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VRMMOをカネの力で無双する サブアカウント  作者: 鰤/牙
キリヒト/フェアリィ・ダンス
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(16)

 ドラゴンファンタジー・オンライン外伝 ~疾黒のカイザー~。


 アイリスが不意に発したその言葉の意味を、多くのプレイヤーは理解できずにいた。だが、アイリスは明確な手応えを得る。皇帝ワイアール・カイザーはその瞬間、まさしく硬直し、1ミリたりとも動かずにいた。アバターのむこうに座る皇帝の動揺が、アイリスには手に取るように伝わる。


「な、なんで君が……そのタイトルを……」


 ミライヴギアを通さないカイザーのアバターは、決してプレイヤーの感情を投影しない。呆然と立ち尽くすワイアール・カイザーの顔に脂汗が浮かぶこともなければ、その両目を見開いてカタカタと震えるようなこともない。彼はあくまでも不敵な表情をたたえ、二本の足でしっかりと立っていた。

 だが逆にそれは、皇帝がもはや、クラシックギアを操作してアバターの表情を操作するだけの余裕を、完全に失っていることを示す。プレイヤー・桐生世理子の感情を示す指標は、今となってはマイクを通して伝わる、彼女の声だけであった。


 皇帝の問いに、アイリスは答えない。彼女は傷ついたネムを庇うように、大きく一歩前へ踏み出し、口を開く。


「その日、世界で初めてのVRMMO(Virtual Reality Massively Multiplayer Online)ドラゴンファンタジー・オンラインの世界はデス・ゲームと化した。ゲームの中に閉じ込められた数多のプレイヤーは、すべからくその脱出手段を失い、」

「や、やめろ! やめて! やめてください!」

「ゲームの中で戦うコマとなったのだった。みんな最初は現実を受け入れなかった。だが時間が経ち、もがいていくうちに彼らはひとつの結論を得た。戦うしかないというものだった。彼らは戦った」


 さて、世界的大ヒットライトノベル〝ドラゴンファンタジー・オンライン〟の公式作品には、外伝と位置づけられるものはいくらかあるものの、『疾黒のカイザー』という副題がつけられたものは、いかなるメディアミックスの中にも確認することができない。疾黒は〝しっこく〟と読む。これは、アイリスが今まさに読み上げんとする小説に登場する、あるプレイヤーの二つ名であった。

 そう、彼女が滔々と語るこの作品は、商業作品ではない。いわゆるファンアート、二次創作と呼ばれるもので、ネットの黎明期から今日に至るまで、創作文化を陰ながら支え続けたジャンルのひとつである。それは、特定作品からやる気パルスを受け取った未熟なる創作家たちの魂の迸りであり、先走りであり、時として暴走した創作意欲の徒花であった。


 疾黒のカイザーは、かつて存在した個人サイト〝どらふぁん魂〟のメインコンテンツとして連載されていた二次創作小説である。作者のハンドルネームは〝YRK〟。実に足掛け3年、htmlファイルと挿絵画像を含めて150万キロバイトに及ぶ超大作。ちなみに未完だ。

 〝どらふぁん魂〟は、フレームでBGMありとBGMなしを選べる凝りに凝ったサイト構成で、ドぎつい背景画像が目に優しくないと評判のウェブサイトではあったが、それでも何故か順調に客足は伸びて、疾黒のカイザーは3年も連載を続けたのである。更新は2006年6月15日にぴたりと止んだ。奇しくも、Xbox360版コールオブデューティ2の発売日であった。


 アイリスも鬼ではない(と思われる)ので、そのような事実は口にせず、淡々と小説の内容を語るだけではあったが、それはそれで多大なダメージを皇帝の魂に刻み込んだ。むしろこっちのほうが深刻であった。


「たくさんのモンスターを前に、キリヒトとアイナは追い詰められていた。このままでは二人とも死んでしまう。キリヒトは剣を構えた。(ユニークスキルを使うか。)。とうとうキリヒトはそう決意し、一歩前に踏み出した。びゅう!! その時、黒い突風が吹いたのだった」


 さて、ワイアール・カイザーに動きがあった。とうとうXANを構え、その切っ先をアイリスに向けたのである。さすがにこのまま斬りかかるほど無粋な真似はしなかったが、それでもこの動作は、皇帝の精神的余裕がかなりなくなってきたことを示していた。

