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VRMMOをカネの力で無双する サブアカウント  作者: 鰤/牙
キリヒト/フェアリィ・ダンス
36/50

(15)

 二度と会えないわけではない。しょせんはゲームの中の話である。


 以前は同じ思いを抱えたアイリスだが、それでもやはり、同様の喪失感を抱かずにはいられない。VRMMOという同調性の強いゲームだから感じることなのか、あるいは、オンラインゲームをやっていればすべてのプレイヤーが感じるものであるのか。アイリスにはわからない。

 それは〝別れ〟というひとつのイベントに限ったことではないのかもしれない。アイリスの周りには、たかがゲームのことに対して、真剣になる人間があまりにも多すぎた。なぜみんな、こんな仮想空間での出来事に、本気で取り組めるのだろう。


「アイリスさん、どうなさいましたの?」


 さすがにこちらのテンションが他と違いすぎることを確認したか。ネムが尋ねてくるが、それでもアイリスはかぶりを振った。


「んーん、なんでもないわ」


 いま、オトギリヒトが消えたことに気づいているプレイヤーはいない。強いて言うならば、キリヒト(リーダー)が、メンバーの数が一人足りないことに違和感を覚えている様子ではあったが、それでも周囲のメンバーの盛り上がりに押されて詮索をする余裕はなさそうであった。ここでしんみりした空気を作るつもりはないし、まぁあの変人がそんなことを望んでいるとは、とうてい思えない。


 ただアイリスは、先ほど抱いた疑問に対しては、ひとりやや真剣に考え込んだ。

 この虚構の世界で起きるすべての出来事に、彼らが全力でぶち当たる意味とはいったいなんなのだろうか。オトギリが仮想世界における〝命〟と、現実世界における様々な社会的代償を払ってまで、自分たちを救ってくれた理由とはなんなのだろうか。そしてほかならぬアイリス自身が、この世界での出来事に、これほどまで真剣に心を痛める理由とは。


 アイリスは、このストロガノフの巨体に視線をやった。このゲームに真剣に取り組む人間筆頭だ。地を這い、泥をすするような思いをしてなお、このアスガルドの地に最強集団を率いているという自負とプライドを掲げている。アイリスだって彼に地を這わせ泥をすすらせたひとりだが、それでもストロガノフはゲームを逃げ出したりはしていない。常に全力投球だ。たかが遊びであるというのに。


「ねぇ、ネムさん」

「なんですの?」


 アイリスは、ストロガノフに向けていた視線を、そのまま隣の友人へと戻した。


「ネムさんは、このゲーム好き?」


 ネムは、しばしきょとんとした顔をした後、満面の笑みを浮かべてこう答えた。


「ええ、好きですわ。アイリスさんにもお会いできましたし」

「なんでそーゆーことを躊躇なく言えるのかしらねこの人は……」


 気恥ずかしさからついそのような口を叩いてしまうアイリスである。視線をぐるぐるとさまよわせる。


「ま、でも案外そんな理由なのかしらねー……」

「何がですの?」

「大したことじゃないわー」


 結局のところ、このゲームが好きだから、という以外に大した理由はないのかもしれない。アイリスだってナローファンタジー・オンラインは好きだ。最初は逃避の先に選んだ場所だったが、今は割と全力で好きだ。その理由について、拳を強く握って『そう、ネムさんと会えたからよ!』なんて言う気概は到底ないが。そもそもそれだけが理由ではないが。

 ひとまず、心の中でそのように決着をつけておく。アイリスには、意識を切り替える必要があった。いつまでもオトギリが消えた悲しみにくれている暇はないし、いや、別にあの男が消えたことで悲しんでいるという事実など毛頭ありはしないが、とりあえず面倒くさいことをうだうだと考えているような、面倒くさい時間は自分にはない。


「ダークキリヒトは逃げましたね」


 いくらかいるマツナガのひとりが、アイリスに対してそのように話を振ってきた。


「そうね、皇帝のところに行ったのかしら……」

「まぁ、今更ダークキリヒトひとりで何ができるとは思いませんけどねぇ」


 マツナガは、ちらりとアイリスを見る。彼女も肩をすくめた。


 ウラギリヒト達は解散し、ダークキリヒトは敗走した。作戦の第一段階においては、こちら側が見事な勝利を収めたと言える。マツナガの言う通り、配下を失ったダークキリヒトが、これから大した悪事を働けるとは思えないが、皇帝ワイアール・カイザーは依然として健在だ。かのプレイヤーがちょっとした気まぐれを起こすだけで、これから先どのような被害が引き起こされるか、わかったものではない。

