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5

 悲鳴を上げた天羽は、左手で右の手首を強く握る。その甲には金属片がめり込み、血が滲んでいた。レンズ状の部分は赤い光を発していて、ゆっくりと脈動している。


「天羽さん、大丈夫ですか!」


 大丈夫とは思えなかったが、触れることも出来ず、ただ尋ねる。彼女は額に脂汗を浮かべながら呻き、金属の食い込んだ右手を震わせる。


「なにこれ、何かの機械?」


 気がつくと、金属の雨は止んでいた。柚木は医療キットを探そうとドアを開けたが、すぐ足下に転がっていた金属に躊躇する。それでも何もしないでいることも出来ず、ぽつりぽつりと散在している金属に近づかないよう足を運び、バックハッチから救急キットを探し当て、運転席に戻った。


 その頃には、天羽は冷静さを取り戻していた。シャツの袖で汗を拭い、手の甲に食い込んだ金属を四方から改めている。


「大丈夫ですか。痛みは」


 尋ねた柚木に目も向けず、彼女は答えた。


「もう収まった。何なのこれは」そして手を斜めにし、接合部分付近を指で押す。「この金属から身体の中に、何か軸索のような物が入り込んでる」


「軸索?」


「神経繊維のような――細い違和感がある」


「天羽さん」


 柚木は彼女の額を指さす。消しゴムをかけるようにして傷が薄くなっていく。そして天羽自身が指を当てた時には、かさぶたのような滓を残し消え去ってしまっていた。


 天羽はスマートフォンを鏡代わりにして額を検め、次いで再び手の甲の金属に目を戻した。


「回復効果? ウェアラブル・デバイスの一種かしら。SFに出てくるような」


「それなら、どうにかして外せそうなものですが」


 彼女は意を決した様子で、恐る恐る中央にある赤いレンズを触れる。特に何の反応もなかった。次いで周囲の金属部分、そして無数の傷跡が文字のようにも見える部分を触れてみたが、やはり何も起きない。


 険しい表情で首を傾げ、呟く。


「疑問だらけで、何を考えていいかわからなくなってきた」


「直近の疑問は、どうしてこれが、私ではなく貴方に反応したのか。何かした覚えはありますか」


「別に。どこかに小さなスイッチでもあったのかも。でも――」


 天羽は窓の外に目を向け、しばし考え込む。そして四方を見渡すと、丘の向こう側を指さした。


「あっち」


「何がです」


「わからない。でも、あっちに行かなきゃいけないような気がするの」


 それが良いことなのか悪いことなのか、柚木にはわからなかった。ただ天羽の表情を伺っていると、彼女は苦笑いしつつ言った。


「他に仕様もないし、行ってみましょうか」


 言われるがままギアを入れ、車を丘の向こうに向ける。


 降り注いでいた金属片が、草地のあちらこちらに散らばっていた。とても全てを避けることも出来ず、恐る恐る踏みつけていく。RV車だ、タイヤのゴムは厚いのでパンクするとは思えなかったが、いつあの不可思議な青白い光が襲ってくるのではと思うと気が気ではなかった。


 数分でなんとか無事に丘の頂上にたどり着く。そしてなだらかに下っていく斜面の果てに希望を見いだし、柚木は心底安堵していた。


 真っ白な壁に塞がれている行く手に、ただ一カ所だけ小さな切れ目がある。出口が存在したのだ。


「良かった、出口ですよ。完全に隔離されたわけじゃなかったんだ」


 天羽は答えず、表情も晴れなかった。眉間に皺を寄せたまま、険しい表情で行方を見つめている。


 怪訝に思いながらも車を走らせていると、次第に柚木の表情も曇ってくる。切れ目は幅が二メートル程度のもので、その先ははっきりと見通せない。しかしもし境界の先が十和田の地なのだとしたら、あんなに明るいはずがない。今は夜なのだ。


 数メートル手前で車を停め、外に出る。そして向こう側を覗き込んだ時、柚木は失望し混乱していた。


 出口ではない。見るからに<あちら側>は十和田ではなく、そもそも日本だとも思えなかった。切れ目を境として草地は消え、代わりに砂利に覆われた広大な土地が続く。スペイン語らしい傾いた標識があった。その先には燃えて骨組みばかりになった教会らしき廃墟があり、周囲にはやはり崩れかけたあばら屋が無数に存在している。


 そしてやはり、全体が白い天蓋で覆われていた。


 一体何がどうなっているのかわからず、無意識に足を踏み入れる。途端に空気が変わったような気がした。乾いていて埃っぽく、やや暖かい。振り向いてみると、天羽もまた困惑した様子で続いていた。廃屋を覗き込んでみると、ほとんど生活の形跡はなかった。砂と埃が積もり、テーブルや椅子も腐りかけている。壁に銃痕や焦げた跡がある家もあり、何らかの戦火に巻き込まれたらしいことだけはわかる。


