力……イヤ、それだけじゃな
えーー。何かまた感想欄で察しの良い人が居て、ネタバレになるので削除させて頂きました。申し訳ありません。
……察しが良い人って怖い。
「――――」
夜の帳に包まれた林の中を無造作に進んでいくのは、巫女装束に身を包んだ彼女。
月明かりも微かな林の中であるが、【暗視】のお陰で何の苦もなく進む彼女は、虫達が静かに送る演奏会を無粋な足音で邪魔しながらも淀み無く歩んで行く。
地図や何だで方角を確認する必要は無い――既に妖気を射程に捉えているから。
準備を整える必要も無い――手甲は既に装着済みだし、何時でも腰の『那由多の袋』から武器を取り出せるから。
「――――」
「――グウゥゥオォォォッ!」
暫しの後に現れたのは、以前『鵺』の時にベースとなっていた『妖怪』。高さ約三メートルの肉体は赤銅色な皮膚に覆われ、分厚い胸板・六つに割れた腹筋・人間の成人男性の胴とほぼ同じ太さを持つ腕に脚。そして、子供が泣いて逃げ出す以前に失神しそうな、ザンバラ髪に鋭い眼光の眼と鋭い牙が覗く口に湾曲した二本の角を持つ凶悪な顔。
――『鬼』がそこに居た。
「――――」
威圧感が半端ない『鬼』を前にしても、彼女に変化は見られない。
歩みを止める必要は無い――そんな理由が欠片も無いから。
ゴングを鳴らす必要も無い――もう鳴っているから。
「――ふんっ!!」
「――グァゥッ?!!」
【縮地】で『鬼』の反応よりも速く懐に入った彼女が、軽いショートジャンプの後に撃ち出した右フックが『鬼』の左頬にブチ込まれるのが、何よりも明確な開始の合図となった。
「グゥゥゥゥ……」
『鬼』は困惑していた。女の細腕の割には威力の乗った一撃もそうだが、今まで己を前にして何の躊躇も無く襲いかかってくる人間など居なかったからである。年齢・性別問わず、己を前にした人間は必ず一瞬その身を止めていた。恐怖のあまり身体が硬直してしまうのもそうだが、逃げるにしても挑むにしても次にどうしようかと考えるからだ。だから、その答えが出るまでの間は一瞬でも動きが止まる。
……だと言うのに、この女は恐れ・迷いどころか当たり前に戦いに身を投じてきた。
「――Shall We Dance?」
「…………」
『鬼』は彼女の言ってる言葉は理解出来なかったが、言葉の意味は理解出来た。胸の前で構えた両の腕、その右手の人差し指が来いやとばかりにチョイチョイと動くのもそうであるが、彼女のその笑顔が良く物語っている。
――笑顔とは普通の人がやれば愛くるしいものであるが、肉食獣がやれば牙を剥く攻撃的な動作であると。
「――グゥアアアアアァァァァッ!!!!」
それを理解した瞬間、『鬼』の本能が刺激され、我知らずに口から雄叫びが上がる。
周囲の草木がビリビリときて木の枝から葉が落ちる中、彼女は物怖じもしない。むしろ早く来いと言いたげな表情。
それを見て『鬼』は認めた。これは餌を喰う為の食事でも、弱い者を弄ぶ狩りでもなく、歴とした闘争であると。今、眼の間にいるこの女は自分と同じ戦闘狂であると。
「ガァッ!!」
「おっと?!」
『鬼』からお返しとばかりに打ち出される右拳。軽くバックステップで躱す彼女であったが、当たっていないのに威力が丸わかりであった。自分程度では、防御など意味を成さず防御ごと打ち砕かれるであろう事が。
続く連撃。右が打ち出されば続いて左が薙ぎ払い、右が大きく振り下ろされるのに合わせて左が下から掬う様に、かと思えば両手で捕まえようとしてくるが――
