(4)
「えっ、心当たりあるの?」
「なくはない、かな」
展示装備を眺めていたフェリシアの隣で、背の高い女性アバターがそう言った。彼女が身につけているのはレザー系を順当に強化していった軽めの防具に、各部を覆うポイントアーマー。そして格闘家専用装備の一種であるマギ・フィストだ。一年ほど前、フェリシアがパーティを組んだ時と、その基本構成に大きな変化はない。ただ、キャラクターレベルには大きな開きができていた。
二人がいるのは、グラスゴバラUDXビルの装備展示ロビーである。かつて野良ギルドを組んだ女性プレイヤーと、奇跡的に連絡が取れたフェリシアは、彼女とここで落ち合うことになった。フェリシアにビルド方針の基礎を教えてくれた彼女は、相変わらずオトナっぽくてかっこいい。
「なんかエドワードさんも、さっきそう言ってたよ?」
「有名人だから」
「そ、そうなの? ユーリさんは知り合いなの?」
「どうかな。顔くらいは覚えてもらえてるかもしれないけど、話したこと、あまりないしね」
フェリシアの探し人というのは同級生である。
学校内でいじめにあっていたクラスメイトが、オンラインゲームの世界に逃げ込んだと聞いて追いかけてきたが、この一年まったくその足取りをつかめず、去年の秋にはその子は見事に復学しいじめを克服してしまった。立つ瀬がなくなったのはフェリシアである。
じゃあもう見つけなくていいや、と、思う反面、こうなった以上何がなんでも見つけて冷やかしてやろうと思う自分がいて、フェリシアは最近になってまたナローファンタジー・オンラインを再開した。
しかし、そのクラスメイトが、ゲーム内で有名人である可能性が存在することについては、驚きを隠せない。フェリシアの知るリアルでのその子は、どちらかというと大人しい、まぁ多少生意気でふてぶてしい部分はあったが、ナイコー的な子であったように思うのだ。ナイコー的というのは、自分のカラに閉じこもりがちなタイプの性格のことだ。学校で習った。
「たぶん、最前線の遺跡群に向かったと思うんだけど、どうかな。フェリシアのレベルって、40くらいだっけ」
「うん……。ユーリさんは?」
「もうすぐ80。ちょっと厳しいね」
そんな話をしていると、鍛治場に繋がる扉が開いて、フルプレートメイルのマシンナーが姿を見せた。今しがた完成したばかりであろう剣や槍を抱え、ロビーに展示しながらメニューを開き売却用設定をしていく。
エドワードのそんな様子を眺めながら、ユーリは彼に声をかけた。
「エドワードさんも、一緒に来ない?」
「………」
鉄面皮のマシンナーは顔をあげ、フェリシアとユーリを交互に見た。表情に乏しいのが、何やら見ていて怖いなと、フェリシアは思う。
「断る」
エドワードはきっぱりとそう言った。ユーリは肩をすくめるだけだ。元からあまり期待をしていなかったように見える。
「アイ達に声をかけてみようかなぁ」
「アイって?」
「昔のギルド仲間。レベル自体はそんなに高くないんだけどね。でも、ひとりだけ強い人がいるし……」
やはりレベルの壁か。フェリシアは複雑な気持ちになる。
この世界では数値的なレベルは絶対だ。彼女だって、ゲームをやること自体は初めてではないから、それに対して決して違和感を感じるわけではないのだが、それでも何やらもどかしい気持ちにはなる。
ユーリがその友人に連絡を取ろうとメニューウィンドウを開いたとき、ギルドハウスの入口が開いて、アキハバラ鍛造組に新しい来客が訪れる。フェリシアは何気なく視線をそちらへ向けただけだが、ユーリはそこでウィンドウを叩く手をふと止めた。エドワードも硬直する。
「やっほー、来たにゃーん」
「お久しぶりです。お邪魔しますね」