 だがアイリスは、冷徹な意思を瞳に宿したまま、その口だけは饒舌である。臨場感たっぷりに、『ドラゴンファンタジー・オンライン外伝 ~疾黒のカイザー~』を諳んじて見せる彼女の記憶力と演技力は大したものであり、またひとつ、彼女は新しい才能を開花させつつあるのだった。


「そ、その耳障りな朗読を今すぐやめるんだ。さもなくば、」

「ずばばばばっ! じゃきっ、がしゅいーん! 凄まじい剣戟の嵐は、五月雨(さみだれ)のようだった。その連続攻撃がモンスターを一掃し、キリヒトとアイナの前にひとりの男が降り立った。キリヒトとよく似た黒づくめで、背中にはマント、顔には仮面をつけているのだった」

「さっ、さもなくばっ! さもっ……」

「『すごいスキルだな。』キリヒトは言った。『助かったわ。ありがとう。』アイナも言った。男は『ふん・・・・』と鼻を鳴らしただけだった。血糊を払い、剣を鞘に収める。マントを翻し、その場を去ろうとする。キリヒトは尋ねた。『そのスキルは一体・・・・?』『フッ・・・・』男は笑った」

「え、えっとその! さもなくばぁ!」

「『ユニークスキル・・・・〝絶刀流〟だ・・・・』」

「ぅグワァーッ!」


 突如カイザーが剣を放り出し、奇々怪々なダンスを披露したのは、羞恥に耐え兼ねてのレバガチャが原因であると推測される。


 YRK。すなわち皇帝こそがこの『ドラゴンファンタジー・オンライン外伝 ~疾黒のカイザー~』を執筆した張本人である。ひょっとしたら、掘り起こされたくない過去であったのかもしれない。


 しかしこと、インターネット文化の発達した現在である。手をつけられなくなった創作意欲の結実は、長きに渡り電子の海を漂流する。予想もしない人々の目に触れ、たまにその作品から間違った創作意欲を受け取る人間がいて、彼らもまた紡がれた創作意欲の奔流に巻き込まれていく。

 やがて誰かが目を覚まし、サークルが風化し、錆び付いて朽ち果てるその時まで〝創作〟の暴走は続き、しかしその後も彼らの紡いだ物語はインターネット上のどこかに残り続けるのだ。


 皇帝は叫んだ。


「なぜ! なぜ君がそれを持っている! そのサイトは、infoseekのレンタルサーバーサービス終了と共に消滅したはずだ!」


 そこで初めて、アイリスは朗読をやめた。


「あたしも知らないんだけど、世の中にはウェブアーカイブってものがあるらしいのよね。一度ネットの海に放流したものが、そう簡単に綺麗さっぱり消滅するはずがないってことよ。いいかしら? あなたに憧れていた大学の後輩が、あるレンタルサーバーサービスが終了するって聞いて有志が行うそのサーバー上サイトのアーカイブ化に協力したとするじゃない? で、まぁ人気のあるサイトをアーカイブ化していく過程で、その憧れていた先輩と同じハンドルネームの管理人が運営する二次創作サイトを見つけて、生暖かい気持ちになりつつ保存していたとしても、それは別に何も不思議なことじゃないのよ」


 アイリスが一息に言ってのけ、皇帝はそのまままんじりとも動かなかったが、やがて地獄の底から響くような怨嗟の声を漏らすのであった。


「まぁーつぅーなぁーがぁぁぁぁぁぁっ!!」

「『絶刀流・・・・!?』『まさか、あの人以外にユニークスキルの持ち主がいたなんて・・・・!』」

「ぎゃぁっ!」


 マツナガ(本物)は地面にふしたまま耳を閉じて現実逃避していたが、アイリスの言葉はそれ以上皇帝の追及を許さない。


「アイリスちゃん! 世の中には、触れてはいけない心の痛みがあるんだ! そこに触れてしまったら最後、あとはもう、命のやりとりしか残っちゃいないんだ!」

「あたしは命のやりとりをしに来たのよ。皇帝、あなたにその覚悟がなかったとは言わせないわ」


 少女の覚悟は確固たるものであるらしい。その瞳には不屈の炎が宿っていた。アイリスは割といろんなものに屈する側面があるが、屈したあとはより強靭な芯をもって再生する能力を有しているので、結果的に不屈という言葉に語弊はない。現状がまさしくそうであった。