「――はっ! よっと! ふんっ! ほっ! ていやっ!」
「ガッ?!」
打ち出された右ストレートは、彼女が合わせる様に左フックを当てて軌道を逸らす。薙ぎ払いは上体を逸らしてイナバウアー避け。振り下ろしは一歩大きく横に避ける。下からの掬い上げはバックステップで回避。
そして両手での掴みかかりには、自分から距離を詰めて顔面への飛び膝蹴り。【縮地】の勢いとカウンターでの威力が相まって、『鬼』の鼻が良い感じにひしゃげる。
「グゥゥゥ……」
「……見かけを裏切らずにタフだな」
大きく後ろに下がった彼女が、曲がった鼻を自力で戻す『鬼』を見て染み染み呟く。自分の感触からすれば、人間相手だったら鼻骨骨折どころか頭蓋骨にヒビが入る威力だったのに、『鬼』からしてみれば多少の痛みに過ぎない結果に苦笑いしか出ない。
「グアァッ!」
「?! っとお?!」
咆哮。そして膨れ上がる威圧。『鬼』が襲いかかってくると身構えた彼女は、しかしいきなり『鬼』がしゃがんだ事に一瞬訝しげな顔をするが、両手で地面をえぐり掻き集めた石礫を彼女に向けて【投擲】してきた事に大きくバク宙返りで回避する。
逆さまになった視界の中で頭の上を石礫が通り過ぎ、木々や地面に着弾する音を聞きつつ地面に降りれば眼の前には既に『鬼』の姿が。
「ーーーーォォォォォッ!!!!」
既に『鬼』の準備は万端。狙いも良し。眼を瞑っていても当たる距離。弓を引くかの如く引き絞られ、今まさに解き放たれようとする『鬼』の右拳を前に彼女は――
「『急々如律令』――【土気・剛壁】」
――術を行使し地面より石壁を生成。文字通りの防護壁の登場に『鬼』が片眉を上げるが……それだけ。構う事なく右ストレートでぶっ飛ばす。真っ直ぐ突き破ってぶっ飛ばす。
石壁は『鬼』の拳を受け止められずに粉砕される。そのままその奥に居るであろう彼女諸共ぶっ飛ばそうとした『鬼』であったが……拳に彼女の身体を打った感触は感じなかった。
「――?「こっちだボケ」――グッ?!!」
何で? と思う間も無く横合いからの声。そして衝撃。『鬼』の首がグルンと90度回る。頬に衝撃を感じた瞬間、拳の感触は無かった。それよりももっと大きく、そして平べったい感触だった。
口内に血の味と欠けた歯の欠片を感じた『鬼』が、首に力を入れて強引に戻そうとするよりも速く――次が来た。
「ウラウラウラウラウラウラァッ!!」
「グ?! ゴ?! ガ?! ゴ?! グ?! ゴ?!」
彼女の掛け声に合わせる様に、『鬼』の顔が上に下に左に右にと捻れる。両の腕で防ごうとしようにも、器用にその隙間を縫う様に衝撃が顔に来る。
「――グァァッ!!」
「危ねっ!」
飛んでるヤブ蚊を追い払う様な、しかし体格的に洒落にならない無造作の『鬼』の薙ぎ払い。寸前の所を【縮地】で大きく後退して躱す彼女。
漸く乱打から開放された『鬼』が血の混じった唾を吐き、揺れる視界で彼女を見れば、百体叩いても大丈夫な大木槌を肩に担いでいた。
「休んでる暇は……無ぇよ!!」
「?!!」
軽くジャイアントスイングからの大木槌を【投擲】。まさか自分の武器を躊躇無く捨てるとは思わなかった『鬼』は驚き、、脚は動かずとも反射的に腕が動き、唸りを上げて飛んできた大木槌を掴む。
