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15(#7最終話)

 気がつくと室井は逃げ去っていた。彼のレリック<黒>が遠ざかっていくと同時に、異物を抱えた三人の混濁も薄れていく。


 はじめ久我が感じていたのは、完全な空白だった。思考が麻痺し、ただただ暗褐色の灰の山と、そこに残された赤星のウェアラブル・デバイスを見つめていた。やがて赤星とは何者だったのかと自問しはじめる。恐らくそれはマックス――沙織お嬢様の思念だったろう。彼女にとって赤星は、存在自体が自然なものだったらしい。ただ側に控え、言われたことをやり、何があってもついてくる。自分にそれだけ他人を従える価値があるのかと考えたこともあったが、慣れや習慣とともに疑問を忘れていく。そうして赤星は、沙織の一部となってしまっていた。


 そしてそれを失った途端、疑問が蘇る。赤星とは何者だったのか? 自分にとって、どういう存在だったのか?


 答えは出ない。やがてマックスは手を伸ばしてレンズのついた異物を取り上げると、おぼつかない足取りで去っていった。


 諸冨もまた、知らぬ間に消えていた。彼の場合、修羅の道を歩もうとしている時に、他人にその心の内を覗かれた恥ずかしさが大きかったのだろう。久我はしばらく無意識に状況を整理し理解しようと努めていたが、ふと我に返り端末に目を落とす。


 柚木の宣告を受けてから、既に六時間以上が経過していた。




◇ ◇ ◇




「どうも柚木さん。初めまして」


 黒いコートに身を包み、笑みを向けてくる秦と名乗る老人。彼のことは散々調べたが、スリーの力をもってしても痕跡を探すことは出来なかった。ただFBIのデータベースでは接触不可人物リストに登録されており、相当の力を持っているのは確かだった。


 夜の新宿は大変な混雑だった。保安部に警戒を命じてはいたが、群衆が道ばたに立ち止まっている二人を迷惑そうに避けていく状況だ。これでは何かあったとしても、誰にも何も出来ない。


 柚木は差し出される革手袋の右手を無視し、彼の乳白色に濁った瞳を見つめる。やがて秦は苦笑いしつつ手を引っ込め、ポケットに突っ込んだ。


「そう警戒しなくても。私は敵じゃあありません」


「それは疑問です」


「やれやれ。貴方には世界を覆すほどの力があるというのに、何をそう恐れる必要があるんです。貴方に比べたら、私なんてただのヒトに過ぎない」


「コンピュータを使えても、戦闘機を操れても、ヒトはヒトです」


「だからこそ、ヒトの力を恐れるべきだと?」


「その通り。私は貴方を恐れます。特に、その邪な動機をね」


「<邪>とは、また随分な仰りようだ。当然のことだが、正義とは立場や状況や時代によって変化する物だ」


「だから誰にもは正邪を断ずる権利などないと? いえ、正邪は決まっています。法と、倫理によって」


 ふむ、と秦は唸った。


「どうもこれは、現実主義と理想主義の対決らしい。しかし一方で私たちは実用主義者だということで一致している。でなければ、こうした取引に応じるはずがない」


 再び右手を差し出す秦。ただし今回は、手のひらを上に向けていた。


 柚木は決然とし、答える。


「理想で結構。理想がなければ、世界は混沌に包まれます」


 秦の右手にマーブルを落とす。彼はそれを握りしめると、ポケットに突っ込んだ。


「どうやら勘違いされているようだ」言いつつ、踵を返す。「私から見れば、貴方ほど現実主義な方はいない。柚木さん、貴方は貴方の現実に縛られ、他人の現実を見ようとしない。別の物の見方が出来ないんですな。それはそれで、素晴らしい特性だが」


 それでは、と言い残し、秦は人混みの中に紛れていった。




◇ ◇ ◇




 室井率いる最上組は、公然とこちらを襲いはじめた。取引の現場を襲撃し、支配下にあった組織を切り崩し、裏切りを誘い、幹部を拉致し、拷問で拠点を突き止め、また襲撃した。


 室井の手にする<黒>を前にしては、ドライバーは無力だった。沙織は確保出来ていた十人のドライバーを各拠点に分散させたが、そうなれば今度は<白>が効いてくる。コンシェルジュの支援もなければ十分な力を発揮できず、各個撃破されていた。


 日に日に追い詰められつつある。だが沙織はその状況を正面から捕らえる事が出来ずにいた。


 五センチ四方ほどの、レンズの付いた金属片。長年赤星に食いついていたそれは、今は光を失いただのガラクタにしか見えない。


 自分にとって、赤星とは何だったのか。赤星にとって、自分とは何だったのか。考え続けていたが、答えなど出るはずもない。しかし今となってはその問いが、自分を縛り続けた室井や最上組という存在よりも大きくなっていた。沙織の力、転移を使って反撃をするべきだと部下たちは訴えたが、相変わらず酷い頭痛が続いていて気力が戻らない。ただただ気のない返事をし続けた結果、彼らも寄りつかなくなっている。そうして廃ビルに身を隠して赤星の異物を眺めていると、ふと二人の人物が近づいているのに気がついた。


