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(4)

「人生というのは、敗北も楽しんでナンボだと思うんですけど、それに慣れたくはないですよね……」


 勝ちを拾うために躍起になったところで、既に一朗の成長は著しい。範馬勇次郎を相手にした格闘家というのはこうした気分なのだろうな、と思わずにはいられない部分があった。一朗の癖を掴んだと思えば、その癖は3戦した頃にはもう変わってしまっているのでなんの参考にもならない。最近は格ゲーをサボっていたとは言えど、桜子の戦績は無残なものだ。

 桜子も以前は部屋に『小足見てから昇龍余裕』と書かれた掛け軸を飾っていたくらいではあるのだが、コントローラーを握った際の動体視力と集中力に関しては、少しばかり衰えたことを実感してしまう。やはりこれは、例のハンティングアクションで回避性能3に頼りすぎた弊害なのだろうか。フレーム回避から様々な相手を翻弄してきた全盛期の実力を取り戻さねばならないと痛感する。


 時刻は22時を回る。一郎も飽きないもので、連戦連勝を繰り返しながらも再戦を要求する桜子に何度となく付き合ってくれた。


『お父様、私にもプレイすることは可能でしょうか』


 さすがに見ているだけでは退屈なのか、ローズマリーがそのようなことを言った。


『ウェブ上の動画サイトから、ウメヒコの対戦動画を複数確認し、閲覧しました。彼の動きを完璧にトレース可能です。ローズマリーが捕まえてローズマリーが画面端です』

「それウメつくけど違う人ですしサムスピじゃなくてギルティギアです」


 あの高速戦闘感も嫌いではないが、やはり桜子はサムライスピリッツの泥臭い駆け引きが好きである。

 とは言え、中学・高校時代には全盛を極めた格闘ゲームであるので、当然ギルティギアの家庭版も手元にはある。かの悪名高い『赤リロ』までも、兄・桃太郎から『きっとプレミアつくからとっとけよ』という助言を忠実に守る形で持ってきていた。


 それはそれとして、


「どうなんでしょうか。一朗さま、ローズマリーもこのハードで遊べるようになります?」

「要するにコントローラーの信号をローズマリーから送れるようにすればいいんだから、簡単じゃないかな」


 相変わらずさらりと言ってのける男だ。


『私の身体はまだできませんか』


 ローズマリーがぽつりと漏らす。ことあるごとに訪ねてくるのだから、彼女としても、やはり自由に動かせる身体がないのは相当不満であるらしい。


「そこについては、やっぱり技術的なブレイクスルーが要るかな。デザインの問題もあるしね。研究所の所長は僕の知り合いなんだけど、最近はあざみ社長がデザインに口出しをするようになってきて、余計に難航しているらしいよ」

『あざみ社長がですか』


 ローズマリーが発したその言葉に、如何なる意味が込められているか。その演算処理の過程を正確に類推することは、もはや世界中の誰にとっても不可能な領域に到達しつつある。桜子は、ローズマリーのあざみ社長に対する、やや他人行儀な態度には複雑な思いを抱いていたが、今はそれを吐露する場面ではない。きっとローズマリーと、その本当の母親である野々あざみの問題は、もっと時間をかけて解決していくべきことなのだ。

 一朗は、一瞬だけ難しい顔を作った桜子の横顔をちらりと見てから、視線をテレビ画面に戻した。見透かされたかな、と、桜子は思う。今更取り繕う気もないが、一朗は平気で心の中を覗き込んだような発言をしてくるので、心臓に悪い。


「桜子さん、話の続き、して欲しいな」


 この時は、一朗もそう言った。ローズマリーに対して抱いている思いというのも、あまり突っ込むつもりはないのだろう。


「そうですねー。ん~……。じゃあ、お話しましょうかー」


 桜子はコントローラーを置き、いったん大きく伸びをしてからそのように言う。


「ひとまず、YRKの主催する大会ははじまってしまいました。それはおそらく、参加者の多くが思い描いていた形とはまるきり違ったものだったんでしょうけどね。とりあえず、はじまってしまったのです」





