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VRMMOをカネの力で無双する サブアカウント  作者: 鰤/牙
サブアカウント・パーティー
21/50

お正月だョ!石蕗一族全員集合

 九州の歴史を紐解くと、割とそこかしこに〝怪物〟が出てくるのだから面白い。

 戦の申し子たる島津四兄弟や西のミスターパーフェクト立花宗茂を輩出した戦国時代については語るまでもあるまいが、古くは鎮西八郎が流されたのもこの九州であり、四〇〇年も続いた徳川幕府を転覆に追い込んだのもこの九州の人間で、野球に目を向ければ川上哲治や左門豊作、数々の悪から地球を守り抜いた初代キレンジャーやガオホワイトなんかも九州の生まれである。最近ではくまモンも生まれた。


 では、我々がよく知る〝怪物〟の代表格たるツワブキコンツェルンの御曹司はどうかというと、実は彼もまた、そのルーツを九州に求めることができるのである。


 2014年1月1日。九州は鹿児島の薩摩半島に、世界中に散らばった石蕗家の人間が集う。

 石蕗と言えば戦前から日本を支えた大財閥であり、家系図を辿れば薩摩の地方豪族にまで行き着くことのできる由緒ある家柄だ。戦後の財閥解体とともに石蕗財閥はその力を失ったが、当時石蕗家の若き当主であった石蕗隼人は、その後も関連企業の橋渡しとして奔走し、今なお政界・経済界に強いパイプを持つ。

 1年に1回、石蕗家の人間が一堂に会するのが、鹿児島湾に浮かぶ桜島を一望できる隼人の屋敷だ。九州男児を絵に描いたような頑固者であるこの老人は、正月は家族だけで楽しむことを良しとし、元旦の1日に限ってはそれ以外の人間とはいっさい顔を合わせない。世界中に散らばる石蕗ファミリーの人間たちも、別にご機嫌取りというわけでもないだろうが、この昔ながらの気骨を持った偏屈な爺さんに顔を見せつつ、滅多に予定を合わせられない親戚一同との旧交を温める日として、1月1日を大切にしていた。


「あらあら、まあまあまあ」


 玄関先に姿をみせた一朗の顔を見て、石蕗華子は顔をほころばせた。


「一朗さん。あけましておめでとうございます。ようこそ、遠いところからわざわざ」

「あけましておめでとう。おばあちゃんも元気そうだ」

「それが最近腰痛がひどくってねぇ……。まあまあ、上がっていってくださいな」

「ん、」


 華子は、石蕗一朗の祖母であり石蕗隼人の嫁にあたる。華子の夫であり隼人の息子であり一朗の祖父であるところの石蕗太朗は既に他界しており、現在この広い家には隼人と華子の二人しか暮らしていなかった。それでも掃除を含めたおおよその家事をひとりでこなしてしまう華子のスキルは驚異的であるのだが、そろそろホームヘルパーを雇った方がいいのではないかというのが、親戚一同の見解であった。


「今日は何でいらしたの? お車?」

「湾内まではクルーザーで。あとは歩き」

「あらそう~。まぁ車はねぇ、高速道路も混雑しますものねぇ」


 華子に連れられて、一朗は隼人の屋敷に上がり込む。

 これが築数十年の由緒ある木造建築であったりすれば、一朗も石蕗の家柄に流れる時の重みと趣を感じることもできようが、流れ込む潮風によって耐久性がガッタガタであるため、隼人の豪邸は定期的に改修を行っている。おかげさまでこの家には、家主の隼人よりも歳を食った部位というものが存在しない。