「やぁどうも、印南さん。ようやくお会いできた」言ったのは、スーツに身を包んだ丸々と肥った男だった。「ずっと機会を窺ってたんだよ。なにしろ貴方ときたら、例の<シャード>でもって、パッと消えちゃう。居所も全然掴めない。私自身も監視されてて入国も難しかったりして、とても内密にお会いすることも出来なくて、どうしたもんかと思ってたんだ。そりゃ貴方にとっちゃこんな状況になって残念だろうけど、最終的にはある意味良かったと思うようになるよ。何しろこうして、私と会えたんだから」


 一方的にしゃべりまくる男を怪訝に眺めていると、脇に控えていた四十がらみの鋭利そうな女が口を開いた。


「当惑されたでしょうけど、この人の言うことは流していいから。重要なことは、これだけ。『私たちと、手を組まない』?」


 薄い唇を引き延ばして微笑む女。彼女の手首には、不思議な形のブレスレットが揺れていた。




◇ ◇ ◇




 手遅れではあったが、久我の持ち帰ったマーブルのおかげで、新型のエグゾア予測装置は完成した。早速稼働させると十二時間後に発生したエグゾアを見事に的中させ、その性能を遺憾なく発揮させる。


 しかし柚木の表情は晴れなかった。久しぶりにゆくりと休養し身だしなみは綺麗になったが、相変わらず地下四階に籠もりきりで、ぼうっと巨大な暗黒、ヴォイドを眺めている。


「結局、<レリック>は六種類あるらしい。諸冨の、火を司る<赤>。今村塔子の、氷を司る<青>。室井の手下の、阻害を司る<白>、室井の、疎通を司る<黒>。他に緑と透明があるらしいが、その効果は不明だ」聞いているのかいないのかわからなかったが、久我は柚木の横顔に続けた。「調査部によると、ここのところ最上の連中はマックスを襲いまくってるらしい。しかしそこで白と黒以外が使われた形跡はないようだから、緑と透明は最上の手には渡っていない。恐らくまだ、ミカミが確保したままなんだろう。とにかく室井は、この間の件について予防局を訴える気はないらしい。それが不幸中の幸いっちゃぁ幸いだが、こちらへの牽制の意味合いかもしれない。実際、この状況となっては、下手に室井に触れることも出来なくなった。さて、どうしたもんだか」


 反応を待ち受けたが、柚木は身動き一つしない。そこで久我は続けた。


「今村塔子によると、どうも<レリック>と俺たちのウェアラブル・デバイスには共通点があるらしい。今はそれの調査に取りかかって貰ってるが、彼女は拾いものだったな。おまえが忙しくても調査研究が続けられる。まぁ給料や待遇に五月蠅いのが玉に瑕だが――せっかくだ、彼女、手下をあてがってチーフにしてもいいんじゃないか? そうすりゃ給料も上げてやれるだろうし――」


「それはいい。早速手配しよう」


 ようやく応答を得て久我は次の話題を探したが、それより前に彼は身をよじり、久我を見つめた。


「すまない。久我くん。実は先日、ある人物から言われたんだ。『私は他人の現実を見ていない』と。それについて考えていた」


「――それで?」


 先を促すと、柚木は難しそうに渋面を浮かべた。


「ある意味、正しいと思う。他人には他人の問題がある。私はそれに思い煩わされるのが苦手だ。それは理解出来る範囲でならば手助けもするが、理解出来ない、関わりたくない、信頼できない問題というのもある。そうしたものに私が関わるのは不適当だと思うし、強いて関わって状況を支配したいとも思わない。そういう意味では、私は確かに現実主義者なのだろうと思う」


「俺も最近、似たようなことを考えていた。ヤクザ同士の抗争なんて知った事かと思っていたが、避けて通れない問題もある。面倒だと思いつつも他人の問題に首を突っ込んで、嫌な人生を知って、そんな嫌な運命をヒトにもたらす神を呪わなきゃならない。特に目的がある場合はな」


「確かに。私たちには、目的がある」


「私『たち』と言ったか? 俺には確かに目的がある。娘を救うことだ。しかしあんたの目的は? そこがイマイチ、良くわからない。ただ支配欲にかられて状況を掌握したいのか? いや、それはあんたの性格じゃあない。じゃあ宛がわれた責任を果たそうとしているのか? 天羽のいない今、それもない。それなら何だ。あんたの目的とは、一体何なんだ?」


 柚木はずっと、久我のことを見つめていた。その表情は、今までに見たことのないものだった。眉間に皺を寄せ、目を細め、押し寄せる感情を堪えているように見える。


 やがて彼は久我に背を向けると、ヴォイドに目を向け、言った。


「久我くん。きみに話しておきたい事がある」

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