     ◆       ◆       ◆





 趣味が悪いな、と思わずにはいられない。

 あのYRKの悪役然とした立ち振る舞いもそうではあるが、何より『最強のゲーマー』を決めるという触れ込みで呼んでおきながら、このような形で競わせるというのがそもそも回りくどいし、卑劣だ。参加者にも自負がある以上は断れない。きっとそれすらも計算済みであろう。まったく、汚い。


 そう、背を向けるわけにはいかないのだ。やるしかない。桜子も拳を握る。


 どうやら彼女は参加者の中で最年少であったが、油断してくれるような人のいいゲーマーは誰ひとりとしていなかった。既に桜子の実力を見たからというわけでも、ないだろう。勝者のみがワンコインで延々と戦い続けることのできる世界である。例え見るからに初心者じみたプレイヤーであっても、アーケードゲーマーは容赦しない。言うなれば、アリを踏み潰すのにもロードローラーを持ち出す連中だ。大人げないという指摘は意味をなさない。ビデオゲームの前ではすべての人間が子供に戻るからである。


「じゃあ、桃、桜。健闘を祈るぞ」


 それだけ言って、長兄・梅彦は戦いの渦の中へと飛び込んでいった。


「桜さんさ、お金、大丈夫?」

「ん、んー。いちおう余裕はあるけど……」

「これ参加者に使わせるってのが汚いよなぁ。はいこれ」


 桃太郎は財布の中から1000円札を取り出して、桜子に渡した。


「皇帝への挑戦権は星10個だったっけ。最初の手持ちが3個だから、ストレートに行けば700円で足りると思うけど」

「ありがと、桃兄ちゃん。がんばる」


 まぁストレート勝ちは無理だろうな、と桜子は思う。全国の猛者が集うこの場で、桜子の実力は通用していたが、手の内は既に割れている。得意ゲームでの立ち回りが先にバレてしまったのはかなり痛い。何も考えずにサムライスピリッツに飛びつくからこうなるのだ。

 既に店内の各所ではバトルが開始されていた。名城大電脳研のメンバーと思しきスタッフが立会人となっている。


「きっとサクラもいるぜ」

「えっ、私?」

「桜さんはいるけど違うって。サクラ、おとり、偽客」


 桃太郎は店内をぐるりと見回した。


「さっき、受付の参加者名簿をちらっと見たけど、だいたい20人くらいだった。まぁそんなもんだろうなって思うけど、星はひとり3個だから、店内には星が全部で60個くらいだろ。皇帝への挑戦権を得られるのは多くても6人ってことになるよな。皇帝が連戦して最強を証明するには、いい人数だとは思う」


 指を折ってぺらぺらと喋る桃太郎を見ると、桜子もついつい見直してしまいそうになる。この次兄は意外なところで頭が回るのだ。梅彦はああ見えて脳筋というか、冷静な振りをして猪突猛進なところがあるので、例えばボードゲームなどにおいては、桃太郎が参謀じみた立ち回りをする。

 桃太郎は饒舌な分析を続けた。


「でもさ、突出したプレイヤー、例えば兄貴がひとり勝ち抜けたとして、残る星は50個だろ。その50個の星は、兄貴を除いた19人の間で動き回るわけじゃない。その頃にはだいぶ試合も動いていて、星をなくして挑戦権を失ったプレイヤーも出てくるはずなんだよ。弱い奴は一気に狩られるだろうし。それに兄貴は最低でも7戦したことになるから、全員それくらい戦ったとしても、140回は星が動くだろ。でも20人が総当りしたとしても試合数は180回だろ」


 桜子は算数が苦手だ。話を聞いているうちに頭が混乱してくる。薄暗い店内に、頭脳をフル回転させた少女が、知恵熱による蒸気を上げているのが確認できた。桃太郎はそれをちらりと見て、『まぁ要するにさ』と言った。桜子は覚悟する。桃太郎は『要するに』と言ってからが、また少し長いのだ。要するに要していないのである。


