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(2)

「はーい、ホイル焼きでーす」


 そんなわけでストロガノフから送られてきた松茸は、秋鮭と一緒に仲良くホイル焼きとなった。さすがに香り松茸と呼ばれるだけあって、ダイニングに充満する芳香が鼻腔をくすぐる。残された一部は土瓶蒸しとなっている。他に出てきたのは、秋野菜と高野豆腐のあんかけやら、何やら。相変わらずコンセプトもへったくれもなく、とりあえず適当に考えて作ったようなメニューが、ごろごろと食卓に並んだ。それでもインドカレー三昧に比べると、だいぶマトモであると言えよう。

 こうした形式の料理というのも嫌いではない。〝家庭的〟とはこうしたものを言うのだろうし、少なくともそれは、5年前までは一朗とも無縁であった単語だ。家庭的であったりインド的であったり、興がのればフレンチのフルコース(もどき)だったりする桜子の料理だが、一朗はこの形式が一番楽しみではあった。


「そう言えば、ナロファンの方でもキノコ狩りイベントがありますね」

「ああ、来週から実装だね」


 食事の最中、ふと桜子がそんなことを呟いたので、一朗も頷く。


「あれは誰の発案なんですか?」

「シスルの方でもともと用意していた企画だよ。僕はまだ、ナロファンの運営に直接あれこれ口出しはしていない。まぁいずれは、そういう立場になるべきだとは思ってるけど、当分はあざみ社長に全部任せるつもり」


 〝秋の味覚がりフェスタ〟と名付けられたそのイベントでは、各所に期間限定のモンスターが出現し、そのドロップからは非常に美味な食材アイテムが入手できる。このタイミングで松茸を贈ってくるあたり、ストロガノフにもイベントにかける意気込みが伺えた。

 このように言いはしたものの、一朗もイベントの実装に向けて多少の助力はしている。食材アイテムの味覚データ調整に向けて、各方面の研究所とパイプをつないだり、あとはまぁ、私的な資金援助をしたりだ。一朗がシスルのバックについてから初めてのイベントということもあって、ゲーム内の反応が楽しみなところではある。


「キルシュヴァッサー卿達も参加するんでしょ?」


 ホイル焼きをつつきながらたずねると、桜子は満面の笑みを浮かべて頷く。


「しますよー。イチロー様は抜けましたが、メンバーも2人増えましたしね! 新生アイリスブランドの底力を見せてやりますよ。ねぇ、ローズマリー」

『はい、お父様』


 ツワブキ・イチローはゲームを引退したが、アイリスブランドにはアイリス、キルシュヴァッサー、ヨザクラの三人が残っていたため、ギルドは消滅しなかった。リーダーをアイリスに変更し、服飾デザインギルド・アイリスブランドは再出発した。

 文字通りのパトロンであるイチローが抜けたことにより、オリジナルデザインのグラフィック変更料は杜若あいり自身や桜子が支払わなければならなくなったなど、それなりに課題も残っている。一朗がクレジットカードを桜子に貸したり、あるいは、グラフィック変更そのものを無料にするようシスルに働きかけることはできるが、それは流石にナンセンスだ。アイリス達の為だけに何かアクションを取るのでは、引退した意味がない。そのあたりは、本人たちに頑張ってもらうしかない。


『お父様、先ほどの話の続きはされないのでしょうか』


 不意にローズマリーがそんなことを言ったので、桜子は顔をあげた(ローズマリーの目は天井にあるわけではないのだが、一朗も桜子も〝彼女の方を向く〟時はいつも顔をあげる)。