 時刻をみれば、キングキリヒトが遺跡群へ到着する予定時刻までは、あと1時間ほど。つまりアイリスの役目はまだ残っているのだ。キリヒト(リーダー)は己の責務を果たした。ならば、今度は彼女の番であろう。


「俺が渡した資料は役に立ちそうですかね」


 マツナガの問いに対しては、アイリスも顔をしかめる。


「立つっちゃ立つかもしんないけど、まぁ、あれはねぇ……」

「使わないんですか?」

「状況次第かしらね……」


 まさかあれほどの爆弾が手に入るとは思わなかったのだ。アイリスも、あんなものを容易に武器にしてしまうのは、いささかばかり気が引けた。アイリスも鬼ではないというか、この件においてアイリス自身が鬼であるかどうかというのはあまり関係ない。あの爆弾は下手を打てば、盛大なブーメランにもなりうるのだ。爆発する先が相手のもとであるとは限らない。

 誰しも、過去へ置き去りにしたい恥はあるものである。アイリスはクリエイターの道を志すものだ。こと、創作文化の街道というものは、恥の屍が積み上げられる。


 ま、まぁ、それはいい。


「なんだっていいですが、次はあんたの番だ。頼みますよ」


 マツナガの言葉に、アイリスは無言で頷いた。


「お供しますわ、アイリスさん」


 ネムも彼女の手を取る。となると、アイリスも今度は苦笑いを浮かべた。


「あ、あんま無理はしないで欲しいんだけど……」





「完成だ……!」


 この時ばかりは、エドワードも自らがロン・ベルクになったような気分であった。

 かつて親方が、ツワブキ・イチローに煌剣シルバーリーフを打ったように、自分も最強のひと振りをキングの為にこしらえなければならなかった。《鍛冶》《製鉄》スキルで言えば、今や自分より上のプレイヤーは大勢いる。それでもエドワードは、彼らの助力を仰がず、自らの手で剣を叩いた。


 そうして完成した、ひと振りである。

 XANやシルバーリーフには到底及ばないかもしれない。だが、エドワード入魂のひと振りである。特殊能力やスキルスロットは一切なく、ただひたすらに、攻撃力と武器耐久値を伸ばした不器用な剣であった。


 エドワードの目の前には、眩く輝く(実際はそうでもないのだが、エドワードにはそう見えていた)剣身があり、そこに銘の入力ウィンドウが開かれている。そう、名前をつけてやらねばならなかった。


「ここは〝キングの剣〟……、いや、〝キリヒトの剣〟か……?」


 どちらもしっくりくる名前ではない。ひとまず、エドワードは〝保留〟を押して、剣を拾い上げた。

 アクセルコートの補修・強化や、他の防具一式も既に完成済である。あとはこれらをキングに届けるだけであった。エドワードは工房を飛び出し、ギルドハウスを飛び出し、そのままストリートの対岸に建つアイリスブランドのギルドハウスへと直進する。


 扉を開けるやいなや、彼は叫んだ。


「できたぞ!!」

「うああああああああああッ!!」


 そう叫ぶ彼の目の前に、ひとつの人影が叩きつけられた。さしものエドワードもこれには驚く。

 掃除の行き届いたアイリスブランドのギルドハウスであれば、舞い上がる埃が視界を遮ることもない。見ればそこには、短刀を逆手に構えたヨザクラが、満身創痍といった様子で転がっていた。いや、見た目には傷ひとつないのだが、ステータス的にはおそらく満身創痍であろうということが、浮かび上がったダメージエフェクトから察せられる。