姿を見せたのは、年若そうな獣人の少女と、背の高いハイエルフの男である。
「こんにちは、あめしょー。苫小牧さん」
「おっ、ユーリじゃん。やっほー」
あめしょーと呼ばれた少女はやたら背が低く、幼かった。それでも自分よりは年上なのだろうなぁと、フェリシアは思う。現実世界での彼女は11歳だ。このフェリシアというアバターは、外見年齢をだいぶ多めに盛っている。
人見知りからついついユーリの後ろに隠れてしまうフェリシアに、あめしょーはにこりとだけ微笑んだ。苫小牧と呼ばれた方は終始穏やかな微笑をたたえている。
その後、そそくさと鍛冶場に戻ろうとするエドワードに、あめしょーがてててっと追いすがり、1.5倍近い身長差のある相手の肩を、ばしっと叩いた。
「エドエドエドエドぉ、」
「エドは一回でいい」
「ぼくの装備、全体的に耐久値落ちてきちゃったんだけどさー。直してもらっていーい?」
「俺じゃなくたっていいだろう」
「えー、ぼく、エドがいー」
心底イヤそうな顔をするエドワードに、あめしょーが擦り寄っている。その様子を横に見ながら、苫小牧は柔和な笑みを絶やさずにユーリとフェリシアの方へ歩いてきた。
「初めまして、苫小牧と申します。ユーリさんのお友達ですか?」
「えぇ、あの。はい。フェリシアです」
「人探しをしているらしいです」
「ほう」
苫小牧が微笑みを深くした。フェリシアはぺこりと頭を下げる。
ゲームの中では、相手はだいたい自分より年上であるという認識が、フェリシアを気後れさせる。
考えてもみよ。フェリシアは11歳、いわゆるミレニアムチルドレンよりもさらに年下である。ミライヴギアの使用に年齢制限はないものの、小学生の使用には懐疑的な親や教育委員会も多くて、ドライブしてくるプレイヤーは大半が中学生以上だ。
小学生から見た中学生というのは立派なオトナである。もちろんフェリシアだっていつまでもコドモでいるつもりはない。なんといっても11歳だ。9歳までは正真正銘のコドモだったが、年齢がフタケタになるとオトナとしての深みも増してくる。だが、そのオトナの深みを増したフェリシアであっても、中学生は太刀打ちし難い超・オトナなのだ。それ以上となるともはや雲の上の領域である。
ゆえに、フェリシアは見知らぬオトナと対峙すると気後れする。
「それで、苫小牧さん。その探し人っていうのが、なんだか、キングらしいんです」
「なるほど。キングのお友達なんですね」
そのキングというのが、クラスメイトのアバターネームなのか。あまりあいつらしくないな、と、フェリシアは思う。
「キング、遺跡群に向かったと思うんですが、私とフェリシアだけだとレベルが足りなくて……」
「ふむ……」
「えー、遺跡群行くの?」
エドワードにまとわりついていたあめしょーが、くるりとこちらを振り向いた。ユーリが頷く。
「行きたいな、と」
「ぼくが同行したげよっか?」
小首をかしげるあめしょーの仕草はかなり可愛らしい。
「あめしょーならそう言ってくれると思ってた」
「えへへー。しょうがないにゃあ」
ぺたん、と胸を叩くあめしょーである。フェリシアとしては、このネコミミ少女がどれほどの実力者なのかまったくわからないのであるが、ユーリの言動を見るにだいぶ信頼できるものらしい。フェリシアはおずおずと前に出て、彼女に頭を下げた。
「よ、よろしくお願いします」
「任せておきたまえー。苫小牧も行くでしょ? 回復役、必要でしょ?」
「そうですね。久しぶりに冒険も楽しそうです」
あめしょーの視線が、またもくるりとエドワードを向いた。
「エドはー?」
「俺は行かない」
「なんで行かないの?」
「なんで行かなきゃいけないんだ」