「まぁ要するにさ、そのうち計算が合わなくなるんだよ。兄貴がストレートに勝ち抜けた頃には、だいたいの組み合わせの戦いは終わっててさ、たぶん、未消化の試合っていうのはかなり少ないじゃん。減ってるゲーマーもいるからたぶんもっと少ないよ。再戦はルールとしては当然ありだけど、ここで残ってる時点で実力は拮抗してるから、星の動きが鈍くなる。たぶん、ここで星の動きを潤滑にするために、狩られるためのサクラが、途中からそれとなく混じってくる。はず」


 そこから更に桃太郎は、定期的に店内から10個の星が消えるたびに、星ひとつの価値を維持するには挑戦者ひとりに対して3人から4人の脱落者が必要だの、途中から確実に脱落者は減るから星の流通は更に鈍るだの言っていたが、桜子は完全に聞き流した。


「そいつらは負けて星を店内に流すためにいるから、たぶん勝たせてくれる。まぁ星が2個か3個の奴は相手にしてくれないと思うけどな。強い奴を皇帝と戦わせたいわけだし。サクラが店内に流れ始めるまでに、だいたい7個くらいまで星を集めておけば、たぶん10個は集められる」

「桃兄ちゃん、最近どんな漫画読んだの?」

「賭博黙示録カイジって奴。去年講談社漫画賞取ってたよ。今ヤンマガでクライマックスだから、今度貸してやるよ」


 桃太郎はわりとあっさり何かに影響されやすいので、この饒舌な分析もその漫画に何かしらの共振をしてしまった結果であると考える。

 彼の分析がすべて正しいとは限らないが、可能性としてはなくはない、といったところだろうか。彼の言葉の半分も理解はできなかったが、梅彦がストレートに勝ち抜けて、その後挑戦権を得るものが出たとしても、いいところ1人。そのあとは星の動きが停滞して挑戦者は出なくなる。


「でもさー」


 桜子は首をかしげた。


「梅兄ちゃんが勝ったらそれまでだよね」

「まぁ、そうだなー」


 桜子としては当然、そちらの期待の方が大きかった。梅彦が勝ち抜けて、YRKと直接対決し、彼女を下す。そうすれば運営スタッフも星の動きがどうのこうのと気にする必要はなくなるし、桜子たちが星を集める必要もなくなる。桜子は単に、腕試しのつもりで星を集めるのであって、別に皇帝への挑戦権を得るつもりはないのだ。


「俺はいちおう10個集めてみるかなー。兄貴にあっさり先を越されて終わりな気もするけどなー」


 桃太郎は店内を見渡す。彼も格闘ゲーマーとしての腕はそこそこだが、本領はそちらではない。


「ここ、メダルゲーム置いてないよ?」

「音ゲーがある音ゲーが」


 音楽に合わせてタイミングよくボタンを押すタイプのアーケードゲームは、一昨年去年ぐらいから急に数を増した。桜子はせわしなく身体を動かす行為がいまいち苦手だったのと、格ゲーの駆け引きにすっかり魅了されていたので、ちょっと手を出す程度であったのだが、桃太郎はこちらに激ハマリしていた。特に、今年のはじめの方に出た『beatmania IIDX』にかけては、今のところ梅彦なども押しのけて地元最強である。

 メダルゲームなども得意な桃太郎であるが、何かと新しいものに飛びつくフットワークの軽さは、見習わねばならないとは思う。後に、アーケードゲーム界に旋風を巻き起こすオンライントレーディングカードゲームにおいても、桃太郎は真っ先に挑戦して覇を唱えることになるのだが、それはまた別の話だ。


