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(6)

 しばらくすると、桜子は写真立てを持って戻ってきた。彼女はそのままテーブルの上に写真立てを伏せる。話のタネにはするようだが、ここで即座にオープンするというつもりではないらしい。一朗は空になったティーカップをソーサーの上に置いて、桜子の言葉を待った。


「じゃー、お話しますかー」


 桜子はしみじみと言う。


「話すと言っても、桜子さんは皇帝とは戦えなかったんでしょ?」

「戦えなかったんですよ。ただ私は、梅彦が負けたことに対して納得ができなかったんですよね。若かったんですよ」

「まるで今が若くないかのような言い方だけど」

「今も! 非常に! 若いですが!」

「非常には言いすぎかな」


 人類の平均寿命と一般的な常識に照らし合わせて、果たして26歳がどれほど若いのかという指標を議論することに、一朗はなんの興味も持てない。なので何かを言いたげな桜子の視線は、積極的に無視した。


 さて、桜子の話では、扇三兄妹は名古屋の地に足を運び、皇帝YRKの強さを目の当たりにした。だがどうやら、ここで終わりではないらしい。一朗は、微かに彼女の話にあった皇帝の人物像に興味を抱き始めていたので、続けて面白い話が聞けるだろうと期待する。


「えー、おほん」


 桜子は仕切り直しのためか、わざとらしい咳払いをした。その後すぐさま一朗の手元にあるティーカップが空であることに気づいて、ポットを手に取るあたりは、さすがによくできたメイドと言えよう。一朗が軽く頷いたのを確認して、桜子はカップに紅茶を注いだ。

 ローズマリーも先程から黙ったきりで、桜子の話が始まるのを待っている。


「では、お話しましょう。皇帝YRKがどのような人物であったのか。私に、どのような影響を残して行ったのかを」





     ◆       ◆       ◆





 梅彦は敗退した。桜子と桃太郎は仇討ちのために奮闘する。

 二人が星集めに苦心している間にも、次々と皇帝への挑戦者は現れたが、YRKは誰ひとりとして寄せ付けることなく、華麗な勝利を収めていった。梅彦などは、まだ善戦していた方であったと言えよう。そうこうするうちに、ゲームセンター〝アルカディア〟内においては、皇帝の実力を認めようとするムードが生まれ始めていた。


 そのムードの誕生を、桜子が素直に受け入れることができるかといえば、それは難しい。

 もちろん尊敬していた兄の敗北から来る、心理的な要因はあるだろう。だが、桜子には、皇帝が強いと認めるその風潮は、多くのゲーマーが自らのプライドを保護するための退路であるように感じ取れた。YRKこそが最強であるという共通認識を生み出すことで、『あいつには勝てないが、自分もそれに準じる程度には強い』という言い訳を建てようとしているのである。意識的に皇帝の存在を殿堂入りさせることで、彼女を例外の範疇に押し込めようとしていた。


 男らしくない。潔くない。

 皇帝はまたも何度目かの圧勝を披露し、ギャラリーが歓声をあげる。桜子は唇を尖らせ、冷めた視線でその光景を見ていた。皇帝は勝利を重ねるごとに、そのパフォーマンスじみた言動の頻度を減らし、今ではすっかり無言のままマントを翻し、パイプ椅子と挑戦者とのあいだを行き来するのみになっていた。相変わらず口元には、不敵な笑みを浮かべたままだ。


 結局のところ、桜子も皇帝にたどり着くことはできなかった。桃太郎はどうかと言えば、音ゲーにおいて無双を極めた彼もすぐに対戦相手がいなくなり、格ゲーに足を踏み込んだところで8個まで集めた星をすべて奪われるという凄惨な末路を辿り、結局YRKと相まみえることはできなかった。


「おつかれ」


 そう言って桜子に缶ジュースを差し出してくれたのは、スタッフの腕章をつけたタケシマである。かつて梅彦と互角に競い合ったという、名城大電脳研究会のOBだ。先代〝皇帝〟でもあるという。

 桜子も、坊主憎けりゃ袈裟まで憎いというわけではないだろうが、それでも立場的には皇帝寄りであろうタケシマに対する態度はそっけない。自分の中のわだかまりを上手く言葉にすることができずに、結果として、タケシマの言葉を無視する形になった。


「ウメヒコは?」

「出て行きましたよ」


 皇帝への敗北からそうそう、店の外に出た梅彦は、まだ戻ってきていない。二人の兄が破れ、自分も皇帝への挑戦権を失った以上、桜子にはこのゲームセンターにとどまる理由がない。が、梅彦が戻ってこなければ家に帰ることもできないので、しぶしぶベンチの上で膝を抱えている格好だ。

