闇夜……イヤ、どいつもこいつも
う~~む、四月なのに四月らしくない。
訓所の桜はアッサリ雨風で散ってしまった……
「…………」
静かな部屋の中、ゴリゴリと何かを磨り潰す音が染み渡る様に響く。
音を立てている元凶は巫女装束な彼女。音がしているのは彼女の手に握られた磨りこ木。磨り潰されているのは硝石。そして作成中なのは『明王玉』。
半端無く危険な物を、ただ静かに作成中なのであった。
「…………」
ただゴリゴリと、ゴリゴリと、ゴリゴリと、ゴリゴリと、ゴリゴリと、単調な音が続く。
作業をしている彼女自身も単調にしか動かない。黙々と作業するその姿は、機械仕掛けの人形の様で人間味が無い。その瞳も何処を観ているのか定かでなく、虚ろに輝いている。
「…………?」
ふと【気配感知】に感じる一つの気配。菊王丸や孝明のものではない。ここに向かってくる速度が違う。あの二人ならばもっと速い。しかしこの気配はゆっくりと、この離れに近づいて来ている。
数分後。部屋に控えめに入って来たのは、陰陽寮に所属している一彦であった。久方ぶりに見るのと、ここにやって来るのが珍しい事から彼女は作業を止めて一彦に向き直る。
「珍しいな、オマエが来るなんて。孝明はどうしたんだよ?」
「彼なら、定期的に行われている地方への視察に行かされました」
「……アイツが素直に応じるとは思えねーんだが?」
「……察しの通りです」
彼女の言葉に深い深〜い溜め息を吐く一彦。その表情・雰囲気から、何があったのかを推察するには十分過ぎる。今現在、彼女に御執心な孝明が彼女の傍から離される事をスンナリ承諾する筈が無い。
「……断り続ける彼を、最終的には五人掛りで【念糸】で捕獲して、その後に改めて猿轡と鎖で簀巻きにして連行しました」
「……そこまでやっても、大人しく連行されなかっただろ?」
「はい……『貴様等ぁっ!! 子々孫々、七代まで祟ってやるからなぁっ!!!!』……と言った彼の魂の叫びが、未だ耳にこびり付いています」
「……ンなスキル、持ってねー癖に……良くクビに成らねーな」
「一応、腕は良いので……」
そう言った後、揃って溜め息を吐く二人。知り合い、と言うだけなのに何故こうも疲れてしまうのか、と理不尽さを感じてしまう。
「で? 何用だよ?」
「ええ、実はですね」
これ以上この話題をするのは双方に取って益にならぬと、話題を変える彼女。一彦もそれに従い、本来の用事を済ませる為に話し始める。
「――正体不明の通り魔?」
「通り魔……と言うのは、少し違うのかもしれませんが……」
彼女の率直な疑問に、やや口を濁した一彦が続けて言う。
「『妖怪』やら野盗の類やらが、ここ最近倒されているらしいのです」
「……誰が?」
「わかりません。目撃情報が殆ど無くて……ただ足跡を辿ると、この『京』に向かって来ているので、一応報告までに、と」
「ふ〜〜ん」
話しを聞いた彼女だが、興味無さ気に再び作業に戻る。それを見て一彦は、軽く一礼して部屋を後にする。彼女の事を理解しているが故に、余計・無駄な事は一切しないその行動に、孝明も少しは見習えと心の中で思う彼女であった。
「……………………」
その後は静かな部屋に、ゴリゴリと磨り潰す音だけが響くのみであった。
――――Time・Going――――
日が落ちた新月の夜。雲も出ている為、夜空に輝くものなど何一つ無い文字通りの真っ暗の闇夜。
『京』の玄関口とも言えるデカイ朱塗りの門――羅城門にて一つの動く人影があった。足音を全く立てないその人影は、人の誰も居ない羅城門を通り抜け――
「――?!」
――る前に、頭上から飛来した何かを避ける為にバックステップした。
