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VRMMOをカネの力で無双する サブアカウント  作者: 鰤/牙
アイリス/邪悪なる意思
8/50

(1)

 杜若あいり、服飾デザイン系の専修学校通う17歳である。

 将来の夢は、アパレルデザイナーだ。


 めっきり秋である。夏休みを経て、あいりの周囲には大きな変化があった。例えばクラスメイトの詩織だが、何やらずいぶん大人っぽくなった。何があったのか聞いてみれば、彼氏が出来たのだという。それは結構なことね、と、あいりは複雑な気持ちで祝福した。

 周囲の友人達の反応も様々だ。ただ、みんな一様に、通りで夏休み中遊びに誘っても来なかったわけだと合点している。彼女達がキャアキャア騒ぎ立てるのを見て、恋人が出来たくらいでそこまで面白がるものかしら、と思ったが、口にはしない。あいりはこれで空気が読める。


「カッキーもさぁ、夏休みの間、なんかぜんぜん遊んでくれなかったよねー」

「そういえば、なんか雰囲気大人っぽくなった?」

「なになに、カッキーもカレシできたの?」


 冗談ではない。この夏にラブロマンスのひとかけらもありはしなかった。汗と涙とカネにまみれた2ヶ月である。できたのはパトロンと親友だけで、そのパトロンとも縁はスッパリ切れた。少なくともあいりの認識ではそうだ。ただし、彼が彼女に遺していったものは重い。

 親友との出会いは、こちらに関しては素直に喜べる良いものだった。彼女が志す道の先輩として素直に尊敬できるし、年の割りにどこか隙の多い性格が少しだけ心配させるが、なにかと気は合うし一緒にいて楽しい。ただ、彼女のことを話せば、クラスメイト達の嫉妬はカレシができたという話の比ではないだろうから、やはり迂闊には言葉にできない。


 結局のところ、


「何も無いわよ」


 と、言うしかないのだ。


「えー、なにそれー」

「怪しいー」


 終わってみればあっというまの2ヶ月である。今は学校も始まっているし、ライフスタイルがまるきり変わってしまって、なんだか違う人間になってしまったような錯覚があった。


 ナローファンタジー・オンライン。最先端のバーチャル・リアリティ技術を駆使したオンラインゲームである。あいりはそこで、鮮烈な体験をしたし、出会いと別れも味わった。ひと夏の冒険だ。良い経験であったと、心から思う。今でも時間を見てはログインし、オンライン上の仲間達と交流を続けているので、それまでの縁がぷっつり切れてしまったわけではない。


 だが、あいりの心には、何か重苦しい、しこりのようなものが残されていた。


「カッキー難しい顔してんなー」


 クラスメイトのひとりが、ニヤニヤと笑いながら覗き込んできた。


「どうせまたひとりでなんか悩んでるんでしょ」

「えっ、あたしってそういうキャラだったの?」

「知らないの? 有名だよ、カッキーは悩みはじめるとめんどいって」


 そうだったのか。自覚がなかったわけではないが。いきなり自分の知らない自分の情報を公開されて、あいりは戸惑う。


「気をつけないといけないわね……」

「ほーら、そうやってまた悩むー」


 どうしろというのだ。


「カッキーはさぁ、なんかこう、理想高いキャラじゃんな」

「自分に求める水準高すぎる感じ?」

「もっとテキトーで良いんだって。テキトーで」


 果たしてそんな分析をされていたとは。

 自分だってそんなに気を張って生きているつもりはなかった。だが、少なくとも今は違う。彼女の手元には今、遺されたものがある。それが自身の身の丈にあっていないという自覚も、あいりにはあった。理想が高いのだというならば、それだってきっとその通りなのだろう。


 御曹司だ。


 あいりの脳裏には一人の涼やかな青年の姿が過ぎる。縁が切れたのだのなんだの言っても、結局のところ、彼があいりに遺したものは、それこそが重い。自分ひとりで満足してゲームの中から巣立っていった身勝手さには、今更ながらに腹が立つ。


「で、カッキー、何にそんなに悩んでんの? やっぱオトコ?」

「まぁ生物学上はオトコなんじゃないの。アレは」


 ぼそっと呟くと、にわかに周囲の目が輝いた。言ってから、失言だったなと思う。


「なになに、結局そういうアレなの!?」

「カッキーも恋する乙女になるの!?」

「ならないわよ。そんなヨユー、モートーないっての」


 ただ、失望されたくはないと思っている。杜若あいりには、無言のうちに託されたものがあるのだ。自分にはあまりにも荷が勝ちすぎていることを、あいりは朧げに認めてはいたのだが、それは決して口にしていいことではなかった。その言葉自体が、御曹司に対して築き上げてきた信頼を、裏切ることになるのだ。