 これが形勢逆転であるかどうか。傍目には難しいところだろう。だが、皇帝は間違いなく大ダメージを受けていた。マウンテンサイクルから発掘させた黒歴史の産物は、蝶の翅を広げてすべての文明を崩壊せしめる。まさしくこれは、その象徴的な出来事である。


「ま、まさか……」


 はるか後方に展開された陣営の中で、キリヒト(リーダー)が掠れた声でつぶやいていた。


「まさか、〝ドラゴンファンタジー・オンライン外伝 ~疾黒のカイザー~〟の作者が、皇帝だったなんて……!」

「うわああああ! リアル読者がいたああああ!!」


 予想外の方からの援護射撃に、皇帝の身体が吹き飛んでいく。ここは攻め時だろう。アイリスはホワイトボードを取り出した。


「ちなみにこれが連載されていたのは2003年から2006年にかけてよ。驚くべきことに、この中学生の過剰な自意識が発露したかのような小説は、皇帝が25、6歳くらいの頃に書かれた作品なの。結婚生活の真っ只中よ。しかも途中でキングを出産しているはずだけど毎日更新で一日たりとも休んでいないわ」

「立派だよ!!」


 キリヒト(リーダー)は大きく声を張り上げた。


「完結させたらもっと立派だった!!」

「ごめん。CoD2が面白くって……」


 皇帝の声は所在なさげである。


「でも今更掘り起こして大公開することはないんじゃないの! 確かにこれを書いたのは私だよ! 私だけどさ! なんでこんな未熟なときに書いたものを……これじゃあ公開処刑だよ!」

「未熟なときに作った作品を、薄暗い闇の中に永遠に放っておこうと思える、その考え方が甘っちょろいってんのよ!」


 アイリスは拳を握った。彼女の瞳にも涙が溜まっているのを、ネムだけが確認できた。


「あたしが未熟なときに作った作品はね! センスもなくて稚拙で見るのも恥ずかしい出来だってのに、何故か世界的な金持ちが気に入って、胸につけたまま各界の名士に自慢して回ってんのよ! とんでもない羞恥プレイだわ! いい!? 自分の作った作品は消せないわ! 例えどんなに小っ恥ずかしいものでもね、一生ついてまわるもんなのよ! だからこそ!!」

「だ、だからこそ?」

「『ふっ・・・・。キリヒト、立派になったな・・・・』『ま、まさか・・・・兄さんなのか・・・・!?』」

「そこは読むなああああああっ!」


 第628話〝真実〟のクライマックスシーンにおける衝撃的な一幕である。なお、公式設定において、DFOの主人公たるキリヒトに兄はいない。


 皇帝の呼吸は荒い。いや、わざわざその動作をアバターに入力しているとは思えないが、おそらくマイクを通して伝わる桐生世理子の呼吸を、システムが反映している結果だろう。アイリスは朗読をやめた。皇帝の出方を慎重に伺う。やがて、ワイアール・カイザーのアバターは、小さく笑い声を漏らし始めた。


「ふ、ふふふ……」


 アイリスはじっと皇帝を睨みつけたまま、動かない。


「ウェブの恥はかき捨て……! そう思っていた私も、まだまだ未熟だったか……」


 皇帝は顔をあげた。アバターへの動作入力。プレイヤーの精神状態が安定の兆しを見せている。レバーを弾き、ボタンを叩く桐生世理子の精緻な指先が、〝演技〟に注力するだけの余裕を宿し始めた。皇帝はXANを大地に突き立てて、拳を高く掲げる。


「いいか、みんな聞くがいい! 〝ドラゴンファンタジー・オンライン外伝 ~疾黒のカイザー~〟の作者は確かに私だが、主人公カイザーのモデルももちろん私だ! ユニークスキル〝絶刀流〟の使い手で、キリヒトの生き別れの兄! 重病に侵され余命は数年もなく、その数年の中でゲームをクリアし、弟たちを助け出すことが目的だった!」


 皇帝の言葉は、確かな破壊力をもって周囲に伝播していく。耐性を持たない多くのプレイヤーが、後方でばたばたと倒れていくのがわかった。アイリス自身、割と自我を保つのに必死である。ただ、ネムだけは割と〝疾黒のカイザー〟の設定を興味深く聞き、重病のくだりでは涙さえ浮かべていた。無敵だった。