 顔をあげると、ショートソードを掲げたキングキリヒトが、こちらを真っ直ぐに睨みつけていた。少し離れたところでは、フェリシアが息を飲んでいるのもわかる。

 とりあえずエドワードはもう一度言った。


「できたぞ」

「ああ、うん」


 キングキリヒトはショートソードをしまいながら答える。


「ふ、ふふ……。さすがはキングキリヒト……。戦いの中でも成長しているということですか……」


 足元ではヨザクラが雰囲気全開のセリフを垂れていた。


「まさかこの短時間で、フェアリィ・システムを打ち破るまでに成長するとは……」

「そういうのはいいんだけど」

「そうですか」


 ヨザクラは立ち上がり、ぽんぽんと身体を払う。埃などはないはずだが、まぁ、雰囲気だろう。

 ひとまずエドワードは、完成した無銘の剣をキングキリヒトに手渡すことにする。フェリシアもとてとてと駆け寄ってきた。


「それ、きりゅヒトの新しい剣ですか?」

「ああ」

「ふぅん……」


 キングは、エドワードから剣を受け取ると、その柄を握って大きく振ってみた。

 彼のかつての愛剣〝XAN〟も飾りっ気の薄い直剣であったが、こちらはそれに輪をかけて無骨である。装飾の類は一切なく、〝キリヒト〟同様、漆黒に彩られたひと振りだ。塚には布を巻いただけの、非常に簡素な外見であった。キングは、名前欄が保留になっているところを見て、首をかしげる。


「この剣、なんていうの?」

「まだ決まっていないんだ」

「私が名付けましょうか?」


 ヨザクラが自信満々な表情で言った。


「あんま期待してないけど、よろしく」


 彼女はこほん、とわざとらしい咳払いをした後に、人差し指を立ててこう続ける。


「〝ガイスト〟でいかがでしょう。ドイツ語で〝幽霊〟という意味です。敵に奪われたXANの魂を受け継ぐもの。そういった意味で考えました」

「単純に、前の剣が〝XAN〟だから〝ガイスト〟と繋げたかっただけじゃないのか」

「わかりますか」


 エドワードの指摘に対して、ヨザクラは重々しく頷いた。『わかりますか』とは言うが、キングとフェリシアにはまったくわからないのである。


「まぁ、いいんじゃないの」


 それでもキングは、まんざらでもなさそうに言った。


「〝キングキリヒト〟に比べればよっぽどマシだと思うんだけど」

「あれはあれで非常に薀蓄のある素晴らしいネーミングだと思うんですけどねー」

「いや、ダサいよ」


 もちろん、エドワードが用意した装備はガイストだけではない。クイックポシェットやウェポンキャリアーといった小物に加え、ココより寄贈されたアクセルコートには強化改修が施されている。キングのバトルスタイルに合わせて、防御修正値よりも敏捷修正値を伸ばした形だ。デザインを変更してもよかったが、エドワードにそのあたりのセンスはないため、白いラインを何本か走らせる程度でごまかしている。

 ストライダーブーツの代わりに用意されたのは、エアキッカーという魔導具装備であった。空中を蹴り立てての二段ジャンプが可能になる面白いアイテム能力がウリで、ゲーム世界ならではのモーションを体感しようと人気は高い。が、大抵のプレイヤーは使いこなせずに、露店にて売り飛ばされる。先ほど述べたように人気はあるので、露店に並んでも基本的にぼったくり価格である。まぁこのあたりは蛇足か。


 キングは目を輝かせるような真似はしなかったものの、やはり興味はあった様子で、エドワードからエアキッカーを受け取った。


「皇帝の三次元的な挙動についていくには必要な装備だろう。持っていくといい」

「ああ、ありがとう」


 キングがメニューウィンドウを開き、各部位の装備をひとつひとつ選択していく。インナーである赤いシャツと黒いスラックスの上に、まずはアクセルコートが。次にウェポンキャリアーが。クイックポシェットが。エアキッカーが。光の粒子として結実していき、最後、ウェポンキャリアーの中にガイストが収まる。


 キングキリヒトは、本来の姿を取り戻した。


「………うん」


 ヨザクラがギルドハウスの片隅から大鏡を運んできて、そこに映し出された全身を確認する。キングは満足そうに頷いた。


「行くのですか、キング」


 ヨザクラが腕を組み、神妙な面持ちで言った。時折彼女は、キルシュヴァッサーとロールの区別がついていないような様子を見せる。


「まぁね。準備もできたし」

「先ほどの答えは見つかりましたか?」

「うーん……」


 キングキリヒトは即答せず、考え込む素振りを見せた。先ほど、というのがいったい何を指し示すのか、エドワードにはわからないが、キングとヨザクラのやり取りを見るに、それなりに深遠なテーマであるらしい。

