10 YEARS AFTER
https://ncode.syosetu.com/n7883dk/(桜子さん29歳の誕生日/2016年)
https://ncode.syosetu.com/n0566ed/(桜子さん30歳の誕生日/2017年)
一応、この話の前にこんなのがあります
「ふーんふーんふんふーんふふーふーんふーふーん♪ ――これでよし、っと」
好きなアニメの主題歌を鼻歌で奏でながら、家事のノルマをすべて終える。
桜子は大きく伸びをしてから、掃除機を片付け、そしてリビングに戻ってきた。家主は不在。広々とした空間に、今は自分ひとりだけのリビング。浮世離れしたオシャレさが満ち満ちた中、ほんのちょっとの生活感が滲み出る石蕗家の居間は、見慣れてからもだいぶ久しい。
卓上カレンダーには、今日の日付が赤丸で囲われている。
『囲っとかないと忘れるでしょ。桜子さんは』
まぁ、僕は忘れないから必要ないんだけど。この赤丸をつけた男は、そんな言葉を言外にちらつかせていた。
失礼なことを、と思いつつも、まぁ、否定はしきれないというか。正確にはもうだいぶめでたい日ではなくなってきたので、毎年毎年律義に祝いたくねぇというのが桜子の本音である。そろそろ、胸を張って幾つの誕生日ですと言うにも憚られる歳だ。
これは停滞の証か? 結局、人間としてなんの成長もしないまま歳だけ重ねてきたから、そこと実年齢のギャップに嫌気がさすだけか?
確かに、全部が全部そうとは言わないけど、ほとんど変わり映えのしない日々を送っている。
変わる必要があまりなかったからとも言える。それ自体は、ありがたい話だが。
「――というか」
桜子は卓上カレンダーを手に取って、今年の数字を指でなぞった。
「あの夏からもう10年かー。早いもんだなー……」
「あの夏からもう10年か」
オフィスビルのだだっ広い会議室の中で、一朗はぽつりと呟く。
「なんだよ。早いもんだ、ってか?」
「ナンセンス。過ぎ去った時間に主観的な感情を抱くのは僕の主義じゃない。過ぎ去った時間は時間で、それは早くも遅くもない」
「でも、『もう10年か』って言っちまった時点で、その時間の価値ってやつは認めちまってんじゃねーの?」
「なるほど」
大きなテーブルを挟んで向こう。座っている青年が正面から投げ返してきた言葉を、一朗はしばし吟味する。
「確かに、君の言う通りかもしれないね。『もう』と言ったということは、やはり過ぎた時間が早いと認めているのかな」
「そういうことだろ。普通の人間とは違うんですアピールはほどほどにしときな?」
「おっと、それこそナンセンスだ。キング、僕はね、ここ数年で、意外と自分は普通の人間とあまり変わらないんじゃないかと思うようになってきたんだよ。でもこれは僕自身の変化や成長と言っていいものだ。僕の進化は光よりも早いが、その進化は未だに止まらず前に進み続けている」
「……やっと中二病が終わっただけじゃねーかなぁ」
「これを中二病と言うなら、僕のそれはまだ終わっていないと思うんだけど」
「そりゃそうか」
青年の名は、桐生世良。“K.K.”のプレイヤーネームで世界に名を轟かせる、今は一流のプロゲーマーであり、ストリーマーだ。主戦場はFPSから格ゲー、MOVAと多岐に渡る。
所属はプロゲーマー集団である“BeatSlicer”。設立したのは一朗とも因縁浅からぬ(と、向こうが勝手に思っている)数年前に出所したばかりの男で、マツナガもそこに一枚噛んでいると聞いた。加えて、世良の場合はほかにも多くのスポンサー企業が付いている。
世良が今回、こうして一朗のもとを訪れたのは、彼との「約束」を果たすためだ。
「じゃあ、改めてレギュレーションを確認しようか」
「いいけど、する必要あるか?」
「ないね。じゃあやめようか」
そう言って、一朗も机の上に紙を放る。
そこに書かれていたのは、「約束」が実行される日付。
具体的には、桐生世良と、石蕗一朗のリベンジマッチが執り行われる日付だ。舞台はナローファンタジー・オンライン。武闘都市デルヴェ。
本来なら、決して起こり得ない一戦である。
何故なら、ツワブキ・イチローのアカウントはもう存在しない。彼はあの夏の終わり、自らの身を運営側に置くにあたり、ゲームを引退した。