 汚れた雑誌を取り上げる。やはりスペイン語らしかったが、柚木は多少の単語と接続詞を知っているだけだ。辛うじて記された商店の住所類で、このエリアはアルゼンチンにあった土地らしいことがわかる。


 天羽に呼ばれ、柚木は向かった。彼女は白い壁際で別の境界を発見していた。その向こうにあるのは、一面の水だった。どれだけの奥行きがあるのかわからない。数キロはあるように見える。しかしそのエリアも白いドームに覆われていて、水面は眩しい程に輝いていた。遠くの水面で魚が跳ねた。ここには風も海流もない。おかげで水面は殆ど静止していたが、僅かに慣性が残っているのだろう、僅かに揺れては小さな波を作り、こちら側に染み出ている。左手にまた別の切れ目があった。一面の砂漠だった。そこかしこに例の金属が転がっているだけで、他には砂しかない。また別の切れ目は見るからに熱帯雨林で、様々な動物が奇声を上げ続けている。


 柚木は朧気ながら、事態を理解し始めていた。


「これらは全て、あの重力異常が発生していた場所なんだ」


 呟いた柚木に、天羽は頷いた。


「他に考えようがない。私たちの世界は、あの重力異常の度、<ここ>に移動させられてるんだわ」


「一体何故? 何のために? <ここ>とは何処なんだ」


 答えを期待した問いではなかった。だから天羽が発した明確な言葉に、柚木はすぐに反応することが出来なかった。


「彼らは必要としているの。新しい何かを」


「――何です?」


「私たちは余計な事をしてしまった。私たちは彼らに、より効果的な手段を教授してしまったのよ」


 わけがわからず、問いを重ねようとした時だ。それまで完璧に静まりかえっていた一帯に、明らかな物音が響いてきた。


 はっとして耳を澄ませる。複数の足音、金属を擦り合わせるような音、それに話し声だ。


 どうしていいのかわからず棒立ちしていると、すぐに廃屋の影から人影が現れた。


 四人の男たちだった。彼らは一様に汚れた服を身にまとっていた。暗色のズボンにブーツ、防寒ジャケットに上半身を肥らせていて、頭にはニット帽や迷彩の帽子を被っている。


 そして全員が、銃器を携えていた。


 とても救いだとは思えなかった。彼らは壁際に立ち尽くしている二人を見つけると、すぐに銃口を向け、髭に覆われた口を動かして何事かを言った。


 スペイン語かと思ったが、どうにも雰囲気が違う。スラブ語風なイントネーションだ。


 柚木も天羽も、すぐには反応できなかった。だがリーダーらしい赤ら顔の男が苛立った様子で再び叫び、銃口で狙いを定めるに及んで、柚木は両手を掲げながら英語で言った。


「英語の出来る人は?」


 あまり知的階級が高い連中には見えなかった。互いに何かを囁きあい、別の男が何語かを叫ぶ。それに天羽は反応し、何語かで叫び返す。そのやりとりが何度か続くと、天羽もまた両手を挙げて柚木に囁いた。


「ロシア語よ。何処から来たかと」


「何と答えたんです」


「そのままよ。日本からって。手を挙げてそのまま動くなだって」


 言っている間に、四人のうちの二人がこちらに歩み寄ってきた。


 それで気がついた。男の片方は、片目を覆うようにして歪んだ金属が埋め込まれている。もう一人は右手の手首に。天羽に張り付いた物と似ていたが、彼らのレンズは青く光っていた。


 彼らは背後に回り込むと、腕を取って後ろ手に縛り始める。天羽は何事かを抗弁していたが、逆らえるような状況ではないらしい。だが男が天羽の手に貼り付いた赤いレンズに気がつくと、途端に叫び声を上げ後ずさった。他の面々は最初当惑したような表情を浮かべていたが、すぐに場の緊迫感が増した。天羽は背中を蹴られると地面に膝を突き、それを四人の男たちが取り囲む。


 天羽は必死に懇願していたが、男たちは聞く耳を持たないようだった。唾を飛ばしながら天羽が悪魔の使いか何かのように詰り、一斉に銃口を向ける。柚木は後ろ手に縛られたまま間に割り込もうとしたが、途端に首から背中にかけて強烈な痛みが走り、砂地の上に転がるのがせいぜいだった。天羽と男たちの間に交わされる言葉は次第に激しさを増し、最後に赤ら顔の男が柚木も知っている単語を叫んだ。