『アイリス。君の行いには、いつも本当に驚かされる』


 買いかぶりだわ。あたしはあんたが思っているようなビックリ人間じゃない。


 あるいはこの葛藤すらも、御曹司は見透かしているのだろうか。なんの根拠もない想像が、あいりには何やら、妙に腹立たしかった。





 学校が終われば家に帰る。とは言え、あいりも女子高生(亜種)だ。子供の頃から鍵っ子だから、門限に関しては融通が利く。友人たちとファーストフード店に寄り、嫌な教師の話題や将来の話、ついでに詩織のカレシをネタに盛り上がり、それでも7時過ぎくらいには家に帰る。なんのかんの言って、この季節は日が落ちるのも早い。


 ひとり電車に乗りながらあいりは、ドアに身体を押し付けるようにして、窓の外を流れていく景色を、眺めていた。ひとりになったことで、またも心中に宿したわだかまりが、鎌首をもたげる。


 7月の中旬、あいりはナローファンタジー・オンラインの中で、ツワブキ・イチローという青年に出会った。彼が、あいりの作った不器用なデザインのブローチを褒めてくれたのが、すべての始まりだ。青年のなそうとするがままにあいりは翻弄され、気がついたら、生産職系ギルド〝アイリスブランド〟の専属デザイナーに担ぎ上げられていた。

 ゲーム内最強プレイヤーであるイチローがリーダーを務める〝アイリスブランド〟は、ナロファンで起きる大小様々な珍事において、常に渦中に存在した。あいりも散々巻き込まれた。おかげでたくましくなった。そんな日がいつまで続くのだろうかと思っていた矢先に、イチローはゲームを引退した。


 杜若あいりアイリスのもとに残されたのは、〝アイリスブランド〟の看板だ。


 ギルドメンバーと相談して、リーダーはアイリスが引き継ぐことになった。大した手続きは必要ない。運営に報告し、リーダーの引き継ぎはあっさりと終わった。アイリスには、メニューウィンドウの項目とそこから生じる権限は、ほんのちょっぴり増えた。

 ナローファンタジー・オンラインも、アイリスブランドも、所詮はお遊びの世界である。ギルドリーダーなどといっても、そこまで重大な責務が生じるわけではない。そもそもアイリスブランド自体が、ツワブキ・イチローの一過性の動機をもとに設立された、ほぼ馴れ合いに近いギルドである。


 だがそれでも、あの御曹司から、アイリスブランドを託されたという事実は、あいりにとって大きかった。新人を含め、ギルドメンバーは合計5人。アイリスが気負っているのは傍目にも明らかだったのだろう。以下、メンバーたちの助言である。


『アイリス、あなたはあなたらしくやって頂ければ良いのですよ』

『アイリスの行動は、イチローのそれを意識しているものであると認識します』

『いざという時は、頼っていただいていいんですのよ?』

『このナイフにはなぁ、毒が塗ってあるんだぜぇ!』


 わかっているのだ。今までどおりにやって、誰かから咎められるとは思えない。

 だが、理屈では御しきれない感情が、あいりの中にはあった。イチローがゲームを抜けたいま、ゲーム内におけるアイリスブランドの影響力は小さい。それがあいりにとっては、何やら無性に寂しくて仕方がなかったのだ。


「あー、なんかダメよねぇ……」


 ぼそっとつぶやいた言葉は、誰かに聞き取られることもなかった。

 やる気のない車内アナウンスが駅名を告げ、電車が停止する。あいりはホームに降りた。ぞろぞろと階段に向かっていく無機質な人ごみに混じって、カバンの中から電子定期券を取り出す。改札を出ようとしたとき、目の前の女性がいきなり立ち止まって、あいりは背中にぶつかった。


「わっぷ」

「あっ、ごめんなさい」


 目の前の女性は、改札を前にしながら、何やら首をかしげている。右手には切符を持っていた。早くしてよ、という微かないらだちを覚えつつ、同様の感情が背後の列からもにじみ出ているのを感じて、あいりは気まずくなった。


「ちょっ、ちょちょちょ、ちょっとお姉さん」


 切符を片手に悩んでいる女性の腕を引っ張って、あいりは列を抜けた。あいりの真後ろにいたサラリーマンらしき男は怪訝な顔をしつつも定期を通し、改札を抜けていく。列の進行は淀みなく再開し、彼らはぞろぞろと改札の向こうへ消えていった。


「あ、ごめんなさい。迷惑だったかしら」

「えぇ、だいぶね」


 ここで歯に衣を着せないのが、あいりの美点であり欠点である。


「切符が改札を通んなかったの? 大丈夫? 料金は足りてんの?」

「あ、えっと。うーん……」


 女性は、あいりよりふた回り以上、もっと言えば、彼女の大親友であるところの芙蓉めぐみよりも、年上であるように思えた。華やかさはないが、妙齢という言葉がぴたりと似合う出で立ちに、控えめの化粧が映える。妖艶さの類はない。近所のママさんといった感じだ。そのママさんは、ちょっと気の早い厚手のコートを羽織って、ローラー付きのバックパックを引いていた。


