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(3)

 扇桜子の部屋である。使用人とはいえ、プライベートを重要視する一朗のスタンスから、彼がこの部屋に足を踏み入れることなど一切ない。実際のところ、彼女も自分の時間というのをそれなりに大事にはしていたのだが、7月に一朗がナロファンを始めてからは、一朗が桜子の趣味の世界そのものに侵犯してきたので、部屋にこもって何かする時間というのは減っている。

 ただそれでも、桜子のいかにも『男の子!』と言った感じの部屋には、埃ひとつ落ちていない。彼女は家事も完璧だが、かと言って自分の私生活をだらしなくするようなタイプではなかった。


 クローゼットや衣装ケースの中には、普段では到底お目にかかれない彼女の〝私服〟も数多く眠っており、部屋の隅の化粧台や、カーテン、マットをはじめとした調度品の色合いなどは女性的である。が、話に聞く二人の兄が彼女の趣味に残した傷痕の大きさは、部屋における〝それ以外〟から、ありありと感じ取ることができた。

 本棚に揃う漫画は少年漫画、少女漫画、青年誌コミックの割合が4:3:3。揃えられたDVDもアニメや特撮のものが大半を占め、棚や机にはプラモデルが飾られている。たまーに思い出したかのように、可愛らしいぬいぐるみが混じっているのだが、これらはすべてゲームセンターでの戦利品であった。


「ずいぶん変わったなぁ」


 彼女の部屋を与えた時のことを思い出して、一朗はそう呟いた。


「そうですか? 家具は増やしていないんですけど」

「家具以外のものが増えたかな。失礼しよう」


 言って、一朗は部屋の中に足を踏み入れる。彼は片手に、ローズマリーの目を持っていた。


「そうだ、見てくださいローズマリー。これが一朗さまの組んだガブスレイです」


 テーブルの上に置かれた黒いプラモデルを指差して、桜子が言う。


『カブトムシに見えますが』

「そういう塗装をしたからね」

「まぁ一朗さまが付き合ってくれたのはこれひとつだけなんですけどね……」


 もう5年前の話だ。わけあって外に出られない桜子に欲しいものはないか尋ねたところ、彼女はプラモデルを、いわばガンプラを要求し、一朗はそちらのサブカル方面には疎いので著莪と一緒に買いに行った。塗料に関しては個人の好みもあるから明確なアドバイスが難しいと著莪が言うものだから、一朗は店で売っていた塗料をすべて買い占めた。今となってはやりすぎた記憶もあるが、良い思い出である。あれはその後が大変だったのだが。


 まぁ良い。

 ここ最近は暇もできたのだ。もう少しポニーやシスルが落ち着いたらゆっくり虫探しにも行きたいが、それまでは家にいながらできる暇つぶしが欲しい。今やっているハンティングアクションゲームもなかなかだが、桜子に付き合ってプラモデルを組むのも悪くはないだろう。


「それはさておき、ゲームですねー」


 桜子は、部屋の片隅に置かれたテレビの電源を入れた。液晶ではない。ハイビジョンブラウン管である。秋葉原をくまなく探索した結果見つけた掘り出し物であるという。画質調整は面倒だが、適切な入力さえすれば、現行の薄型テレビより優れた映像を出力できる。彼女は趣味に妥協しない。

 テレビのしたには据え置き型のゲームハードが数台ある。いずれも最新機種で、ポニー・エンタテイメント社製のものもあったが、20年近く前に満天堂より発売された伝説のゲームハードもちゃっかり中に混じっていた。


「対戦格闘ゲームだっけ」

「そうですよ。今はだいぶ下火ですね。でもやっぱり根強いファンは残っていて、オリジナルの2D格闘作ったりとか、同人活動も盛んな分野です」


 桜子が取り出したのは、黒いパッケージに複数のキャラクター達(和装が多い)がそれぞれのポーズを取る、これまた20年近く前のゲームソフトであった。さすがに発売時期まで把握している一朗ではないが、古そうな割にパッケージの保存状態は綺麗だな、と思った。


