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 当惑しながら、柚木は起き上がって四方を見渡す。


 枯れかけた牧草が、黄金色に輝いている。遠くに見えていた渓谷は失せ、この周辺一帯が白く輝くドーム委覆われてしまっているようだった。


 そして背後に天羽がいた。彼女も完全に茫然自失していて、倒れた観測機の脇で立ち尽くしている。


「大丈夫ですか、天羽さん」


 言いながら寄る柚木に、ぽかんと口を開けたまま頷く。しかしすぐ、彼女も我に返った。瞳に光を戻すと、素早く膝と腰の汚れを払い、投げ出されていたデジタルパッドを見つけて拾い上げる。柚木も懐からスマートフォンを取り出したが、電波は圏外になっていた。


 何か他に拾えないかと電磁波スキャンをかけたが、どんな種類の電波も飛んでいない。通信帯も、放送帯も、GPS信号すら拾えなかった。耳を澄ませたが、どういった類いの音も聞こえない。首筋から差し込むように入り込んできていた冷たい風も、静止していた。


「こういうシチュエーション、映画か何かで見た事ある?」


 呆然として言う天羽に、柚木は頭を振った。彼女の言わんとしていることはわかる。人は自ら経験したことがなくとも、類似した事象をドラマやドキュメンタリーの形で摂取している。火事にあったことがなくとも煙に巻かれたら身を低くすれば良いと知っているし、暴漢に襲われたら物を投げて逃げればいいとか、人によっては銃の撃ち方やゾンビの倒し方も知っているだろう。


 しかしこんな状況、どんな形のメディアでも見聞きした覚えがなかった。


「強いて言えば、<首都消失>でしょうか」


 言った柚木に、天羽は横倒しになった装置を起こそうとしながら尋ねた。


「それって、どんな?」


「東京が異星人の作ったフィールドで隔離されてしまうんです」


 彼女は唸って、起こした装置の電源を入れる。


「可能性その一、私たちは何らかのフィールドで外界と隔離されてしまった」


 何のために? 一体どうして?


 当然そうした疑問が湧き起こったが、口にしても意味がない。状況の把握が第一だ。測定器を片っ端から再起動させるのは天羽に任せ、柚木はRV車に向かった。


 当然、ラジオには何も入らない。カーナビも駄目だったが、エンジンは問題なくかかった。それを確かめるとバックハッチに向かい、積んだままの様々な機材を探る。運良く携帯無線機があった。電源を入れて操作してみると、問題なく通話出来そうではある。


「天羽さん、ちょっと境界まで行ってみます」と、無線機の片方を手渡す。「恐らくここが中心で、半径は、そう、一キロくらいはあるでしょうか」


「そう見えているだけ、って可能性も」天羽は目をこらし、山道の先にある一本の木を指し示した。「あれを目印にして。丁度白い壁の手前にある」


「わかりました」


 天羽の想像は懸念だった。車を走らせるにつれ、確かに壁は近づいてくる。そして彼女の示した杉の木の脇に車を止めると、壁を数メートル手前から観察した。


 光の強さは、やはりLED照明くらいだろうか。直視すると網膜が焼け付いてしまいそうだ。壁との境界は鋭利な刃物で切り裂かれたようで、イネ科の植物は穂がすっぱりと切れてしまっている。


「壁は確かにあります。少なくとも光学的な物ではないらしい。境界で植物が切断されています」無線機に語りかけながら、車に積んであった装置の一つを向けてみる。「レーザー距離測定計向けてみましたが、値が出ません。電磁波は吸収されてしまうようだ」


『柚木くん、少し歩いてみてもらえる?』


 無関係の言葉に、首を傾げる。


「何です?」


『いいから』


 わからないながらも、停めた車をぐるりと巡ってみる。何か意味があるのだろうと考えつつだからというものあったろう、柚木はふと足を止め、比較的自由に動く左足だけで立ってみた。腰や背中の痛みが普段より少ないような気がする。


「まさか、重力が弱い?」


 無線機からは、重いため息が返ってきた。


『やっぱりそう思う? さっきの衝撃で装置が狂ったのだと思いたかったけど――現在、この地点は0.8G。重力加速度で言うと8.2m/sec^2しかないの』


 柚木はその事実を、すぐには受け入れられなかった。


 地球の重力は9.2m/sec^2とされている。これは標高や周囲の地質によって変化するが、それでも地球表面であればせいぜい0.5%程度の変動に過ぎない。柚木はその極微量な重力変動を観測することによりヴォイドを発見したが、そのヴォイドは重力そのもののようにしか思えない性質を持っていた。


