はロシア人の心臓の上に両手を重ねて置くと、大きく深呼吸する。途端に死体には赤みが差し、歪んでいた四肢が真っ直ぐになっていく。間もなく彼は目を開け、苦痛に顔を歪めながらも笑みを浮かべる余裕さえあった。一方彼を蘇生させた肥った男は酷く疲労困憊した様子で、椅子に崩れ落ちる。


「医療型は見たことがない?」


 不意に眼帯女に声をかけられ、柚木は驚きに身を震わせながら答えた。


「来たばかりで。何もかも混乱するばかりです。死者を生き返らせられるとは」


「死んだら無理よ。彼はまだ生きてた。瀕死だっただけ」


「同じ事です。常軌を逸している」


 正直な感想だったが、それで彼女の警戒心は随分和らいだ様子だった。口元に笑みを浮かべながら、柚木の背を押した。

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