物思い……イヤ、なあ
ちと長くなったんで分けました。こっちが前半。
「はっ……はっ……はっ……」
走っている。
ただ走っている。
とっくに息は上がり足もふらついているが走っている。
辺りは暗闇、何一つ見えなくても走っている。
どれだけ走ったのかは問題じゃ無い、どこまで走れるかも問題じゃ無い。
問題なのはそれに辿り着けるか否か。
「はっ……はっ……はっ……」
ただ一つを求めて子は走り続ける。
* * *
「…………」
太陽が真南に差し掛かった刻限。社務所内の囲炉裏の在る板張りの部屋にて、彼女は卓袱台の前に正座してゆっくりと硯で墨を擦っていた。何時ものダルそうな雰囲気は鳴りを潜め、その瞳も静かな力強さを蓄えて、真新たな白衣と緋袴に身を包んだその佇まいには静謐と言った言葉が思い浮かぶ。
「…………」
墨を擦り終えた彼女は、その墨にビー玉サイズの紫色の宝石の様な物――『妖核』を入れる。『妖核』は少しずつ溶けていき、一分もしない内に完全に墨に溶け込んでしまった。
そして彼女は筆を手に取ると丹念に墨を染み込ませ、別に用意してあった長方形の紙に色々な図形と文字を書き込んでいった。
(『呪符』。一丁上がりだ)
書き上がった『呪符』を脇に退け、次の紙に取り掛かる。
そこからは単調な作業が続く。筆を滑らせ、書き終えては次の紙へ。墨が切れれば補充し、新たな『妖核』を溶かす。そして再び次の紙へと、淡々とこなす。
(……つーか、習字なんてした事無ぇオレがこんなに上手く書けるのって、やっぱ【呪符作成】スキル持ってたお陰か?)
新たな呪符を仕上げながら頭の片隅でそんな事を考える彼女。硯の使い方やら筆の運び方だけでなく、文字のバランスはもちろん緩急のついたトメ・ハネから墨のかすれ具合までお見事な達筆。そんな身体に染み付いている知識と経験を改めて実感する度に、ここが異世界だと染み染み思う。
(っかし、ゲーム内ならアイコンタッチで一瞬なのに、一枚一枚手書きって……面倒臭ぇ〜)
溜め息を吐きながらも、手は止まらずに呪符を造り続ける彼女。その後も、その場では墨を擦る音と筆の音、そして忘れた頃に溜め息を吐く音がした。
――――Now・Writing――――
「――こんなモンか」
小一時間後。卓袱台の上に積み重なった『呪符』の数を見て、彼女は脇に置いてあった湯呑を持ちすっかりぬるくなった茶を飲んで一息吐いた。
「こんだけ造っときゃ、暫くは大丈夫だろ」
首をゴキゴキ鳴らしながら『呪符』や硯など造るのに使った道具一式を『那由多の袋』に仕舞う彼女……筆と硯を洗わずに。そして、ん〜、と思いっ切り背を伸ばした彼女は、視界の端に居る人物に話しかける。
「――で? 何の用だ?」
「…………あっ」
開け放されていた襖の向こう、縁側からずっとこちらの作業を見続けていた人物――草太は、声を掛けられて漸く彼女に見蕩れていた事に気づいた。
「お〜〜い。ガキじゃ無ぇんだろ? 用が有んならさっさと済ませろ」
(……黙ってりゃそこそこ美人なのに、口を開くとこれだよ……さっきの姿で在り続けられないのかよ)
先程までの凛とした姿は何処へ行ったのか、ダルそうな雰囲気に早変わり。それを見て草太は深〜い溜め息を吐いた。
「別に用なんて無いけど……用が無きゃ来ちゃ駄目なのかよ?」
「駄目だ」
「即答かよ?!」
草太の言葉を無視して彼女は縁側から外に出ると、立てかけてあった竹箒で境内の掃き掃除を始める。当然、草太の事は完全に居ない者扱いで。
「なあ?」
「…………」
「おい?」
「…………」
「お〜い」
「…………」
「聞けよ」
「…………」
「無視すんなよ!!」
「…………うるせーな。何だよ?」
しつこい呼びかけに根負けしたのか、彼女が手を動かしながら不機嫌な顔で振り返る。そのギラッとした目付きに睨まれた草太は、一歩引きながらも言い出した手前、今更引く事も出来ぬのでこの際色々と聞きたかった事を纏めて聞いてみる事にした。
「何で、あそこは掃除しないんだよ?」
草太が指し示したのは、この神社の玄関とも言える鳥居から伸びる参道、その終着点に存在する建物――『本殿』。
この神社の中で唯一そこだけが手付かずのまま、汚れ放題のままで取り残されている。巫女で在る以上、そここそ最も綺麗にするべき場所ではないのだろうか? なのに、彼女がここに住み始めて約二週間経つのに一向に手を付けないのは何故? と、草太はここに毎日の様に来る度に不思議に思っていた。
その質問に対して彼女は……
「する必要無ーだろ。その意味も無ーし」
……巫女に在るまじき暴言を吐いていた。思わず草太も絶句する程、キッパリと何の躊躇も無く堂々と言い切った。くだらねー事聞くな、と言う雰囲気全開な彼女に、流石にそれはないだろ? と言う表情な草太が更に尋ねる。
「……アンタ、巫女さんだよな?」
「職業上は一応な」
「なら、一応でも掃除しとけよっ! 何でしない「憎いから」……へっ?」
言葉の途中に割り込んだその一言に草太がフリーズする。そんな草太に彼女はただ淡々と言葉を続ける。
「祈っても願っても縋っても泣いても、助けるどころか何もしてくれないクソの為なんかに、何でオレ達があれこれしてやんなきゃならねえ?」
「…………」