「ついでに言うと海馬とは旧知の間柄という設定で、当然ラースグリフの正体にも気づいていた! ラースグリフと一騎打ちで勝利するほどの実力を持ちながら、そこに訴えなかったのは、どこかでかつての友を信頼する気持ちと……」


 こういうのも、戦いの中で成長していると言うのだろうか。完全に吹っ切れた皇帝は、自ら語ることのなかった〝ドラゴンファンタジー・オンライン外伝 ~疾黒のカイザー~〟の設定を、凄まじい勢いで語りだしていた。

 死屍累々。すべてのプレイヤーがそうであったとは言わない。だが、おおよそはそうであった。彼らには思い当たる節があった。かつて、ノートの片隅に書き連ねた設定資料集と、右斜め前を向いたクールな少年のバストアップ。当然、手は難しいので描かないが、必殺技の設定はめちゃくちゃ多かった。


 そんなカッコイイ少年達のイメージの結晶が、葬りたい黒歴史の象徴が、目の前にいる皇帝ワイアール・カイザーであるとするならば。多くのプレイヤーはそれを直視することなどかなわない。キリヒトやマツナガは全滅に近かった。ゴルゴンゾーラやティラミスも死んでいる。みんな忘れたい過去があったのだ。


「以上だ! 何か質問は!」

「ないわ」


 ちらりと後ろをみやって、アイリスは言った。主戦力が全滅に近い。足止めに失敗した場合、皇帝は手がつけられなくなる。いや、でももう大丈夫か。アイリスには、自らの使命を果たしたという確信に近い安堵があった。


「さぁ、君の弾はそれで終わりか? アイリスちゃん。過去の黒歴史さえ克服した今の私に、次は何を仕掛けてくる?」

「もうないわ」


 アイリスは空を見上げる。エルフ族特有の知覚ステータスボーナスが、彼女の耳に不思議な風切り音を届けていた。はるか遠方より、巨大な質量をもったグラフィックが飛来する。全長50メートル近くに達するそれは、ヴァルヴュイッシュ遺跡群の奥地に影を落とさんとしていた。


「まぁ、あたしのは単なる時間稼ぎというか、ちょっとしたファンサービスみたいなものだから。本番はこれからよ」


 大きく成長したパワーゴーレムが、広場の中央に落下する。それがフェリシアのテイムしたゴーレムであることは、一同はすぐに理解した。


 瞬間、黒い突風が吹く。


 その手のひらから飛び出した一人の少年は、舞い上がる土のエフェクトを通して、鋭い眼光とともに遺跡群の大地へ降り立った。瞳は皇帝を射抜く。


「あれは……」


 そう呟く皇帝の言葉には、様々な感情の色が含まれていた。


「キングキリヒト……!」

「よう」


 キングは片手をあげて挨拶する。そのふてぶてしさはまったく変わっていない。


「来たか、キング。だが、間が悪かったな。今の私は限りなく無敵だ。どのような言葉であっても、私の心に風穴を開けることはできない。恐怖を乗り越えたのだ。精神的動揺による操作ミスは決してない!」

「あんたの子供は可哀想だな」

「ごめんね!」


 ひょっとしたら、双頭の白蛇デュアル・サーペントの撮影を通して、この光景一部始終を見聞きしていた可能性もある。母親の恥ずかしい過去を大公開されたキングの心中は察するにあまりあるが、彼の精神も割とタフであった。

 ゴーレムの手のひらから、フェリシアが降りてとてとてとアイリスの方へ駆けてくる。そのままぐるりと彼女の背後に回って、肩ごしにじっとキングを見守ろうとした。


「いけるのね?」


 アイリスが尋ねると、フェリシアが頷く。


「キングキリヒトは負けないって、言ってたから……」

「なら、いいわ」


 アイリスはきびすを返し、屍の群れへと歩を進める。フェリシアとネムも慌ててそれを追いかけた。


 自身の役割は為した。あとは、キングキリヒトとワイアール・カイザーの戦いだ。王と皇帝、子と母、あとはまぁ、カイザーの書いた小説の設定を拝借するならば、弟と兄の戦いにもなるのだろうか。そこにアイリスは手を出さない。見守るだけである。


 今まさに、長きに渡る戦いの最終ラウンドが始まろうとしていた。

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[一言] ぐるしいいいいい
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