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この時、目の前で苛烈な戦いを繰り広げる少年が桐生世良であると、フェリシアは不思議と納得ができた。
正直、火山帯で初めて助けてくれた時は彼の正体を知らなかったし、奇妙なめぐり合わせからそれを知ることになった時も、グラスゴバラのギルドハウスでヨザクラと戦っていた時も、本当に彼は桐生世良なのだろうかと訝しむ思いが、どこかにあった。
だが、この時はっきりと確認する。これは桐生世良だ。見た目も、言動もまるで違うし、現実世界では運動神経もろくにないような冴えない子だったけど、目の前で1秒未満の駆け引きに興じるこの少年が、確かに世良であると認められる。理由はわからない。だが、確かに世良は、勝負という世界においては常に明日葉達とは違う次元に立っている人間ではった。
だが、あんなにも楽しそうにゲームに興じる人間であっただろうか。フェリシアにはそこだけが意外に感じられた。
そう、キングキリヒトは明らかに楽しんでいた。脳の焼け付くような、刹那のやり取り。無限の手札を切り合う高速のジャンケン。フェリシアが、そうしたゲーム内対戦の本質を理解していたかというとそうでもない。それでも、キングが時折見せる勝負師の表情は、フェリシアに〝そのような世界がある〟ということを、如実に伝えていた。
ずるいなぁ、と思う。羨ましいなぁ、と思う。石蕗明日葉は、あんな世界で生きていたことがない。それはきっと、彼女が大好きな石蕗一朗が生きている世界に、今の自分よりもほんのちょっとだけ近い。何よりも、それがもどかしい。
「そうきたか、やるな!」
キングキリヒトが、二段ジャンプによって皇帝の背後へと回ったとき、キリヒト(リーダー)は快哉を叫んだ。
「えっと、どういうことなの?」
おずおずと尋ねてみると、やはりというか、キリヒト(リーダー)は喜々として解説してくれる。
あの位置には、皇帝のカメラがある。キングは自らの身体を使って、再び皇帝の視界を塞ぐ作戦に出たのだ。当然、カイザーはそれをよしとしない。跳躍の軌道からして、背後へ下がるわけにもいかず、必然的に皇帝は前に走り出さざるを得なかった。ワイアール・カイザーは、キングキリヒトに背中を向ける。
着地から、キングはそのままカイザーの背中へと追いすがった。剣を振り上げてからの、叩きつけ。カイザーは振り向きざまに武器を構え、その一撃を阻んだ。恐るべきはその体勢からでも確実に防御行動を繰り出せるカイザーの反応速度であったが、〝鷹の目〟を有していればこそ、その正確性にはうなずけると、キリヒト(リーダー)は言う。
やはりダメか、と思われた直後、キングは背中に手をやった。
あ、あれを使うんだ。と、フェリシアは思った。出発の直前、ヨザクラから、倉庫の肥やしになっているからと手渡されたものだった。ガイストをずっと片手に持ち、こちらの武器を背中のウェポンキャリアーに収めておくことで、常に武器の切り替えができるようになっている。常日頃から武器を持ち歩くわけにはいかないので、皇帝戦限定の奇襲戦法にはなるのだが。
ともあれ、奇襲は成った。キングの片手に握られた剣が、銀色の剣筋を描く。皇帝はその横薙ぎの一閃を、まともに受けた。
これもキリヒト(リーダー)の大変便利な解説によるものだったが、キングが唯一使用するアーツ《バッシュ》は、原則として両手持ち限定のアーツである。片手で持つのに適した武器、すなわちナイフやレイピア、ナックルなどを使用するプレイヤーはこのアーツを使わないし、二刀流以上に派生する場合も、《バッシュ》は役に立たなくなる。
この時、キングは片手のガイストでXANを押さえ込み、もう片方の手でこの剣による追撃を見舞った。アーツの使用によらない純粋なる通常攻撃である。故に、この攻撃は必殺とはならなかった。だがそれでも、ダメージは強烈だ。ぐらり、と、皇帝は姿勢を崩したが、それでも消滅はしない。
踏みとどまり、両足で大地を掴み、前傾姿勢のまま顔をあげる。皇帝の双眸が、ぎらり、輝く。
「武器をあちらに切り替えるなら、キングに残されたチャンスは、あと2回だ……!」
「2回? なんで?」
「あの武器は、〝煌剣シルバーリーフ〟。攻撃力ならばXANに次ぐほどだが、武器耐久値は3しかない」
なんでそんなピーキーな武器を。と、思ったが、フェリシアはその疑問を口にしなかった。周りのプレイヤーはすべて納得ずくのようですらあった。その理由が、半ば彼らのセンチメンタルであることを、フェリシアは知らなかったが、それでも黙したまま戦いを見守る。
決着が近い。ざわめく風を一身に受けながら、フェリシアは祈った。
