アシタハアタシノカゼガフク
「それでは、一朗さま。夜には戻りますので」
「うん」
扇桜子の私服というものは、年に何回かというわずかな確率で目撃することができる。いや、あのメイド服もお仕着せでない以上は、彼女の私服のようなものなのだが、そこについての明確な線引きは存在するらしいので、深く言及したことはない。
一朗が桜子を雇うにあたって、労働基準法を無視したことは一度としてない。法に定められた休日はしっかりと彼女に与えているが、彼女は給料の発生しない日であっても洗濯や料理はするし、そのついでで一朗の分も一緒にやっているという、それだけのことだ。いつものノリで掃除もするが、そのへんは普段よりちょっとだけ怠けている。例え休日であってもメイドごっこを楽しむのが桜子であるのだが、場合によっては、メイドごっこよりも優先するものがある。
今日この日、桜子はアイリスブランドのオフ会に出かけることとなった。会場は、東京地方裁判所である。
ポニー・エンタテイメント社前CEO音桐慎也の初公判に合わせて、アイリスが企画したのがこのオフ会だ。仲間の処遇に関して、お上の沙汰がどのように下るのか。ギルドメンバーとしてきっちり見届けようというのがその趣旨であったが、音桐の性格をよく知る一朗としては、舞い上がった彼がテンションの昂ぶりのあまり退廷を命じられたりしないか、少しだけ懸念してしまう。
「まぁ、音桐さんと話をする機会はないと思うけど、よろしくって伝えておいて」
「音桐さんは一朗さまのこと凄い嫌ってそうですけど、どうよろしく伝えればいいんでしょうか……」
一朗は肩をすくめた。
「音桐さんもあの性格だから、どんな判決が降りても、あまりしんみりしない方がいいよ。獄中でも学習器具の一環だと言ってミライヴギアを取り寄せるくらいのことは平気ですると思う」
「いいんですか? それ、アカウント作れるんですか!?」
「ポニー社としては、ミライ・ネットワークが新たな犯罪の温床となる可能性があるので、身元が明確に実刑囚と確認出来る場合は、アカウントの作成を認可しない」
「ダメじゃないですか」
「うん、ダメだよ」
音桐慎也は、かつて石蕗一朗を陥れようとし、ローズマリーを解体しようとした、いわば憎むべき敵であったが、その点においての落とし前はきっちりとつけているので、一朗個人としてはもう彼に恨みはない。強いて言うならば、社会的な責任をきちんと全うするべきという一点に尽きるが、その社会的責任は司法が判断することであって、一朗が決めることではないのだ。
まぁ、彼のしてきたことを考えれば、当然の判決が下るだろう。音桐は各方面に根回しを済ませているだろうが、これだけ確たる証拠が揃う中で無罪放免というのは難しい。加えて、先日のアカウント停止につながったRMTと、個人情報の不正利用は良くなかった。音桐に重罪を課したいと考える一部の検察が異例のスピードで立件を行い、罪状が追加されている。
桜子はそのあたりの割り切りがはっきりしているからいいとして、アイリスあたりはどう折り合いをつけるのだろうな、と思わないことも、ない。彼女は彼女で、一朗同様、『自分は憂さを晴らしたからもういい』と思うタイプだが、それゆえに音桐の今後の処遇は気になるところだろう。
ま、それはアイリスの、杜若あいり本人の問題であって、一朗が気にかけたところで進展があるようなことではない。これ以上はナンセンスだ。強いて言えば、一朗自身は、あいりが強くあることを望んでいる。
『ところで、』
と、話題を切り替えたのはローズマリーである。
『イチローは、その後、桐生世理子とコンタクトを?』
「ああ、うん」
その話は、桜子も興味を持っていたように頷いてきたので、一朗は素直に答えてやることにした。
「世理子さんには、そのままクラシックギアのプロトタイプとプレイルームをあげる予定だったので、正式な譲渡手続きをしたよ。テストプレイはもう終わりだから、そのあとどうするかは彼女次第かな」
しばらくすれば、クラシックギアは正式なポニー・エンタテイメント社のプロダクトとして発表がなされる予定だが、現状のミライヴギア・コクーンの普及率を見るに、さほど売れるものではないだろうなと一朗は思っている。CEOという立場と、ポケットマネーを投じて作らせた半ば趣味の産物であるので、それはそれで一向に構わないのだが。