ところでそういうエドワードの手には、あめしょーから手渡されたであろうナイフや耳飾りなどがあった。結局彼女の依頼を引き受けてしまっている様子だ。
「そりゃあ、火力と盾が欲しいにゃん?」
「別に俺じゃなくても……」
「いいじゃねぇか、行ってこい。エド」
エドワードが言いかけたとき、それを遮ったのは、重々しくかすれた壮年の男の声であった。鍛冶場から、小柄なヒゲもじゃのドワーフがのっそりと姿を見せる。
「お、親方……」
「今、遺跡群には〝黒衣の剣士〟も出るって話だろ。いいじゃねぇか、見てこいよ」
おそらくギルドリーダーらしき男の頭上に表示された名前を見て、フェリシアは目を疑った。なんとそのドワーフのアバターネームは〝↓こいつ最高にアホ〟というらしい。いったいなにを考えてそんな名前をつけたのやら、フェリシアにはさっぱりだった。
「またそいつの話ですか……」
「あいつの秘密のことは前に話したろ。お前だって興味あるんだろ」
いったい何の話をしているのかわからないのは、フェリシアだけではない様子だった。だが、エドワードはしばし考え、フェリシアやユーリ、あめしょーや苫小牧を見てから小さくため息をつく。
「わかった、行くよ」
「やったね!」
「耐久値の下がってる装備はここで鍛え直していく。ユーリさんとかフェリシアさんとかは、ポーションの買い出し行ってきてくれ」
満面の笑みでサムズアップするあめしょーには取り合わず、エドワードはそのまま鍛冶場へ引っ込んでいった。
「ユーリさん、いつもみんなこんな感じでパーティー組んでるの?」
フェリシアが尋ねると、ユーリは苦笑を浮かべる。
「いや、今回は結構特殊かなぁ。まぁ、みんないい人だからね」
ところ変わってアイリスブランドである。彼らは相変わらず外野が、『おまえらなんでVRゲームやってるんだ』と言いたくなるほどにダラダラした時間を過ごしていた。
中でもアイリスはキルシュヴァッサーのいれたお茶を机の上に置き、衣装デザインの勉強を続けている。ここには超一流の講師もいるのだから、彼女の経験知識は実に効率よく蓄積されていった。それでも、時折その講師が苦笑いしてしまう程度には、アイリスには才能がないらしい。もちろん、その程度で彼女はめげない。
今は超一流の講師は、愉快なギルドメンバーと後ろでお絵かきに興じている。アイリスは電子書籍のデザイン本を片手に、新たな衣装のイメージを形にしようと頑張っていた。
アイリスがふと顔をあげると、キルシュヴァッサーは難しい顔をしながら専用ブラウザを開いていた。先程、正確にはキングがギルドハウスを出たあたりからずっとこれだ。動画サイトアプリと専用ブラウザを交互に開いて何かを調べているように見える。
「〝黒衣の剣士〟のこと、気になるの?」
アイリスは机に視線を戻してから、そう尋ねた。
「……わかりますか」
キルシュヴァッサーの声には苦笑いの色が混じっている。
「マツナガさんのブログには何の情報もなかったわね。動画サイトとかでは結構上がってたりするのに」
「マツナガ殿が意図的に情報を隠す理由も、よくわかりませんしな。掲示板の書き込みとかを見るに、やはり遺跡群での目撃情報があるようですが……」
「じゃあキングが向かったのもそれで正解だったのね」
アイリスは再びキルシュヴァッサーの顔を見る。やはり、彼の顔は浮かない。
キルシュヴァッサー、本名は聞いていない。オフ会の席でも御曹司は徹底してキルシュヴァッサー卿と呼んでいた。まぁとにかくリアルでは女性で御曹司の家のメイドだ。アイリスの知る限り、キルシュヴァッサーは基本的に滅私タイプである。御曹司がいたときは常に彼に忠誠を誓っていたし、その主人がナロファンを退いた後も、アイリスブランドを受け継いだアイリスのことを新たな主人として立ててくれている。キャラは濃いが、自己主張の薄い人物なのだ。