 皇帝は、最後の挑戦者をもあっさりと退けた。この挑戦者を最後に、場に流通する星の数は10を下回り、すべての来場客に挑戦権は消失する。文字通り、皇帝は無敗であり、最強であった。彼女は拡声器を手に、パイプ椅子から重い腰をあげる。


『私が最強のゲーマーであると、改めて確認するだけの結果になったようだな』


 相変わらずの増上慢な物言いに対しても、来場客からは拍手が起こった。


『このゲームセンター〝アルカディア〟だが、我々名城大の電脳研が今日一日借り切っている。置いている筐体のラインナップ自体は決して多くないが、今からオーナーの御厚意で、ノークレジットで遊び放題にさせてくれるらしい。各地域のゲーセン情報の交換や、交流の場として活用してくれたまえ』


 皇帝の意外な言葉に、今度はどよめきが広がる。枯れ枝のような手足をプルプルと震わせた老オーナーは、皇帝の視線を受けどこか満足そうに頷くと、じゃらじゃらとした鍵の束を持って来場客がまとわりつく筐体の方へ歩いていく。皇帝の言葉がどうやら本当らしいと気づくや、店内のどよめきは賞賛の声に変わった。もちろん、ゲーム機に投入するクレジット程度、彼らにとっては大した出費でもあるまいが、いくら遊んでもタダというのはやはり大きい。

 それだけではなかった。奥の事務所らしき扉が開いて、やはり腕章をつけたスタッフがキャスター付きのテーブルを運んでくる。その上には、ペットボトルに紙コップ、スナック菓子や各種オードブルといった軽食が用意されていた。


『こちらは我々の方で用意した。ゲーセン内での飲食マナーについて、諸君らにとやかくいう必要もないと思うので、そのあたりは個々の良識に任せるが。まぁ好きに過ごしてくれ。スタッフと一戦交えたいというならそれも一向に構わない』

「聞いたか、桜さん、食い放題だってよ!」


 格ゲーでボコボコにされたばかりの桃太郎が、すごい笑顔で歩み寄ってきた。タフなハートの持ち主である。


「私、要らない」

「そうか、そうだな。今夜は手羽先食いにいくもんな。タダ飯っつっても所詮はジャンクだしな」


 桃太郎は、なんだかよくわからない納得の仕方をしていた。


「桃くん、おつかれ」

「あ、タケシマさんおつかれ」


 屈託のない態度でタケシマからジュースを受け取り、桃太郎はプルタブを開く。


「悪いねタケシマさん。桜さんが失礼なこと言わなかった? うちの桜さん、兄貴のことが大好きだからさぁ」

「あ〃?」


 今後の人生で二度と出すこともないであろう、ドスの効いた声で、桜子は桃太郎を威嚇する。タケシマは苦笑した。


「いや、特にそういったことはなかった。気にしないでくれ。君も遊んでいってくれていいんだぞ」

「やめとくよ。俺、兄妹の中じゃ一番タチバ弱いからなぁ。桜さんがこれで、兄貴が外出てるんじゃ、俺だけ遊ぶわけにもいかないでしょ」


 桃太郎はジュースを飲み干すと、空になった缶をゴミ箱に放り込んで、桜子の手を引いた。


「ほら、行こうぜ桜さん。出てくんだろ」

「う……うん……」


 こうした心を見透かしたような桃太郎の行動が、桜子は時折苦手である。一番下の妹であるがゆえの、自分のワガママさ加減が、妙に浮き彫りになってくる気がするからだ。心の中では素直に桃太郎へ感謝すると同時に、もっと大人にならなければな、と思わされてしまう。


「じゃあなータケシマさん。俺たち帰るから。皇帝にもよろしくって」

「ああ、俺からも、ウメヒコによろしくと」

「伝えとくー」


 その後、5歳年上の兄に手を引っ張られて、桜子はゲームセンター〝アルカディア〟を後にした。





 梅彦は、商店街内の別のゲームセンターで見つかった。アルカディアに比べればかなり繁盛しているし、店内の雰囲気も明るい。いかにも最近のゲーセンといった風情だ。入口付近に置かれた大量のプライズゲームには若い男女が群がっているし、中にはプリクラの機械もずらっとある。

 梅彦は、やはり格ゲーコーナー、それもスパⅡXの筐体にかじりついて、ただひたすら黙々と、レバーを弾きボタンを叩く作業に没頭していた。一般人離れした立ち回りは、すぐに周囲のゲーマーの目を引いたが、そんな賞賛と憧憬の視線は、今の梅彦にとってなんの慰めにもなっていない。


