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6

 新たな境界に至ったとき、柚木の心臓の鼓動は突然激しくなった。刺々しい針葉樹が連なっている。まるで無数の刃が林立しているようだ。すぐ側に砂利道があって、真っ直ぐに奥へと続いている。左右は深い森になっていて、近くに傾いだ道路標識が立っていた。ラトビア語だ。


 このエリアは、今まで通過したどのエリアよりも狭い。天球もすぐ間近にあるようで、より眩しく、鬱々としていた森全体を明るく照らし出していた。


 <先生>に続いて歩く事数分で、やはり、あれが現れた。


 核サイロだ。ドーム状のコンクリートの塊で、周囲には記憶通り、工事用の重機やトラックが散在している。


 しかし、荒廃していた。作業用のプレハブは壁に穴が開き、書類が広範囲に散らばっている。簡易テントは支柱が倒され、内部にあった器具類が引きずり出され、破壊されていた。


 <先生>は核サイロの中に向かっていく。エレベータで地下へと向かうと、記憶にあるままの実験場が現れた。あのとき、過去には核ミサイルが据え付けられていた台には、得体の知れない<ヴォイド>が置かれていた。柚木は五つのヴォイドが全て統合され異次元への恒久的な扉が開かれる直前、あえて共振を起こしエネルギーを増幅させるようにした。結果的にヴォイドは一瞬でエネルギーを使い果たし、この場所は消滅したのだと思い込んでいた。


 しかし、違った。あのとき、<門>は確かに開いたのだ。そしてこのエリア一帯を全て、<ここ>に転移させた。


 しかし、<ここ>とは何だ?


 そしてもう一つ、柚木は巨大な疑問を持った。以前黒々としたボーリングの玉さながらの物体が鎮座していた台の上には、今では酷く見覚えのある物が浮かんでいたのだ。


 研究所の地下四階に移送されたヴォイドと全く同じ物が、ここにも存在していた。


「まさか、そんな」


 柚木が呟いた時、<先生>は背負っていた鞄を机上に置き、中から幾つかの金属片を取りだしている所だった。彼はそれを何かの分析装置らしきものにかけると、机に腰をのせて腕を組み、相変わらずの感情のない笑顔で柚木を眺めた。


「まさか? そんな?」救いがたい、というように苦笑いし、頭を振った。「やだな、まだそんな状況なの」


「そんな、とは?」<先生>を凝視した柚木は、新たな疑問に言葉を打ち消した。「待ってください。ここにヴォイドがあるということは、ひょっとしてヴォイドは<あちら>と<こちら>を繋ぐ門になっている? <先生>、ここから一人の女性が出てきませんでしたか? あのとき、私が連れていた婚約者――」


「違う」遮ったのは、天羽だった。彼女は何か夢うつつなような表情を続けていて、ただヴォイドを見上げている。「これは<あちら>と<こちら>に投影されている影のようなもの――ここに美鈴ちゃんはいない」当惑する柚木から、視線を<先生>に向ける。「あれからどれくらい経過したんですか。私たちの側は、一年と少し経過しています」


 <先生>の視線は、品定めするかのように、天羽の赤いレンズに注がれていた。それに気づいた彼女が左手でレンズを覆い隠すと、<先生>は口元を歪めつつ答えた。


「タイムサーバが正常に動いているなら、同じ一年。でもたぶん実際は二年くらいじゃないかな。ここは光速が違うみたいだから」


「光速が、違う? そんな馬鹿な! じゃあここはブラックホールの縁にある惑星だとでも? でなければ私たちの宇宙とは別の、パラレルスペース――」


 <先生>は皮肉を多用するが、嘘は口にしない。そもそも時間のずれを先に口にしたのは天羽で、彼女は既にその可能性に思い至っていたのだろう。柚木が悟って口を噤むと、<先生>は大きく息を吐き出しながら頭を掻いた。


「状況を考えた? 少し自分で考えて整理してみて」そして机から腰を上げると、背伸びしながら言った。「それより、きみらは何か持ってこなかったの? 色々と足りない物があるんだけど。少なくとも光速は確定させたいんだよね」


「車に分析装置を色々と積んでいましたが、境界が狭くて通り抜け出来なくて」


 答えた天羽に、髭を撫でながら応じる。


「そっか。それは後でハンドキャリーするしかないね。でも無駄かな。彼らがもう全部荒らしちゃってるかも。豚に真珠なのにね」


「私たちを襲った連中ですか。何者なんです」


「色々。知ってる範囲では、たまたま海のエリアにいた漁船のフィリピン人。アルゼンチンのエリアにいた反政府組織。あとは――」


「<先生>が雇っていたロシア人傭兵」


 それか、と柚木は得心した。見覚えがあるような気がしていたが、彼らは<先生>と共に転移してしまった兵士たちだったのだ。


 それを渋面の天羽に指摘され、<先生>は叱られた子供のように苦笑いする。


「やれやれだよね。でも仕方がない、論理的な物の考え方が出来ない子たちだから」


「統制出来なかった」


「どうして私が統制なんてしなきゃならないの。彼らは何か色々言ってたけど、よくわかんない。どうせたいしたことは言ってなかったろうし――でもきみなら連中を適当に処理出来るでしょう。上手いこと機材を回収してきて」