地面に軽い音を立てて刺さったのは竹串。それを見た後に空を振り仰げば、目当ての人物が居た。どうやってそこまで登ったのかは定かではないが、羅城門の屋根の上に佇む一人の巫女装束の女性。明かりなど何も無い暗闇の中であるのに、その視線はしっかりと相手の眼を捉えている。
「……危ないな〜。当たったら〜、怪我するよ〜」
妙に間延びした声で、抗議の声を上げる男。細身でありながら並みの男よりも頭一つ大きい長身。その人相は普通ではあるが、着ている服は少しばかり妙であった。上下共に身体にフィットした黒尽くめの服。これで覆面でもしていれば、間違い無く忍者で通る服装。
そんな男の声に、彼女は何言ってんのコイツ? 的な顔をしてから事も無げに言う。
「当てる気で放ったんだから問題無ーだろ?」
「大有りだよ〜。そもそも〜、誰〜?」
「通りすがりの単なる巫女だ」
「……それさ〜、巫女と言う言葉に〜、喧嘩売ってるよね〜?」
彼女が堂々と言い放った言葉に呆れる男。確かに着ているのは巫女装束だが、目付き・雰囲気・そして腕に付けてる手甲が、色々裏切っている。だがしかし、彼女はそんな相手の様子を気にする事無く、言葉を続ける。
「オマエだろ? 『妖怪』やら野盗の類やらを、ここ最近倒してるってのは」
「……良く知ってるね〜」
「陰陽寮の連中が教えてくれた」
「へ〜〜、それで〜、君は何で〜、ここに居るの〜?」
「その前に確認したい――オマエはプレイヤーか?」
「っ?!!」
驚き眼を見開く態度から、彼女の推測が当たりとわかる。しかし彼女はそれに対して別に反応を見せない。ぶっちゃけ、彼女からしてみれば取り敢えず言ってみただけ。相手が元プレイヤーであるかは問題じゃ無い。問題なのは別の点。
「……君もこの世界に〜、来させられた〜、感じ〜?」
「ああ」
「なら〜、仲間だね〜」
「あ? 何言ってんだオマエ? オマエなんかと一緒にするな」
「……ご挨拶だね〜。じゃあ〜、何でこんな所で〜、張り込んでたの〜?」
「あ〜、それはだな。確認しとこうと思ってな」
「? 元プレイヤーかどうかを〜、確認「そっちじゃ無い」……なら〜、何を〜?」
「当たりか外れかを確認しておこうと思ってな」
「? 当たりか外れ?……で? どっちだったの〜?」
「大当たりだ」
「??」
彼女の言葉に何度も首を捻る男。彼女が何を言っているのかイマイチ理解出来無いので、その意味する所を正直に尋ねる。
「それって〜、どういう事〜?」
「オマエがイカレてるって事だ」
「は〜?」
「しらばっくれるなよ。オマエの眼。その眼は元の世界で良〜く知ってんだよ――その腐った眼は」
男の訝しげな声に、彼女はただ淡々と告げる。この闇夜でも良くわかる【暗視】によって、視線を逸らす事無く相手の眼を見据えたまま淡々と。、
言われた男の方は……キョトンとした表情で彼女の事を見つめていた。
「……腐った眼って〜、酷くない〜? 僕が何かしたの〜?」
「何で『妖怪』や野盗の類を倒してた?」
「……それは。悪者だったからで〜」
「じゃあ、何でさっきからオレを殺そうとしてる?」
それが彼女が先程から、男から眼を離さない理由。眼を離そうとする度に、男が何かしらのアクションを起こそうとしているのを、見逃さない為。
「いい加減、本性を顕せよ? ここには、オレとオマエしか居ないんだからよ」
「…………そうだねェ〜〜」
――突如、男の声が変わる。声自体が変わったのでは無い、声に含まれているモノが明らかに変わった。
「やっと、本性顕しやがったか」
「そんなのォ〜、どうでもいいからァ〜、ここ通してくれないィ〜?」
「通したら、どうするんだ?」