 そして今回もまた、重力異常の中心点で異常事態が発生した。


 何か関連があるように思えるが、繋がりは見つけられない。


 それに第一。


「ありえない」


 何事も常識が邪魔をした。ヴォイドという異常な物質が正常な空間に存在するだけならば、まだ受け入れられる。しかし今回は、正常だと思い込んでいた空間すら歪められてしまった。


『まったく、同じ感想よ』天羽は答えた。『例えヴォイドのような異常物質であっても、質量はたかが知れていたわ。ラトビアの時の実験でさえ、最大で五十トン程度にしかならなかった。五十トンの物体が生み出す引力は?』


 色々な条件があって即答できなかったが、天羽の言わんとすることは理解出来る。ここの地表の重力が0.8Gしかないというのは、単純に、ヴォイド以上に異常なのだ。


「しかし例えば、ヴォイドがこの天球ドームの外側に存在するとか――」


『それは仮定としても条件が限定的すぎるように思えるわね。違う?』


「確かに。すいません。『ここは地球じゃない』という推理の方が、まだ現実的です」


『現実的の定義が揺らいできたわね』


 天羽が言った時、背後で物音がした。金属質な物が叩きつけられるような音だ。身を震わせながら振り向いたが、畦道が続いているだけで音源がわからない。


 無線機を握りしめながら、慎重に前に進む。すると砂利道の脇に、歪んだ金属片が転がっているのに気がついた。


 手のひらほどの大きさで、暗褐色、事故か何かで引きちぎられたように鋭利な断面をしている。


 これが音源だろうか。それとも最初から転がっていた物だろうか。


 いぶかみながら拾い上げると、途端に違和感を覚えた。奇妙に生暖かい。手触りは金属そのものだったが、中央にガラスのような物体が埋まっていた。


 仮にこれが音源だとして、一体どこから。


 思いながら顔を真上に向けた途端、急速に黒い影が降ってくるのが目に入った。咄嗟に地面に転がると、寸前まで柚木が棒立ちしていた場所に拳大の金属が叩きつけられる。何事かと思っている間に、周囲からは次々と鈍い音が響き始めていた。


 空から、金属片が降ってくる。


 こんな物に当たっては、致命傷になりかねない。柚木は足を引きずりながら車に転がり込み、発進させて無線機のスイッチを押した。


「天羽さん!」


 直後、彼女の叫び声が返ってきた。


『早く戻ってきて!』


「向かってます!」


 天井に鈍い音がして、身を縮める。そしてフロントガラス越しに空を見上げると、真っ白だった天球の所々から黒い影が滲み出てきていた。それは一定の大きさになると、乳白色の糸を引きつつ天球から落ちてくる。まるで天球から卵が生み出されているようだ。


 雨あられというほどではなかったが、金属片は次にボンネットに突き刺さった。無我夢中で運転する間に車は元の場所に戻る。大きな木陰で難を逃れていた天羽はデジタルパッドを傘代わりにして駆けたが、金属が直撃して一瞬ふらつく。それでもすぐに我に返ると、再び駆けて助手席に飛び込んだ。


「何なの!」


 他に言うことはない、というように叫ぶ天羽。額が切れて血が滲んでいた。柚木はティッシュを取り出し傷を改めていたが、矢継ぎ早に天井に金属が落ち、そのたびに身を縮める。だが外装を突き破るほどの物はなさそうだった。天羽の怪我もかすり傷だ。次第に落ち着いてきて、ダッシュボードに置いていた金属片を手に取り、子細を改める。


「ただの鉄、のように見えますが。このレンズ状の物は何だろう」


 額にティッシュを当てている天羽は金属片を柚木の手から奪い取ると、眉間に皺を寄せて確かめる。


「事故った車の部品か何か?」


「さぁ。そんな風にも見えますが――」


 その時、金属から青白い光が迸り、天羽の指に繋がった。何だ、と思っている間に彼女は叫び声を上げ、慌てて金属片を投げ捨てようとする。しかし青白い光はゴムのように伸縮し、天羽の手に吸い込まれていこうとする。


 咄嗟に柚木は金属を掴んだが、強力な磁石に引かれるようだった。青白い光は縮む力を強くし、遠ざけようと必死になる天羽の手に近づいていく。柚木は自由になる左足を踏ん張ったが、尖った破面が手のひらに突き刺さり、痛みのあまり手放してしまった。途端に金属は天羽の右手に吸い込まれ、目映い閃光を放った。

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