(9)
アイリス達はようやく武闘都市デルヴェへと到着した。この街は、シティフィールドでありながらシステム的に辻斬り的な戦闘が認可されている例外都市であるため、必ずしも安心できるわけではないが、それでも多くの高レベルプレイヤーが行き交う町並みは、彼らにようやく一息をつかせた。
マツナガとキルシュヴァッサーは、遺跡群に残ったらしい。なんとなくそうなるだろうな、という気はしていた。アイリスは、あの三人、いや、一言も言葉を発さなかった従者を含めれば四人か。彼らの間にどのような過去と因縁があるかは知らない。だがおそらく、十何年ぶりかの再開に際しては、抱擁や握手よりも殴り合いをするべき関係であったのだろう。アイリスは女の子なのでそういった思考回路はよく理解できないのだが、彼女の周りには割とそういう類の人種がいた。
彼らが皇帝に勝てるかと言えば、無理だろう。だからこそマツナガも残ったのだと言える。マツナガは、皇帝に勝つのはキングキリヒトでなければならないと言った。彼はキングの最強伝説を諦めてはいないのだ。カイザーの手で両断されたキングだが、当然その命も絶たれたというわけではない。彼はアイテムをすべてドロップあるいはロストし、最後に訪れた街に死に戻りをしているはずだった。
最後に訪れた街、すなわちこのデルヴェだ。キングキリヒトはこの街のどこかにいるはずである。
周りのみなもそう思っているはずだったが、ひとまずは状況の再確認とこれからの展望について話し合うため、ストロガノフは騎士団のギルドハウスに向かうことを提案した。アイリスも別段異存があるわけではない。そのようなわけで、彼らはストロガノフについてメインストリートを歩いた。
「キングは再起できると思うか?」
道すがら、ストロガノフがアイリスに尋ねる。
「大丈夫なんじゃないの? あたしはむしろ、全然心配してないんだけど……」
「む、そうか……」
アイリスは過去、ストロガノフを口撃にてコテンパンにしたことがある。彼としては思わずキングに同情するところがあったのだろう。事実、ストロガノフはゲームへの復帰にそれなりの時間を要した。
が、キングが同様の状態に陥っているのかといえば、そんなことはないように、アイリスは思う。キングが強い、などという、無条件な信頼を寄せているわけではない。話を聞く限り不登校だった時期があるようだから、そこまでメンタルが強いわけではないだろう。それでもキングはこの度の敗北で膝を折るようなことはない。彼には、そうできない理由がある。同じ理由を持つアイリスだからこそ、わかることだ。
一同がぞろぞろとメインストリートを歩いていたときである。
「おーい、」
と、声をかけられた。振り向く。
そこには黒い髪をした男が二人並んで立っていた。片割れがやけに馴れ馴れしそうに手を振ってくる。アイリスは首をかしげ、ストロガノフを見た。ストロガノフもさっぱりわからないといった顔をしている。アイリスとストロガノフは後ろを振り返り、そしてまた声をかけてきた男を見て、後ろを見て、きっかり三秒考えてから、互いに顔を見合わせ、『あっ』と言った。
「キリヒト(リーダー)、無事だったか」
「心配してたわ」
「なんでそんなに時間がかかった?」
「今気づいたけどあたし達、あんた達を完全に服装で認識していたんだわ」
そう言うアイリスの後ろから、列を押しのけてキリヒツのメンバーがわらわらと前に出た。
「リーダー、よかった!」
「すまん、ウラギリヒト達に気づけなかった」
「今すぐ装備を持ってきてやるからな!」
彼らはそう言って、キリヒト(リーダー)の肩をバシバシと叩きまくる。
と、なると、彼らと似たような顔をしているが細部が微妙に異なる隣の少年は、アレか。
「なんか完全にオーラないわね。キング」
「うるせぇ」