「決まってるよォ〜。殺すんだよォ〜」
「…………」
至極物騒な事を当たり前に言う男。そこには一切のブレが無い。
「野盗とか『妖怪』はァ〜、ちょっと飽きてきたからァ〜、貴族とかでもォ〜、殺してみようとォ〜、思ってェ〜」
「何で殺す?」
「だってェ〜、楽しいしィ〜――あの命を奪う瞬間がァ〜。しってるゥ〜? 人って一人一人ィ〜、殺す時のリアクションがァ〜、違うってェ〜。ゲームじゃ味わえないィ~、感覚だよねェ~。こっちに来てからァ~、虜になっちゃってさァ~」
「……快楽殺人鬼か。元から……つーより、この世界に来て目覚めちまったのか……ま、それは別にどうでもいいか」
呟いた後に、屋根から飛び降りる彼女。何の問題も無く高い距離を降り立った彼女は、男を前にして好戦的な笑みを浮かべる。
「私とォ〜、殺り合う気ィ〜?」
「ま、『京』には知った奴も居るからな。そいつ等が殺されるかもしれないのを、放っとくのもちと後味が悪いしな――渡る世間は金ばかり。地獄の沙汰も金しだい。三途の川も、渡るには六文銭が必要なんだぜ?――オマエはこの門を通るのに何を支払う?」
「そうだねェ〜〜。君の生命じゃダメかなァ〜」
「安い」
「……即答ォ〜、し過ぎじゃないィ〜?」
男の呆れた声に、彼女も呆れた声で返す。
「そんなに誰かを殺したいなら、まず自分を殺せよ」
「えェ〜、そうしたらァ〜、それ以上殺せなくなるしィ〜」
「道理だな」
そこまで話した所で、これ以上の会話は無駄だと判断したのか、互いに身構える。男は右足を引いて半身に、彼女は両手を上げてボクシングスタイルに。構え、更には体格も性別も違うが、両者唯一共通しているのはその表情。何かを待ち望んでいるかの様な笑み。
「――Shall We Dance?」
その小さくもハッキリとした彼女の呟きで、戦闘は開始された。
「しっ!」
初手は彼女から、挨拶代わりの左ジャブ。軽く相手に叩き落されるも、想定内と返しの右ストレートをすぐさまに撃つ。
「とォ〜〜!」
「――っ?!」
気の抜けそうな声と共に放たれた左ストレートを、首の動きだけで避ける彼女。そして後ろに一歩下がるが、男は逃すまいと距離を詰めてから、両の拳を振るう。
「はいィ〜! ほいィ〜! と〜〜うゥ!!」
「――チィッ!!」
恐ろしく気の抜ける掛け声とは裏腹に速く、重く、鋭く、多い拳の連撃に防戦一方どころか凌ぐので精一杯。ステップで逃れようにも相手に先回りされ、術を行使する暇すら与えてくれない。
「ほおらァ〜〜!!」
「っ?!!」
突き上げる形の右フックで彼女の両腕が跳ね上げられる。無防備になった上半身目掛けて、返しの左ストレートが唸りを上げる。
咄嗟に脚だけの力で【縮地】のバックステップ。距離を取った彼女であったが――次の瞬間には男が再び眼の前に。
「はいィ〜〜!」
「?!――がっ?!!」
向こうも【縮地】で距離を詰めたのだとわかった時には既に遅し。既に放たれている右フック。
軌道上に自分の左腕を置く事は間に合ったが……ガードごと彼女の左頬に叩き込まれる。足が地を離れ地面を転がって行き、そのまま勢いを殺さずに離れた所で起き上がる。
「……っ痛ぇ〜、歯折れちまった」
打たれた頬を摩りながら彼女が呟くのも束の間。取り出した包丁片手に再度アタック。
「ふっ!」
「〜〜♪」
順手で突く・払う。逆手で斬る・薙ぐ。トリッキーな動きも交えた斬撃だが、男には当たらない。鼻歌でも歌いそうな呑気な態度で余裕綽々に躱す。
互いのステップ音と包丁の風切り音が響く中、男が両手を素早く動かし、包丁を掴んだ。
「?!」
「ていィ〜!」