「梅兄ちゃん……」


 桜子がそう声をかけると、梅彦は機械的に動かしていた手を止めて、こちらに振り向いた。画面の中で、梅彦のキャラクターは即座に形成を逆転され、一気にKOまで持っていかれる。


「終わったのか」

「う、うん……。私も桃兄ちゃんも、勝ち抜けられなくって……」

「そうか……」


 梅彦は、眼鏡のレンズに光を反射させながら、どこか遠くを見つめて言った。


「梅兄ちゃんは……」


 負けて悔しくはないのか、と、桜子は聞きたかった。自分は悔しい。その気持ちを正直にアピールしたかった。

 だが、やめた。背後にいる桃太郎のことを思えば、大人になることを意識せざるを得なかった部分はある。だが同時に、その質問には答えも出切っている。悔しくなければ、こんなところで黙々とゲームを続けていたりはしないだろう。桜子が悔しいと思う、その何倍かは、梅彦も悔しいと思っているはずだった。


「今は立食パーティーやってるよ。無料でゲーム遊び放題の。兄貴、行く?」

「いや、特に興味はない。敗者として、のこのこあの場に顔を出すつもりもない」


 梅彦はばっさり答えたあと、何やら居心地が悪そうにしている桜子に視線をやって、不器用な言葉を口にする。


「俺の負けを桜が恥じる必要はないんだぞ」

「なっ、ちがっ……!」


 桜子は思わず顔をあげ、そして梅彦と目を合わせてから、また視線を逸らした。

 結局、自分は子供でしかないと思い知らされる。梅彦も桃太郎も、今日起きた出来事に自分なりの決着をつけ始めているのに、桜子だけは幼い感情を持て余したままなのだ。なんとかしなければいけないな、と思う。自分の中で原因を探る。

 探る必要もないかもしれないな。と、桜子は思った。結局のところ、何が不満で何が嫌なのか、考えればわかることなのだ。いつもの自分を取り戻すためには、そのあたりにキチンと決着をつける必要はある。となれば、やることは一つだろう。


「とりあえず、兄貴。これからどうする?」

「晩飯にしよう。手羽先を食べる約束だったろう」


 梅彦と桃太郎がそのような会話をしている。今夜は近所のホテルに宿を取ってあるし、もともと一泊二日の名古屋旅行のような感覚であったので、今日に限っては帰りの心配はしなくても良い。気分次第では、明日もたっぷり名古屋観光を、というところではあったが、少なくとも今の桜子としては微妙な心境だ。


 とはいえ、これから夕食であるというのなら、いつまでも今日の出来事をうじうじ引きずるわけにもいかない。桜子はひとまず、梅彦がおすすめするという手羽先屋についていくことにした。

 とても美味しかった。





 宿はビジネスホテルに一室借りただけだ。12歳の女の子を一人抱えての旅行としては、だいぶ配慮が足りないと言わざるを得ないが、大学生である梅彦の経済事情を鑑みればそんなものかもしれない。

 その夜、梅彦はロビーのパソコンで少しインターネットを閲覧し、意味もなくホテル内をぶらぶらしてから、部屋に戻った。今日の敗戦について思いを馳せることはある。正直、あれほどまでに有利なカードで、あれほどまでに一方的な試合をされるとは思わなかった。皇帝の実力が凄まじいと、認めることは簡単だ。だがやはり、それ以上に、梅彦は己の修行不足を痛感する。


 もっと強くならなければならないな。スパⅡXもまだまだやり込める余地があるということか。

 こうなると、多少無理をしてでもセガサターンとバーチャスティックを持ってくるべきであったかもしれない。しかし、家庭用移植版のCPUはアーケード版よりもかなり弱いし、そもそも練習するならばもっと……。


 悶々と考えながら、梅彦が部屋の扉を開けると、桃太郎とばったり出くわした。

 裸である。

 梅彦は弟の痴態を外に晒すまいとすぐさま部屋に入り扉を閉じた。これから風呂にでも入るつもりだったのだろうか、と思っていたところ、真相は本人の口から語られる運びとなった。