「一朗さん、お荷物は?」

「特に持ってきてないよ。ああ、これお土産」

「あらあら、まあまあまあ」


 一朗が紙袋に入った荷物を手渡すと、華子は笑顔で受け取る。


「先にひい爺さんに挨拶していくよ。ひい爺さんは元気?」

「それがねぇ……」

「どこか悪いの?」

「先月、10年ぶりに桜島への遠泳を成功させてねぇ……。ますます手がつけられなくなってるんですよ」

「だと思った」

「一朗さんからもなにか言ってあげてくださいな」


 むしろ隼人が桜島への遠泳をしなくなって10年も経つのか、と思う。

 記憶に残る隼人の最後の遠泳であるが、あの時は確か一朗と隼人と、あと一朗の従兄である五郎入道正宗で桜島までの競争を行ったのだ。親戚一同が心配そうに見守る中、一朗がブッチ切りで優勝し、さらに途中で仲良くなったミナミハンドウイルカと一緒に泳いでこちら岸に戻ってきたのは言うまでもないことだが、隼人は二着すらも五郎入道正宗に譲り、齢89にして屈辱的な敗北を味わったのである。ショックで3日ほど寝込み、翌年から遠泳をしなくなったと聞いた時は、一朗もさすがに心配をした。


「お義父さん、一朗さんが」


 隼人の書斎を前に、華子が声をかけると、ふすま越しに『入れ』という声が聞こえた。華子は一朗を見、軽い会釈をした後にもと来た通路を戻っていった。彼女にはまだ来客を迎える役割がある。

 一朗がふすまを開けると、そこにはむくつけき筋肉を纏う老人が、全裸で一心不乱に腕立て伏せに打ち込む姿が確認できた。常人ならば迷わずふすまを閉めて心を落ち着けに入るだろう。だが一朗は常人ではない。筋骨隆々の体躯を片手で支え上下に動かす隼人を見て、ひとまずこのように言った。


「あけましておめでとう、ひい爺さん」

「ん、」


 ひ孫を前にしてなお、全裸での筋トレをやめようとしない曽祖父に対して、一朗はその場で座り込みあぐらをかいた。


「元気そうで何よりだ」

「おまえこそな、一朗」

「今年で100歳になるのに、変わらないもんだね」

「ようやっと半分生きたところだからな」


 何回腕立て伏せをしたのかは定かではないが、隼人はしばらくしてようやく立ち上がり、タオルで汗を拭く。昔から自己鍛錬は欠かさない老人だった。本気でこれから何年生きるつもりなのかは知らないが、少なくとも娘の華子よりはよほど健康そうな肉体を持っているように見える。


「ひい爺さん、着替えは?」

「寝室に置いてきた。まぁいい付き合え。最近の話を聞かせろ」

「とは言っても、特に話すほど特別なことはなかったかなぁ」

「なぁ一朗」


 全裸で廊下を堂々と歩きながら、この老人は一朗に振り向く。眼光の鋭さには、経年による劣化がまったく見られない。石蕗隼人は、ひと睨みで象を殺す。


「俺だってニュースくらいは見る。おまえが何をやってきたか知っているぞ。なかなかやんちゃだな。明朗の会社ともやり合うのか?」


 隼人に睨まれながらも、一朗の顔は涼しいものであった。そんな折、


「あっ、イチ兄ぃだ! イチに……きゃああああああ!?」


 曲がり角である。一朗の気配を嗅ぎつけ、満面の笑顔で廊下を曲がって一朗に抱きつこうとした少女が、目の前にいきなり出現した老人の裸体を見て、悲鳴をあげながら走り去っていった。相変わらず元気な娘だな、と思う。


「明日葉め、人が平気で傷つくことをしていく」


 さすがに曾孫の中でももっとも可愛がっている石蕗明日葉にあのような態度をとられたとあっては、隼人の声にも元気がない。


「ひい爺さんがみっともないものをぶら下げているからじゃないの」

「けったいなことを言うな。みっともなくなんかないぞ。おまえにもついてるんだろうが」


 筋骨隆々の体躯を誇る老人は、腰に手を当て胸を反らした。イチモツがぶるんと揺れる。一朗は、隼人がさも自信をもって誇示しているであろうそのシンボルをまじまじと見つめた後に、しかしこう言った。