『サムライスピリッツですね』


 ローズマリーが言った。


「そーです。SNK黄金時代の幕開けですよ。私は餓狼伝説よりこっちのほうが好きです」

『イチロー、ウィキペディアの概要を読み上げますか』

「いや、良いよ。ローズマリー、ウィキペディアは読み物としては面白いけど、情報源としては過度に信頼しすぎないようにね」

『はい』


 桜子はパッケージからねずみ色のカセットを取り出し、ゲームハードに差し込んでいる。


「そう言えば一朗さまもローズマリーも、アクションゲームはチェスやパズルゲームだって言ってましたよね」


 彼女は思い出したようにそのようなことを言った。

 夕食前、ゲームプレイ中の発言であったか。確かに一朗もローズマリーも覚えている。そうした発言はあった。それがどうかしただろうか、と思っていると、桜子はゲームの電源を入れて、こちらへと振り返った。


「対戦格闘ゲームというのは、まさしくそれです。固定された数種類のモーションと、アタリ判定、ダメージ。なまじ相手は同じ人間です。相手がどのように動くかを読んで、それをどう捌くか。このドキドキ感っていうのは、VRMMOでは味わえないものがあります」


 一朗は、桜子に差し出されたゲームの説明書を開く。その後、彼女はこのような補足を加えた。


「まぁ、キングキリヒトくらい、読みと反射神経が優れてれば別なんでしょうけどね……。でもやっぱり、こういう楽しさがある限り、VRゲームが常に他のゲームの上位互換であることはありえないなーって思っちゃいますね」

「桜子さんのお兄さんみたいな人もいるしね」

「梅彦はちょっと考えが古すぎる気もしますけどね。どのみち得られる情報刺激が多い以上、VRゲームが徐々に市民権を獲得していくんだろうなとは思いますよ? それでも私はこういうゲームにも生き残ってて欲しいですね」


 一朗は、VRゲームが市場を席巻するのにはまだ時間がかかるよ、と言おうとしたが、やめておいた。別に桜子が欲しいのはそうした答えではないはずだ。彼女だってVRMMOを楽しんでいるひとりではあったのだし。要するに、共に青春を過ごした数々のゲーム達が、〝過去のもの〟になるのが嫌なだけだろう。特に桜子は、ゲーム技術の急激な向上と共に生まれ育ってきたのだ。

 ナンセンスなセンチメンタルと言えばそうだが、そうした感情は誰にでもある。

 HDのブラウン管ディスプレイが、ドットの粗いロゴを表示する。桜子は、横顔にどこか懐かしむ色を浮かべながら、振り返ってこう言った。


「じゃあ、続きをお話しましょうかー」





     ◆       ◆       ◆





「足元がお留守だぜ、お嬢ちゃん!」

「ふわっ……!?」


 怒りゲージMAXからの強斬りがあたってしまい、桜子の連勝記録は7でストップした。全国の猛者を相手に健闘したと言ったところではないだろうか。筐体の画面の中では、桜子の愛用キャラが胴体から真っ二つにされている。毎度のことではあるが、ショッキングな演出であった。

 なけなしの100円玉が飲まれてしまった。せめてあの100円には、あと3勝はさせてあげたかったのだが。桜子はがっくりと肩を落とし、ニヤつく周囲のゲーマーの視線を背中に受け、よろよろと休憩スペースまで歩いて行った。女子小学生相手に本気になる大人げないゲーマーばかりだが、女子小学生だからといって手を抜かれるのも非常に癪なので何とも言えない複雑な気持ちが、桜子にはある。


「攻め方がワンパターンなんだよ桜さんは。そりゃ何回もやってりゃ動きバレるって」


 コーラの缶を差し出しながら、次兄がわかったような口をきく。


「そういう桃兄ちゃんだって5連勝じゃん」

「いや、俺の場合はその……」

「あ、待って」


 桃太郎の男らしくない弁明は、桜子の言葉で中断された。ふと気がつくと、足元に煙のようなものが立ち込めている。ドライアイスを水に浸した時に出るやつだ、ということは、直感的にわかった。この、異変というにもみょうな現象の発生に、他のゲーマー達も動揺しているのがわかる。ざわめきは、稼働する筐体の音にかき消されて、よく聞こえない。


「なんだこれ」

「わかんない」


 頭にクエスチョンマークしか浮かばない2人だったが、更にその直後、店内の奥でいきなりスポットライトが点灯した。そこには人影が3つ。2つが女性で、1つが老人であった。中央の女性は、何故か仮面を被りパイプ椅子に腰掛け、足を組んでいた。全身を黒い衣装に身を包み、その態度は妙に偉そうである。