「あ、兄貴。桜さん見てない?」

「見てないが……部屋にいたんじゃないのか?」

「いないんだよね。久しぶりに一緒に風呂に入ろうかと思ったんだけど」

「いや、桃……さすがにそれは無いだろう」


 妹が大好きな桃太郎ではあるが、ここまで行くと梅彦もヒく。


 しかし、桜子がいない? これに梅彦は首をかしげた。

 今日、扇三兄妹はゲームセンターで仲良く惨敗を喫した後、仲良く手羽先を食べに行き、仲良くお腹を膨らませてから、仲良くホテルにチェックインした。明日は名古屋観光を決め込むつもりであり、桜子にも桃太郎にも早く寝るよう告げてある。

 所詮はビジネスホテルだ。部屋の中にいないとなると、本当にいないのだろう。となると、桜子は勝手に部屋を抜け出したことになる。まさかホテル内に他に行くあてがあるわけでもないだろうから、勝手にホテルの外へ出たことになる。時計を見れば、もう21時を回っていた。良い時間だ。


 桜子の向かうアテに関して、梅彦はなんとなく心当たりがある。

 自然とため息をついた。昔からあの妹は手のかからない娘だったが、時折突飛な行動をすることがあるな。


「どうしよう、兄貴。桜さんが消えちまった」

「ロビーに連絡してそれっぽい子が出ていってないかを確認しとこう。だいたい行くアテに見当はつくが、見つからなかったら警察だな」

「メイド服の12歳女子小学生が同伴者なしで出ていくのを黙って見てるとか、どんなホテルだって話だけどな……」


 梅彦が部屋の中を見渡すと、ホテルの枕元に一枚の紙切れが置いてあるのを確認した。桜子の筆跡で何か書いてあるのがわかる。これを見落としていたのならば、実は桃太郎もああ見えてなかなか慌てているらしい。


「あ、兄貴! それ桜さんの?」

「ああ、置き手紙らしいが」


 彼女らしい生真面目な文字で、勝手に部屋を抜け出したことに対する謝罪と、行き先について記してある。だいたい梅彦の予想通りであった。桜子の意外な行動力に頭を痛めつつも、それほどまでに慕ってくれた妹の期待に答えられなかったことを、少しだけ不甲斐なく思う。

 内容を確認した桃太郎は、どうも矢も楯もたまらないようで、部屋の扉に手をかける。


「行こうぜ、兄貴! 都会の夜は心配だ!」

「それは構わんが服を着ろ」


 妹を想うあまり軽犯罪に走ろうとする弟を、梅彦はやや強めにたしなめた。





 結局来てしまった。また後で怒られるな、と思う。

 桜子はゲームセンター〝アルカディア〟の看板を見上げた。大須のアーケード商店街は、この時間ともなると多くの店がシャッターを下ろし、人影もまばらになってきてはいるが、このアルカディアだけはまだあいている様子だった。


 この時間、ゲームセンターに一人で足を踏み入れるのは初めてだった。大丈夫だろうか。保護者同伴でないといけないのではなかったか。無理を言っても、梅兄ちゃん達についてきてもらうべきだったか。

 いやいや、それでは意味がない。一人で来ることに意味があるのだ。でも勝手に入るのが法律違反で、タイホされてしまったらどうしよう?


 店の前で悶々と悩み続けている桜子だが、不意に店内から聞こえた賑やかな笑い声に意識を取られた。中からは筐体が可動する音は聞こえない。相変わらず店の軒先には『本日貸切』の貼り紙が貼られたままだが、聞こえてくる音は主に話し声と笑い声のみ。それもごく少数だ。夕方頃に集っていたゲーマー達はもういないのだろうか。


 結果として、その楽しそうな笑い声が、桜子が意を決するきっかけとなった。彼女は拳を握り、そっとガラスの押し扉を開く。薄暗い店内のむこう、テーブルや筐体を囲んで、数人の男女が談笑を交わしていた。

 そこにはタケシマ氏もいたし、受付の際に会った、いけ好かない肥満体の青年もいた。オーナーであるとう枯れ枝の老人も手足をプルプルさせながら座っていたし、最初に皇帝の通訳をしたがゲーマーのあからさまな敵意に飲まれてすっかり喋れなくなった例の女のスタッフもいた。


 もちろん、皇帝YRKもいた。

 黒いマントにグローブ、演劇の舞台に立っているかのような大仰な衣装はそのままだが、マスクが外されている。あまり長くはないが、艶やかな猫っ毛が肩のあたりまで降りていた。こちらには背中を向けており、顔を見ることまではできない。


 どんな顔をしているんだろう、という疑問は、至極当然のものである。

 桜子は、よくよく考えてみれば特に隠れる必要はないものの、それでも盗み見をしているという罪悪感からか、こっそりと正面に回り込もうとした。幸運にも店内に遮蔽物はたくさんある。自慢のメイド服が汚れてしまうのも構わずに、四つん這いになってステルスアクションに励んだ。