「僕のはみっともなくないけど、やっぱり、ひい爺さんのはしなびてるから、相当みっともない」

「なんだと」


 隼人も、用を足す以外の目的では長らく使っていないであろう自らのそれを検める。きっかり30秒後。


「まぁそんなことはどうでもいい」

「いいんだ」


 じゃあ先ほどの会話の続きだろうか、と一朗は思う。

 隼人が言っているのは、おそらく夏の終わりの騒動で、一朗がポニー・エンタテイメント社を買収した一連の出来事だろう。ポニー社がツワブキコンツェルンと比較的敵対関係にあったのは有名な話であり、一朗は当時のポニー社CEOである音桐と、一朗自身の父親である石蕗明朗の喧嘩に巻き込まれた形になっていた。このままポニー社を父・明朗に引渡しでもすれば、彼は大層な孝行息子ではあったが、一朗はそんなことはしなかった。

 ポニー社が石蕗電機をはじめとしたツワブキコンツェルン関連企業に敵対姿勢を見せていることには変化はなく、また一朗は石蕗と対を成す総合商社・角紅商事と共同戦略を取っていた。父に対する謀反と取られても仕方がなく、人はこれを経済界の親子喧嘩などと揶揄する。


 ツワブキコンツェルンは、石蕗総合商社を母体に明朗が築き上げた複合企業体であるが、それを構成するのはかつての石蕗財閥の関連企業であり、当然、隼人にとっても思い入れの深い会社ばかりだ。

 しかし、そのあたりを今更説教しなおすのは曽祖父らしくもない。そう思った矢先、


「まぁそれもどうでもいい」

「いいんだ」

「だが嘘はいかんぞ一朗。特別話すことがないということも、ないだろう。一朗、去年に比べて顔色がだいぶよくなったな。なにかいいことでもあったか?」


 そういうことか。一朗は自らの頬を抑えた。別に隠しだてしていることでもなかったが、自分はそこまでわかりやすい人間だったろうか。

 ひとまず曽祖父の問いに対しては、正直に答えることにした。


「楽しいことなら、いろいろあったよ」

「そうか」


 隼人は、どこか嬉しそうに頷くと、フルチンのままのしのしと自らの寝室へ歩いて行った。





 その後も、続々と石蕗一族の人間が隼人の屋敷に集結する。昼過ぎ頃にはおよそ50人近いメンバーが雁首を揃え、華子を中心とした主婦グループが昼食の支度を整えていた。こちらも20代から70代と、年齢層が実に幅広い。

 昼食といっても、正月ということもあって大半がおせちだ。昨晩から華子が作りおいたものがメインで、午後1時前くらいには、雑煮などを含めた正月料理がずらりと用意される。ともすれば宴会場にも見える大広間に、石蕗一族は勢ぞろいし、紋付袴に着替え直した隼人の挨拶を経て、ようやく一族団欒がスタートする。『乾杯!』の声は、まさしく屋敷の空気が割れんばかりであった。


 そう、石蕗一族勢揃いだ。もちろん、全員が顔を出せているわけではなく、ここに来れていない人間もそれなりにはいる。

 例えば、一朗の隣ふたつ分の座布団は、いまだに空席だった。


「一朗くん、あけましておめでとう!」

「ん、あけましておめでとう」


 石蕗隼人の息子にして、故・太朗の弟、明朗の叔父。すなわち一朗の大叔父にあたる男が、この短時間ですっかり顔を赤くしながらやってきた。


「すっかり大きくなったもんだ! きみも昔はこーんなに小さかったのになあ!」

「それ毎年聞いてるよ」

「そろそろおじさんたちにお年玉をくれたりはしないかね?」

「ナンセンス」


 大叔父の言葉はもちろん冗談だ。石蕗家の中でも本筋に近い太朗の家系は、とりわけ大企業や政治家に連なることが多い。要するにおカネ持ちが多いので、親戚一同の集まりではまずこのように挨拶をされる。お約束みたいなものだ。本気でカネの工面を要求されたことなど一度もない。


「一朗、あけおめ!」

「ん、あけましておめでとう」


 家系の話をするならば、大叔父・太助の遺伝子を引く人間はみんな人懐っこい。代わる代わる挨拶に訪れるのは、決まって太助の息子か、娘か、嫁か、旦那か、はたまた孫か。そんな具合である。