持っていけなかった! と、焦るだけの余裕は、もはやキングにはない。シルバーリーフは抜き放たれた。この剣が砕け散るまでのあと二撃。そう、攻撃のチャンスはそれしかない。ガイストをウェポンキャリアーに収め、両手でシルバーリーフの柄を握り直す。攻撃修正3600、武器耐久値3。ふざけた武器だ。一撃使ってようやくわかった。こんなもの、やはり自分の性には合わない。
だが、この瞬間、勝ちを得るには必要な選択肢だった。自分のアバターにはそぐわない、きらびやかなそのひと振りは、決してキングのために打たれた剣ではない。この武器を、真の意味で使いこなせるプレイヤーは、もうこのゲームにはいない。
ならばこの一斬をもって供養としよう。自分はこのゲームの世界を駆け抜ける。ゲームの中だけではない。現実世界で飛翔するための足がかりとして、皇帝を倒す。せめてこのシルバーリーフには、その手伝いをしてもらう。
この瞬間、桐生世良は答えを掴んだ。
ゲームなのに、遊びなのに、ここまで真剣になっているのではない。ゲームだから、遊びだから、ここまで真剣になっているのだ。目の前に立つ皇帝は、まったくバカバカしいことに自分の母親である。世良が、ここまで来ることができたのは、母とゲームのおかげではなかったのか。
越えなければならない。ゲームという、母親のフィールドでだ。キングキリヒトは負けない。大見得を切ったのだ。桐生世理子を、ここで倒す。ゲームが好きだなんてことは、まだ胸を張って言えるほどではないが。この遊びの世界に真剣になっていることは認めよう。楽しいのだ。
楽しいから、全力を尽くす。楽しいから、負けられない。至ってみれば、単純な原理であった。
皇帝は、姿勢を立て直しつつある。ガイストによる縛りから解き放たれ、皇帝のXANは完全に自由となった。打ち合いに転じれば、武器耐久値の低いこちらが不利だ。だが、シルバーリーフの持つ圧倒的な火力は、既にカイザーも知るところである。ここから放つレベルカンストの《バッシュ》は、読み合いによる駆け引きを許さない圧力を、カイザーにぶち当てる。小技の応酬によって競り勝つスタイルのキングにとって、読み合いでイニシアチブをもぎ取るための高火力。活かせるのは二回だけだ。
キングは迷わなかった。柄を両手に握り、《バッシュ》を放つ。相手が取れる選択肢は複数。ゼロコンマ1秒ごとにそれが削り取られていく。カウンターを狙うにはタイミングが遅すぎる。必然、カイザーに残されたのは、《ウェポンガード》か、飛び退いての回避か。飛び退いての回避は追撃を許すが、《ウェポンガード》では削りダメージを受ける。今回、キングがカイザーに差し出した二択は、いずれも相手を忸怩たる思いにさせるものだ。
カイザーは受けを選択した。できることならば、退いて欲しかったが。どちらもリスクのある選択肢を突きつけられたとき、土壇場で相手の嫌がる方を選択できるのが、桐生世理子の勝負師としての強さなのだろう。ならばそれで、構わないと叫ぶ。
ダメージが炸裂する。カイザーの体力をさらに削り取る。が、シルバーリーフの耐久値が、残り1となった。
ここでは退けない。キングはさらに踏み込んだ。カイザーは無表情だ。笑顔を浮かべるための操作を行う余裕は、今の桐生世理子に存在しない。XANに阻まれたシルバーリーフは、弾けるように軌道を反転させた。大きな山なりを描いて、カイザーの首筋を狙う。
皇帝のXANは、《ウェポンガード》による硬直から復帰できなかった。だが、カイザーは動く。背中を向け、強引に空いた左手を、シルバーリーフの軌道に合わせた。これは、カイザーにとって危険な賭けであると、キングは理解した。エナジーフィストを装着した腕で、再度の《ウェポンガード》を敢行する。だが、皇帝の体力に余裕があるとは思えなかった。差分ダメージが、皇帝の体力を削り取れるか否か。ギリギリの賭けだ。
だが、カイザーは賭けに出たのだ。安全な道を選ぶなら、まだいくらか選択肢はあったように思う。だが、それは同時に潰える勝ち筋も多い。読み合いによる圧倒的なイニシアチブを、相手に任せておくのは、桐生世理子のスタイルではないのだ。
果たして、乱数の女神はカイザーに味方した。わかっていた。0と1の世界において、ここ1番で偶然を掴み取る母親の強さを。真の強者の根源を。で、あるからこそ、キングは砕け散るシルバーリーフに詫びた。武器耐久値がゼロになる。あの男の強さの象徴が、ガラス細工のように散っていく。しかし、この三回の斬撃が築いたアドバンテージは、まだ確かに生きている。
「うおおおおあああああああッ!」
二連続の《ウェポンガード》。カイザーが《アーツキャンセル》を行使し、その硬直を強引に解除しようとするのがわかった。キングはウェポンキャリアーからガイストを抜き放つ。構えはせず、振り上げもしなかった。ただ一直線、もっとも確実に、かつ素早い軌道をもって、カイザーの喉元を狙う!