「そうですねぇ。お話の続き、しますかー。どこまで話しましたっけ」

「招待状を貰って東海まで行くことになったって話」


 一朗も態度はいつもどおりだが、興味だけはしっかりある様子だ。


「そうでしたそうでした。それで私は、7月の終わり頃、二人の兄と一緒に名古屋を目指すことになったのです」





     ◆       ◆       ◆





「桜さん、機嫌直せよー」


 新幹線の中で終始ふくれっ面を見せる桜子に対して、桃太郎はそう言った。昨晩からずっとこれである。梅彦は、二人の諍いには我関せずと言った面持ちで、ひとり膝上にアーケードゲーム専門雑誌『ゲーメスト』を読んでいる。彼は、この2ヶ月後に新声社の突然の経営破綻によってゲーメストが廃刊になることを、まだ知らない。

 桜子の不機嫌の原因であるが、これはどこの家庭でも兄弟がいる以上避けられえぬ命題、すなわちチャンネル争いに起因する。扇家には録画機能を備えたビデオデッキがあり、チャンネル争いが発生した場合は、ジャンケンで負けた方が録画して後で見るという掟が存在するのだが、旅行に出かける場合においてはこの限りではない。なにせビデオデッキはひとつしかないのだ。裏番組を同時に複数録画することなどできないので、旅行中に録画しておきたい番組が被った場合は、どちらかが継続視聴している番組を一話分見逃すことになる。


 今回の場合は、金曜の18時枠が争点となった。


 NHK教育の放映する『コレクター・ユイ』を録画せんとする桃太郎に対し、桜子はテレビ東京系列が掲げる新進気鋭のホビーアニメ『メダロット』を録画するべきであると主張した。この場合、多くの家庭においては『桃太郎はお兄さんなんだから』と年長者が遠慮させられてしまうが、扇家においてはそうではない。兄であれ妹であれ、平等である。慣例に従ってジャンケンによる処理が行われた。

 桜子は知恵と勇気で立ち向かったが、それがジャンケンの勝敗になんらかの影響を及ぼすはずもなく、彼女の意気込みは無残にもごみばこポイポイのポイされてしまった。


「いいじゃん別に。なぁ桜さん、桜さんだって見てたじゃん。コレクター・ユイ」

「でも私はメダロットが見たかったの。ゲーマーだったらメダロットでしょ! 桃兄ちゃんもでっかく生きなよ」

「甘い甘い。いつかゲーマーにとっては、コレクター・ユイの世界の方が身近になる日が来るって。バーチャルインだよ。俺ってば先見の目があるからさ。コムネットは現実になるね。なぁ兄貴」


 話を振られ、梅彦は膝上のゲーメストを閉じた。薄縁メガネの向こうで、怜悧な瞳がきらりと光る。


「そうであったとしても、俺はスティックとボタンを手放す気にはなれないな」


 幼い頃からレトロゲームに囲まれて育ち、今なおアーケードゲームと共に人生を歩む男の台詞であった。うちに秘めたる情熱を垣間見せた男は、窓の外にちらりと視線をやり、話題をそらすかのようにこう言った。


「富士山だ」

「えっ、マジで!?」

「どれどれ!?」


 それまで言い合いをしていたことなど忘れたかのように、桜子と桃太郎が窓ガラスに張り付いた。

 新幹線は現在、新富士駅を通過し、右手側の窓に霊峰富士の威容を映す。乗客たちが一斉に立ち上がって、窓側にデジタルカメラを向けている中、桜子と桃太郎はガラスに張り付いて網膜にしっかりと焼き移した。


「富士山ってやっぱ大きいねー」

「桜さん、富士山って何メートルあるか知ってる?」

「えっ、3776メートルでしょ?」

「あ、うん……」


 富士山を見たことですっかりテンションの上がった桜子は、メダロットの録画ができなかったことなどすっかり忘れて、その後桃太郎とその感動について延々と語り合った。単純なのである。