何事に対しても全力で取り組むという一朗のスタンスでは、運営側に回った以上、ゲームを完全に楽しむことはできない。それゆえの判断だ。
だが、世良およびBeatSlicerの熱烈なラブコールによって、とうとうこの対決は実現が決まった。
条件はたったひとつ。「互いに全力を尽くすこと」。この条件が、一朗の首を縦に振らせたと言っても良い。
桐生世良とBeatSlicerは、一朗が全力で戦うことを認めている。この場合の全力というのはつまり、ナローファンタジー・オンライン運営統括責任者として発揮できる力も含む。これは、ステータスに無敵を付与するだとか、そんな生易しいレベルの話ではない。その気になれば、一朗は一瞬で、キングキリヒトのアカウントをゲーム上から抹消できるのだ。
「そんなことをして勝って意味があるのか」という問いかけは、それこそナンセンスだ。一朗に言わせれば「そんなことをせずに戦う」ということに意味がない。一朗は現役時代から、「リアルマネーもゲーマーのスキルも同一線上のもの」と言ってはばからなかった。そこに境界が存在しない以上、運営としての権限もまた然りなのだ。
それを駆使してなお、世良は一朗に勝つと言った。
「今週のジャンプでも言ってたよ。伝説がいつまでものさばってたら時代が前に進まねえって」
「僕はまだ伝説になるつもりはないんだけど」
「望む望まないにかかわらず、あんたはもう伝説だよ。重荷に感じてるとは微塵も思わねーけど、でも、そいつもそろそろオレの勲章にする」
あの日、まだ幼かったゲーマーは、目の前で静かに闘志を燃やす青年へと成長した。
「なるほど」
一朗は口元を緩める。
「確かに――」
と、言いかけて、緩んだ口元をつぐんだ。ここで10年という時間の重みを語るのは、世良が勝てる可能性を認めるようでいささか癪だ。
10年という歳月は、あの落ち着いた少年を立派な大人にしたが、当時から子供っぽさのある負けず嫌いを大人にするのには、少しばかり短すぎたのかもしれない。
「そういや母さんが気にしてたけど」
世良を見送るさなか、彼がふと口を開く。
「あんたんとこのメイドさんは元気?」
「うん? ああ、毎日元気にスト6をしているよ。お気に入りのキャラがいないことを残念がっているけど」
「母さんがフレンド対戦したいってさ」
「伝えておこう。直接メールしてくれても良かったのにね」
長いエレベーターの降下中、わずかな沈黙。だがその後、世良はさらに続けた。
「他の人は? ナロファンのときの」
「ん」
何人かの姿と名前が、すぐさま一朗の脳裏に浮かぶ。
「赤き斜陽の騎士団は、まだ元気に攻略の最前線にいる。全盛期に比べれば人数は減ったかな。ただ、高難易度コンテンツの攻略は相変わらず一番早いね」
「へぇ」
「キリヒツも10年前とあんまり変わってないね。DFOのVRMMOが出るらしいから、そっちが出たらそっちに集中すると思うけど。マツナガに関しては君の方が詳しいんじゃないかな」
当時の知り合いの中で、もっとも大躍進を遂げたひとりはマツナガだろう。
活動の主な舞台を動画サイトに移し、様々なゲームの攻略・検証を行う動画投稿者として一線で戦っている。運営していたまとめサイトも、時勢に合わせて育てた自前の掲示板から記事をまとめるようにやり方を変え、生き残った。リアルでは年齢を考慮し、20キロのダイエットに成功したとも聞いている。
「鍛造組は活動自体はやや下火だけど、今はエドがギルドを取り仕切ってる。エドにはしばらく前に上京してもらったんだよね。TOCSの下請けができる優秀なエンジニアが欲しくて」
「ああ。ゲーム内ではよく会うよ。しょっちゅうあんたについての愚痴を聞いてる」
「苫小牧はニュースで名前を見かけることが増えたね。あめしょーに関しては、僕の口からは言えないかな。でも、元気にやってる」
あめしょーは、2022年の4月を以って、“あめしょー”としての活動をすべて停止し、ネット上から姿を消している。
本来なら、大学への入学を契機に辞めるつもりだったのが、ちょうど世にVtuberが出始めた時期と重なり、もともと似たような活動をしていたあめしょーを「もう少し続けてほしい」とマツナガが引き留めたために4年ほど長引いた。そして、大学の卒業と同時にスパッと引退した。