 しばしのち、キングキリヒトはこのように答えた。


「だいたいわかったような気がするんだけどさ、まぁ、もうちょっとかかるかも」

「でしたらまぁ、あとはのんびり答えが出るのを待つだけですね」


 ヨザクラはにこりと笑った後に、恭しく頭を下げる。


「では、いってらっしゃいませ」


 さすがに本業というだけあって、見送る仕草も板に付いたものであった。

 キングは頷いたが、すぐには出発しようとしない。何か言い残したことでもあるのかと思ったが、


「フェリシアさん」

「えっ、あ、あたしっ?」


 まさか自分に言葉が向けられるとは思っていなかったのだろう。キングを心配そうに見送ろうとしていたフェリシアだが、驚いた様子で身体を跳ねさせた。


「うん、フェリシアさん。あのさ、一緒に来てくんない?」

「えぇっ!」


 不意打ちの二乗である。フェリシアは、今度は両目をひん剥いた。ヨザクラとエドワードは、キングの意図を測りかねている……わけでもないようで、どことなくその理由に心当たりをつけている様子だった。


「ででででも桐生! あ、桐生って言っちゃった。でもあたし、思いっきり足手まといだよ!?」

「知ってる」

「知ってるんだ……。そうだよね……」

「手伝って欲しいことがあるんだけど」

「あ、あたしにぃ……?」


 フェリシアには、やはりキングの考えていることがわからない。彼女の頭が混乱している最中にも、納得した様子の脇ふたりがおおいに頷いている。


「なるほど、皇帝の弱点と、その攻略法……そういうわけですか」

「自らのバトルスタイルの弱点を知って立ち回っている皇帝相手には、確かに有効な手段かもしれないな」

「え、みんなわかってるの!? なにそれずるい! 教えてよ!」

「時間がないから道中で教える。このギルドの馬借りていい?」

「構いませんが……」


 キングはそう言って、ギルドハウスの扉を開き外に出た。フェリシアも慌ててそれを追いかける。エドワードも続いてハウスから出ると、アイテムインベントリを操作しながらこう言った。


「二人とも待て。こんなこともあろうかと用意していたものがある」


 そう言ってエドワードが取り出したアイテムは、『本当にこんなことを想定していたのかよ』と突っ込みたくなる都合のいいものであったのだが、鉄面皮じみたマシンナーの顔にどこか満ち足りた微笑を浮かべる彼を前にしては、誰もそのようなことが言えなくなるのであった。





 一団は隊列を再構成し、遺跡群の更なる奥地へと踏み込んでいく。アイリスとネムを先頭に、騎士団やユーリなどがそれを護衛する。ウラギリヒト達の懐柔に説得した彼らの役割は、キングの準備が整うまで皇帝の足止めをすることだ。ここで下手に皇帝の戦力を消耗させるわけにはいかないのが、実に厄介なところではあった。単なる足止めならば、騎士団が全戦力を投入すれば済みそうな話でもあるのだ。だが、マツナガはあくまでもキングと皇帝の決着に固執し、騎士団もそれを承諾した。


 ゆえの、アイリスである。


 アイリスの口撃スキルは、本人以外の誰もが認めるところだ。いや、本人も認めてはいるのだが、少なくとも周囲の評価は本人が思っているよりもずっと高かった。皇帝はメンタル面も無敵というか、実に面の皮の厚そうな人間ではあったが、フルパワーのアイリスをぶつければキングがくるまでの1時間くらいは、口喧嘩で場をつなぐことができるのではないか、という目論見が、そこにはあった。

 懸案事項がふたつある。

 ひとつは、アイリスの火力が高すぎて皇帝の精神に深い傷を残すのではないかという点。ここに関しては、前述の通り厚顔無恥そうな皇帝の人格を鑑みて、あまり心配はいらないように思える。よしんば傷ついてしまうようなことがあったとしても、先の戦いでキングは外野の精神攻撃によって動揺した隙を突かれたのだから、そこはおあいこである。

 もうひとつは、実はこちらの方が深刻な問題であるのだが、要するに皇帝の反撃によってアイリスのメンタルが壊滅したらどうしようという話であった。アイリスの生き様はカッターナイフの刃である。切れ味は鋭いが外圧に弱く、横から捻じ曲げられるとポッキリ逝ってしまう。アイリスの魂がポックリ逝ってしまわないか、周囲はハラハラのドキドキであった。