真剣白羽取りから手首を捻り、包丁をもぎ取るどころか刀身を折る男。彼女は使い物にならなくなった包丁を見ると、舌打ち一つして投げ捨てる。
そんな彼女に対し、男はマジシャンの様に大仰な仕草で両腕を広げる。
「今のでわかったんじゃないィ〜。力も速さもコッチの方が上だってェ〜」
未だ勝負がついていないにも拘らず、勝利を確信した態度で男は言う。
「そもそもさァ〜。巫女なんて後衛職でェ〜、格闘戦仕掛けるのはァ〜、無謀じゃないィ〜?」
男の言葉も最もであった。性別も体格も彼女の方が不利……そもそも先程の事もそうだった。先出しの彼女の右ストレートよりも、後出しの男の左ストレートの方が速かったと言う事実。それ一つ取っても、相手の方が優っている事の証明である。
「同感」
「……はァ〜?」
男の言葉にアッサリ同意する彼女。男の方は、そんな彼女を眉を寄せて見る。自分の方が劣っていると知りながらも、その態度は先程と変わっていない。
「敏捷とか筋力とか、根本的なステータスで負けるし。オマエも【気功】持ちらしいから、上乗せても無理っぽいしな。まあ、オマエもソレ持ってる時点で、真っ当にやりこんでるプレイヤーな事はわかってたしな」
彼女が指差すのは、男の腰にある自分も持っている小袋――『那由多の袋』。ある意味熟練プレイヤーの証。
「だったらァ〜「なら……イカサマするしかないか――ふっ!」――んん〜?!」
会話の途中で、彼女が手首のスナップだけで辺りに何かを【投擲】する。【投擲】されたソレ等は、地面に当たると盛大に白煙を撒き散らし辺りを包む。
「『煙玉』ァ〜?」
男が驚いている間にも白煙は辺りに充満して、彼女の姿が見えなくなってしまう。逃げる気か? と男が考えるのも束の間、白煙の中に彼女のシルエットがぼんやりと視える――複数の。
「あれェ〜?」
良く良く周りを見れば、白煙の中に何時の間にか自分を囲う様に彼女のシルエットが存在している。男は一瞬驚くが、すぐにそのスキルに思い当たる。
――体術系上位スキル【偏在】。自分を複数に見せかけるスキル。
「その手は喰わないよォ〜、そこォ〜!」
言うが速いか、自分の右後ろのシルエットに向けて【縮地】で接近。右ストレートで顔面を打ち抜く――
「――えェ〜?!」
「残念、こっちだ」
――が、手応えは無くシルエットも消える。そして背後から聞こえる彼女の声。
振り向く間も、回避する間も、防御する間も与えずに、彼女の体重を乗せたチョッピングライトが男の無防備な後頭部へ――
「――何っ?!」
「引っかかったァ〜! 裏の裏だよォ〜!」
――当たる瞬間。男の姿が消える。代わりに彼女の背後から聞こえる男の声。先のやり取りの焼き回しの様な光景。
体術系上位スキル【虚影】にて、彼女の背後に回り込んだ男が愉悦の笑みを浮かべ右ハイキックを放つ。それは確かに彼女の後頭部に命中し、首の骨が折れる程の衝撃を与え――彼女の姿が消える。後に残るは宙に舞う紙片。
「――えっ「うらっ!!」があっ?!!」
呆気に取られた瞬間、後頭部に強い衝撃。ハンマーナックルを無防備な後頭部に喰らい倒れる男。そして今度こそ本物の彼女が、してやったりとニヤリ笑いて言う。
「裏の裏のそのまた裏。つまり裏だ」
(初めて使ったけど、結構イケるな、これ)
数日前、目覚めたら頭の中に既に存在していた新しいスキルの知識。実戦でのぶっつけ本番であったが、何の問題も無く扱えた事に、彼女自身少しの驚きを持つ。
(これがこの世界でのレベルアップなのか?)
事の発端は十数日前。彼女がふと思った事――この世界に来た時に、ゲーム内と同じスキルを知識として得ていたが、それ以外のスキルは得られないのか?