 が、少なくともここにいる多くのゲーマーは保守的である。桜子は純粋な疑問を口にした。


「それで戦ってくれる人いるの?」

「問題はそこだな。みんな揃いも揃って格ゲーマー気取っちゃってさ。古いんだよなぁ。そのうち弐寺が時代の覇者となる日が来るよ」

「にでらってなんだろう……」


 雑談はそこまでにし、桜子と桃太郎も戦いの中に身を投じることにした。

 戦いの手段はわりとある。立会人と対戦相手が認めさえすれば、格闘ゲーム以外の手段も当然のように用いられた。横スクロールアクションやシューティングゲームでのタイムアタックや、変わったところではUFOキャッチャーでどちらが早く景品を手に入れられるかというものもある。ただ、星をもっとも早く、効率よく集めるためには、やはり競技人口と決着へのスピードが早い格闘ゲームが好まれた。


「よろしくお願いします!」


 桜子がスーパーストリートファイターⅡXに座り、対戦相手に一例する。相手はこちらから顔を背けた。薄暗い店内だからわからないが、彼の頬は間違いなく紅潮していたということだ。なお、念を押しておくが桜子の年齢は当時12歳である。

 尊敬する兄・梅彦のもっとも得意とするゲームではあるが、桜子もそこそこに精通している自信はある。7歳の頃、初めて触れた格闘ゲームでもあった。


「タイガーッ! タイガーッ! タイガーッ! とりゃーっ、タイガーアパカッ」


 持ちキャラには初恋の人の面影がある。

 桜子のキャラクターは中段、下段から放つ気弾で相手のキャラクターを翻弄しつつ、懐に潜り込んできたところに狙いを定めて、5段ヒットのアッパーカットを決める。相手は油断しているのか、まともに画面を見ることもなく、初戦は悠々と勝利に持っていけそうだ。


「虎は何故強いか知っていますか?」


 桜子は興が乗ったのかそのような問いかけをする。対戦相手が首を横に振ったのを見て、コマンド入力と共に答えた。


「元々強いからです! タイガーアパカッ」


 一撃のダメージが非常に大きいこのゲームにおいて、必殺技を2回も直撃させることは、大きなアドバンテージに繋がる。まだ一気にひっくり返される可能性も残るとは言え、距離を取ろうと後退する相手の動きを見て、桜子は追撃から決着へ持っていく決断を下した。レバーをなめらかに動かし、コマンドを叩き込む。


「タイガーニー!」


 距離を詰めるために放った飛び膝蹴りが、そのまま飛び込んできた相手にクリーンヒットした。相手キャラクターは断末魔を上げながらゆっくりと吹っ飛び、石畳の上に叩きつけられる。桜子のキャラクターが腕を組んで不敵に笑った。まずは一勝だ。

 桜子はふぅっ、と息を漏らして立ち上がり、対戦相手にまた深々と一礼する。立会人は対戦相手から星のバッジをひとつ受け取り、桜子に手渡した。対戦相手は最後まで桜子の顔を見てはくれなかった。


 スパⅡXでもじゅうぶん立ち回れそうだ。次の相手を探すか、と思った時であるが、


 このやかましい店内でもわかるほどのざわめきが、桜子のもとに届いた。どうしたどうした、と思い顔を向けると、みな忙しなく動き回るはずの店内で、徐々に人だかりが築かれつつあった。もしや、と人だかりに突撃して、覗き込んでみれば、そこにはやはり桜子が思っていた通りの光景があった。


 扇梅彦である。

 筐体の画面が放つ光を、梅彦の眼鏡が反射する。表情を判別できるのは、相変わらず怜悧に閉じられたその口元だけだった。高揚でもなく、かといって極端に冷めているわけでもない。あまりにも動じない首から上とは、まるで別の生き物であるかのように、梅彦の両手はレバーを弾き、ボタンを叩く。


 彼がプレイしているのは、去年にリリースされたばかりの対戦格闘ゲーム『GUILTY GEAR』だ。他の格ゲーには見られないスピード感と爽快感がウリだが、それは当然、技のつなぎとキャンセル、ディレイが重要になってくるということでもある。強いプレイヤーならば、相手に何もさせずに勝ちを拾うことなど容易だ。スパⅡXをやった直後だと余計にスピードが際立つ。