その隙を突く様に、【縮地】で飛び上がった彼女が逆手に握った包丁を『鬼』の脳天に突き立てようと迫る――しかし、『鬼』は掴んだ大木槌を掴み直し、逆に彼女へと振るう。ガラ空きの脇腹へ吸い込まれるように命中した大木槌は、『鬼』の膂力と相まって彼女の肋骨・背骨をへし折り内蔵を粉砕しつつ撒き散らす――
「――?!」
――筈が、何の手応えも無かった。彼女の姿が消えて、後に残るは宙に舞う紙片。
騙された事に気がついても身体は未だ大振りの際中、途中で無理矢理止める事は出来ても、それでも致命的に遅い。
「――貰いっ!」
故に彼女の方が一手速い。右手に持った無骨な武器を振り下ろすのが。
握られているのは鉈。その行き先は脚の爪先。右脚の親指にザクッと音を立てて食い込み、完全に断つ。
「ガウゥッ?!!」
苦悶の声と共に『鬼』の身体がよろめく。痛みの所為だけではない。脚を踏ん張る要の親指を失った為に、身体の支えが崩れてバランスを一瞬見失った。
「ふんっ!」
そこへ更に彼女が追撃。鉈をバットに見立てて刃の方でなく峰の方で膝裏を力任せに打つ。バランスを崩した所に追い打ちの様な一撃に、さしもの『鬼』も堪らず膝をつく。
そのまま彼女は『鬼』の背後に回り込み、『鬼』の背中を足場代わりに跳躍。クルンと空中で一回転した後に鉈を両手でしっかり握り、自然落下と共に思いっ切り振り下ろす。
狙いは首。生物だろうが『妖怪』だろうが、断たれれば終わりの最大の急所。
「――ッ!!」
「――っ?!」
だがそれを『鬼』は躱す。風切り音と己のカンを頼りに咄嗟に横へ身を投げて転がり逃げる。
「……しぶといな。まあ、そうこなくっちゃな」
地に降りた彼女と、距離を取って起き上がった『鬼』が対峙する。彼女の鉈にはハッキリと斬った手応えと滴り落ちる血液があり、『鬼』は己の首筋に刻まれた傷とそこから吹き出る鮮血を手で抑え、怒りの表情を見せる。
今までにこれ程の傷を負わされた事のない『鬼』にとって、こんなか弱い女にしてさっきから何度もしてやられていると言う事実に誇りも傷つけられた。
「――グルルルルゥゥゥゥゥアアアアアァァァァーーーーッ!!!!」
「……何それ怖い」
おどけて言う彼女であったがぶっちゃけ笑えない。『鬼』は手近に生えていた木を掴んで力を込める。全身の筋肉を最大に緊張させ爪が樹皮にくい込んだ後に、勢い良く木が地面から引き抜かれた。
根っこから引き抜いた木を軽く振るい握り心地を確かめると、『鬼』は空いた左手でもう一本引き抜いて、感情の赴くままに振りまわす。
「アァァァァーーーーッ!!!!」
「環境破壊してんじゃねーよ! 現代ならどっかの団体に訴えられんぞ!!」
正に暴風。『鬼』を中心にあらゆる物が薙ぎ払われる。木々も例外ではなく、幹の途中からへし折られて無残な姿を量産し続けている。
彼女は悪態吐きつつ地を蹴って飛び、木を蹴って三角飛びで更に飛ぶ。もう足場に出来る物なら何でも足場代わりにして、三次元な軌道で丸太二刀流から逃げ続ける。丸太自体もそうだが、その副産物とも言える飛び散る木片と土砂が防壁代わりになって容易に近づけなくなっている。
「…………何だかなー……」
森林伐採機となっている『鬼』を前に、彼女は酷くつまらなそうに呟いた。手に持った鉈を仕舞い、眼も冷め雰囲気も白け、一言で言って何時もの気怠い彼女に戻っていた。
「…………」
一際大きく跳躍しつつ、何時の間にか手に握りこんでいた石礫を【指弾】で『鬼』の顔を目掛けて連射する。『鬼』は片方の丸太を盾の様にして石礫を防ぐ。