「明朗くん、来なかったんだね」


 太助の娘である輝美が、一朗の隣の空席を眺めてぽつりと言った。太助の娘というからには、明朗の従姉で一朗の従姉叔母である。いつの間にか一朗の周りに気づかれていた太助ファミリーの面々が、ビールジョッキなりお猪口なりを片手にうんうんと頷いていた。

 石蕗一族の中で、一番家名に貢献した人間を挙げろと言うならば、誰もが迷わず一朗の父である明朗の名前を出すだろう。祖父・隼人、父・太朗から受け継いだ石蕗財閥のカケラをかき集めて、一大コンツェルンに築き上げたのは明朗である。おかげで晩婚であったが、誰もが羨むような北欧系の美女を娶り、結婚の翌年には珠のような赤ん坊を設けた。一朗である。


 ただ、一朗が物心ついた時、父と母の関係は冷め切っていたように思う。いや、人心に聡い彼は既に気づいていたが、母は最初から父を愛してはいなかった。彼女が欲しかったのは優秀な家系の遺伝子であって、まぁその思惑通り、非常に優秀な男の子が生まれた。母は一朗の教育方針に関して、夫の口添えを許さず、まぁその英才教育の結果として今の一朗がある。


「父さんも忙しいんじゃないかな」


 ひとまず一朗は、父がここに顔を見せない理由を、そのように分析した。

 結局のところ、父も父である。石蕗明朗は家庭を持てるような性格の人間であったかどうかと言えば、一朗は全力でかぶりを振ろう。異様に疑り深い父の性根は、円満な家庭を築く上では障害でしかなかったはずだ。加えて、明朗は常に、仕事の鬼であった。

 それでも毎年一回のこの行事にはなんとか顔を出していたのだから、今回の欠席はみな残念がっていた。


「そうかなぁ。一朗と顔を合わせづらいだけじゃないの?」

「それって、ポニー社の一件のこと?」

「そうそう。明朗くんはノミの心臓だからねぇ。息子に寝首をかかれそうって、ヒヤヒヤしてるのかも」


 まぁ、父親の性格を考えれば、ありえない話ではないのだが。


「それより一朗くん、彼の件はどうなってるんだ」


 大叔父・太助がぐいと顔を近づけてきたので、一朗はその分だけ器用に上体をそらす。


「彼って?」

「音桐くんだよ。かつては明朗くんとシノギを削ったらしいがなぁ」

「ああ……」


 ポニー社の前CEOである音桐は、騒動の際に行った不正アクセスが原因で現在起訴されている身である。音桐と明朗が高校時代からライバルであったという話はあとで知ったが、正直、一朗にとってはどうでもいいような話である。

 ともあれ、彼の公判はそろそろ開かれるはずである。ただ、一朗はそこに関してまったくといっていいほど関与していない。だいたいあれは刑事裁判で、一朗個人は確かに被害者であるが、音桐をどうこうしたいという感覚はまったくない。せいぜい、社会的にしっかり罪を償ってもらえればけっこうと、そういった具合だ。


 なので、一朗はこう言った。


「そのあたりなら、たぶん僕より詳しい奴がいるだろう」


 一朗も、親しい親戚の名をあげつらうときは、いささか言葉遣いが乱暴になる。


「ねぇ、正宗」


 とうとう名前を出して呼びかけると、少し離れた位置に腰を下ろしていた薄縁メガネの男が、露骨に顔をしかめてみせた。

 石蕗五郎入道正宗は、一朗の従兄にあたる男である。数年前までは明朗の会社で働いていたが、すぐに大学時代に築いたコネを使って政治家へと転向した。現在は与党内のそれなりの地位にまで上り詰め、国政に関わる重要なポストまで任されているという話だが、具体的にどんな仕事をしているのか一向にわかっていない。ただ、警察庁をはじめとした公安国家権力に強いパイプを持てるセクションなのだということは、おぼろげに察しがついている。