朱色のインナーと黒のスラックス。装備アイテムはゼロの状態だ。こうなるとキングキリヒトも、そのへんにいるただの少年と大して変わらない。大きな違いと言えばコートと剣くらいのはずであるのだが、それでもだいぶ変わるものだ。服の力は侮れない。
キングキリヒトの姿を認めると、後ろからエドワード達も出てきて彼らの無事を確認した。まぁ、装備をロストしている時点でデスペナルティを受けたわけであり、厳密には無事でもなんでもないのだが。
「そうだみんな聞いてくれ。キングがリベンジするって言って聞かないんだけど」
キリヒト(リーダー)がそう言うので、一同の視線は一気にキングキリヒトへと向けられた。キングはぷいと視線を逸らす。
「気が早いな」
ストロガノフが言った。
「装備を整えたほうがいい」
エドワードが言った。
「前向きでいらっしゃるのは非常によいことです」
苫小牧が言った。
「このナイフにはなぁ」
オトギリはキャンセルさせられた。
「で、フェリシアに言われたことはどんくらい気にしてんの?」
最後、アイリスに言われ、キングは顔をしかめる。
「そこそこ気にしてるけど、今は関係ねーよ。オレは皇帝にリベンジして、さっさと負けを帳消しにする。勝たなきゃいけない人がいるから、ここで負けてなんかいられない」
「ま、そうよね」
大方予想通りの答えが返ってきたので、アイリスは頷いた。そうなのだ。勝たなければいけない相手がいる以上、負けているわけにはいかないのだ。それはアイリス自身にしても同じことである。それは、そうとう険しい道のりの先に待ち受ける相手だが、だからこそ小石に躓いたくらいで膝を抱えてはいられない。勝たなければならない相手がいるというのは、そういうことだ。
他の一同は、キングの言葉の意味がわからずぽかんとしていたが、その中でエドワードだけがその意図を汲み取り頷いている。
ともあれ、キングがやる気を残しているならひとまずは問題ない。アイリスはストロガノフに向き直った。
「ストロガノフさん、改めてギルドハウスで話し合いましょ?」
「あ、ああ……そうだな」
そのまま一同は騎士団のギルドハウスへと向かい、赤い絨毯の敷かれた大層な会議室に通された。騎士団のメンバーのうち、何人かがお茶を持ってくる。
円卓に備え付けられた椅子は限られていたが、アイリスは今回の件に関与したギルドリーダーの一人として着席を許された。他にはストロガノフ、キリヒト(リーダー)、苫小牧、エドワード、そしてキングキリヒトが腰を下ろす。
「ひとまず状況を整理するぞ」
と、ストロガノフが言った。アイリスがアイテムインベントリを操作し始めるのを見て、慌てて止める。
「ホワイトボードは出さなくていい」
「そう?」
火山帯での出来事はそんなにトラウマを刻んでしまったのだろうか。アイリスの背後で黒色マーカーを持ったヨザクラが、少しだけ残念そうに顔を落とした。
「さて、ひとまずだ。皇帝ワイアール・カイザーはキングキリヒトを倒し、またダークキリヒトをはじめとした数多くのウラギリヒトを味方につけた。それでだ、こいつらを放置することで、いったい何が起こるのかということなんだが……」
ストロガノフはそこで言葉を切り、一同をぐるりと見渡した。
「……特に何も起こらなくないか?」
「ええ、起こりませんね」
苫小牧が柔和な笑みを浮かべ、頷く。
「もちろん、ゲーム内秩序が多少乱れる可能性はあります。ですがそれは、致命的な治安の悪化とはならないでしょう。ワイアール・カイザーとウラギリヒト達はPKやアイテム買い占めといった〝悪行〟に手を染めはするかもしれません。それでも彼らは一介のゲームプレイヤーです。最低限のマナーに則った良識的な悪行となるでしょうし、一定のラインを超えれば、運営からの警告もきます。実際問題として、このデルヴェにすら、彼らの〝悪行〟の影響は見えません」
「客観的に、放置しても何も問題はない。客観的にはな」
エドワードも腕を組みながら、苫小牧とストロガノフの言葉に同調した。