「覚えとけ。神とか仏とかは人を助けてなんてくれねぇよ。人を助けてくれるのは人だけだ」
さっきまでの不機嫌さが完全に消えた顔。反対にその瞳の奥に輝く狂おしい程の強いナニか。
感情の一切篭っていない声が逆に怖い。怒りの沸点を超えて一周してしまったかの様な静かな激情。
そして静かな境内に鳴り響く異音。彼女の握っている竹箒の柄が徐々に握り潰されている事による亀裂音。
「――――」
それらの全てをその身で受け止めている草太は気が気でない。自分がデカい地雷をピンポイントで踏んでしまった事に気づくも時既に遅し、額や背中に流れる冷や汗が止まらない。口の中が乾き嫌な味のヨダレが出てくる。足どころか身体の震えが収まってくれない。ここに来る前に用を足してなかったらチビってたかましれない。
「つー訳で、オレは掃除する気は欠片も無ーよ」
「――っ?! ハァ……ハァ……」
彼女が視線を外した瞬間、草太は金縛りが解けたかの様に全身をビクンと震わせた後、大きく息を吐く。とにかく深呼吸を続け、自分の中で五月蝿く騒いでいる心臓を落ち着かせる事に専念する。
「…………何で」
「あん?」
「なら何で、巫女なんてやってるんだよ?」
「そいつはオマエに言っても理解出来無ーだろうな」
今の姿はゲーム内のアバターだと言っても理解出来る筈がない。正直なところ自分も、考えるだけ無駄だからと言う理由から先延ばしにしているだけで理解出来ている訳では無い。この世界に連れて来られた理由を。
(ま、オレにとってはどうでも良いけどな)
彼女の願いは最初からただ一つ。それ以外は些事に過ぎない。
(何時になったら叶うのか……待つのには慣れてるけど)
この世界に来た当初に抱いた期待感も薄れている彼女は、内心で深い溜め息を吐いた。
「……アンタの事、殆ど知らないままだけど、一つだけ理解出来てる事は有るぞ」
「何?」
「何だかんだ言っても、アンタもう立派なこの村の一員だよな」
「……………………は?」
草太の言葉にピタッと身体の動きが止まる彼女。眼を大きく見開きキョトンとしたその表情は、未だかつて一度も見た事のない貴重な表情。そんな顔を気にもせずに草太は言葉を続ける。
「いやさ、俺がここに来ても邪険に扱わなくなってきたし、時々村であの舞をして畑を良くしてくれるし、何より妖怪退治に行っても、終わればここに必ず帰って来てくれるし」
「……………………」
「強い妖怪を求めてどっか行っちゃうのかと思ってたけどそうならないし、それってつまりここの居心地が良いって事だろ?」
「……………………」
何が嬉しいのか笑顔で話す草太。最も、彼女の表情は変わらずのままだが。
「あっ?! そろそろ時間だ。じゃ〜な〜♪」
ふと思い出して神社を後にする草太。笑顔で手を振り去って行くその姿を、彼女はやっぱり変わらない表情で見送り――
「――何、勘違いしてんだか……」
――姿が完全に見えなくなってから、そう呟いた。
――――Time・Going――――
「ふ〜〜〜」
日は沈んで星が瞬く夜空に浮かぶ下弦の月を眺めながら、彼女は縁側に腰掛けて夜風に当たっていた。風呂上がりの火照った身体に涼しい夜風が実に気持ち良く、思わず声が漏れる。
「あ〜〜〜」
完全にダラけた姿で月を見上げながら、彼女はやや眠気のあるボンヤリとした頭で昼間の会話を振り返る。
(必ず帰って来てくれる、か。確かに、そう見えるよな…………わかってんだよ。どうやら、この辺りには強い妖怪は居ないって事は。遭いたきゃ自分から行けって事も……でもそれは、あの人との約束を間接的に破る事になる……)
月を見上げる彼女のその眼が段々と変わっていく。寂しく、悲しく、何かを懇願するかの様に。
(願いを叶えたい。けど、約束は破れない……願いと約束の板挟みか……だからその隙間を上手く突くしかない)
右手を月に向かって伸ばす。見えているのに届かない、そこに在るのに手に入れられない、その事実に無性に胸を掻き乱される。
(キッカケだ。キッカケさえ有ればここを離れられるのにな……)
バタンと上半身を縁側に力無く倒し、彼女はどこを見ているのかわからぬ虚ろな瞳で呟いた。
「何時――たら、――んだろ。おね――ちゃん」
夜風に掻き消される程の微かな呟きをした後、彼女はこのままここで眠ろうかと目を閉じて――
(――ん?)
――一つの気配が【気配感知】に引っかかった。
最初は村人の誰かかと思ったが、すぐに違うと判断する。気配の質が違う。明らかに始めて感じるその気配は、ゆっくりと石段を登って来ている。
(……客か)
身を起こすと彼女は、今迄着ていた長襦袢を脱ぎ去り何時もの百位と緋袴に着替える。そして裸足のまま草履を履き、境内に出ると鳥居の方を見ながらジッと待つ。
(何が来るかは知らないが……オマエはキッカケになってくれるか?)
微かな期待と共に、彼女はその来訪者を招き入れた。
ご愛読有難うございました。
本日の解説。
――――『呪符』――――
印や言霊といった機動キー無しで即座に術を使える様にする為の道具。
必要な霊力はほんの僅かで済む為、通常よりも遥かに少ない霊力で術を行使出来るが、威力は固定される。
下級・中級・上級と言った等級があり、上級の物程、造る為の素材もレア。