 探偵稼業をやっていた頃に、ほんの少しだけ世話になったこともある。


「おお、五郎入道正宗、こっちに来い」

「話、聞かせてよ。五郎入道正宗」

「相変わらず変な名前だなぁ。五郎入道正宗」

「どうせこの裁判についても情報持ってるんだろ。五郎入道正宗」

「フルで呼ぶなフルで」


 五郎入道正宗は仏頂面だったが、やがては日本酒の入ったコップを片手に、観念したようにこちらへやってくる。太助ファミリーは揉み手摺り手で正宗を迎え入れ、コップの日本酒を継ぎ足したり、一朗のおせちを勝手に食べさせたりしている。

 正宗はさすがに話したがってはいなかったようだが、それでも太助ファミリーの粘着からは逃げられない。彼はようやく重い口を開いた。


「まぁ、音桐は各界に太いパイプがあるから、そう悪い判決結果にはならないんじゃないかと思うぞ」


 正宗の話ではこうである。音桐は、警察の上層部や、正宗自身が所属する政党の有名政治家とも繋がりがある。しかし、そういったコネクションをフルに活用し、便宜を図ってもらおうとしている、というわけでもないらしい。

 音桐はむしろ、保有するコネクションのうちいくらかを彼の方から切り離しにかかった。要するに収賄をはじめとしたズブズブな各記録を、秘密裏にさる情報ルートに載せたのである。その情報ルートは正宗にもつながっており、彼は音桐とつながりの深い党内の政治家のデータをいくらか入手した。あくまでも秘密裏の情報ルートだ。表に出ることはない。だがそれでも、正宗をはじめとした多くの官僚は、音桐を擁護するための裏工作を、せざるを得なかった。これらの情報を表に流すのは、音桐にとっては容易いことなのである。


「政治だなあ」

「なんて汚い話なんだ」


 太助ファミリーの一同が、うんうんと頷いている。一朗からしてみれば、まぁそんなところだろうな、とは思っていた。ああいった手合いは、結局様々な手段を駆使してしぶとく最後まで生き残るものだ。いまだにナローファンタジー・オンラインのゲーム内で、プレイヤーとしての生活を謳歌しているようだが、彼が自由に楽しんでいる限りでは、一朗は不利益を被ることもないので、好きにさせている。

 ただし会話記録は警察に提出している。高飛びを手伝う業者などとオンラインゲーム内で接触し、ゆうゆう海外へ逃亡する犯罪者も、このご時世ゼロではないからだ。


 この時、太助ファミリーの興味は、一朗から正宗に移っていた。質問攻めにあう正宗に若干同情しながらも一朗は立ち上がり、太助ファミリーの間をすり抜けて、出て行く。そこで、ちょうど声をかけられた。


「イチ兄ぃ!」


 この元気な声ならば、誰であるかなど振り向かずともわかる。一朗は、背中になにか軽いものがぶつかってくるような感触を味わった。同時に、細い腕が腰に回される。一朗は振り向くこともなしに新年の挨拶を告げた。


「あけましておめでとう、明日葉」

「あけおめ! イチ兄ぃ」


 石蕗明日葉は、太助ファミリーの一人である。脈々と受け継がれた人懐っこさの遺伝子は健在で、2年前まではことあるごとに一朗に引っ付いては『あたしイチ兄ぃと結婚する!』と叫んでは、何やら周囲のヌルい視線を買っていたが、最近ではそれもない。今年で11歳になる、名古屋の小学5年生であった。

 一朗も、このどこか小動物然としたハトコのことはかねてより可愛がっており、彼女を邪険に扱ったことは一度としてない。むろん、一朗がそうしたつもりであっても、彼の態度は得てしてつっけんどんなものであったが。


「ねね、イチ兄ぃ。あたし、イチ兄ぃにお願いがあるんだけど」

「なんだろう。お年玉なら用意はあるよ」

「違うもん! あたしそんなにガメツくないもん! でもあるんだ、ありがとう!」


 一朗はポケットから小さなお年玉袋を取り出して明日葉に手渡した。このカネ持ちが手渡すお年玉であるから、果たして家が何件買えるお年玉だろうかという読者諸兄の期待はもっともであるが、明日葉はここで中身を検めるようなはしたない娘ではない。さらに言えば一朗がお年玉袋に入れたのは五千円札が一枚である。