 女性は神妙な顔で言う。


「これって、チケットをあの機械に入れればいいんだっけ?」

「は?」


 あいりは思わず聞き返してしまった。こんな初歩的な質問が出るとは思っていなかったのだ。まぁ当然の反応と言えるだろう。


「そうだけど……」

「みんな、機械の上に財布をピッとかざしてるだけだから……これでいいのかなぁって……」

「お姉さん、ひょっとして未開の地からやってきたの?」

「そこそこ都会に住んでるつもりだったんだけど……。ひとりで電車に乗る機会ってあんまなくって……」


 子供か。


「とにかく、お姉さんの場合は、切符をあそこに入れればいいだけだから! 大丈夫? できるわよね?」

「見てて貰っていい?」


 子供か!


 あいりは思わず叫びたくなる気持ちを抑えて、なんとか頷くことに成功した。女性はおそるおそる切符を改札機に通し、無事に改札機を通り抜ける。あいりもほっとため息をついて、定期で改札を抜けた。


「よくできました。おめでとう」

「ありがとう。こういうの、いつも息子がやってくれるから」


 この人、よく今まで生きてこられたな。


「よくできた息子さんなのね。大事にしてあげてね」

「人間、一人じゃなんにもできないものだよね」

「限度があるわよ」


 あいりは、女性の引く荷物をちらりと見て、このように続ける。


「旅行? ホテルの場所とか大丈夫?」

「あー、うん。駅からだいたい600メートルくらいの場所らしいんだけど」

「だけど?」

「タクシーに乗れば大丈夫かなって」

「地図を貸しなさい!」


 たかだか600メートルの移動にタクシーを使うなど、あいりの金銭感覚が許せない。あいりの作戦はいつだって『おカネを大事に』である。最近はとみにそれを痛感する。おカネをいっぱい使って経済を活性化させましょう、なんていうのは、庶民の金銭感覚がわからない経済学者が賢しらに言うことであって、大抵の場合において、無駄遣いとは悪徳なのだ。

 女性がカバンの中をまさぐり、地図を取り出す。衣類に紛れて、携帯ゲーム機が数種類、詰まっているのが見えた。あとは、ゲームセンターの格ゲー筐体についてるようなレバーとボタンのボードだ。あいりはアーケードスティックというものを知らない人種だった。


「とりあえず、案内するわ」

「ご迷惑おかけします」

「いいのよ、今更感あるし」


 迷惑なんて1かけられても10かけられても同じだ。さすがに100かけられたら違ってくる、が。


「お姉さん、ゲームやるのね」


 荷物の中身を話題のタネに、あいりは話を切り替える。


「まぁ一番まともにできるのがゲームだからねー。そうだ、ナローファンタジー・オンラインって知ってる?」


 あいりは、ぴくりと足を止めた。


「知ってる……。っていうか、あたしプレイヤーよ」

「お、運命的」

「お姉さんもそうなの?」

「私はバーチャル酔いが激しくって無理だったなー。やりたいんだけどね」


 そうか、バーチャル酔いなんていうものもあるのか。あいりは割とすんなり違和感なく仮想世界に感覚を同調させられたので、そのあたりの苦労はわからない。キルシュヴァッサーも最初は少し大変な思いをしたと言っていた、ような気もする。


「やっぱり楽しい?」

「んー、まぁ、楽しいっちゃ楽しい、かな……」

「良かった。ゲームはやっぱり楽しくなくっちゃねー」


 子供のような笑顔を浮かべる女性を見ると、この人は本気でゲームが好きなんだろうなと思う。当初は現実世界からの逃避先としてナロファンを選んだあいりは、ほんのちょっぴり心が痛んだ。


「あ、ほら。着いたわよ」


 繁華街を抜ければ、600メートルなど大した距離ではない。地図に掲載されているビジネスホテルの場所までたどり着くと、女性は丁寧に頭を下げた。


「ありがとう」

「チェックインとかはひとりでできる?」

「受付の人に全部任せるから大丈夫」

「そう」


 話して30分も経たないうちに感じ取れるダメ人間オーラだ。あいりは、受付の人に同情した。

 女性が手を振りながらホテルに入っていくのを見送り、あいりは繁華街を引き返す。家に帰るにはここからバスに乗らなければならないのだ。一軒家を買うために父が選んだのは、そうとう不便な立地であった。


 引き返しながら、あいりは先ほどの女性の言葉を思い出す。


 ゲームは楽しくなくっちゃ、か。


 確かに、そうだ。今の自分は、果たしてどれほど純粋にゲームを楽しむことが、できるのだろうか。心に引っ掛かった重荷を煩わしく感じながら、あいりは延々と考え続けた。

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