ぴたり、と、風が止んだ。
それは図らずしも、かつてデルヴェ亡魔領にて執り行われた戦いと、似た形を得て決着した。ガイストは、皇帝の喉元三寸で止められている。カイザーの構えたXANも、エナジーフィストも、数瞬の差においてキングの体力を削り取ることは叶わなかった。乱数の賭けを制したカイザーの体力は残り少なく、キングがガイストを一突きさせただけで、名実ともに勝負がつくだろう。
「オレの勝ちだ。皇帝ワイアール・カイザー」
そう、宣言する。皇帝は小さく笑った。
「獲物を前に舌なめずりは……」
「アニメの言葉使わねーと語れねーのかあんたは」
「うぐっ……」
さすがに実子だけあって、皇帝の弱点をよく心得ている。その一言で、キングは完全に皇帝をやり込めた。
うおおおおおおおおおおおおおおおおっ!!
歓声は遅れて届いた。状況を検分するのに時間を要したのだろう。だが、これが完全なるキングキリヒトの勝利であると確認されたとき、野次馬は快哉を叫んだ。両手を広げて万歳三唱するものや、手近なものと抱き合うものまで様々だが、自分ひとりの勝利でここまで周りが喜んでくれるというのは、なにやらこそばゆい。長らくキングは、不特定多数の賞賛というものからは、無縁であったように思う。
ともあれ皇帝である。母親の性格からして、『だから君は負けるんだ』などと言いながらこちらに斬りかかってきてもおかしくはないので、キングはしばし慎重になった。カイザーは実子が警戒を解かないのを見て自嘲気味に笑うと、己の得物であるXANとエナジーフィストを、遠くへ放り投げる。
「勝った方がひとつ、言うことを聞かせるという話だったな」
カイザーは完全に敗北を受け入れる姿勢を見せながら、そう言った。声音はどこか寂しそうだが、同時に嬉しそうな色も含んでいる。
「キング、君の要求を聞こう。おこづかいアップなら上限はあるけど。新しい3DSでも買ってあげようか?」
「そういうのは良いんだけどさ」
キングは頭を掻きながら、視線を泳がせた。観衆はいつの間にか静かになり、こちらの言葉に耳を傾けている。
「あのさ、」
「うん」
「いきなり、エビフライとか、ハンバーグとかは言わないからさ」
「うん」
「せめて卵焼きくらい作れるようになれよ」
「はい」
「あのさ、」
「はい」
「お父さん、出張から帰ってくるたび泣いてるから」
「………」
「お母さんのメシが不味いって」
「すみません……」
自分のことを散々『いい母親であった』とか『女として充実していた』などと抜かした後、実子にハシゴを外されるのであるからして、世理子の気まずさは想像を絶するものであったことだろう。大観衆の間に、なにやら生暖かい雰囲気が流れた。ストロガノフが『今度皇帝に料理を教えるオフをやろう』と言い、ヨザクラも神妙な顔で『そうですね』と頷いた。マツナガは『無駄だと思いますけど』と言っていた。
皇帝、完全敗北である。言いたいことを言ったキングは、勝敗のけじめをつけるため、今一度ガイストを握り直して皇帝に向き合った。ワイアール・カイザーは笑う。
「強くなったな。我がむす―――」
縦に振り下ろされたガイストの一斬が、皇帝の最後の体力を削り取った。
んっとね。エピローグは明日の朝に投稿できたらいいなって思うの。
どうなるかはわからないの。