「アイリスさん、いざとなったら、わたくしが盾になって差し上げますわ……!」

「え、あ? う、うん……。あ、ありがとう……?」


 決意を新たに拳を握るネムの言葉も、アイリスにはいまいちぴんとこない様子だ。

 一同が密林を抜けると、だいぶ前に敗走したはずのダークキリヒトが、ひいひい言いながら逃げている途中であった。実は彼も、アイリス達が到着するのを待っていたのかもしれない。何故かマントはボロ切れのようになり、仮面も割れている。曲りなりにもそれなりのレベルに到達しているダークキリヒトだ。逃げに徹している限り、野生のモンスター相手にここまでダメージを負うとは考えられないし、そもそもダメージの具合は装備のグラフィックに反映されない。


「追いかけてトドメを刺すか?」

「いや、データ的にはピンピンしてるよ」


 ストロガノフの言葉に対して、キリヒト(リーダー)はギルドメンバーの管理画面を確認し、そう答えた。


 さて、ダークキリヒトの逃げる先には、皇帝がいる。玉座に腰掛け、XANを杖代わりに大地へ突き立てた彼の表情は、実に冷徹な色を宿していた。ダークキリヒトは、石像の合間をくぐり抜けるようにして皇帝の膝下へたどり着き、そしてすがりつく。


「こ、皇帝……! 申し訳ありません。ウラギリヒト達は、すべて説得、懐柔され……」


 やけに大きな声だったので、かなり後ろで事の趨勢を見守っていたアイリス達の耳にも、しっかり届いた。


「ほう。それでは、君は作戦に失敗したというわけか……」

「申し訳ありません! しかし皇帝、次こそは必ず……!」

「次があると、思うのかな?」


 皇帝ワイアール・カイザーに、プレイヤーは〝入って〟いない。彼はレバーとボタン、そしてフェアリィ・システムというアシストプログラムによって動かされる人形だ。しかし、カイザーの口端は怪しく歪み、その残虐な本性をわずかに垣間見させた。


 ダークキリヒトは狼狽を露にする。


「こ、皇帝……!」

「ダークキリヒト、私は寛大だ。失敗も三度まで許そう」


 指を三本立てる仕草は、まさか練習したのかと突っ込みたくなるほどにナチュラルなものであった。


「まずは、アイリスちゃんの懐柔失敗……」


 そう言って、カイザーはまず指を一本折る。


「次に、アンチクロスの解散……」


 また、一本指を折る。


「そして……、えっと、なんだっけ。忘れたけど一個何かあった」


 これ以上ないまでに理不尽な発言と共にさらに一本指を折り、皇帝は続ける。


「そして、今回のウラギリヒトの一件……!」

「皇帝、おやめください! 俺は、俺はあなたの右腕だったはず!」

「右腕……?」


 ワイアール・カイザーはフッと笑って、自らの右腕をぽんぽんと叩いた。


「私の右腕は、ここにある」

「皇帝……! うっ、うおおおおおおっ!」


 果たして、ダークキリヒトは血迷ったか。その手に漆黒の剣を構えるや、恐怖にくずおれそうな自らの肉体を鼓舞するかのように叫ぶと、皇帝ワイアール・カイザーに向けて突撃した。カイザーは立ち上がることすらしない。彼がぱちんと指を鳴らすと、大地を引き裂き一頭の大蛇が飛び出した。皇帝に一刃を浴びせることすら叶わず、ダークキリヒトの姿はそのあぎとへと消えていく。ほんの、一瞬の出来事であった。


 ちょっとだけ満足そうな表情が垣間見えた。


 ダークキリヒトを飲み込んだバジリスクは、また地中へと戻っていく。それを操っているのが皇帝ではなく、背後に控える従者であろうというのは、一同にも想像がついた。思わず拍手をしそうになる。戦闘前の発生デモとしては極上の見世物であった。正直に言って、運営がこしらえたグランドクエストのイベントよりも、よほど出来がいい。