「あのお爺さんが、この〝アルカディア〟のオーナーさんだ」


 いつの間にか2人の背後に来ていたタケシマがそう言った。梅彦も一緒だ。

 タケシマが示した老人は、まさしく枯れ枝のような手足をプルプルさせて立っている。商店街の片隅で寂れているゲームセンターなのだから、大手ではなく個人経営なのだろうとは思っていたが、いやはや。如何にも、と言った感じのオーナーではあった。


『全国のゲーマーの皆さん、ご来場、ありがとうございます』


 椅子に腰掛けた女性の隣で、傍らに立つもうひとりの女性が拡声器を手にとっている。マイクではないのか、と思ったが、見ればこの店内、スピーカーらしきものがない。


『今回、皆さんにお越しいただいた理由。改めて説明するまでもありませんが、お送りした手紙にありました通りです。今、この日本で最も強いゲーマーは誰なのか? 似たような雑誌企画や大会はありますが、私達、名城大学の電脳研究会は、もっと多面的に、かつガチンコで、その結論を出したいと常々思っておりました。そのために今回、このゲームセンター〝アルカディア〟を、大会の場として提供していただきました』


 女性がそこで言葉を一旦区切ると、手足をプルプルさせたオーナーが、梅干のような顔で何やら頷き、片手を上げて挨拶した。ゆらゆらと揺れるその姿はススキのようだと、桜子は思った。


 気になるのは、中央に座る仮面の女だ。桜子も決して人のことは言えないのだが、コスプレじみたその姿はやたらと異彩を放つ。仮面をつけているせいでいまいち顔立ちはわからないのだが、髪型や細身のラインから、ほぼ間違いなく女性であろうということがわかる。

 そして同時に、話の流れから、あの女性こそが〝皇帝〟YRK、すなわち、東海最強ゲーマーなのではないかという予感を抱く。女性だったのか、という、純粋な驚きがあった。


 そして、拡声器から放たれた次の言葉は、また別の意味で桜子を、更には会場に来訪していたすべてのゲーマーを驚かせた。


『紹介が遅れました。こちらにいるのが、我が名城大電脳研が有する、世界最強のゲームプレイヤー〝皇帝〟YRKとなります』


 店内の空気に動揺と困惑が生まれ、それがすぐさま剣呑なものに変わるのがわかった。

 最強のゲーマーを決めるための集い。ここにいるすべてのプレイヤーはその名目で集められ、実質今もそのようなアナウンスがあった。来場者の全ては、自分こそがその称号を得るにふさわしいと信じてやってきた猛者ばかりだ。


 その場において、主催者側の人物を〝世界最強のプレイヤー〟として紹介する意図は何か。


 桜子が振り返ると、桃太郎は不機嫌そうに唇を尖らせ、梅彦はメガネの奥の怜悧な瞳に、わずかばかりの困惑を浮かべていた。その隣に立つタケシマのみが、やたらと愉快そうに口元を緩めている。つまり、この現状は織り込み済みなのだ。

 ならば、なおさらわけがわからない。


「おい、どういうことだ!」


 ゲーマーのひとり。確か広島のモミジといったか。恰幅のいい青年が声を荒らげ、アナウンスに対して抗議した。


「戦う前からそいつが最強だって言うのかよ! 俺たちはそいつより弱いっていうのか! そんな、見たこともないような奴が!」


 拡声器を持った女性は、ちらりと視線をYRKに落とす。仮面をつけた皇帝は、首だけを小さく縦に動かした。その後、女性は少しだけ視線をさ迷わせた後、このようにアナウンスを続けた。


『その通りだ。しょせんお前たちなど私の前では有象無象のゴミに過ぎない。と、皇帝は言っています』

「ふざけんな! 俺が認めたゲーマーは、埼玉のウメヒコだけだ!」


 モミジの声に、周囲の野次馬たちも腕を組んで頷いている。


「梅兄ちゃん、認められてるけど」

「そのようだな」


 梅彦の態度はあくまでもクールだった。


「タケシマさん、あのパフォーマンスはなんなんだ。プロレスじゃあるまいし」

「今年入った一年生に、やたら人のプライドを突っつくのが上手い奴がいるらしくてさぁ。そいつがリアルタイムでカンペを書いてるんだよ」


 桃太郎の疑問に、タケシマが答える。彼が親指でそれとなく指差した先には、受付の長机があった。先ほど少しだけ言葉を交わした、あのいけ好かない肥満体の青年がスケッチブックを片手に何食わぬ顔で座っている。