「ヨリちゃんがあんな大胆にやるからさー、あたしドキドキしちゃったうよー」


 通訳の女スタッフが、屈託のない笑顔で笑う。


「まぁ本堂なら勝てると思ってたよ。ウメヒコを下せば、あとはあまり心配要らない感じだったしな」


 こちらはタケシマ氏である。ヨリちゃんも本堂も、それが皇帝を示す言葉であることは、桜子にも想像がついた。


「けっこう緊張したよ? でもまぁ、結局は演出勝ちだなぁ。そこはまっちゃんの功績だよね」

「いや、俺は別に……」


 肥満体の青年は仏頂面で視線を逸らしている。


「出たよ、まっちゃんの『別に』が。相変わらず斜に構えてんねぇ」

「本堂先輩が真っすぐすぎなんですよ」


 その中でも、枯れ枝のような老人はプルプル震えながらも、ニコニコした笑顔を浮かべたままだ。

 桜子は、筐体の影に隠れたまま、もうすぐで皇帝の顔を見える角度に到達しようとしている。その時、オーナーの老人は、ニコニコプルプルしたまま、このようなことを言った。


「どうやら鼠が紛れ込んでおるようじゃのう」


 がたたたっ。

 パイプ椅子に座っていた四人が一斉に立ち上がり、同時に桜子の心臓も飛び跳ねた。『このままでは殺される』という、なんの確証もない実感が急に湧き上がり、彼女の身体を付き動かそうとするが、桜子はあっさりと見つかった。


「いましたよ」


 桜子を見つけたのは、肥満体の青年だった。


「さすがまっちゃん。隠れんぼのプロ」

「サバゲーですけど。隠れんぼじゃなくて」

「FPSとかやっても絶対上手いと思うんだけどなぁ」

「そんなこと言ってヨリちゃんゴールデンアイじゃ完封だったじゃん」


 逃げ出そうとする桜子を、タケシマ氏ががっちりと捉える。


「なんだ、ウメのところの桜ちゃんか」


 かくして、桜子には5人の視線が注がれる。そのいずれも、好奇と歓迎に満ちたものではあったのだが、それを認識する余裕が桜子にはなかった。結果、このような言葉が出る。


「くっ、殺せ!」

「殺しはしない。思う存分楽しませてもらう」


 皇帝がドスの効いた皇帝ボイスで不敵に笑った。その時、桜子は初めて正面から皇帝の顔を見る。

 すっきりとした顔立ちの、まぁ美人と言える女性だった。順当すぎで面白みがないといえば、そうだが。仮面で隠すのがもったいないと言えば、それもまぁ、そうだ。タケシマは皇帝の前に桜子をずいと突き出す。


「咄嗟にこんな言葉が出るメイド服の小学生女子、どうよ」

「サイコーですね。タケシマ先輩、その子を私の横に」


 その言葉通り、皇帝の席の隣にパイプ椅子が置かれ、桜子は半ば無理やりそこに座らされた。わけがわからないまま、紙コップを握らされ、オレンジジュースをなみなみと注がれる。状況が飲み込めず、何やら非常に逃げ出したい心地でもあったが、逃げたらそれこそ殺されるような気もしていた。


「ようこそ、何もないところだけどゆっくりして行ってね。えっと、桜ちゃん」

「あ、あの。はぁ……はい」


 にこりと笑う皇帝の姿が、それまでの皇帝のイメージと離れすぎていたために、桜子も混乱する。


「お兄さんの件は、なんかごめんね?」

「いやあの、えっと。勝負は時の運ですし」

「時の運が絡んでも負けない自信はあるけどね」


 ああ、この言葉は間違いなく皇帝のセリフだな。半分は素だった可能性もある。


「格ゲーが強い女の子って、あんまりいないからさぁ。実はちょっと話したかったんだけど、すぐ帰っちゃったから寂しかったよ。なんで戻ってきたの? 忘れ物?」

「それはえっと……その……」

「コンプレックスでしょ」


 背後で、肥満体の青年がぼそっと言った。


「尊敬してるお兄さんが負けて、ボロクソに貶されたから、それがイヤで先輩にひとこと言いに来たとか、そんな感じじゃないんですかね。ちょっとセコいですね。あの場ではっきり言えなかったからいま言いに来るってのもね」

