表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
102/114

2

 あれからもう一年か。


 柚木は思いながら、ヴォイドを見上げる。この地下四階から出ることも希で、曜日感覚どころか季節感覚まで失っている。改めて思えばこんなことを続けていられたのも、全て天羽のおかげだ。彼女が諸事調整してくれなければ、まだラトビア政府に拘束されたままだったろう。満足な治療も受けられず退院できていたかも怪しい。こうしてヴォイドの調査を独占、というか存在そのものを秘匿出来ているのも、天羽の卓越した政治力を証明している。


 大きな借りが出来た。彼女は元々、この重量研究プロジェクトからは離れるつもりでいた。それが<先生>の暴走でご破算となり、今度は柚木の我が儘に縛られている。


 これでは申し訳が立たない。


 そうは思うものの、踏ん切りがつかなかった。もう一年、という感覚がある反面、まだ一年という気もする。こんな未知の代物を、たかだか一年で諦めて封印するというのも性急な気がしてならない。


 もう少し。もう少しだけだ。少なくとも、自分には無理だ、という感覚を得るまでは続けたい。


 柚木はそう考え、一度全ての状況を整理してみることにした。これまでは意図的に、無意味な試行錯誤であることを無視していた。しかしそれでは駄目だ。わからない、という結論を得るためにも、もっと体系的にやらなければ。


 全ては、重力観測衛星によって北欧の重力異常を見つけた所から始まった。


 柚木は車椅子の車輪を押し、電子ボードの前に向かって画面に触れた。当時の記録を呼び出す。最初はこの地図上に描かれた複雑な重力等高線の意味がわからなかったが、そこで織原の音楽からヒントを得た。これは複数の重力異常が放つ波が複雑に絡み合ったものだったのだ。そこから波の分解をはじめ、結果として五つの座標を得た。そこには質量だけから出来ているとしか思えない謎の物体が埋まっており、<先生>はそれの結合を試みた。


 改めて眺めてみると、過去に柚木が答えを出すことを諦めた問題に行き当たる。


 この五つの地点は何なのだろう。


 あのヴォイドは、どうしてあそこに埋まっていたのだろうか。


 一つの鍵はあった。最初は当然のようにあの物体が『重力異常の原因』だと考えていたが、実際は逆だった。<先生>がヴォイドを掘り出してラトビアに運んだ後も、重力異常は消えなかった。つまりヴォイドは『重力異常の結果』だったのだ。


 このことから、柚木は幾つかの推論を行ってはいた。重力異常は何かしら自然宇宙的な出来事であって、ヴォイドが生まれたのも自然な出来事だという可能性。重力に関しては未だ未知の部分が大きい。そのためこのような現象が起きることは肯定も否定も出来ず、ただ『あり得るかあり得ないかといえば、あり得る』という答えになる。


 一方で宇宙的に考えてみれば、このような異常現象が、他の不毛な惑星や宇宙空間ではなく、たまたま知的生命体が生まれた惑星上でた発生するような確率など、あり得ないと言いたくなってしまう。つまりそこには何らかの意志、意図が感じられるが、それが何かと問われると、また答えるのが難しい。ある人は神だというかもしれない。またある人は異次元の知的生命体によるものだと考えるかもしれない。しかしこの推論もまた、そこで行き止まりだ。いずれにせよ袋小路には違いなく、その問題について考えることを、柚木は放棄していた。


 しかし、今は最初から検め直してみなければ。


 そう考え、画面に操作を加える。北欧の最新の重力分布だ。


 当然、未だそこに異常があるものと思い込んでいた。しかし表示された図を見て、柚木は目を疑った。等高線はごく平坦で、過去にあった明らかな歪みが存在していないのだ。


 操作ミス、あるいはデータ異常に違いない。そう考えて様々な確認を行ったが、結果は変わらない。ヴォイドを生んだ重力異常は、完璧に消え去っていた。


 これは何故だ? あの事件の影響か?