「みんなまどろっこしいわねー」
何か含みのある一同の言葉に、アイリスが切り込む。だが一同はそれを待っていたかのように、彼女へと視線を向けた。
「つまりあたし達は、あの〝皇帝〟が最強ヅラをしてんのが気に食わないから、キングにもっかいアイツをブッ叩いてもらおうとしてるって、これはそういうことを話し合おうとしてるんでしょ?」
「そうだな」
ストロガノフは頷いた。
そう、はっきりさせてしまえば、この場にいる全員がワイアール・カイザーを叩く〝道理〟など存在しないのだ。彼の理念も目的も、単なるロールプレイの一環とみれば邪魔をするのは無粋である。それでも、ストロガノフは、苫小牧は、エドワードは、そしてアイリスは、カイザーの横っ面を張り倒したい気持ちでいっぱいだった。そしてそのビンタを、今改めて一人の少年に託そうとしているのである。
「あたしもね、まぁちょっと今回の件は苦々しいのよね。ダークキリヒトのことだって、もうちょっとあたしが釘刺しておけばなんとかなったかもしれないし、カイザーの件にしてもね。そう考えるとさ、まぁ、自分のケツは自分で拭かなきゃいけないような気もするんだけど……」
「でも、アイリスくんのケツなら僕ちょっと拭いてみたいなァ」
「ヨザクラさんちょっと黙らせておいて」
「かしこまりました」
アイリスの背後で、ヨザクラがオトギリにテキサス・クローバーホールドをかける。
「ウラギリヒト達の一件は、俺たちにも問題がある」
キリヒト(リーダー)は重々しい声で言った。
「皇帝はキングに任せるとしても、あいつらは俺たちがなんとかする。あいつらにもう一度キリヒト魂を叩き込む。それは、俺たちザ・キリヒツの使命だ」
「気負いすぎるなよ」
ストロガノフが声をかけ、キリヒト(リーダー)は頷く。
「ではキング、どうなさいますか?」
「どうもこうも、やることは決まってんだけど」
苫小牧の言葉に、キングキリヒトは不遜な声で応じた。
「ただ、エドワードさんが言ったとおり装備は整えないといけないから、そこかな」
腕を組んだままのマシンナーの表情は、冷たいままにわずかな苦悩を浮かべている。
「ウェポンキャリアーやクイックポシェットはすぐにでも用意できる。ストライダーブーツもな。キリヒトが金を支払うなら、もっといい靴を用意してもいい。だが問題はXANとアクセルコートだ」
キングキリヒトが武器として用いていたXANは、彼が様々な経緯を経て入手したゲーム内最強武器のひとつであり、代替の効かないものである。キングが倒されたことにより、それはカイザーの手に渡ることとなった。キングは新たなる武器を用意しなければならないわけだが、このXANに代わるものとなると、それはなかなか難しい。
とり急ぐならば、オーダーメイドに頼るしかない。なるべく強そうなものを作るが、どこかに妥協点を見つける必要がある、と、エドワードは説明した。
XANほどではないにせよ、アクセルコートもまた入手が難しい防具である。アイリスやキリヒト(リーダー)は、それをよく知っているために頷いた。素材となるアイテムや、製造用のレシピは大陸北方の峻厳なる山脈の、さらに奥地に生息するモンスター〝アクセルゴート〟が、極めて稀にドロップするのみであり、短時間で用意するのは現実的な話ではない。そもそも、その奥地を目指すこと自体かなりの時間を要し、ワープフェザーの在庫がない今、入手してから戻ってくるにもまた一苦労だ。
「この二点だな。なんとかする必要がある」
「で、もしそれがなんとかなったら、キングはカイザーに勝てるの?」
アイリスが尋ねる。カイザーの実力が圧倒的なのは事実だ。少なくとも先ほどの時点では、両者の実力は拮抗していた。しかしそれも、武器の性能差あってのこととするならば、それが逆転した今、キングの勝ち目はやや薄くなっているように思う。
だが、キングキリヒトは頷いた。