「あー、」


 皇帝は苦笑いを作って頬をかく。女性スタッフとタケシマ氏が、青年の頭をぺちんと叩いた。


「ごめんねー。まっちゃん、こういうトコあるからねー」

「いや、でも、だいたいそんな感じです……」


 結局のところ、そうなのだ。今回の敗北、とりわけ梅彦の惨敗は、桜子にとってそれなりの大事件であった。二人の兄は自分なりの結論を得て決着をつけたようだが、桜子はそうもいかない。負けてはいけない梅彦が負けたことに関して、何か自分の納得できる理由が欲しかった。いや、そこまでの贅沢は言わないから、せめて、皇帝という人物がどのような人間なのか、知っておきたかった。尊敬する梅彦を打ち負かしたという女性の素性について、把握しておきたかった。


「そっかー。ごめんね、なんか酷いこと言ったよね」

「なんであんなことしたんですか? 梅兄ちゃんのことだけじゃなくって……。なんか、みんなに嫌われるようなことばかり言って。だいたい、今回の大会を開いた意味も、よくわかんないです」


 自分の強さを知らしめるため、というのも、なんだかピンとこない。確かに展開はそれなりにドラマチックで、皇帝の振る舞いは印象に残るものではあったが、ただ実力を示すならばもっと別のやり口はあったはずだ。最後に立食パーティーをおっぱじめた理由も、よくわからない。

 皇帝はジュースの入った紙コップを持ったまま、笑顔で『うーん……』と唸る。そのままオーナーの老人に視線をやって、老人がニコニコと頷くと、ようやく語り始めた。


「このゲームセンター、来月で潰れちゃうんだよね」

「そ、そうなんですか……?」


 確かに、寂れているとは思った。どこかタイハイ的なヘイソク感が漂っているし、もっと人気の出そうなゲームセンターが近くにある以上、お客さんはあまり入らないのだろうなとも思う。


「うん、だから、みんなの記憶に残るような……それもできるだけ、国内のいろんな強豪ゲーマーの記憶に残るような、ゲームセンターにしておきたくってね。あとはオーナーの、もう一度でいいから、店内がゲーマーで賑わってる光景を見たいっていうお願いに答えようと思ったら、こうなった」


 皇帝は、ちらりと〝まっちゃん〟を見る。


「演出は全部彼提案ね。こういうのやらせると上手いんだ。人と喋るのは苦手な癖にね」

「余計なお世話ですけど」

「えっと……、必要以上に悪役っぽかったのも?」

「それは私の趣味だけど」


 良い趣味をしているようだ。

 皇帝は、どこか遠い目をしていた。昔を懐かしむような目つきだと、桜子は思う。ひょっとしたら彼女は、このゲームセンターに昔から通っていた常連客なのかもしれない。いったいいつごろからゲームを始めたのかはわからないが、格闘ゲームの隆盛を考えれば、今の桜子と同じくらいの年頃には、既にゲーセンに入り浸っていたとしても、おかしくはない。


「このゲーセンだけじゃないかな。きっと、これからゲームセンターっていうのはどんどん淘汰されて行くと思うんだ。格ゲー人気だって下火だしね。あとは、街のゲーム屋さんとかね。ファミコンハウスとか、最近見なくなったでしょ? ゲームの形だってどんどん変わっていくよ。オンラインでいろんな人と対戦できるようになったり、アメリカでは脳に信号送って直接イメージを再現させるような技術も研究中なんだって。10年後には、ゲーム事情はいまとまるっきり違ってるだろうし、20年後にはもっと違ってる。そうなったときに、あたし達が遊んでいたゲームセンターとか、ファミコンハウスとかっていうのは、生き残っていられない」


 滔々と語る皇帝の言葉を、他の電脳研メンバーも、しみじみと聞いていた。桜子にはどうも実感がわかない。桜子はゲームセンターが好きだ。ゲーセンは、ただゲーム対戦をやるだけの場ではない。ひとつの競技に対して、互いのスキルを競い合う、フェアな戦いのある特殊な空間である。それが代替の効くものであるとは思えないし、そんな〝ゲームセンター〟が消滅するなどと言われても、といった具合だ。


「別に、それが悪いってわけじゃないんだけどね」


 皇帝は、取り繕うように笑った。


「ゲームは新しくなっていくべきだよ。桜ちゃんも新しいゲームは好きでしょ?」

「ポケモンとかメダロットとかは……えっと、まぁ……」

「うんうん。ポケモンもメダロットも、それから格ゲーも、進化はしていくと思うよ。でも、いつかそれは止まっちゃう。技術的な限界のせいかもしれないし、上位互換のゲームジャンルができるからかもしれないし、単純にお客が取り込めなくなるからかもしれないけどね。でも、ゲームは進化していくべきだよ」