「撃て!」


 恐怖で心臓が跳ね上がり、柚木は目を固く閉じる。複数の銃声と、堅い物が弾け飛ぶ嫌な音が響いた。


 だが、それでは終わらなかった。男たちは鋭く何かを叫び続け、銃撃を続ける。薄く目を開くと、天羽は砂地の上を転がり柚木の方に這ってきていた。その脇には、頭部が完全に消失している男が転がっていた。首の断面は燻っていて、血の一滴も流れていない。


 天羽が柚木の背後に回って縛めを解こうとしている間に、残った三人の男たちは必死の形相で辺りを見渡し、これと思われる場所を撃っている様子だった。そして赤ら顔の男が何かを指示した時、青白い光が教会の方向から飛んできた。すんでのところで男たちが避けると、光は岩に突き刺さる。目映い閃光と共に人の頭ほどの容積が蒸発した。きっとこの光球が、男たちの一人の頭を焼灼したのだろう。


 教会に敵がいるとわかった男たちは、開けた場所にいる愚を悟った。左右の廃屋に飛び込み、窓を壊してそこから銃撃を始める。教会の壁は瞬く間に穴だらけになっていき、漆喰が崩れ、ガラスというガラスが粉々に飛び散った。


 やがて赤ら顔の男が片手を挙げ、銃撃は中断される。そして一人、また一人と物陰から姿を現すと、慎重に教会へと向かっていく。敵を仕留めたとは考えていないようだった。彼らは用心しているように見えたが、結果としては十分ではなかった。男の一人が唐突に吹き飛ばされ、廃屋の壁に叩きつけられたのだ。その力は相当なもので、壁は瞬く間に崩れ、男は瓦礫に埋まった。


 柚木には何も見えなかった。だが残った二人が激しく銃撃するに及んで、ようやく男を吹き飛ばした原因が見て取れた。


 空間が、風景が、僅かに歪んでいる。光学迷彩らしい。<歪み>が銃撃を避けて廃屋の中に飛び込んでいくと、壁を突き破って例の青い光球が放たれた。それに対し、赤ら顔の男が片手を突き出す。すると彼の右手に埋まった青いレンズが光を放ち、半透明の膜を前方に展開した。光球は膜に吸収されるように吸い込まれたが、次の攻撃は容赦なく続いていた。<歪み>は光球を追って廃屋から飛び出すと、それに身を隠すようにして男に飛び込んでいたのだ。


 光球に続いて膜に飛び込んだ<歪み>。膜はシールドの一種のようで、それで光学迷彩は機能を失っていった。最終的に赤ら顔の男に組み付いたのは、半身が金属に覆われた人型の何かだった。それが目にもとまらぬ速度で拳を振り下ろすと、男は途端に失神した。残る一人は焦ったように銃撃を浴びせようとしていたが、銃に不具合が出ているようだった。いくら操作しても動かず、遂に男は銃を投げ捨て身構える。彼の鎖骨のあたりには、八つの青いレンズが連なっている金属が埋まっていた。それが薄く光ると、次第に男の姿が歪んでいく。そして次第に分裂していき、朧気な八体の人影に変わった。


 分身とも陽炎ともつかない八つの影は一斉に敵に襲いかかったが、金属男は超然としていた。ただ軽く片手を振ると影は霧散して消え、最後に残った確かな一体に対し片手を突き出す。


 例の青白い光球が放たれた。まともにそれを受けた男は、文字通り塵一つ残さず、消滅した。


 全てが終わるまで、ほんの十秒程度だったろう。だが柚木は目の前で展開する超人映画さながらな光景に身動き一つ出来ず、ただ砂地の上に半身を起こして硬直していただけだった。


 天羽もまた、どさくさに紛れて逃げようという判断力は生まれていないようだった。しかしそれはどちらかというと、これで危険は去ったというかのような確信を持っているかのようだった。


 彼女が鋭く視線を向ける先には、四人の男たちを一瞬で無力化した金属男が立っている。彼は得体の知れない無数の金属片に覆われていて、例の青いレンズがそこかしこに窺える。だがその下にはスラックスらしいパンツ、ワイシャツだったらしい布の断片があり、確かに元は人のように見える。


 だが、今は何なのか。ロシア人たち、あるいは天羽の行く末も、あのように無数の金属片に寄生された何かになってしまうのか。


 恐怖と興奮と混乱で呆然としている間に、男は二人に歩み寄ってきた。そこで気がつく。どうにも見覚えのある体躯だ。それほど身長は高くなく、柚木と同じくらいだろう。背も真っ直ぐに伸ばしてはいるが、威嚇的な所も、スマートな所もない自然体だ。


 この人は、まさか。


 そう柚木が大きく目を見開いた時、男は二人を見下ろす位置で立ち止まった。そして頭蓋の大半を覆っていたマスクのような金属が背中に跳ね上がり、柔らかい髭に覆われた口元が露わになる。


「何やってんの、こんな所で」


 そう半分呆れたように言ったのは、間違いなく<先生>だった。

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