 桜子、梅彦、桃太郎の三人は、名古屋駅へと到着した。駅を出ると、竣工まであと1ヶ月を切ったJRセントラルタワーズの威容を、後ろに拝むことができる。後に世界一高い駅ビルとしてギネスレコードを保持することになり、やがては東海エリア一体におけるデパート勢力図すらも一変させる、名古屋摩天楼伝説の黎明であるが、当然、彼らはそれを知らない。抱く感想と言えば、でっけー建物だなぁ、くらいなもので、それに比べて、目の前の大名古屋ビルヂングとやらは、大層な名前の割にしょっぱいなぁ、などと、ビルマニアが聞けば激怒しそうなことを考えているのであった。

 三人は桜通口から駅を出て後、ひとしきり周辺を歩き回った。昼食を摂るためである。『桜さん、桜通口だってよ』という桃太郎に対して、『そんな珍しい花でもないでしょ』と、桜子の反応は冷めたものであった。


 結局、彼らは適当なうどん屋に入り、味噌煮込みうどんやらきしめんやらで胃袋を満たした。いわゆるB級グルメの先駆けとも言える名古屋めしの真髄は、そんなものではないのだが、扇三兄妹は別に食べ歩きのために愛知くんだりまでやってきたわけではない。


「兄貴、名古屋城行こうぜ」

「私、東山動物園!」

「その二つに行くくらいなら犬山城と日本モンキーパークに行く。だが、今はどちらにも行かない」


 もちろん、観光目的でもない。

 二人は梅彦に連れられる形で地下鉄を乗り継ぎ、名古屋におけるサブカルチャーの中心地、すなわち大須へと向かった。名城大の電脳研究会が主催するゲーム大会は、この大須で開かれる。


「全国の猛者が集まるんだろ」


 地下鉄に揺られながら、桃太郎がぽつりと言う。


「全国のレベルってどんなもんなんだ」

「梅兄ちゃん、昔、武者修行してたよね?」

「よく覚えてるな。桃くらいの歳の頃だから、もう5年前だ。当時はまだスパⅡXの全盛期だったな」


 梅彦は、眼鏡の奥の怜悧な瞳を細め、懐かしむように呟いた。アーケードゲーム、とりわけ対戦格闘ゲームの虜となった彼は、高校二年生の夏休みを利用して全国各地のゲームセンターを巡礼したのである。当時からひょろりとした身体つきではあったが、何にかぶれたか白い空手着と赤いハチマキで身を固め、『俺より強い奴に会いにいく』と家族に言い残したのを、桜子も桃太郎もよく覚えている。長男の奇矯な言動に対し、母は『あら、それは良いわね。ねぇお父さん』と言い、父も『うむ、そうしようと思っていたところだ』と言ったので、梅彦を止める者はいなかった。

 もとより地元ではかなりの腕前を誇っていた梅彦だが、夏休みの終わり頃に帰還した彼は、以前にも増して実力を上げていた。怜悧な眼差しで筐体を見つめ、スティックとボタンでコンマ数秒単位の駆け引きに興じる兄の姿からは、およそ40日間に及ぶ激闘の日々と、渡り合った強敵の影を、ありありと感じ取れたものだ。


「強い連中はたくさんいた。この名古屋にもな。そいつが来ているかはわからんが」

「でも、手紙に、東海最強ゲーマーがどうのってあったじゃん」


 梅彦の言葉は途中であったが、桃太郎は首をかしげる。


「そいつは兄貴が戦った奴じゃないの?」

「YRKだったか? たぶん、違うと思うんだが……。どのみち最強なんて、自分で勝手に名乗り出すものだからな。俺たちを含めて。本当に大事なのは、自分が目の前の相手よりも強いかどうかだ」


 桜子は、こうした時に梅彦が語る、戦闘哲学じみた内容の話が好きだった。桜子の知りうる限り、最も強く、無敵のプレイヤーである扇梅彦が、〝強さ〟の意義や、〝勝負〟のあり方について語るとき、彼女はこの長兄に対して憧憬の念を抱いたものである。