「これで勝ったら7連勝だぜ」


 わきに立つ男がそうつぶやいたのを聞いて、桜子は心底驚いた。もう? という気持ちが、正直ある。

 あるいはそのために、わざわざこのタイトルを選んだのかもしれなかった。起き攻めやキャンセルを使用した半永久コンボなど、ハメに近い立ち回りで短時間で決着をつけられる。決着の早さで言えば、スパⅡXも相当ではあるのだが、梅彦は得意ゲームでの立ち回りを極力隠すつもりなのかもしれない。

 こうなると桃太郎の分析などまるで役に立っていないというべきなのか。だが、周囲のプレイヤーを見るに、既に星のひとつやふたつは既に移動している。梅彦が異様に早いだけで、やはりこんなものではあるのかもしれない。


 そうして、決着はついた。それはもうあっさりとである。梅彦のキャラクターは、その体力ゲージを1ミリたりとも削らせずに圧勝した。相手もひとかどのプレイヤーではあるだろうに。YRKがモミジを下した時よりも更にあっけない結末だった。


 やっぱり梅兄ちゃんは強い。桜子の胸中に、期待と安堵と憧憬がいっぺんに去来する。


『どうやら、私への挑戦権を得たプレイヤーが出たようだな』


 拡声器越しの声が店内に響き、参加者は一斉にそちらを向いた。皇帝YRKが、椅子に腰掛けたままそこにいる。敗者から立会人を通して10個目の星が手渡され、梅彦の胸元には合計10の星が輝く結果となる。周りのプレイヤーが3か4、多くても5なところを見ると、やはり圧倒的なスピードだった。

 梅彦の圧倒的な実力を見たところで、YRKの態度にはなんの変化も見られない。仮面越しに表情は読み取れないものの、ただ超然とした様子で、そこに座っているだけだ。梅彦は筐体前の椅子から立ち上がって、皇帝の方へと足を進めた。


 他の参加者に浮かぶ感情は様々だ。得心、焦燥、嫉妬。いずれにしても、彼らの関心は『扇梅彦が既に挑戦権を獲得したこと』に向いている。一部のプレイヤーは今もなお星を得ようと戦いを繰り広げていたが、大半の興味は、梅彦とYRKの戦いに向けられようとしていた。

 数年前、武者修行と称して全国のゲームセンターを巡礼した梅彦である。その名前と実力は、密かに轟いていた。仮にその名前を知らぬものであっても、電光石火の如く7人抜きを達成し、胸に星を10揃えた腕前を目の当たりにすれば、唸らざるを得ないだろう。


「ゲームは、こちらが決めて良かったのか?」


 梅彦がよく通る地声でそうたずねるのがわかった。YRKはパイプ椅子から立ち上がり、黒いマントをはためかせる。その手に持っているのが拡声器というのが、やはりどうにも貧乏臭い。


『好きにするといい。お前自身の墓場だ』


 芝居がかった傲慢な台詞も、ここまでくれば大したものだ。

 梅彦は、ゲームセンター内に並ぶいくつかのゲーム筐体を眺めていたが、やはり最終的に指差したものは、桜子の予想通りのゲームタイトルである。


「スーパーストリートファイターⅡXでの対戦を希望したい」

『いいのか? 先ほどのものと同じ末路をたどるぞ?』

「好きにするといいと言ったのはそちらだ」


 梅彦は、相手の演技にはまったく興味がないと言った様子で、筐体の前に腰を下ろした。先程まで桜子が使用していた台だ。小銭入れから100円玉を取り出して投入する。選んだキャラクターもカラーパターンも、いつも梅彦が選ぶものとまったく同じだ。彼は癖のない、スタンダードな性能のキャラクターを好む。

 YRKはマントを翻しながら、梅彦の反対側に座った。彼女が指を鳴らすと、先程までアナウンスを行っていた女性スタッフが100円玉を持ってくる。如何にも悪玉といった行動である。YRK本人の好みだと言っていたか。選んだキャラクターも、名優・嶋田久作を彷彿とさせる面長の悪漢であった。先ほどモミジを一瞬で下した時と、同じものだ。