一部の開発者は、クラシックギアを利用したまったく別種のゲーム開発に意欲を燃やしていたので、そのあたりは好きにさせる予定である。
『しかし、その後ナロファンで皇帝を見たという話はありません』
「どうなんでしょう。やっぱり家で料理の勉強してるんですかねぇ……」
「この間直接会った時は非常に元気そうな顔をして、お弁当も持参していたよ」
「へー、食べたんですか?」
「勧められたからね。味についてのコメントは控えておこう。僕は世理子さんのスタート地点がわからないから、どれほど成長したのかはちょっとわからない」
ただ、桜子の手料理を食べ慣れた一朗にとっては、なかなかエキセントリックな体験であったことだけは、記しておかなければならないだろう。彼は、なんだかんだ言って吉野家の牛丼やチキンラーメンなども楽しんで食べた身だが、桐生世理子の手料理だけは、まったく未知の領域であった。
彼が自分の想像を超えうるものを愛するというのはまさしくそのとおりである。ただ、ああしたものはその範疇にカテゴライズするべきであるのか否か。石蕗一朗をしても容易に決めあぐねるものがあった。
「あ、でも名古屋に行ったってことは、キングにも?」
「会ってない」
「なんでですか!」
一朗があっさりと答えると、桜子は何故か不満をあらわにする。
「なんでかと言われると困るけど、おそらくキングが僕に直接会いたかったかというとそうではないと思うし、僕は桐生世良に用事があって赴いたわけではないからだけど」
「でもでも、そこは永遠のライバルとして初顔合わせしません?」
「はっはっは、ナンセンス」
ここは笑っておく。一朗は、自分がセンチメンタルとは無縁であるとまで言わないが、必要以上の湿っぽさは無駄であると考える口であった。
「でも、キングが世理子さんを倒したって聞いたときは少し驚いたかな」
「その話はもう聞きましたよ?」
「だから、キングに祝福の言葉を贈りたいという気持ちも、なくはない」
「その話も聞きました」
桜子は『だったら直接会えばよかったのに……』と漏らし、それからしばらく後、はっとしたように顔をあげた。そこで桜子の作った、少し底意地の悪い表情に、一朗は首をかしげる。
「ひょっとして一朗さま」
「なんだろう」
「決着の場にいられなかったこと、そうとう悔しがってますね?」
是とも否とも答えない。結局のところ、一朗は肩をすくめてこのように応じるしかなかった。
「ナンセンス」
「あたし、裁判って初めてだわ」
軽自動車の助手席に腰掛けながら、あいりは緊張した面持ちで呟いた。
「まぁ、そうした経験が豊富とおっしゃられても、困ってしまいますけれど……」
芙蓉は苦笑している。
彼女たちは現在、アイリスブランドのオフ会と称し、東京地方裁判所に向かっていた。ロマンチックもへったくれもない。罪を犯した仲間の一人に、司法がどのような裁定を下すのか、しっかり見届けてやろうという話だ。あいりは、この公判を傍聴するにあたって、知り合いの弁護士……というほどでもないが、名刺をもらった性格の悪い弁護士と連絡をとってみたのだが、彼の話ではやはり、無罪を勝ち取るのは難しいということであった。
ま、音桐本人も、別に無罪になろうと思っていたわけでも、ないのだろう。彼にはカネもコネも残っているのだから、とりあえず形の上ではしっかり罪を償って、綺麗な身体になってからまた好き放題やるのだろうと思われる。
「と言っても、最低でも懲役2、3年はくらいそうなんでしょ?」
書類の束をめくりながら、あいりがぼやく。
「その頃までナロファンってサービス続いてるのかしら……」
「でもあいりさん、100年遊べるオンラインゲームという触れ込みではなかったかしら」
「100年もあのゲームバランスがもつとは思えないわあたし」
結局、そのあたりの沙汰は御曹司が決定することになるのだろうか。彼はナロファンの世界を好いているようだが、個人的な好き嫌いと美学は切り離して考えるタチであることを、あいりもよく知っている。加えて彼は経営者だ。もし、これ以上ナロファンの世界を存続させる価値がないと判断すれば、そうそうにサービスを打ち切ることだって、ありえない話ではない。
音桐がシャバに出たとき、彼の居場所がどれだけ残っているのだろうかと思うと、ほんの少しだけ切ない気分になる。ぶっちゃけてしまえば彼のやっていることは犯罪で、自業自得以外のナニモノでもないのだが、少なくともアイリスにとっては、良い友人であった、時期が、あった。