 ゆえに桜子は、この時も、梅彦の言葉をしっかり自分の心に刻み込んだ。


「梅兄ちゃん」

「どうした」

「私や桃兄ちゃんでも勝てるかな」

「どうだろうな」


 梅彦は、口元を緩めてふっと笑う。


「だが挑むことは悪いことじゃない。全力でやってみればいいさ」

「うん」

「桃もな」

「おう」


 やがて地下鉄は、大須の最寄駅である上前津へと到着した。





 全国の猛者を集めてゲーム大会をやるというのだから、どんな大きな会場かと思えば、招待状に記された〝アルカディア〟は、商店街の片隅にある寂れたゲームセンターであった。向かう途中、何件か盛況を極めるゲーセンを見かけ、ここか、ここか、と胸を躍らせていたのだから、桜子もちょっとがっかりである。見れば桃太郎も同じ様子だった。

 やや薄暗い店内には、既に何人かの人影が見える。入口から足を踏み込むと長机があって、『受付』と書かれた紙があった。どうやら、貸切らしい。


「どうも、招待状はお持ちですかね」


 受付に腰掛けていた、やや肥満気味の若者がそのようにたずねてきた。


「ああ、埼玉のPPC三兄妹だ」


 梅彦が懐から取り出した手紙を差し出すと、受付の若者はそれを検め、『はい、結構です』と言って、手元の紙にマルを三つ打った。なんだか壁を感じる、そっけない対応ではあったが、どうやら腕章を見るに彼も電脳研究会の一員らしい。


「……あ、あの、」

「なんですか」

「えっと……YRKさんって、どんな人なんですか?」


 桜子が意を決して尋ねると、彼は初めて正面から彼女を見た。その格好には流石に驚いた様子を見せ、しばし動きを硬直させてから、視線を宙へとさまよわせる。


「そのうち出てくるんでね。まぁそれを待っててくださいよ」

「なんだ、もったいぶるほどのことかよ」

「すいませんね」


 桃太郎の口調は批難じみたものではあったが、男はさして気にした様子を見せない。

 なんだこの男は、気に食わないなぁ。桜子は表情にこそ出しはしなかったが、そのように思った。腹にイチモツ据えたような言動に加え、あまりにも閉鎖的なこの態度である。12歳の時点で既に周囲から『温厚』との評価を得ていた桜子でも、ちょっぴりイラッとくるものはあった。

 だが、ここにおいても、やはり彼女の敬愛する兄・梅彦の態度は違う。


「5年前、俺が名古屋に来たとき、最強のゲーマーというとカイザーという男だった。そいつは?」

「ああ、彼はもうカイザーじゃないですよ」


 梅彦の言葉に対しても、男の台詞はそっけないものだった。視線を手元の名簿に落としたまま、顔を上げようとしない。


「今のカイザーはYRKだからね。代替わりするんですよ。電脳研うちのナンバーワンゲーマーが歴代みんなカイザーって名乗ってるだけでね」

「じゃあ、彼は卒業したのか?」

「ええ、でも、」

「でも、卒業していなかったとしても、カイザーの称号は返上していたさ」


 ゲームセンターの奥からそのような声が聞こえたので、一同は思わずそちらを向いた。数々の筐体が発する音の中でも聞こえるのだから、相当な声量ではある。薄暗い店内の中から姿を見せたのは、受付の男と同じ腕章をつけたひとりの青年だった。ただし、腕章には更に『OB』というバッジがついている。


「桜さん、なんかクサくね?」

「えっ、私が?」


 桃太郎が不意に言葉を振ってきたので、桜子は思わず自分の二の腕に鼻を押し付けた。


「いや、さっきから会話が……演技っぽくね?」

「そう? 私、こういう雰囲気好きだよ?」

「なら良いんだけど……。まぁ兄貴も大概クサいしな……」


 何しろ、リュウの真似して家を飛び出すんだもんなぁ、と呟く桃太郎ではあったが、桜子にはこの次兄の言わんとしていることがよくわからなかった。まぁ、梅彦の言葉遣いが芝居がかっているのは認めざるを得ないが、彼の場合は非常にサマになっているというか、桜子はそれもカッコいいと感じていた。基本的に彼女は渋い男と演技がかった口調が好きである。