そんな事を考えつつ寝て起きたら、新しいスキルを一つ覚えていた。はあ? と思いつつアレコレ試行錯誤を繰り返してわかったのは、恐らくだが目に見えない所で経験値・習熟度等がちゃんと加算されており、寝る事で新しいスキルを得られる事。一回の睡眠で一個のスキルを得られる事。意識して得ようとしないと、得られない事。
……彼女は、その事に多少以上にイラついたのは言うまでもない。
(……ま、もうその事はどうでも良いけどな)
「…………」
彼女が考えている間に、後頭部を摩りながら無言で男が立ち上がる。そして、いきなりの【縮地】。
急接近からの左ストレートを牽制として撃ち、横に避けた彼女目掛けて返しの右フックを本命として放つ。先程よりも威力の乗ったその一撃が――
「――ふぐっ?!」
――当たるよりも前に、彼女の掌打が男の鼻っつらに命中。その衝撃に、思わず仰け反る男。
「……へェ〜、マグレだよねェ〜」
鼻から流れる紅いモノを気にする事無く、男は彼女を嘲笑う。
そして構えると同時、左ジャブを連打。速射砲の如く速く放たれる弾幕に、彼女のガードが少しずつ崩れていく。その崩れたガードの隙間を縫う様に、男の右ストレートが――
「――ぶぐっ?!」
――放たれない。それより速く彼女の掌打が再び男の鼻っつらに命中し、その衝撃に思わず一・二歩後ずさる男。
「……ヤルじゃないィ〜――ヤロォ〜〜ッ!!」
ニカッと笑ったと思ったら、憤怒の表情で殴りかかる男。もはや許さんとばかりの猛ラッシュ。右と左の拳が交互に、縦横無尽に放たれる。
「はっ! ふっ! はっ! ふんっ!」
……だがしかし、当たらない。躱される・いなされる・受けられる・弾かれる・止められる。先程は確かに凌ぐので精一杯だった筈なのに、今は確実に、むしろ余裕を持って彼女は対応している。
「何でェ〜?! 当たらないィ〜〜?!!」
一旦離れて仕切り直した男が、率直な疑問を彼女にぶつける。聞かれた彼女はアッサリ種明かし。指の間に挟んだ薬を見せた後、口に含む。
「?! ステータスアップの薬ィ〜?」
「ちょっと前に手に入れてな。まさか自分で使うとは思ってなかったんだけどな……ま、有るなら使わなきゃ勿体無いだろ?」
彼女は気軽に言うが、男はそんな楽天的には考えられない。ここはゲーム内では無いのだから、当然副作用の心配をする必要が有る……にも拘らず、彼女はそれを一切気にしていない様に見える。
「……後の事ォ〜、考えてないのかいィ〜?」
「後の事は、後で考えりゃいいだろ?」
余りにもシンプル過ぎる回答に男も一瞬絶句。だが彼女が攻めて来た事に、すぐさま気を取り直して迎え撃つ。
「おらおらおらおらっ!! どうしたよ?! 段々と後ろに下がってるぜ?!!」
「〜〜〜〜っ?!!」
攻める彼女と防ぐ男。完全に天秤が逆に傾いている。膂力なら未だ男の方が上だが、手数で完全に負けている。
このままではジリ貧だと悟った男は、彼女の拳をそれぞれの手で受け止め掴み、ガップリ四つに組む。
「これならァ〜〜!!」
膂力と体格の差を盾に、男が力任せで押し切ろうとする。対する彼女は強引に振り払おうとするが、男の握力が強く振り払えない。
それを見て男がニヤリと笑い、更に力を込めようと己の筋肉を震わせる。男が一気に勝負を決めようとした瞬間――彼女の口が動く。
「『急々如律令』――【土気・剛壁】」
「?――はぐゥ〜〜〜〜っ?!!!!」
術の後に、地中からせり上がってくる大きな石壁……但し、せり上がってきたのは男の両足の間――股下。
想定の範囲外過ぎた事に反応出来ず、男はモロに股間を強打しつつ石壁と共にせり上がっていき、途中でバランスが崩れ地面に落ちた。そして股間を両手で抑えながら、芋虫の様にのたうち回る。