 完全な見落としだ。柚木は焦りながら、画面に操作を加えて過去のデータを呼び出す。


 一月前、二月前、そして一年前。


 見覚えのある等高線が残っていたのは、あの事件の一月後までだった。


「どういうことだ。理屈に合わない」


 呟いていた。


 いや、重力異常がラトビアでの事件の影響を受けて消えた、というのならば話はわかる。理論的には不明ながらも、関連イベントの一つとしてだ。


 しかしそれからも重力異常は、一ヶ月も残り続けた。


 何故だ? 何故一ヶ月も残っていた?


 それから柚木は様々な観点から計算を行ってみたが、適合しそうなパラメータは何一つない。仮にヴォイド発生が契機なのだとしたら重力異常も即消滅していたはずだし、そうでないならば未だに残り続けているはずだ。


 何らかの意志が、働かない限りには。


 柚木はそれを考えるのに躊躇してしまうが、やはり可能性として考えたくなってしまう。<重力異常は別次元の知的存在が何らかの目的で投影していたもの>だという仮説だ。


 それは以前の推理と一致する。仮に<先生>が五つの物体を掘り起こさなければ、何百年、あるいは何千年後かにはそれらが相互に影響を及ぼしあい、巨大な次元の穴が出来ていただろうということだ。


 直径は数千キロ。ひょっとしたら地球がまるごと、飲み込まれていたかもしれない。


 一体何故? これは単なる自然現象なのか? それとも何者かの計画なのか?


 確率からいって、後者を採用したくなる。


 つまりこうだ。


「<彼ら>は地球に五つの重力異常点を投影し、数千年という時間をかけて地球そのものを自分たちの次元へ持ち込もうとしていた。しかしそれは<先生>と私のために崩壊し、<彼ら>は異常を察して重力の投影を停止させた」


 自らの推理を口にする間、天羽は眉間に皺を寄せながら柚木の顔を凝視していた。


 そういう反応をするだろうと思っていた。柚木は大きくため息を吐き、殊更に平静を誇示する。


「頭がおかしくなった。そう思われているんでしょう。ですが私はあくまで、筋の通る仮定の一つ――それも唯一の仮定――を話しているに過ぎません。私にはこれが限度です。もし荒唐無稽と思われるなら、終わりにしましょう。私もそちらに傾きつつあります」


 天羽は身を起こし、椅子の背もたれに寄りかかる。そして口に手を当てて考え込んだ後、電子ボードに映し出された地図を見上げた。


「全世界の重力分布は?」


 何を言われているのかわからず、柚木は首を傾げた。


「何です?」


「これも仮定の話だけど――その先のことは考えてみた?」


「その先、とは」


 天羽は地図を見上げたまま数秒黙り込み、それから柚木に顔を戻した。


「<彼ら>の計画は失敗した。次は何をする?」


「さぁ。まるで想像が及びません」


「そこがあなたの弱点ね。論理的に物事を整理分析するのが得意でも、先を読むのが苦手」


「だから私は<予測>を試みるため、この研究所に入ったんですよ。以前に言ったと思いますが」


「そうね。でも今はそれが重要。彼らは失敗した。次に何をする? 鍵はある。彼らは重力を使役する。つまり彼らの次の手は、やはり重力を子細に観察すればわかるはず」


 なるほど。


 その発想は皆無だった。柚木はすぐにボードを操作し、各国の重力監視衛星から得られたフィードを表示した。


「日本、アメリカ、ユーロの重力観測衛星は合計六機。様々なタイプがありますが、これはそのフィードを結合させヴォイドを発見した際のアルゴリズムで処理したものです。これによると――」


 重力等高線の分布を見た瞬間、言葉が止まった。とても六機では全世界をカバーできない。得られているのはアメリカ、ヨーロッパ、極東を中心とした各部分だけだったが、それでも明らかな異常が見て取れた。


 日本だ。その列島全域を覆うようにして、何かの異常が発生している。


「これで仮定は現実味を帯びてきたわね。<この現象には、未知の知的生命体が関与している>。柚木くん、それで行きましょう」


 天羽は言い放って席を立ち、何処かへ向かう。柚木は当惑したまま、地図から目を離せずにいた。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