「一朗さんは、今後もVR世界のオンラインサービスを拡張していくとおっしゃってましたわ」
「ナロファン以外にもゲーム作るの?」
「ナローからワイドへ、みたいなことは、あざみさんとシスルも掲げていらっしゃいましたし……」
「ふーん……」
ポニー社も四月から社名を変えるのであったか。まぁ、ナロファンが今後どうなるのかはわからないが、せめて一箇所くらいは居場所を作っておいてやらねば、音桐が可哀想だ。あのおっさん、50歳近いくせに未だ独身らしいし。秘書山嬢とはどういう関係なのかしら。謎だわ、とあいりは詮無いことを考える。
「アイリスブランドはちゃんと残しておかないとねー」
「当然ですわ。わたくし達、お友達ですもの。でもね、あいりさん」
「なに?」
「四月から三年生でしょう。そろそろ進路のこと、考えたほうがよろしいのではなくって? 専門課程に進むのか、大学進学するのか。まさか、このまま就職先を探すなんてことはおっしゃいませんわよね?」
「う、うん……」
コネでMiZUNOに就職させてくれるほど、芙蓉めぐみはチョロくないのだ。
あいりは若人特有の悩みに少しだけ胃を痛くしながらも、東京地裁までのささやかなドライブを楽しんだ。
「あっ、やっほー。とまこまーい」
名古屋セントレア空港のロビーで、雨宮翔子が思い切り手を振る。痩せぎすで背の高いコートの男は、キャリーバックを引きながら片手を上げてそれに応じた。骨と皮だけでできたような病的な顔立ちに、柔和な笑みを浮かべている。
苫小牧伝助は、相変わらずホラーマンか東国原英夫のような立ち姿で周囲の視線を集めたが、それでも知る人が見れば少しばかり肉付きがよくなったように感じるだろう。米国の食生活にも慣れたらしい。最近、苫小牧はオハギ・スシにハマっているのだと、翔子は聞かされていた。その面妖なる食品の詳細について尋ねたことは、今のところない。
「顔合わせるの、8月以来だねー」
「そうですね。あめしょーは少し、背が高くなりましたか?」
「んーん、これ、あつぞこー」
片足をあげて、翔子は笑顔で言う。
さて、この日、一部のナロファンプレイヤーは、この中部地方に集結しつつあった。彼らの手元には、招待状がある。差出人の名は、〝皇帝〟ワイアール・カイザー。ゲーム内におけるメッセージのやり取りを経て、多くのプレイヤーに送られたものだ。
あいにく、アイリスブランドのメンバーは、オトギリの裁判を傍聴しに行ったため不参加となったのだが、件の事件に参加した大半のプレイヤーは、愛知県名古屋市にあるというゲームセンター〝アルカディア・リヴァイヴ〟を目指したのである。
「おぉーい、苫小牧さーん、あめしょー」
その折、二人を呼ぶ声が聞こえたので、彼らは同時に振り返った。
様々な人が行き交う空港のロビーである。こちらを呼んできたのが誰なのか、いささかばかり迷ったが、何やら黒い服に身を包んだ地味な男が、手を振りながらこちらに歩いてくるのがわかって、声の主が彼だと確信付られた。
「誰?」
「またか」
男はそう言って、カバンの中から一冊の文庫本を取り出す。各所が擦り切れるほどに愛読されたそれは、今となってはプレミアものであろう〝ドラゴンファンタジー・オンライン〟の初版本であった。加えて、大量に印刷された書類の束は、〝ドラゴンファンタジー・オンライン外伝 ~疾黒のカイザー~〟全編(未完)であるという。
「あ、やっぱりキリリーだったんだ」
「わかってて言ったんだろ?」
キリヒト(リーダー)は、今回も九州に集うザ・キリヒツの代表として、カイザーの招きに応じた。
「結局アイナは来ないの?」
「来たがってたんだが、仕事の都合でどうしてもこれなくなったそうだ。俺もほっとしているのかがっかりしているのか、自分でもよくわからない」
キリヒト(リーダー)の表情は神妙だ。
「まぁリアルの都合はねー。騎士団のメンバーも欠席多いってー。ストロガノフくらいだよ」
「むしろストロガノフさんは来たのか」
「カイザーにロシア式おふくろの味を伝授するって燃えてたよ」
山梨在住のストロガノフは、既に車で現地入りしているとのことである。ユーリやエドワードも同様で、雨宮翔子だけは空港で苫小牧とキリヒト(リーダー)を迎え受けるために、わざわざセントレアに寄り道をしている。