「レバーとボタンで戦えなくなる日が来ても?」


 桜子は、梅彦のことを頭に思い浮かべながらたずねた。彼はアーケードゲームが大好きだ。桃太郎が絶賛する『コレクター・ユイ』に対しても、『やはりキャラクターはレバーとボタンで動かすものだ』とつぶやいていた。コレクター・ユイは別にゲームの話でもなんでもないが、いつかあのような感覚ダイブ型のゲームも登場するかもしれない。

 それでも、皇帝は頷いた。


「そんな日が来るかも知れないから、あたしは、このアルカディアを永遠にしたかったの」


 その言葉を聞いて、桜子はようやく確信を持つことができた。

 この人は、本当にゲームが好きなんだと。


「覚えている人が少なくてもいい。ひとつの時代を生き抜いた人たちの、共通の伝説にしたかったんだよ。ゲームの進化の歴史の中では、淘汰されていく伝説かもしれないけど。わかるかな。わからないかな」

「よく、わかんないですけど……」


 桜子は、紙コップの中に視線を落とした。オレンジジュースはまったく減っていない。


「でも、私もゲームは好きです。どんな形になっても、たぶん、ずっと好きです」

「そっか。じゃあ、良かった」


 皇帝がにっこり笑った。


「私たちはいつかロートルになるかもしれないけどね。じゃあ桜ちゃんが、次の世代に持って行ってよ。この伝説を。語り継げとまでは言わないけど、えーっと、なんかこう、魂的なやつをさ」

「………」


 桜子は完全に黙り込んでしまった。容易に頷き兼ねるのは、皇帝の話があまりにも難しすぎたからだ。自分たちの憩いの場であるゲームセンターが消滅するとは思えないし、その魂を次の世代に持ってくなんて、どうも話が高尚すぎる。桜子の困惑が伝わったのか、皇帝は手を横に振った。


「あー、ダメダメ。ごめんね。ちょっと熱くなりすぎたよー」


 話の変わり目に、タケシマが時計を指す。


「本堂、もうすぐ10時だぞ」

「おっと、やばいねー。桜ちゃん、お兄さん達心配してない? 黙ってきたんでしょ?」

「あ、えっと……」


 桜子がどう話したものか、いっそ無理を言ってホテルまで送ってもらうべきだろうか、と思った時である。


「桜さああああああああん!」


 ガラスの扉をブチ破る勢いで、扇桃太郎がその場に姿を見せた。女性スタッフは小さな悲鳴を上げてタケシマの後ろに隠れる。まっちゃんは相変わらずふてぶてしい顔つきで、ちらりと桃太郎を見ただけだった。


「こ、ここが悪の巣窟か! お前たち、桜さんを返せ!」

「残念だったな。彼女はもう我々のものだ」

「落ち着け、桃」

「先輩も乗らないでくださいよ」


 桃太郎の背後から梅彦が現れ、まっちゃんも皇帝に冷たいツッコミを入れる。

 どうやら、心配させてしまったらしい。桃太郎がこのような奇行に走ることは珍しいので、桜子も少しばかり事態の重さを再認識する。

 梅彦は相変わらずの落ち着いた態度で、わずかに頭を下げた。


「タケシマ、それに皇帝もか。妹が迷惑をかけたようで済まない」

「気にしないでー。あたしも楽しい話させてもらったよー」


 手をぱたぱた振る皇帝の姿が、自分を圧倒したベガ使いの姿と重ならないのか、梅彦もその眼鏡の奥に、わずかに困惑を浮かべた。


「えっと、あの、じゃあ兄も来たので……」

「あ、待って」


 桜子が立ち上がろうとすると、皇帝は彼女の腕を掴んで引き止める。桃太郎が過剰反応するが、梅彦のチョップで沈黙した。


「最後に写真撮ろうよ。思い出思い出。ね?」


 桜子がちらりと梅彦を見ると、彼は肩をすくめた。桜子が撮りたいならば、といったところか。

 この時点で、当初桜子の中に芽生えていた皇帝への敵意は、すっかり消え失せていた。シンパシーを感じるとまで言うつもりはない。正直、皇帝の言葉はどこか現実的でないように思えた。だがそれでも、彼女の言葉は、すべて桜子の心に突き刺さっている。

 写真という形でそれを残しておくのも、悪いことではない。


「よろしくお願いします」

「うん、じゃあ撮ろう撮ろう。えっと、これ、どうやって使うんだっけ」


 それは簡単なインスタントカメラであったはずだが、皇帝は関係なさそうなボタンをいじくりまわして悪戦苦闘している。見るに見かねたまっちゃんが、彼女からカメラをひったくった。