「カイザーの戦い方には、いくつかの欠点がある」
「それは、ひょっとして〝鷹の目〟の話か?」
「うん」
ストロガノフの言葉に、キングが頷く。
『鷹の目?』と首をかしげたアイリスには、ストロガノフが丁寧に説明してくれた。ワイアール・カイザーは常に三人称視点から周囲の状況を俯瞰し、戦っているのではないかと噂されている。特異なプレイヤースキルだ。それが、戦闘を劇的に変化させているとは言い難いが、立ち回りが特殊になり、動きが読みづらくなる。
と、いう話だ。
アイリスはなるほどと思った。
「そう言えば、カイザーと話すときに思ったんだけど、あの人ってアレよね。人の目を見ないわよね」
その言葉に、キングとエドワードの肩がぴくりと動く。
「なんか視線もアサッテの方向向いてたりするし。そのせいなのかしら」
「よく見ているな」
エドワードが言った。彼はそこでようやく腕組みを解く。
「アイリスさん、装備鑑賞用の三人称視点を使用したとしても、常に意識補正はかかる。この場合、相手を見ようとすればアバターはきちんと相手の方向を向く。原則として、俯瞰視点を使用したからといって、目と目が合わない、ということはありえない」
「え、じゃあなんで?」
「ていうか、エドワードさんも知ってたんだ」
アイリスの言葉にマシンナーが答えるより早く、キングキリヒトは感嘆したような声を漏らした。一同がどういうことだ、と身を乗り出す中、エドワードは珍しくもったいぶった様子を見せながら、このように言った。
「おそらくその背景については、キリヒトよりも俺の方が詳しいと思うので、俺が話そう。ワイアール・カイザーには、秘密がある」
「皇帝、あなたはミライヴギアを使ってないですね?」
XANのひと振りによって生み出された衝撃波をリングシールドで受け止めながらキルシュヴァッサーは言った。
皇帝ワイアール・カイザーと、キルシュヴァッサー、及びマツナガの戦いは続いている。皇帝の度重なる猛攻に、少しずつ体力は疲弊していったが、それでも戦闘のさなかに会話を行うだけの余裕は、彼らに存在した。
キルシュヴァッサーの問いは、通常であればこのナロファンにおいて一切考えられないものであった。ナローファンタジー・オンラインはVRMMOであり、接続にはミライヴギアと呼ばれるゲームハードを必要とする。これを使わずして、意識を仮想空間にドライブさせることは不可能であり、それゆえにキルシュヴァッサーの問いかけは荒唐無稽なものであった。
で、あるにも関わらず、キルシュヴァッサーの隣に立つマツナガも、そこに異を唱えることはなかった。どころか、こう言ったのである。
「やはりそう思いますか、キルシュヴァッサー卿」
「マツナガさんも気づいてるとは思ってましたけど……。皇帝の挙動は、三人称視点で動かす3Dアクションゲームの動きそのままですよね」
特に、非戦闘時の歩行・走行モーションだ。去年の秋に発売されたハンティングアクションゲームに似ている。さもありなん、と、キルシュヴァッサーは思った。おそらくこのモーションパターンをわざわざ設定し組み込んだのは、そのゲームを彼と興じていた一人の男であるに違いないのだ。
戦闘時の動きともなればそれも異なるが、それでも常に一定の法則性が存在する。とても人間の意思で直接、アバターが動いているようには見えない。
「ふーむ……」
この瞬間だけは、怒涛のような皇帝の連続攻撃は止んでいた。彼は足を止め、棒立ちになりながら思案声を漏らす。
「ひょっとして、あの時のお茶かな。桜ちゃん、そうとう不味いのを入れてくれたね?」
「ええ。あなたは顔色ひとつ変えずに、おいしいと言ってくれましたけどね?」
「仕方ないな。どうせ口止めされていることでもないからね。答えてあげよう。そうだよ」