「ユーリは東京から車で。静岡でエドを拾ってくるって言ってたかなー」
「結局来れるようになったんだな。彼氏とヨリを戻してそれどころじゃないと聞いたが」
「追撃を振り切ったらしいのだよ。ユーリはダメ男に捕まる典型的なタイプだからちょっと心配だね」
「ところで、オフ会にキングキリヒトは来るのでしょうか」
苫小牧が柔和な顔で尋ね、キリヒト(リーダー)も『俺も気になってた』と頷いた。
「うーん」
翔子は顎に手をやって小首をかしげる。あざとく演技じみた仕草だが、腹が立つほど可愛らしい。
「どうなんだろうね。皇帝とフレメのやり取りしたんだけどさ、」
「あ、フレンド登録したんだ……」
「がんばって連れ出してくるって言ってたよ。でも、子連れでオフ会とか、ぼくは業が深いと思うにゃあ」
「まぁ、あの人業が深いから」
キリヒト(リーダー)が取り出した、分厚い紙の束を改めて眺めて、翔子は「そだね」とだけ言った。
ゲームセンター〝アルカディア〟は復活した。相変わらず薄暗い店内に、やたらとレトロな筐体を多数揃え、その中に何故か置いてあるミライヴギア・コクーンとクラシックギアの存在だけが妙に浮き立つ。枯れ枝のような老人オーナーは、ぷるぷるとした笑顔を浮かべ、彼の城の再誕を喜んでいる。
桐生世理子の姿は、相変わらずそこにあった。だが、彼女は黒装束に身を包むでも、仮面をかぶるでもなく、普段着にエプロンをかけたいつもの姿で、ストⅡの筐体に熱中していた。
「いやぁ、こんな日が来るかと思って筐体を取っておいてよかったよ! ねぇ、まっちゃん」
「いやまぁ、そうですね……」
筐体を挟んで向かい側、皇帝のベガに対して勇猛にも挑戦し、いまボコボコにされているのが、松永久秀のバルログであった。
「でも桜ちゃんは来ないのかぁー。残念だねぇ。梅くんとか桃くんとか、呼べばよかったねぇ。ねぇ、まっちゃん」
「いやまぁ……どこにいるのか知ってるんですか?」
「梅くんはともかく、桃くんならいま名古屋に住んでるよ」
凄まじく意外な情報をぽろっと吐き出されるが、皇帝ベガの華麗なる空中殺法は、それ以上松永に追及の余地を与えなかった。
「しかし先輩はっ、相変わらずっ、」
「大人気ないって? いやいや」
にやにやと笑ってみせるその笑顔は、まさしく桐生世理子である。松永は極力筐体越しに彼女を見ないよう努力した。
「最近はね。洗濯機も自分で回せるようになったし……、卵を割ってもカラが入らなくなったし……、ねぇ! 世良!」
「知らない」
何を隠そう、松永にとっていちばん気まずいのが、キングキリヒト=桐生世良のオフ会参加である。子供らしいあどけなさをひた隠しにした表情だが、整った目鼻立ちには確かに本堂世理子の面影があって、と、あまりじろじろ見続けると、なにやら妙な後暗さが心に影を落とすので、松永はそれ以上世良に目を向けない。ぱっと見、男の子か女の子かもわからないのが、なんというかその、余計に松永にとってダメージを増加させた。
世良は、皇帝の誂えた玉座にふんぞり返りながら、3DSをピコピコと動かしている。このふてぶてしさは、ゲーム内のキングキリヒトにも通じるが、どちらかといえば母親の傍若無人さに唇を尖らせているだけのようにも見えた。
「だいたいこのあとストロガノフさんが来たら、みっちり料理教室なんだから、いまくらい好きにやらせて欲しいなぁ」
「卵を割ってもカラが入らなくなったんでしょうに」
「プロのシェフを前にそれ自慢しろって言うの?」
まぁ、バカにしている話だな、とは思う。ストロガノフ達の到着はそろそろのはずであったが、まぁ、それまではこの偉大なる先輩にアドバテージを取らせておいてやろう。松永は、世理子に促されるままに、次は初代サムライスピリッツの筐体前に腰を下ろした。
「お、おじゃましまーす……」
ゲームセンター〝アルカディア・リヴァイヴ〟の入口で、遠慮がちな声がする。小さな少女の人影を、世理子と松永は認めた。3DSを操作していた世良は、ぴたりと手を止めて顔をあげる。
そこにいるのは、利発そうな顔立ちをした、まだ幼い少女だった。こんな子供が、こんなヤニくさいダメな大人の集会所に来てしまってはダメだよ、などとたしなめる甲斐性は松永にはない。また、その必要性がないことは、世理子の態度を見てすぐにわかった。
「やっほう、明日葉ちゃん」