「先輩、ゲーム以外は本当に何もできないんですね……」

「面目ない」

「ヨリちゃん、女の子なんだから料理くらいできるようになんなよー」

「女の子だからって料理ができなくても良いと思うんだけどなぁ……」

「それはないです。女の子なら料理くらいできてください」


 桜子がぴしゃりと言ったので、皇帝は数秒間真顔を作った後、うなだれるように『はい』と答えた。





     ◆       ◆       ◆





「で、これがその時の写真です」


 写真立てを表にして、桜子が言った。そこには『皇帝YRKと ゲームセンター〝アルカディア〟にて』と書かれ、14年前の日付がクッキリと刻印されている。確かに、今の桜子の面影が垣間見えるメイド服の少女と、桃太郎、梅彦と思しき青年。そして黒衣をまとった一人の女性が写っている。

 この女性が〝皇帝〟か。一朗は、目を細めた。ローズマリーがアラームを鳴らす。


『イチローが興味を示していると認識ます。脅威率は70%』

「あ、ダメですよ。今は皇帝、人妻ですからね」


 よくわからない釘の刺し方をする桜子に、一朗はたずね返す。


「そうなの?」


 いや、しかし考えてみれば当然か。当時が20歳だとして、今は34歳。結婚して子供を設けていても不自然ではない年齢だ。


「風の噂ですけどねー……。だからゲーマーも引退しちゃって、梅彦はリベンジも叶わず、と……」

「当人からすればモヤッとする話だろうね」

「まぁ、そうですねぇ……」


 桜子はそう言って、写真立ての中身をじっと見つめる。


 桜子づてに聞かされた皇帝の言葉は、一朗にとってもそれなりに考えさせられるものがあった。とりわけ、今や彼はゲーム開発に携わる人間である。今は過ぎ去った時代であると言っても、かつてそのフィールドにおいて無敵を誇った人物は、ゲームの進化の必要性を語り、同時に、進化に取り残されて消滅していくモノたちの心を代弁した。

 ゲームセンターは今もなお生き残っている。アーケードゲームは様々な形態で売り出され、市場は縮小しつつあるものの、完全に閉塞する流れにはなっていない。そう、ゲームセンターは生き残っているのだ。だがそれが、皇帝や梅彦、あるいは当時の桜子が望んでいた形であったかどうかは、わからない。


「新規参入客はいるんですよ」


 そこを指摘すると、桜子はぽつりと呟いた。


「格ゲーに関してもそうですね。結局2D格ゲーの開発はほとんど止まっちゃいましたけど、ガンダムの対戦ゲームとか流行ってますし。ただ、新規参入客は、古株のゲーマーが作り上げた不文律っていうの、知らないじゃないですか。軋轢が出るんですよねぇ。もちろん、マナーが悪い人はいるんですけど、古株は古株で勝手なルールを押し付けようとするし……」

「だから桜子さん、ゲームセンター行かなくなったの?」

「そーゆーわけじゃないんですけど……」


 桜子が口ごもるのを見て、当たらずとも遠からずか、と思う。この14年がゲームセンターにもたらした変化は、彼女の望むような変化ではなかった。一朗は、目をつむり少し考えていたが、やがて思い立ったかのようにこう言った。


「桜子さん、今日は家事、適当でいいよ」

「へっ?」

「駅前のゲームセンターに行こう。もちろん、ローズマリーも連れてだ」

『魅力的な提案です』

「話を聞いていると、僕もアーケードゲームをやりたくなってきたよ。今度は僕が、世田谷区の怪物になろうか」


 冗談めかしてそう言うと、桜子は引きつった笑顔を浮かべる。

 変化はあったが、ゲームセンターがその形態を残している以上、皇帝や梅彦が残したかったものは、必ずどこかに残っているはずである。それを探すのは決して無理なことではないだろうし、一朗自身、興味はある。

 ゲームは進化していくし、それに淘汰されて消えていくものは当然あるが、少なくとも今目の前にいる寝不足のメイドは、14年前から変わらずに『ゲームが好き』だ。皇帝が残したかったもののひとつは、目の前で遠慮がちに『じゃあ、行きますかぁ』とつぶやいている。


 午前11時。1999年の怪物が残した爪痕を探すために、彼らはゲームセンターへと出かけるのだった。

クリスマス短編を挟んだ後、次章『アイリス/邪悪なる意思』編を掲載予定。

掲載時期は未定。

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