そのキルシュヴァッサーが、特定の人物に対して強い興味を示しているということが、アイリスには珍しかった。〝黒衣の剣士〟の姿は、以前アイリスブランドを騒がせたダークキリヒトに酷似しており、その頃もキルシュヴァッサーはダークキリヒトの装いに対して複雑な感情を持っている様子だった。
キルシュヴァッサーは、黒衣の剣士に対して、なんらかの執着を見せている。
アイリスは少し考えた。彼女自身は、実はこの剣士の正体に心当たりがある。言う機会を逸し、ついつい秘密にしてくる結果となってしまったが、アイリスは以前、おそらくその剣士と同一人物であろうプレイヤーと、ゲーム内での接触経験がある。
ひとまずアイリスは、カマをかけてみることにした。
「キルシュさん、ワイアール・カイザーって知ってる?」
「……ワイアール・カイザーですか」
そこで初めてキルシュヴァッサーも顔を上げ、アイリスと目を合わせた。
「存じ上げませんが、似た名前には心当たりがありますな」
「その似た名前の人が、黒衣の剣士じゃないかって疑ってたり?」
「そんなところです」
割とあっさりと、老騎士は答える。
「もう10年以上も前の話ですが、ま、このような格好をしたゲーマーに、浅からぬ因縁がありましてな」
「ふんふん」
「いや、特にお話しすることはありませんが」
身を乗り出すアイリスに、キルシュヴァッサーはそう言った。彼女は身体をもとに戻し、お茶を飲む。いつまで放っておいてもお茶が冷めないのが仮想世界のいいところだ。
現実世界ではなかなか味わえない芳醇な味と香りに五感を満足させつつ、アイリスは切り返す。
「でも気になるんでしょー?」
「………」
アイリスは無言を肯定と受け取った。キルシュヴァッサーはロールプレイにのめり込むあまり、自分の要望を口に出せないのだ。こういう時は主人の側である自分の方が、この騎士の意図を汲んでやらねばならないだろう。
「よーし、決めたわ」
アイリスは席を立ち、ぱん、と手を叩いた。その音は広いギルドハウスの中にひときわ強く響いて、メンバーの注目を集める。ハウスの床に画用紙を広げていたヨザクラ、オトギリ、ネムが、不思議そうな顔で彼女を見た。
「これから遠足行くわよ! 場所はヴァルヴュイッシュ遺跡群!」
「アイリス……」
キルシュヴァッサーが複数の入り混じった感情を声音ににじませる。アイリスは振り返ってグッと親指を立てた。白銀の老騎士は、目をつむり、静かに彼女に頭を下げる。
「遠足ですか。では私が腕によりをかけて、〝えんそくのしおり〟を作ります」
と、ヨザクラが言った。
「楽しみですわね。おやつは300円までですの?」
と、ネムが言った。
「ナイフはおやつに入るのかい?」
と、オトギリが言った。
「入んないから好きなだけ持ってきなさい。出発は20分後。みんな、いーわね?」
『はーい!!』
キングキリヒトは、ヴァルヴュイッシュ遺跡群に到着した。
機怪渓谷を超えてほどないエリアにあるこのフィールドは、鬱蒼と茂るジャングルの中に打ち捨てられた古代文明の遺跡、という設定である。付近にセーフエリアとなるような小規模な街も存在しないため、デルヴェを出発する時点でしっかり戦力を整えておかないと、到達することすら難しい。無論、キングに関して言えば無用な心配であり、彼に疲弊の色は微塵も見られなかった。
キングがたどり着く頃に、彼より少し早めにデルヴェを発ったはずの騎士団の本隊も到着する。彼らはショートカットコースを使わなかっただろうから、それを考慮すればかなりの進軍速度であったと言えるだろう。