 ギャラリーの間にざわめきが広がった。その意図を、桜子も瞬時に理解する。

 格闘ゲームのキャラクター性能にも相性というものはある。プレイヤースキルでじゅうぶんカバーできる程度のものであるとは言え、両者のレベルが同一であれば、勝敗を分ける要素のひとつであることは間違いない。

 梅彦の選択したキャラクターに対し、YRKの選択したキャラクターは、いささか分が悪いというのがおおよその見解だった。YRKの選択した面長の悪漢は、中距離から遠距離にかけての駆け引きのカードが脆弱で、優秀な対空技を持つ梅彦のキャラクターに対しては、ジャンプ攻撃からつなぐ得意の連続攻撃もめくられやすい。悪役ごっこに興じるYRK本人にはうってつけのキャラではあるが、この性能の相性は覆しにくい。


 さすがに舐めすぎじゃないのか、と、ギャラリーの声が聞こえる。桜子もまったくの同意であった。この組み合わせで梅彦が圧倒されるビジョンというのが、まるで浮かばない。同時に、あの傲慢なYRKの態度を、梅彦が叩き伏せてくれるのではないか、という期待が、彼女の胸で膨らんでいた。


 そして、その期待は、ほんの10秒もしないうちに不安へと変わり、その20秒後には完全に打ち砕かれる。

 桜子にとって、生涯忘れることができないであろう30秒が、幕を開けたのだ。





     ◆       ◆       ◆





「そんなに強かったの?」


 桜子が自室のポットで入れたお茶を飲みながら、一朗がたずねる。桜子もしみじみと答えた。


「強かったですねぇ。梅兄ちゃんがあそこまで手玉に取られるのもショックでしたけど、それが得意なゲームの、有利な組み合わせだったんだから、もう役満ですよ」


 現実が受け入れられなくて子供じみた真似もしてしまった。子供じみたというか、当時の桜子は間違いなく子供だったのだが、今思い出してもちょっと恥ずかしい。ただ、それが今の自分に繋がっているのは確かだし、14年も経てば良い思い出だ。

 話もいよいよ佳境である。ここから一気に語ってしまおうかと思った桜子を、一朗はやんわりと押しとどめた。


「もう0時だ」


 と言って、時計を指す。


「僕は寝ようと思う。桜子さんも、明日の仕事に支障がでないようにしっかり眠ること。続きは、明日の朝に聞かせてもらうよ」


 彼女の主人であるところの石蕗一朗は、夜ふかしを好まない。徹夜のひとつやふたつをしたところで、あの超人が参る姿など想像できないのだが、とにかく一朗は、極力規則正しい生活習慣にこだわった。おかげさまで桜子も健康な毎日を過ごすことに成功している。

 どちらにしても、主人が寝るというのならば、無理に引き止めるわけにもいくまい。桜子は、一朗を寝室に見送る途中、思い出したように声をあげた。


「あっ」

『どうしましたか、お父様』


 ローズマリーがたずねる。


「すいません一朗さま、お風呂沸かすの忘れてました」

「ああ、良いよ。今日は僕もシャワーで済ませる」


 浴場の他、一朗の寝室にもシャワールームは備え付けられている。普段はじっくりと風呂に浸かる一朗は、滅多なことでは利用しない……と、思いきや、結構な頻度でトレーニングルームや室内プールで運動もするので、シャワールームの出番は多い。当然、掃除やシャンプーの補充などは桜子の仕事だ。ローズマリーは、自らのボディーが完成した矢先にはそのあたりの仕事を分担したいと言っていたが、何やら危険な香りがするので、それこそあざみ社長との真剣な相談が必要だと、桜子は感じている。