 明日葉は自らのポーチに、お年玉袋を大事そうにしまいこんだ。このポーチも確か以前一朗が買ってやったもので、それなりに年季が入っている。


「それで明日葉、お願いってなんだろう」

「あ、うん。えっと、あのね?」


 たずねると、明日葉は途端に視線を泳がせた。この目は切り出し方に迷っている目だな、と、一朗は思う。


「イチ兄ぃって、あれだよね。ミライヴギアとかの会社の、社長さんになったんだよね?」

「うん、まぁそうだね」

「実はね、あの。あたし、やってるんだよ?」

「何を?」

「ナロファン」

「へぇ」


 初耳だった。同時に、意外でもあった。

 石蕗明日葉はどちらかというまでもなくアウトドア系の女子である。活発な見た目そのままの女の子で、あまりのお転婆に手を焼くこともあるのだと、従兄叔父夫婦から話を聞かされたこともある。そんな彼女が、VRMMOに手を出しているというのは、これはまたかなり意外な話である。

 ただ、話を聞いていくうちに、何やら複雑な事情が見えてきた。

 明日葉には、一昨年の秋ごろから不登校になっていたクラスメイトがいた。それなりに親しくしていた友人であるが、そのクラスメイトは、ある日を境にぱったりと学校に来なくなった。原因はいじめである。明日葉は、その友人がいじめを受けていた事実なんてその時に初めて知ったし、それで心を折って学校に来なくなるような子であるなんてことも思っていなかったから、二重のショックを受けた。

 で、明日葉は、その子が当時VRMMOというものにハマっていたことを思い出した。ならば自分も同じゲームをやって、その子を追いかけてみようと思った。心の支えになってあげたかったのだ。大切な友人である。

 だが、事態は難航した。

 ナローファンタジー・オンラインの世界観は広大である。ログインした当初、明日葉は途方にくれ、ひとまずヴィスピアーニャ平原に繰り出しては、角付きラビットに殺されるという凄惨な日々を送った。人探しは一向に進まず、気がつけばもうすぐ一年が経とうとしていた。明日葉も毎日ログインできるわけではない。夏休みはいろいろと忙しかったし。


「なるほど」


 一朗は頷く。


「それで、にっちもさっちも行かなくなっているところに、その友人が去年の二学期くらいから急に元気に学校に登校してきて明日葉は戸惑っちゃって、でも今更自分がその友人を助けるためにナロファンを初めていたなんて言い出せなくって、せめてゲームの中での姿くらい暴いてやろうというちょっと意地悪な気持ちで運営母体の長である僕にお願いにきたと、そういうところかな」

「なんでわかるの!?」

「なんとなく」


 さもありなん。

 ひとまず一朗は、運営母体の長である自分が特定のプレイヤーに対して無条件で情報公開をすることはないと断った。明日葉の〝お願い〟は立派なルール違反である。いかに可愛いハトコであるとしても、一朗は厳粛に定められたラインを踏み越えさせるような真似は決してしない。

 明日葉はがっくりと肩を落としたが、この答えは最初からわかっていたようでもあって、無力感をにじませた声でぽつり、『だよねー』とつぶやいた。


「でもでも、でもでもだって、イチ兄ぃ。あのゲーム、人が多すぎるし、無駄に世界観リアルだし……どうやって人を探せばいいのかわかんないんだもん……」

「まずは楽しんでみればいいんじゃないかな。君が探していた友人だってそうだったんだろうし。僕もそうしたよ」


 一朗は、もう5ヶ月近く前になる夏の日々を思い出しながら、そう言った。プレイヤーとしての視点からナロファンを語るなど実に久しぶりだが、あの時に受けた鮮烈なイメージと高揚感、そしてアイリスやキングキリヒトに出会えた時の興奮にも似た情動の高鳴りは、今も忘れてはいない。


「う、うーん……」

「それでも困ることがあったらまた連絡をくれればいい。プレイヤーの素性は明かせないけど、頼りになれる人を紹介しよう」


 一朗が手伝えるのはそこまでだ。明日葉も明日葉で、〝大好きなイチ兄ぃ〟が、それなりに親身になってくれたことはわかったのだろう。ぎこちなく『うん……』と頷くだけだった。