「さすがに早いな、キング」
「まぁな」
見渡せば、そこかしこにMOBの侵入を阻む《セイントバリア》が張られている。疲労回復剤の節約を図るため、あの中でゆっくりと時間の経過を待つプレイヤーもいるのだろう。半ば野営のようなものだ。先行調査を行っていた騎士団の面々も多数見受けられた。分隊長のひとりであるティラミスが、野営の指揮をとっているように見える。
遺跡群もひとつのフィールドである以上、その広さは中途半端なものではない。ここで確認できるプレイヤーの数はまばらだが、これだけで全員というはずはさすがにない。〝黒衣の剣士〟とやらも、おそらくはもっと奥地にいる。
「た、助けてくれぇっ……!」
おおよそトッププレイヤーには似つかわしくない、そんな情けない悲鳴が届いたのはキングが周囲を確認していた時である。騎士団を始め、その場にいるほぼ全員の視線が、走ってきた男に向けられた。
防具が破壊され、足取りが弱々しいその男は、外見上目立つ傷こそないものの、データ的には〝満身創痍〟であることがわかる。モンスターの襲撃でも受けたのか、HPは削り取られ、疲労値は蓄積し、まともに歩くことすらままならない。他にパーティメンバーの姿が見当たらないところを見るに、壊滅したのだろうか。
ただ、ゲーム内での〝命のやり取り〟に慣れたトッププレイヤーの一人が、モンスターに囲まれパーティが壊滅したとして、あそこまで狼狽するというのは考えにくい。キングは訝しげにその様子を見守った。
「大丈夫ですか……!」
真っ先に駆け寄ったのは騎士団のティラミスである。今にも倒れそうな彼を抱き抱えながら(羨ましそうに眺める野次馬がいた)、男に《ヒール》をかける。
「何があったんですか? もしや、また……?」
「ああ、〝皇帝〟が……カイザーが出た……! やつは、俺のパーティーを……」
「しっかりして、喋っちゃダメです!」
ティラミスの演技上手は相変わらずで、ただ状況を説明するつもりであった男も、思わず『ぐふっ……』と呟いてうなだれる程度であった。実際に力尽きているわけでないのは、肉体がしっかり残っていることからも確認できる。
「〝皇帝〟……。またやつが……」
「恐るべき男だな……」
「ああ……まさかあんな奴が……」
「なんであんたらオレの周りで頷いてるんだよ」
いつの間にか姿を見せていたガスパチョ、ゴルゴンゾーラ、パルミジャーノ・レッジャーノに対して、キングキリヒトは投げやりなツッコミを入れた。
「ガスパチョ、その〝カイザー〟というのはなんだ?」
ストロガノフもこちらに歩いてきたので、キングは完全に四方を騎士団の幹部クラスに囲まれる。うんざりなキングではあるが、次のガスパチョの言葉を聞いてそう思ってもいられなくなる。
「〝黒衣の剣士〟のことだ。〝皇帝〟ワイアール・カイザー。やつはそう名乗った」
「やっぱり強いんだ?」
キングの言葉に、騎士団の分隊長達は次々と頷いた。
「やつは数時間前にフィールド奥地、古塔の前に姿を見せ、調査中のパーティを挑発した」
「プライドを逆撫でされ、襲いかかった調査パーティはやつたったひとりの手で壊滅……」
「その後、やつはフィールド奥地で待ち構え、挑戦者を片端から蹴散らしている……」
辻斬り、PKの類はこのゲームでは明確に禁止されていない。ただ、デスペナルティによるアイテムロスト、アイテムドロップは多くのプレイヤーにとってあまりにも痛手であるために、こうした行為は忌避される傾向にある。良識などというあやふやなモノに頼っているわけではない。PKしたことで、相手プレイヤーに粘着的に付きまとわれ、ゲームプレイそのものに支障をきたしては元も子もないからだ。実際、そうした事例は多くのMMORPGで見受けられる。