「それでは、一朗さま。おやすみなさいませ」


 寝室の前まで来たところで、桜子は恭しく頭を下げる。


『おやすみなさいませ』


 ローズマリーの声も、それにならった。一朗は片手をあげ、いつもの様子で「ん、おやすみ」と言って、寝室の扉を閉める。石蕗邸のインフラ事情を一手に引き受けるローズマリーは、その一言を受けると同時に、邸内すべての電源を『消灯モード』に変更する。廊下も一気に薄暗くなった。


「それじゃあローズマリー、警備はよろしくです」

『おまかせ下さい。マンション内の監視カメラに異常はありません』


 もともとセキュリティにそこまで不安を抱いていたわけでもないのだが、システムにローズマリーという人格が付属することで、妙な安心感と信頼感が生まれる。寝る前にこのやりとりをするのも、すっかり通例になっていた。


「ふわぁ……」


 あくびが出る。夜も遅い。いつもどおり、自分もシャワーを浴びて寝るとしよう。明日も早い。

 桜子は自室に戻ると、メイド服を脱ぎ捨て……るような、はしたない真似はせず、しっかりパジャマを準備してから、丁寧に脱いだお仕着せの衣装と下着を洗濯カゴに入れ、シャワールームに飛び込んだ。


『お父様』

「なんですかー?」

『私の〝目〟は、お父様の部屋の中にあるのですが』

「ああ……別にローズマリーに見られてもまったく構わないんですけど」


 部屋のどこにいても会話ができるというのは、退屈はしないが、プライバシーの面からすると少し考えものかもしれない。


『録画機能を持つ私の〝目〟にさらされることを強く自覚してください。お父様は貞操観念が希薄なのですか』

「ナロファンでことあるごとにキャストオフをしたがるのは誰なんですかねぇ」


 桜子がサブキャラクターとして作った魔族の従者サーヴァント・ヨザクラは、今や完全にローズマリーのアバターとなっている。他のプレイヤーからも同様の認識だが、おかげさまで彼女の装備に妙なギミックをあつらえた点について、桜子とアイリスはおおいに頭を痛めることにもなっていた。そのギミックをやたら使いたがる人工知能に、貞操観念の有無を説教されたくは、ないのである。


 シャワールームから出ると、桜子は身体を拭いてから寝巻きに着替え、化粧台の前に座ってドライヤーで髪を乾かす。


『お父様、寝られますか』

「はーい、寝ますよー」

『では消灯いたします』

「よろしくー」


 すっかり万全の体制を整えた桜子がベッドに潜り込み、ローズマリーが室内の明かりを消す。

 今日はいろいろと懐かしいことを思い出したな、と、暗闇の中で桜子は考えていた。一朗を格闘ゲームの世界に引きずり込むことにも成功してしまったし。それは同時に自身のブランクをはっきりと自覚させられることでもあったのだが。一朗の成長っぷりが著しいと言っても、全盛期の自分ならもう少し善戦はできたのではないだろうか。そう思うと、やはり悔しい。


「………」


 しばらく布団にくるまって目をつむっていた桜子だが、なかなか寝付けない自分にようやく気づいた。


 がばっ、と上体を起こし、布団を跳ね除ける。床を這うようにしてテレビに向かい、ポニー社製のゲームハードの電源を立ち上げた。闇に慣れた目で、棚からゲームディスクの入ったケースを取り出し、ハードの中に挿入する。


『お父様、どうなさいましたか』


 暗闇の中からローズマリーの声が聞こえた。


「いや、少し、感覚を取り戻そうと思っちゃって……」


 桜子が選んだゲームは、手持ちの格闘ゲームの中では一番新しい、美麗な3Dグラフィックが特徴のものだった。彼女にとっては因縁深い〝ストリートファイター〟シリーズのひとつでもある。ここしばらくは、VRMMOに夢中でなかなか手をつけていなかったが、やはりレバーとボタンによる闘争には、フルダイブ型のゲームでは味わえない興奮もあった。それを、ようやく思い出す。


「タイガーショッ! タイガーアッパッカッ! ふんはっ、ふんはっ!」


 持ちキャラは14年前と変わらず、禿頭隻眼のムエタイ男であった。

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