「……女には、わからない痛みだな」
自分で行使した術ゆえに、しっかりと対応していた彼女が石壁の上で他人事の様に呟く。
そして石壁から降りた彼女が『那由多の袋』から取り出すのは、毎度お馴染み大木槌。勢い良く振りかぶって石壁に一撃あびせ、ゆっくりと倒れていく石壁。
「んぶっ?!!」
そしてその下敷きになる男。石壁が倒れた音と、文字通り潰れた声が聞こえた後に静まる羅城門。
大木槌を仕舞った彼女が、そのまま待つ事数秒――何も起こらない。
「……ンだよ。もしかして、もう終わりか?」
不満と失望の混じった声を上げる彼女。踵を返そうと――
「――ガァァァァァーーーーッ!!!!」
「――?!!」
――する直前。石壁をその両の腕で持ち上げて復活する男。そしてその石壁をこちらへとぶん投げてくる。
「って?! 嘘だろっ?!!」
今度は彼女の方が、想定の範囲外過ぎる事に慌てて避ける。半端無い風切り音を横に、豪快な炸裂音を後ろに聞き、遅れて冷や汗が流れる。
だがそれを感じる間も与えぬ内に、男は既に行動を起こしている。
「アァァァァーーーーッ」
「?!――がはっ?!!」
掴まれる襟。そして力尽くで地面に叩き付けられる身体。一泊遅れて肺から息が吐き出される。
そして男は彼女に馬乗りになり、右手で彼女の首を押さえ付ける。
「やってくれるじゃないィ〜。かなり痛かったよォ〜」
「――――」
口は笑みを浮かべているが、眼は笑っていない。それは首を掴んでいる右手に込められた力が、良〜く物語っている。
利き腕の右腕は男の左手で押さえ付けられているので、残った左腕だけでは幾ら薬による上乗せがあったとしても、己の首を掴む手を解けない。
「このままァ〜、絞め殺しても良いんだけどォ〜。それじゃァ〜、こっちの気が収まらないんだよねェ〜」
愉悦と嗜虐が入り混じった笑みを浮かべた男が、彼女の眼から視線を離さずに喋る。完全に自分の優位を疑っていない男は、調子に乗って喋り続ける。
「そうだねェ〜。君はアッサリ殺すんじゃなくてェ〜、ジワジワと一生かけてェ〜、殺してあげるよォ〜。何年もォ〜、何十年もかけてねェ〜」
そう言いながら彼女の表情の変化を伺う男。絶望に歪むか、恐怖に慄くか、悲嘆に暮れるか、どんな表情を見せてくれるかと男が期待する中で彼女は――
「――ハッ」
「――?」
――その、どれでも無かった。冷めた眼。明らかに失望した瞳。価値を失ったモノに向ける眼差し。
何故そんな眼を向けられるのか? と男が疑問に思った瞬間。彼女の口が細く窄まり――
「――あああああァッ?!!」
――直後に右目に走る激痛。焼け付く様な痛みに思わず眼に右手をやり、彼女の首の拘束を解いてしまう。
その機を逃さず上体を起こす彼女。しかし男は激痛を感じながらも、意識は彼女に向けている。未だ馬乗りになっている自分を押し退けるのは体格的に無理だ、何をしようとも対処してみせる、と男は自分の優位を疑わない。
そして彼女の両手がそれぞれ男の肩に触れて――
「――ぐあァッ?!!」
――今度は両肩に走る激痛。咄嗟に肩に触れている彼女の手を振り払おうとするが、両腕に力が入らず重力に従って落ちる。
更に続けて彼女の手が伸びたのは、男の両膝。逃げる暇を与えずに触れた手は更なる激痛を与え、男を無力化した。
「うぐゥ〜、ぬあァ〜「邪魔だ」――っつ?!」
自分の上に乗ったままの男を退かし起き上がる彼女。退かされ地面に横倒しになった時の衝撃で、眼から落ちる折れた歯の欠片。それを見て男は彼女が何をしたのかを悟る。何とか起き上がろうとするが、身動きが取れず――正確には身動きを取ろうとしても、両肩と両膝の関節が外れているので出来無い為、僅かに身を揺する事しか出来ず無事な方の眼で彼女を睨んでいる。