 毎年のことではあるが、昼頃に始まった宴会は、そのままテンションを夜まで引きずる。華子を中心とした主婦チームは午後3時くらいから再び台所に戻り、その頃になると石蕗隼人が何やらとんでもない提案をして、太助ファミリーがそれに便乗し、だいたいわけのわからないお祭りが始まるというのが、毎年の恒例であった。

 今年、隼人は一朗と正宗に対して遠泳リベンジマッチを叩きつけ、二人はそれを承諾した。あれから10年、美少年から美青年へと進化を遂げた一朗が、寒空の下に水着姿で姿を見せると、女性たちから黄色い歓声があがった。隼人も正宗も気合充分といった様子で一列に並び、彼らは一様に冬の鹿児島湾に飛び込んで桜島を目指した。


 一朗が圧勝した。連れ帰ってきたミナミハンドウイルカは今度は三頭になっており、明日葉などは水着姿の一朗にドギマギしながらも、イルカ達とのふれあいを楽しんだ様子であった。


「ねぇ、イチ兄ぃ」


 水着の上にパーカー一丁という、季節錯誤も甚だしい格好で座り込む一朗に、明日葉は声をかける。砂浜の上では、この時期にどこで調達してきたのかは知らないが、隼人たちがスイカ割りをはじめていた。南国生まれの石蕗一族は、頭の中まで南の島なの、と言われても仕方のない光景であった。


「ん、なんだろう」

「明朗おじさん、今日は来ないの?」

「どうだろうね」

「寂しくないの?」


 一朗の知る限り、明日葉の家庭環境は極めて健全そのものだ。家族仲は良好で、一朗も何度かお邪魔させてもらったことはあるが、非常に居心地がよかったのを覚えている。そんな明日葉であるから、一朗の家の家族関係を口で言って理解させることは難しい。


 言えるのは、


「ナンセンス」


 てなもんである。


 結局そのまま夜になった。完膚なきまでに叩きつけられ、粉みじんに砕け散ったスイカは石蕗一族が美味しくいただいた。隼人が念をこめて蒔いた種が発芽し、海岸沿いを埋め尽くすスイカ畑となるのはこれから数年後の話である。

 石蕗一族は、夜の宴会に向けてぞろぞろと屋敷に帰っていき、明日葉も一朗に『戻ろ?』と言った。一朗は少し考え事をしてから『先に戻っていいよ』と告げたので、明日葉は少し迷いながらもそのまま屋敷に帰った。


 一朗はパーカーのポケットからスマートフォンを取り出す。そこには一通のメールが届いていた。差出人は、石蕗明朗だ。件名には『あけましておめでとう』とだけ書かれており、数秒考えた後にメールを開くと、本文には『離婚した。すまん。』とだけ書かれていた。

 とうとうか。長持ちしたほうだろうな、と、一朗は思う。一朗は父も母も嫌いではなかったし、父も母も一朗のことは嫌いではなかったが、父は母のことが嫌いで、母は父のことが嫌いだった。この三人が家族として成立していたのは、世間体か、それとも子供への遠慮だったのか。後者だとすれば実にナンセンスな話ではある。


 正月の集まりに顔を出せなかった理由はこれだろうな、と一朗は思った。一朗の隣に席がふたつ分用意されていたことを考えると、明朗が妻と離婚したことは誰にも知らされていない。明朗は正月のめでたい席を、自分の話題で台無しにすることを恐れたのだろうし、何よりもあの男は見栄っ張りなところがある。


 一朗は返信用のメールを作成する。件名はそのままでいいだろう。

 本文は、愉快な親戚一同の顔を思い浮かべながら打ち込んだ。隼人も、華子も、太助ファミリーに五郎入道正宗も、そして明日葉も。個性の強い面々だが、彼らが明朗の親戚であることには変わりない。そう思って文面を作成していた一朗は、ふと手を止め、直後に本文を全て消した。


 その後、ただひとこと『なんせんす』とだけ打ち込んで、送信ボタンを押した。

10時半か11時くらいに、活動報告で書籍化関連の発表があるよ!

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