皇帝はそう言って、右手を掲げた。同時に左手をゆっくり動かしたかと思うと、すぐさま激しいダンスを踊り始める。キルシュヴァッサーとマツナガは、ぎょっとしたように退いた。マイケル・ジャクソンの〝スリラー〟である。以前、マツナガのところの忍者隊もそんなダンスを踊っていた。
「私が使っているのは、現在ポニー・エンタテイメント社で急遽開発中のゲームハード〝クラシックギア〟の試作モデル……。いやぁ、苦労したんだ。レバーとボタンだけでスリラー踊れるようになるまではね?」
ダンスを踊りながら、皇帝は軽々しい口調で言う。マツナガは眉根を寄せた。
「どうやってるんです?」
「正確にはコレクティブ・アクションレバーとトラックホイール・マウス。あとはタッチパネル式のキーボードで動作モードの切り替えをする。あとは、私が愛用しているアーケードスティックだ。君たちに見せられないのは残念で仕方がないが、ロボットアニメのコクピットみたいで最高にカッコいいんだ」
果たして、それが人類に動かせるものであるのかどうかはともかく、皇帝の言葉はやはり軽い。
だが、それは真実であった。桐生世理子は、ミライヴギアによって仮想世界に意識をドライブさせているのではない。あくまでも単なるクラシックゲームの延長として、迫力の大画面とサラウンド環境を楽しみながら、アーケードスティックで皇帝ワイアール・カイザーというアバターを動かしているに過ぎない。
予想していたことではあった。言い当てたのは彼らだ。だが、キルシュヴァッサーとマツナガはそれでも言葉を発することを一瞬忘れざるを得ない。今、自分たちの目の前にいるのが、かつてゲームセンター〝アルカディア〟にて、一本のスティックと6つのボタンで最強を勝ち取った〝皇帝〟本人であると、改めて認識せざるを得なかったのである。
妄執であるかもしれない。
キルシュヴァッサーは、かつての皇帝の言葉を思い出していた。
『このゲーセンだけじゃないかな。きっと、これからゲームセンターっていうのはどんどん淘汰されて行くと思うんだ。格ゲー人気だって下火だしね。あとは、街のゲーム屋さんとかね。ファミコンハウスとか、最近見なくなったでしょ? ゲームの形だってどんどん変わっていくよ。オンラインでいろんな人と対戦できるようになったり、アメリカでは脳に信号送って直接イメージを再現させるような技術も研究中なんだって。10年後には、ゲーム事情はいまとまるっきり違ってるだろうし、20年後にはもっと違ってる。そうなったときに、あたし達が遊んでいたゲームセンターとか、ファミコンハウスとかっていうのは、生き残っていられない』
『ゲームは新しくなっていくべきだよ。桜ちゃんも新しいゲームは好きでしょ?』
『うんうん。ポケモンもメダロットも、それから格ゲーも、進化はしていくと思うよ。でも、いつかそれは止まっちゃう。技術的な限界のせいかもしれないし、上位互換のゲームジャンルができるからかもしれないし、単純にお客が取り込めなくなるからかもしれないけどね。でも、ゲームは進化していくべきだよ』
そしてあの日、扇桜子は確かにこう尋ねたのだ。
『レバーとボタンで戦えなくなる日が来ても?』
皇帝は頷いた。
『そんな日が来るかも知れないから、あたしは、このアルカディアを永遠にしたかったの』
しかし、見てもみよ。今はどうだ。現状はどうだ。意識が仮想空間に没入し、新たなる肉体を動かすことのできるまったく新しい類のゲームは、確かに始まった。しかし、そこにさえ皇帝は殴り込みをかけてきたのだ。己の相棒たる、レバーとボタンを携えて。
この人は、本当に最後の最後まで抗い続けるつもりなのだ、と桜子は思った。
時代の激流はすべてを容赦なく押し流していく。皇帝は新時代に適応することができない人間であった。それでもゲームは新しくなっていくべきだと言った。しかしそれは、ロートルの敗北宣言などでは決してない。彼女はいつでもどこでも戦うつもりなのだ。そこに、レバーとボタンがある限り。