「仲間を手にかけるなんて……なんて非情な方ですの……!」


 演出を本気で信じている者もいるにはいた。嘘を嘘と見抜ける人でないと、色々と難しいものである。


「さて、」


 ワイアール・カイザーはそこでようやく立ち上がり、片手をあげた。


「ようこそ、勇者諸君。無謀なる最初の挑戦者は、誰かな?」

「あたしよ」


 物怖じもせずに、アイリスが一歩、前に出る。


「あ、アイリスさん……!」


 ネムもそれを追いかけるように、一歩前に出た。


「ほう、君か。アイリスちゃん」

「ええ、あたしよ」


 感慨深げに声をにじませる皇帝に対して、アイリスはどんどん前に進んでいく。ネムはやや怖気づきながらも、それを追いかけた。


「君達では私に挑むには力不足ではないかな?」

「そう言って耳を引きちぎった挙句ひとりで大笑いして溶岩の海に沈んでいった男だっているのよ」


 後方に控える陣営の中で、ストロガノフが倒れるのがわかったが、アイリスは遠慮しない。


「それとも、ゲームしかやってこなかったダメ人間代表さんには、戦いとは数値と数値のぶつかり合いでしかないのかしら?」


 彼女の挑発的な言動は、既にスイッチが入っていることを示している。その時、一同は理解した。もはや戦いは始まっているのだ。アイリスは、この過酷な挑戦に身を投じている。そしてそこには、問答が終わるまで、皇帝は決して力に訴えないだろうという確固たる自信があった。

 勝負の結果が実際の生き死ににつながらない以上、勝ちと負けを決定づけるのは最終的には主観である。相手の言葉に言い返せず、自らの有する圧倒的な暴力で相手を叩き伏せるのは、事実上の敗北宣言でしかない。何より、ロールの美学にこだわりを見せる皇帝が、そのような戦いを望んでいるはずがない。


「言ってくれるではないか。では問おう。君が私に勝っていると、胸を張って言えるのはなんだ?」


 それに対するアイリスの言葉には、若干の躊躇があった。だが彼女は皇帝の目を見据え、毅然とした表情で答える。


「若さよ」


 彼女の隣で、トラウマを刺激されたネムがびくりと震えるのがわかった。

 皇帝が動きを止める。空間がわずかに凍結し、ひびが入る。〝若さ〟とは、女性にとって絶対となる指標のひとつである。アイリスにとっては、多くの女性を相手どるに際し、明確に武器とできる唯一無二の一点でもあった。少なくとも彼女はこの方法で一度、相手の動揺を誘うことに成功している。被害者は隣の女性である。


 一同はごくりと唾を飲み込み、ことの趨勢を見守った。しょせんはジャブだ。だが、これがどれほどのダメージになるか。今後の展開を占い上では重要である。


「ふ、ふふふふ……」


 皇帝は笑っていた。棒立ちになり、不気味な音を漏らしている。皇帝のアバターに動きがないことはつまり、この瞬間だけは、レバーとボタンによる操作を放り出していることを示す。


「なるほど、それが……〝そんなもの〟が、君たちの武器か……!」


 ワイアール・カイザーは顔を上げる。感情を読み取っていないはずのアバターが、不敵な笑みを浮かべている。


「そんなもの? 笑わせるわね。年寄りの嫉妬……」

「笑わせるのはそっちだよ、アイリスちゃん」


 皇帝はぴしゃりと言った。有無を言わせぬ迫力が滲む。


「あげつらいたいならば認めよう。私は満36歳。今年で37になる。だがそれがどうかしたかな? 〝若さ〟は決して、君が私より〝優れている〟点ではない。あえて言おう」


 人差し指が、アイリスへと向けられた。避けなければ、と思った。これ以上、言葉の先を聞いてはいけないと思った。


「君には、〝若さ〟しかない!!」

「うぐっ……!」


 正鵠を射抜くワイアール・カイザーの指摘であった。言葉は嚆矢。言葉はナイフ。アイリスの心臓に突き刺さり、魂の根本を抉り取る。彼女のジャブを見事にかわした皇帝の、カウンターブロー。しかも、反撃を許したのは一瞬であったとして、生じた隙は致命的であった。


「私より20歳も若い君が、今までしてきたことは何かな? 今まで為してきたことは何かな? 確かに君は若い。だが、その若さを有効活用したことはあるかな? 若さが財産であったとして、君がやっているのは単なる財産の無駄遣いだ。私は君より多く使い果たした20年の財産で、かけがえのないものをいくつも手に入れてきた。恋愛をした。結婚をした。妊娠をし、子供を生んだ。幸せな毎日だった。子供にゲームを教え、親子で共同の趣味とした! 子供が人生につまづいた時も、その子は私を『お母さん』と呼んでくれ、ゲームに付き合ってくれた! さぁ、答えろ! 君の若さは、この幸せよりも価値のあるものなのか!?」