 以前のままだった。<先生>は決して、常識を知らないわけではない。自分の都合で無視するのだ。おかげで秘書のような立場にささられてしまっていた天羽が事態の収拾に忙殺されるるようになり、<先生>はそれに甘えているような所があった。


 しかし、一つだけ変わった点があった。これまでため息を吐きつつも唯々諾々と従っていた天羽は、この時ばかりは顔を紅潮させ、唇を震わせながら言った。


「いっつも、<先生>はそうやって――」


 だが、長年の慣習を打ち破るのも、それが限度だった。唐突に天羽は踵を返すと、足早にエレベータへと向かっていく。


 それを受けても、やはり<先生>は<先生>だった。動揺した風もなく、ただ当惑していた柚木に苦笑いを向け、上手く処理しろ、とでもいうように顎をしゃくってみせた。


 柚木はそれをするしかなかった。白々とした明かりに包まれている外に出ると、天羽は瓦礫に腰掛けて頭を抱えていた。何と声をかけるべきか悩んでいると、彼女は大きなため息を吐きつつ髪をかき上げ、振り向いた。


「生きてる可能性、想定していた?」


 皮肉に問われ、柚木は頭を振った。


「いえ。全く」


「嫌になるわね。あらゆる可能性を考えていたっていうのに、現実は簡単にそれを凌駕する」


「それが面白いという人もいます」


「頭がおかしいのよ!」天羽は両手を投げ出し、複雑な感情の籠もった表情でまくし立てた。「『どうやってここに?』、『元気だった?』、『これからどうしよう?』。何もない! あのとき私たちがしたことに対する非難もなければ、状況報告すらゼロ! 挙げ句にはいきなり危険極まりない仕事を押しつけて――こっちは殺されかけたばかりなのよ? そんな相手に交渉してこいだなんて、あり得ない!」


 忌々しげに転がっていたペットボトルを蹴り上げ、爪を噛みながら一点を見つめ、そして彼女は呟いた。


「駄目よ。絶対駄目。どう思う」


 睨み付けられるように見つめられ、柚木は言葉が出てこなかった。こうした感情の発露を見させられるのは苦手中の苦手で、すぐに頭が混乱してくる。


「現実的な側面からすれば」と、柚木はあえて話題をそらし、考える時間を得ようとした。「あれらの<金属>は、やはり何かの生体強化デバイスらしい。ロシア人たちの行動からすると、恐らく数種類のデバイスが存在し、通常は一つで一つの能力を得られる。しかし<先生>はそれを、複数身につけている」


「<裏技>を使ったのよ。普通はそんなこと、絶対に出来ない」当惑して口ごもる柚木に、天羽は苦笑いしながら赤いレンズを指し示す。「よくわからないけど、これは何らかの拡張記憶領域のようなものみたい。何かを見た途端、忘れていた記憶を思い出すように情報が浮かんでくる。そして<先生>を見た途端、わかったの。『この人は、法則を侵そうとしている』。駄目。あの人は生かしておいちゃいけない」


「――天羽さん、すいませんが少し落ち着いて考えてみてください。そんな乱暴な台詞、あなたらしくない。その感情は、その物体からもたらされているのではないですか」


 一瞬、天羽は自らの内を探るような表情になった。だがすぐに頭を振ると、柚木に人差し指を向けながら歩み寄ってくる。


「いえ、違うわ。私はずっと思っていた。あんな人の側にいたら、こっちまでおかしくなるって。だから研究所から離れる算段を立てていた。なのにあの人は、こちらが機会を掴む度に、勝手に断りを入れて潰しまくった! こちらの考えなんて聞きもせず、ただ『ここでいいでしょ』って。冗談じゃない! あなたはどう? またあんな人に人生を支配されて、好きなように使われていいの? しかもこんな所で! ここに食料はどれだけあると思う? 電力は? 医薬品は?」


「極、限られているでしょう。でなければロシア人たちも、あれほど荒れてはいなかったはず」


「でしょう? なのに、装置! 光速!」


 最後に天羽は柚木に顔を近づけ、言った。


「いい? こうしましょう。状況を把握できるまで、<先生>の言うことには従う。でも来るべき時が来たら、あの人は始末する」否応なく押しつけ、天羽は核サイロに足を向けた。「いい? あんな人は、ここにだって、あっちにだって、存在しちゃいけないのよ」


 やはり天羽は、あの赤いレンズに何かしら影響を受けているようにしか思えない。だが、それだけでもないようにも思える。確かに<先生>は、そう言われてしかるべき存在だったからだ。

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