妄執である。キルシュヴァッサーは全身の震えを隠せない。それは憧憬の発露であり、同時に畏怖のそれでもあった。
「まっちゃん、桜ちゃん、私はね」
ワイアール・カイザーは再びXANを引き抜き、構え直して言った。
「この10年、良き妻であり、良き母親であったと思うよ。自分の子供にはゲームを教えた。旦那さんはそんなにゲーム好きじゃなかったけどね。世良には才能があったよ。どんどん強くなっていった」
カイザーの言葉は続く。
「我慢できないんだ。わかるかな」
何が、とはもう問えなかった。自分の子供が、桐生世良が強くなっていくことそのものがだ。
結局のところ、桐生世理子は、最後の最後で国内最強ゲーマーたる自分の姿を捨て去ることができなかったのである。あるいは、明確に自分を乗り越えていってくれることを、本心では望んでいるのかもしれない。新時代に適応できない哀れな古きゲーマーを、地層の遥か下に埋葬してくれる日が来ることを、祈っているのかもしれない。
だがそれは今ではない。彼女の手元にはあるのだ。仮想の肉体を動かすための、レバーとボタンが。それがある限り、彼女は決して〝古く〟なれない。もっと強く。もっと強く。もっと強く。ワイアール・カイザーは求める。
「世良はきっと戻ってくるよ。でも、次も私が勝つ。何度でもだ。私は最強であり続ける。私の手元に、レバーとボタンがある限りは」
「キングキリヒトは負けませんよ。先輩」
マツナガは言った。
「私の最強伝説を築いた、君がそれを言うのか? まっちゃん」
「先輩の最強伝説は、先輩の為に作りました。でもね、それじゃダメなんですよ。俺は俺の為に、キングキリヒトの最強伝説を作る。あなたの為に作った伝説は、俺の為に作った伝説で塗り替える。先輩、これは、俺の戦いなんですよ」
話を聞きながら、キルシュヴァッサーは、アイテムインベントリから一本の剣を取り出した。そろそろすべてを賭した一撃を、放つ頃だろう。今までは守りに徹していた。時間稼ぎと、マツナガの思惑に同調した為である。
だが、ここまで話を聞けば、もはや関係ない。14年前から、未だに引きずり続けている皇帝の妄執に、自身が誇る最強の一撃を叩きつける。勝つためではない。だが負けるつもりもない。キルシュヴァッサーはやらねばならない。幸運にもあの時代に生まれ、そして次の世代にも適合することのできた、幸運なゲーマーの一人として。新時代が築いた最強の一撃を、皇帝に浴びせなければならない。
「課金剣か。話は聞いている」
皇帝は笑った。
「桜ちゃんの切り札と、そういったところか。いいだろう、私も最後のカードを切ろう」
まだ何か奥の手があるのか、と、怪訝そうな顔をするキルシュヴァッサーとマツナガに、ワイアール・カイザーは続ける。
「クラシックギアの複雑な動作切り替えシステムは、そもそも人間の実用に耐えうるものじゃない。どこかにアシストが必要なんだ。だから、クラシックギアには操作するアバターのモーション補正を担当するアシストプログラムがある」
その言葉は暗に、皇帝が今までの挙動をすべて完全なマニュアル制御で行っていたことを示す。だがカイザーは今からそのアシストプログラムを起動すると言っているのだ。キルシュヴァッサーとマツナガは、この時同時に、今の今まで自分たちは、あるいはあのキングキリヒトですら『遊ばれていた』のだということに気づく。
それまでどこか焦点のズレていたカイザーの瞳が、まっすぐ二人に向けられた。棒立ち気味だった姿勢が改善され、武器を構えたカイザーはその視線を二人の間で移動させながら、じりじりと迫るように歩く。さながら、人形に生気が吹き込まれたようであった。
「一回はテストしておくように頼まれたからね。『フェアリィ・システム』の力を、今からご覧に入れよう!」
直後、大地を蹴り立てるカイザーの動きは、その鋭さを数倍にまで増していた。