「いや、そういうことじゃなくてさ……」

「演出自体もそいつの発案だよ」

「趣味わりーよ」

「俺もそう思うなぁ」


 そう言いつつも、タケシマの表情は本当に愉快そうであった。

 さて、皇帝の明らかにこちらを見下した言動(実は書いているのは受付の青年)に腹を立てたモミジは、いよいよ彼女にズカズカと歩いて行った。あわや乱闘か、と周囲が肝を冷やしたが、モミジはYRKに向けて人差し指を突きつけるだけだった。その後、こう叫ぶ。


「まずは俺と1対1で勝負だ! 俺が勝ったらその仮面をとって土下座してもらう!」

『あ、すいません、それは……』


 拡声器の女性が何か言いかけたのを、〝皇帝〟が片手で制した。桜子が見ると、受付で青年がスケッチブックにサインペンを走らせている。YRKのわずかなアイコンタクトでその意思を汲み取ったのだとすれば、大した話ではある。


『い、良いだろう。だが君が負けた場合、今回の大会への挑戦権は剥奪させてもらう。と、皇帝はそのように……』

「ふ、ふざけやがって……!」

『タイトルは君が決めたまえ、だそうです……』


 拡声器を通しても、女性の声はやがて消え入りそうになっていた。ヘイトを稼ぐ、損な役回りではある。

 モミジは100円玉を握り締め、〝スーパーストリートファイターⅡX〟の筐体前に腰を下ろした。YRKはゆっくりとパイプ椅子から立ち上がり、全国のゲーマー達の強い敵意の視線を一身に浴びながら、その対面へと座り込む。ホームグラウンドであるはずが、感情的には一瞬でアウェイだ。大層な面の皮ではある。オーナーは事情がわかっているのかいないのか、まだプルプルしていた。


 互いにキャラクターを選択し、画面の中で両者がにらみ合う。ギャラリーの視線が集中し、この時ばかりは、周囲の筐体が放つやかましい音声すらも遠く離れていく。桜子は、ごくりと唾を飲み込んだ。


 戦いは、あっという間であった。

 どちらが勝ったのかは、言うまでもないだろう。モミジは、全身に脂汗を浮かべたまま、呆然と画面に手をつき首を振っていた。皇帝は、まるで何事もなかったかのような悠然とした歩調でパイプ椅子へと戻り、腰掛けなおす。敵愾心ばかりが込められていたYRKに対する周囲の視線は、やがてその中に畏怖の割合を増していった。


『こ、これで私の強さがわかって……』


 びくびくしながら拡声器を手に取る女性を見上げると、YRKは再び立ち上がり、彼女の肩を軽く叩いた。その手から拡声器を受け取り、マスク越しにではあるものの声で、皇帝は初めて自らの言葉を発する。


『これで、私の強さがわかってもらえたと思う』


 存外によく通る、はっきりとした声だった。


『改めてルールを説明しよう。諸君らは、このアルカディアでガンスリンガー形式で自由に戦ってもらう。今から係が諸君らに星のバッジを3つずつ配るが、戦いに勝ったものが、負けたものから星をひとつ奪える。星を10手にしたものが、私への挑戦権を得る。私に勝てば、最強のゲーマーの称号は彼のものだ』


 腕章をしたスタッフは、桜子たちのもとへもやってきた。バッジと言っても、厚紙に金の折り紙を貼り付けて、そこに安全ピンをつけただけのチャチなものだ。ところどころに貧乏臭さが透けて見えるが、大学のサークルなどそんなものであろうか。小学生の桜子には遠い世界のように思えてならなかったのだが、意外とやっていることは大差ないんだなと思う。


 YRKを倒したものが最強のゲーマー。

 増上慢な物言いに文句をつけるものは、今度はいなかった。広島のモミジも、それなりに名の通ったプレイヤーであったはずだ。それをああもあっけなく叩き伏せるのだから、YRKの実力は伺える。皇帝の名に相応しいだけのものでは、あった。

 しかし、ここで闘志を萎縮させるのであれば、それはもともと勝負師には向いていない。バッジをつけたプレイヤーは、一様に周囲へ視線を走らせ、まずは誰と戦うべきかの品定めを始めている。