 はるか後方の陣営ではマツナガの一人が倒れているのがわかった。おそらくあれが本物だろう。


 皇帝の言葉は重かった。アイリスに重傷を負わせるにたるものであった。彼女の軽率な発言は、その何倍もの大きさとなって、彼女自身へと襲いかかっていた。皇帝は、自ら年を重ねたことに対して、なんらコンプレックスを抱いていない。一歩一歩と歳を食い、小じわを増やし、死地へと近づいていく自分の人生を、楽しんでいる様子ですらあった。


「あ、あたしは……あたしは……」

「結論は出たな。君がいかに若くとも、女としては私が勝っている。アイリスちゃん、そしてネムさんも。君たちは私よりはるかに若いが、それでも今までに、まともな恋愛を何回した?」

「………っ!」


 アイリスは頭を抱えて膝をついた。目を見開き、身体が小刻みに震えている。後方で誰かが『ああ、未経験なんだ……』と呟いたのが、更なる追い打ちとなっていた。


「く、くじけちゃダメですわ。アイリスさん!」


 彼女の肩を揺さぶるようにして、ネムが喝を入れる。


「わたくしは知っています! アイリスさんが、決して若さだけの方ではないことを! そ、それに、まだ17歳じゃありませんの! それで恋愛未経験で、何か恥ずかしいことがありまして!? わたくしなんか、今年で、に、にじゅうきゅうさいになりますけれど、初恋は23の時でしたし、それを未だに引きずって叶う気配も……か、かふっ」


 自らの発した言葉の重みに耐え切れなかったか、ネムは喀血した。精神的動揺が高まると血を吐くエフェクトは、最近になってゲームに導入された運営の余計なお世話である。


「あたしが、あたしが甘かったんだわ……。こんな……」


 アイリスはガタガタと震えながら声を漏らす。懸念が現実のものになろうとしていた。


 さて、この時アイリスの心中はどのようなものであったか。彼女の心の中を渦巻いていたのは、ある種の後悔である。不用意に軽いジャブを打ったことで、ここまで重い反撃をもらうことになるとは、思っていなかった。


 原因はすべて、アイリスの躊躇にある。

 アイリスはマツナガから爆弾を手渡されていた。それがもっとも有効打であるとわかっていた以上は、使うべきであったのだ。皇帝は倒すべき敵であり、そこに余計な気遣いは必要ない。見ても見よ。アイリスがためらった、ただそれだけの原因で、彼女の大親友は負わなくてもいい傷を、心に負ってしまっている。


 あたしはバカだわ。アイリスは唇を噛んだ。肩に手を載せてくれたネムに、さらにそっと手を被せ、アイリスはゆっくりと立ち上がる。


「あ、あいりすさん……?」

「ごめんね、ネムさん……」


 みんなこのゲームが好きだからこそ、真剣だった。自分もそうあるべきだったのだ。全力で、全身全霊で、相手にぶつかり、叩きのめすべきであったのだ。

 かつて、アイリスは御曹司を失い、そして今回、オトギリを失った。プレイヤーとしての彼らは、ゲームに対して常に真摯な態度をとり続けた。やり方や哲学はおおいにことなるが、少なくとも彼らなりには真摯だった。アイリスが彼らと共にいる時間を楽しく思い、そして彼らもまた、アイリスにそれなりの態度をもって接してくれたのは、何故か。


 アイリスが、アイリスであるからだ。


 既にゲーム内での居場所を失くした彼らに、笑われるような自分ではいられない。そして、これ以上ネムが傷つく様を、黙って見ているわけにもいかないのだ。これはもう、アイリスの戦いである。で、あるならば、やることはひとつ。


 アイリスは魔法の呪文を知っている。対皇帝用暗黒攻撃呪文。


「ドラゴンファンタジー・オンライン外伝……」


 アイリスの口は、今まさに、それを紡がんとしていた。


「〝疾黒のカイザー〟……!」


 皇帝の動きが、ぴたりと止まった。

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