一朗は、あめしょーの在学中に資産運用の相談に乗っていたので、このあたりの事情には詳しい。彼女が今、家賃収入でかつての彼女からは想像できないほどダラダラした生活を送っているのも、あと数年はこの生活を続けるつもりなのも知っている。が、誰かに言うようなことではない。
「芙蓉さんは相変わらず社長業をバリバリ続けてる。もともと道楽で始めさせたつもりだったと、彼女の父親は嘆いていたよ。多分グループを継ぐ気じゃないんじゃないかな」
「アイリスさんは?」
「彼女が一番謎だ。でも、調子のいいときは連絡をしてくるから、今は上手く行っていないのかもね」
連絡してくるほど調子の良い時は、逆に凋落の一歩手前みたいなこともでもあるので、こればっかりは良いことなのか悪いことなのかわからない。しばらく前に、あいりの幼馴染の子がVRゲーム会社を設立し一躍著名人となったのが、かなり尾を引いていると思われる。世に問うにはあまりにも前衛的すぎるVR乙女ゲームは、カルト的人気作となった。
「まぁ、壁を乗り越えるにはもう少し、といったところかな。君が僕と勝負すると知ったら、また焦りそうだね」
「そんなもんか?」
「アイリスも自覚していないだろうけど、僕に張り合うという点において、彼女は君のことを同類だと思っているだろうから」
「ふぅん……。まぁ、オレもそうなのかな。だから聞いたのかも」
ちん、という音がして1階へと到着する。扉が開き、ホールでエレベーターを待っていた社員が、一朗の姿を見てはっと頭を下げた。
受付前で、世良は一度だけ一朗に振り返り「じゃ」とだけ言って手を振った。
「ああ。ではまた今度」
一朗も、それに対して手を振って彼を見送る。
ナロファンで関わった人々の顔をいっせいに思い出したためか、ずいぶんと懐かしい気持ちになる数分間だった。10年前のあの夏、あの熱気はもう二度と戻ってくるわけではないが、それでも、いま一度あの熱砂の大地へと踏み入れ、キングキリヒトと戦えるというのは、それだけで浮足立つ。
ああ、実に楽しみだ。
一朗は再び、自分の頬が緩んでいるのに気づいた。
世の中には、こんなに楽しいことがまだまだ残っていたなんて。10年前の自分に言ったとしても、とても信じてはもらえなかっただろう。あの頃の自分は、まだまだ見識の狭い小僧だったわけだ。(脳内でアイリスが『今でも本質はクソガキでしょ』と言ってきたが無視した)
「さて……もう2時過ぎか」
これ以上遅くなるのは少しまずい。一朗はそのまま駐車場へと歩いて向かい、その途中、電話をかけた。
「もしもし、桜子さん?」
『あ、一朗さま。キングとのお話終わりました?』
「うん。あ、そうだ。カイザーが桜子さんとフレンド対戦したいって言ってるらしいよ」
『ええ……。多分あの人マスターランクですよねぇ……。私プラチナなんで嫌です……』
そうぼやく桜子の声と共に、電話口の向こうからはアケコンのガチャガチャという操作音と、ゲームの音声が響いてくる。
『あっ、だめっ……! あっ……あーっ!!』
どうやら負けたようだ。
「僕もこのあいだマスターに行ったよ」
『そうです。だから一朗さまとは絶対にスト6しません』
桜子の、唇を尖らせる様が目に浮かぶ。
「桜子さんは変わらないね」
『それは一朗さまもですよ。あ、でもどうなのかな。毎日顔を合わせてると気づかないだけで、意外と変わってるところとかあるのかな。久しぶりに会う人からすると、結構変わったなって思うかも?』
「それはそうだよ。僕は日々常に進化し続けてるから」
『成長じゃなくて進化って言葉を選ぶのが一朗さまって感じですよねー』
軽口と共に響く、軽快な打鍵音。
『ったぁ! 取り返したぁ! ……あ、それで一朗さま、ご用件ですか? 何か家でしといた方が良いことあります?』
「ううん、ないよ。活き活きとしているようで結構」
駐車場に到着した一朗は、リモコンキーでボルボV60の鍵を開ける。
「それじゃあ桜子さん」
『はいはい』
「僕は幼稚園で花さん迎えに行ってから、帰るから」
『はーい、待ってまーす』