そんなチンケな物など効くか、と彼女への苛立ちをより強めた『鬼』に対して、彼女は小さく呟いた。
「『急々如律令』――【土気・裂】」
「ッ?! ーーーーァァァァアアアッ?!!」
『鬼』の足元に造られる小さな亀裂。『鬼』にしてみれば本当に小さなソレは、それでも忠実に役目を果たす。親指を失って踏ん張りのきかない『鬼』の体勢を崩す事を。
前のめりに倒れる『鬼』が丸太を投げ捨て地に四つん這いになる。その間に彼女は腰帯に括りつけられた『那由多の袋』から一振りの日本刀を取り出す。鞘から抜かれた刀身は木漏れ日ならぬ木漏れ月明かりを受けて鈍色に光る。要らぬとばかりに鞘を投げ捨て、両手でしっかりと柄を握り下段に構えた彼女は苦笑いして呟く。
「殴り合いの方が性に合ってるんだけどな……そうも言ってられねー、かっ!!」
そう言って彼女は駆ける。【縮地】で二秒と掛からずに距離を詰める彼女の速さを眼にして、『鬼』は避ける事は出来無いと悟り左腕を盾代わりに構える。
腕の一本くらいならくれてやると『鬼』が覚悟して待つ……が、一向にその時は訪れない。盾代わりの、そして視界を遮っていた左腕を下げれば、視線の先には先程までの威勢など欠片もなくトントンと刀で肩を叩いている彼女の姿。
「??」
理由がわからずに困惑する『鬼』の右手。地に付けていた手の指に何かが当たる。何かと見れば、そこには今にも導火線の根元に火が達しそうな球体が。
「今回は『不動玉』じゃなく『焙烙玉』にしといた。火事にしたくねーからな。『急々如律令』――【土気・剛壁】」
「――ガアァァァァァァァーーーーッ!!!!」
ウインク一つして防護壁を造って避難する彼女と、それを見て叫ぶ『鬼』。
――そして轟く爆裂音。後には静寂。数秒経って石壁から顔を出した彼女が見たのは、右腕から胸・顔にかけて酷く焼け爛れ仰向けに倒れている『鬼』の姿。
ボロボロな状態なのに未だ死にきれていない『鬼』の頑強さに内心で感嘆する彼女は、軽い足取りで近づくと罪人への執行人の様に刀を振り上げる。
「…………ッ?」
その時に『鬼』の無事な左眼が彼女の視線と交差する。逃げる事は出来ず死を待つだけの『鬼』が彼女の眼の奥に秘めたモノ、そこに込められた失望の感情の方向性を理解し――間違いを悟る。
この女は自分とは違うと。よりもっと狂った存在であると。
「――じゃあな」
そして振り下ろされる命奪の刃。『鬼』の首が飛ぶ。
「……チッ、脳筋が。期待外れだ……力だけで頂点取れりゃ、武や技は生まれねーっての」
刀と投げ捨てた鞘に、『鬼』の『妖核』と大木槌を回収した彼女が、苛立ちながら帰路に着こうとした瞬間――
「待たせたな!!「…………」――ぶふうぉっ?!!」
……無駄に大見得切ってポーズ決めて派手な演出と効果音を背負って現れた孝明が、無拍子で放たれた裏拳で吹っ飛ばされて、錐揉み回転して地に落ちた。
そしてそれを一瞥すらせずにさっさと歩み去る彼女。
「……俺、何で殴られたの? って言うか、倒すの速過ぎだろ……」
……その声は虚しく宙に消えていった。
ご愛読有難うございました。
本日の解説。
――――『鬼』――――
上級『妖怪』。
高さ約三メートルの頑強な肉体を持った『妖怪』。
基本的に腕力自慢な脳筋なのだが、単純ゆえに逆に強いとも言える。耐久力も高いので中途半端な攻撃では倒しきれず、反撃を食らってアッサリ負ける者も多い。