「ハァ……当たりかと思ってたのに……とんだ外れだったな。やっぱオレのリアルラック値、低いわ」
掴まれてた首を摩りながら彼女は溜め息混じりに言う。
そんな彼女に、地に倒れたまま男は恨みの篭った声で咆える。
「お前ェ〜! 何をしたァ〜! これは何のスキルだァ〜!!」
「あっ? 知らねーのか? 【節外し】だよ。ゲーム内の時から使ってた、切り札みたいなものだな」
「……はァ〜〜?」
彼女のアッサリ種明かしに一瞬キョトンとするも、次には有り得ないモノを見るかの様な表情で言う男。
「何で?……何でェ〜?! 【節外し】なんて対人用のスキルを持ってるんだァ〜?!! そんなの使いどころが少ないだろォ〜?!! 何でそんな無駄なスキルをォ〜?!」
この世界はともかく、VRMMOゲーム『九十九妖異譚』では主に『妖怪』を相手とするゲームであったので、対人用スキルと言うのは使用頻度が少ないスキルである故に、プレイヤー達の間では死にスキルに分類されている。純粋な人型の『妖怪』も居るには居るが、実際に出会うかは別問題であるし、何よりもっと汎用性の高いスキルが有るのだから、そちらのスキルを取れば良い。
しかしその言葉に彼女は、至極当たり前の様に答える。
「そんなの決まってんだろ?――『妖怪』よりも『人間』の方が恐ろしいからだ」
「なァ〜〜ッ?!!」
声を上げる男を他所に、彼女が地に倒れている男の首を掴む、先程とは全くの逆の状況。彼女が何をしようとしているのかを否応無くわかってしまった男が声を張り上げる。
「この――ネカマがァァァァァ〜〜〜〜ッ!!!!」
「――オレは正真正銘、女だ」
断末魔の叫びと、その後に響くゴキッと言う小気味良い音。そして本当に全身から力が抜けた男が、地に落ちる。
ピクリとも動かなくなった男を横目に彼女が取り出したのは、片手に丁度収まる導火線の伸びた球体――『明王玉』。
「こいつ、ちと調合ミスってな。本来のより威力は弱くなっちまってんだが……ヒト一人、燃やすには十分だ。『急々如律令』――【火気・焼】」
術の行使と共に火が点く導火線。そして『不動玉』をポイッと男の傍に投げ捨てると、そのまま背を向けて歩き去る彼女。
そして数秒後に聞こえる爆音と背に感じる熱風。明かり一つ存在していなかった羅城門を紅く染める火の華が咲いたのを確かに感じた彼女は、何時の間にか男からパクっていた『那由多の袋』を弄びつつ、呆れと失望と不満が混ざった声でボヤく。
「自分の方が強いのがわかったからって、調子に乗っていたぶろうとするから足元掬われるんだよ。全力でヤればオレを殺せたのに……ああ、火葬代はツケにしといてやる」
もう誰も聞いていないであろうにも拘らず、彼女はボヤき続ける。誰かに聞かせると言うよりも、ただ喋りたいだけの様に。
「……いったい、ナニならオレの望みは叶うんだか……」
ご愛読有難うございました。
本日の解説。
――――【偏在】――――
体術系上位スキル
素早い動きで残像を残し自分を複数に見せる、ぶっちゃけ分身の術。残像には気配も残るので【気配感知】でも判別出来無い。
厨二心をくすぐるスキルである。
――――【虚影】――――
体術系上位スキル
相手に攻撃された際に、瞬時に相手の背後に回る。ゲーム内では瞬間的なテレポートに近かったが、現実世界では身体が自然に動く感じで回り込む。
やはり厨二心をくすぐるスキルである。
――――【節外し】――――
体術系中位スキル
触れた箇所の関節を外すスキル。ゲーム内では一定時間、身体の部位を麻痺させるスキルであったが、現実世界では肩・肘・膝・手首どころか首すら外せるので凶悪なスキルとなっている。