どちらが強い、弱いという疑問は多くのゲーマーにとって尽きないわけだが、それでも面と向かって他のプレイヤーに喧嘩を売るということは、やはり大抵の人間はしない。積極的なPKに手を染めるプレイヤーが少ないのと同じ理由だ。キングキリヒトにしてもそうだ。彼自身、この場にいる大多数のプレイヤーを相手どって八面六臂を演じる自信はあったが、実行に移したことはない。
それを考えれば、〝黒衣の剣士〟の行動はなかなかに理解しがたいものがある。
「そして、生き延びたやつは、必ずこう言う……」
パルミジャーノ・レッジャーノが、やはり芝居っ気たっぷりに言うと、ティラミスの腕の中で力尽きていたはずの男は再び目を開いた。
「やつは……〝鷹の目〟を持っているんだ……!」
男は『がくっ』と口で言って、また力尽きた。実はティラミスの腕の中が心地よいだけなのかもしれない。
「〝鷹の目〟ってなんだよ」
キングが当然の疑問を口にする。ガスパチョは『うむ』と頷いた。
「〝皇帝〟の立ち回りだ。キング、あなたはやつの動画を見たことはあるか?」
「ないけど」
「〝皇帝〟は、周囲の状況を完全に把握しながら動くのだ。〝背中に目がある〟というレベルではなくてな、俯瞰している、と言うのが正しい」
「フカンって何?」
「え、それはほら。鳥の視点から地上を見るようなことを言う奴で……そういえばキングは小学生だったか」
「まぁ、うん」
しかし合点がいった。それで〝鷹の目〟か。空から自由に状況を把握しているかのように動く。集団を相手取り、囲まれたときにその立ち回りを発揮できるならば確かに強力だろう。
「三人称視点を使いこなしているというのか?」
ストロガノフが、信じられないというように眉根をよせた。
ナロファンはVRMMOである。プレイヤーに仮想現実を体験させるシステムの都合上、原則としては当然のように一人称視点でゲームをプレイする。が、システム的には、一応視点の切り替えが可能だ。もともと装備の観賞用であり、自由度の高い視点ではないが、これを上手く戦闘に利用できれば相当便利なのではないか、という議論は以前からなされていた。
が、ぶっちゃけて言えば無理である。切り替わるのは視点だけであり、他の五感はすべてアバターの位置に依存するため、視認距離と聴覚・嗅覚などで感じる距離にギャップが生じ、バーチャル酔いを引き起こしやすい。距離感の把握も容易ではなく、結局、手足を自分で動かす以上は、自分の五感に頼るのが一番確実であるという結論が出ている。
「まぁ、できなくはないんだけどさ、」
と、キングが言ったので、ストロガノフはさらに目を丸くした。
「キングも三人称視点で戦えるのか?」
「ちょっと練習した。でもまぁオレには合わなかったよ。使いこなせたらやっぱ強いなとは思うんだけどさ。それに、三人称視点には、もっと欠陥がいろいろあるし……」
ただ、その欠陥さえもきちんと把握し、制御し、自由自在に動き回れるプレイヤーがいるのだとしたら。
キングは目をつむり思案した。それは間違いなく強敵だ。心の中に押さえ込んでいたはずの感情の昂ぶりが、ゆっくりと鎌首をもたげるのがわかる。強者の存在を知り、わくわくしてくる自分がいることに、キングは苦笑いを隠せない。いつからこんな、オトコノコオトコノコした考え方をするようになったのか。
キングは大きく足を踏み出した。つま先は、遺跡群の奥地へと向いている。
「行くのか、キング」
ストロガノフが尋ねた。
「うん、まぁね」
キングキリヒトは頷くと、その強敵と相まみえるために、ひとまず古塔を目指すこととした。