「タケシマ、ひとつ聞きたいんだが」


 そんな中、バッジをつけた梅彦が、いつもと変わらぬ態度でたずねた。


「どうした」

「タケシマも、彼女に負けたのか?」

「ああ、コテンパンだったよ」


 タケシマはあっさりとそれを認める。それは桜子にとって驚愕すべき内容であるはずだったが、あまりにもなんでもないことのように言うものだから、危うく聞き逃すところですらあった。梅彦が決着をつけたいと思っていたタケシマを、あっさり下すYRKの実力。

 梅彦は、短く『そうか』とだけ答えて、天井を見上げた。背の高い梅彦がこうした姿勢を取ると、メガネの奥の怜悧な瞳も、当然桜子には見えなくなる。この時の梅彦がどのような顔をしているのか、桜子はいつも気になっていた。


「タケシマさん、俺も質問」

「ん?」


 桃太郎が再びたずね、タケシマが首をかしげる。


「なんでこんなに悪役っぽいんだよ」

「今のサークル長の趣味だよ」


 要するに、YRK本人の趣味ということだ。





     ◆       ◆       ◆





「ずいぶんと思い切ったことをするんだね」


 そう言う一朗の指先は、既にコントローラーと完全に一体化していた。怒りゲージがMAXからの大斬りをくらって、桜子のキャラクターは体力バーを一気に削り取られる。14年前のデジャブを感じた。ただし、このゲームは家庭用に移植されているので、胴体が真っ二つになるような演出はない。

 まぁ、やがてこうなるだろうとは思っていたのだが、存外に早かった。桜子の腕が錆び付いていたのか、一朗の成長が早いのか。どちらにしても悔しいことには変わりない。


 ともあれ、話の続きだ。


『名城大電脳研の目的が理解できません』


 ローズマリーも、律儀にそのような感想を返してくれた。


「まぁ詳しいことはまた後で話すつもりですけど、要するにYRKが最強だっていうアピールをしたかったのかなーって。わざわざ全国からゲーマーを集めたり、むやみに煽る真似をしたり、やることは回りくどいなって思いますけど……」

「宣伝の効果はあったのかな」

「さぁ……。結局、YRKさんも引退しちゃってますし、まぁネットで検索すれば当時を懐かしむ話とかもたまーに見るくらいですかね」


 1999年の時点で、インターネット自体は各家庭にもだいぶ普及しつつあった。それぞれの趣味に応じたコミュニティも存在したし、アーケードゲームに手を出す層というのは、おおよそそうしたインターネットに手を出す層とも一致していたので、噂自体はあっという間に広まった。ただし、当時は動画を撮影してウェブ上に上げる手段というのも希薄であり、YRKの戦いを記録した映像自体は残っていない。

 桜子の兄である梅彦は、その後もゲーマーとしての活動を続け、各地の大会でも優秀な成績を収めている。こちらの方はちょっとゲームに詳しい人間なら名前くらいは聞いたことがあるというレベルになっているので、ネームバリューとしては、梅彦の方が名を残していることになるだろう。


「でも、そういったパフォーマンスは、僕は好きだな」

「まぁ、よっぽど自分に自信がないと出来ないですからねー。あっさり負けちゃったら恥かくだけだし」


 あの異様な強さに裏付けされた自信である。多少の傲慢は納得できるが、今思い直してみても、あれだけのことをできる胆力というのは、大したものだなと桜子は思う。肝の太い人間というのはどこにでもいるのだ。今、自分の真横にいるこの男を含めて。


「あと、桜子さんが言っていた、格闘ゲームの読み合いの楽しさというのもわかったよ。これは相手のコントローラーを見ながら戦った方が確実だね」

「そういう人もいますね! でもマナー違反ですから!」

「あ、そうなんだ」


 アーケードで戦う際は、どのみち筐体の影になって見えない部分ではあるが。

 コマンド入力の際のわずかな挙動で次に繰り出す技を見切る技能というのも当然存在するし、桜子も長年をかけて習得した技術ではあるが、一朗は初めてわずか数十分でその域に達している様子だった。


 怪物はどこにでもいるものだが、それにしても自分の人生ではエンカウント率が高いように感じる。既に何度目かの戦いで、またも画面端に追いやられた桜子は、またもあっけなくその体力バーを散らした。

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