ああ、この子が。と思うと同時に、松永は更に身を縮こませた。写真で見た石蕗一朗に似ているとは思わないが、やはり日向で生きるような娘だ。もし出会ったのがこのゲームセンターではなく、通学路であったならば、事案が発生して自分はPTAに吊るし上げられていたことだろう。
「えっと、他のみんなは来てないですか……?」
「君が二人目だ。ちなみにこれはまっちゃん」
「ちょっと先輩……」
筐体の影に隠れようとした松永の巨体(主に横に広い)を、世理子が引きずり出す。
「えっ、マツナガさん? でも、あの、ゲームの中じゃもうちょっと……」
「ゲームの中の話はやめてください……」
穴があったら入りたいとはこうしたことを言うのだ。だから、松永はオフ会なんて来たくなかった。桐生世理子からのメールがなければ、必ずブッチしていたことだろう。いや、さすがに彼女のメールでも行くかどうか迷ったのだ。ただ、ゲームセンター〝アルカディア〟の復活祭を兼ねると言われれば、行かざるを得なかった。弱点は抑えられているのである。
まぁ明日葉の目的は別にあるだろう。こんな冴えないピザデブではなく。
「きりゅうー!」
明日葉が片手を大きく振り回すと、玉座に腰掛けた世良は控えめに片手を挙げ、応じた。
「桐生桐生、なになに、何やってんの?」
「ポケモン」
「えーっ、どれどれ見せて! うわっ……可愛くないポケモン……」
「えっ、可愛いじゃん……」
いったいどのポケモンについて論っているのかは知らないが、サクラッコとヨザクラッコをお気に召すような桐生世良のセンスであるからして、正論はおそらく明日葉の方にあるのだろう。なお、どういうわけかこのオフ会の会場には、東京の石蕗一朗宅よりサクラッコとヨザクラッコのピンバッジが送られてきていた。非常に嬉しくないプレゼントではあったが、世良はまんざらでもない様子で身につけている。
ま、自分は格ゲーに興じていよう。やはり長らく前線を退くと腕が鈍る。VRゲームにばかりかまけていたからな。と、松永には忸怩たる思いがあるのだった。
さて、明日葉と世良である。世良のパーティの外見偏差値を散々ディスった明日葉ではあるが、ここで勝負をしかけるほど身の程知らずではない。ゲームにおける桐生世良の強さは、学校中に知れ渡るレベルだ。ひとまず明日葉は自分の3DSを開いて自分のパーティを自慢したが、今度はこちらが技構成の甘さを散々ディスられる番となった。
「で?」
ひとりきし指摘して気が済んだのか、世良は3DSをたたみながら言った。
「石蕗さん、なんで来たの?」
「え、来ちゃいけなかったの? っていうか、この椅子すごいね! すごい……趣味が悪い!」
「お母さんの趣味だよ。いや、来ちゃいけないってこともないんだけど……」
ちらり、と世良が視線を向けた先では、やはり世理子がレバーを弾きながら思う存分大人気なさを発露している。
「ああいう大人にはなりたくないなぁ……」
「じゃあどういう大人になりたいの?」
「え? うーん……」
オウム返しのように尋ねる明日葉に、世良は黙り込んでしまう。意地悪をしたつもりはなかったが、そんなに難しい質問だっただろうか。
そう言えば世良は、一朗のことをライバルだと言っていた。そこは明日葉にも、未だに信じられない部分ではある。この間、電話でそれとなく一朗にも話を振ってみたが、はぐらかされてしまった。ただ、その話題を振ったとき、明日葉の大好きなハトコはやたらと上機嫌になったのを覚えている。
ちょっとだけ、面白くない。
「どういう大人になるかはわかんないんだけど、まぁ、やりたいことはたくさんあるし。キングキリヒトは負けないし」
さらっと言ってのける世良に対し、明日葉はなんとなく意地悪がしたくなる。
「あっ、またキングキリヒトって言った」
「なに?」
「自分のこと、キングキリヒトって認めちゃうの?」
「うん」
それでも世良は平気な顔をして答えた。
「あのさ桐生、あのね、怒らないで聞いて欲しいんだけど、キングキリヒトって……ダサくない?」
「な……、いや、ダサいけど、もう慣れちゃったよ」
そう言ってはにかむ笑顔には、少しだけ照れが混じっていたか。
「桐生、」
明日葉は、ふと思い至って問いかける。
「うん」
「いま、ナンセンスって言おうとした?」
「………」
世良は唇を尖らせて、そっぽを向いてしまった。ゲームセンターの暗がりでよくわからなかったが、顔は少し赤かったように思う。
おしまい