 ともあれ、青年の登場である。それまでの会話の流れからするに、彼が梅彦の会話に上がっていた『カイザー』とやらであることは、桜子と桃太郎にも想像はついた。で、あるとすれば、梅彦が5年前に行った武者修行の際、この名古屋の地で激突し、腕を競い合った強豪ゲーマーということになる。


「久しぶりだな、と言っても、まぁ、一回会ったきりか。確か名前はウメヒコだったな」

「覚えてもらって嬉しいよ。カイザー、あんたも大会に参加するのか?」


 梅彦がいつになくフランクな口調になったのを、桜子は驚いて聞く。男は苦笑して首を横に振った。


「俺は大会には出ないよ。裏方だ。ここは馴染みのゲーセンだからな。それにもうカイザーじゃないんでな。タケシマとでも呼んでくれ」

「出ないのか、残念だな」


 声のトーンが若干落ちるところを見るに、どうも梅彦はこの青年を好敵手として捉えていたようである。5年前に如何様なドラマがあったのかなど、桜子には知るよしもないのだが、あの梅彦をもってして不参加を残念がらせるとは、実力は相当伯仲していたのかもしれない。梅彦は地元埼玉において、常に同レベルの戦いができる相手を求めていたフシがあった。


「別に、俺以外にも強い奴はたくさんいるさ。まぁ見てみろ」


 タケシマはそう言って、店内へと歩を進めていく。梅彦が自然とついていったので、桜子と桃太郎も慌ててそれを追った。

 ゲームセンター〝アルカディア〟の店内は意外と広く、奥には表で確認できたよりも多くの人影があった。彼らは一様に筐体に向かい、あるいはその傍に立ち、既に戦いを繰り広げている。大会の本戦ではない、まずは軽いウォーミングアップといったところなのだろうが、覗き込むだけで目のくらむような、ハイレベルな戦いが展開されていた。


「あれは仙台のズンダローだな。広島のモミジもいるか」

「さすがに全国を回っただけあって詳しいな。ほうぼうに声をかけるのは大変だったが、思ったより集まって良かったよ」


 何やら訳知り顔でつぶやき合う二人だが、桜子と桃太郎にはやはりちっともわからない。ただ、梅彦の声のトーンが戻らないところを見るに、どうやら彼はタケシマに一番の期待を寄せていた様子だ。ズンダローとかいう男も、モミジとかいう男も、傍から見る限りは相当な腕前であるように思うのだが、梅彦からすると若干物足りないらしい。

 となると、彼が関心を寄せるのはひとつだろう。


「タケシマ、あんたの後釜になったそのYRKって奴だが……」


 桜子達からしても当然の疑問を、梅彦はタケシマにぶつけた。


「強いのか?」

「ん? あぁ、まぁな。強いぞ」


 タケシマの笑みには、何か妙な含みがある。梅彦はメガネの奥の瞳を細め、そしてまた視線を全国のゲーマーたちへと向けた。


「桃兄ちゃん……。なんか、強者の会話って感じだね!」

「そ、そうだな……」


 桃太郎は若干答えに窮するかのようにうめく。


「ようし、あたしも……!」


 桜子は、肩からかけた小さなポシェットから、100円玉を一枚取り出した。彼ら三兄妹には共通したひとつの格言、座右の銘がある。すなわち『強い奴はワンコインでいくらでも遊んでいい』だ。握り締めた100円玉にどれだけの付加価値をつけられるかは、そのゲーマーの腕によって決まるのである。桜子の小遣いは月にわずか600円。二人の兄の温情でプレイ代をおごってもらうことは多々あるものの、桜子はゲームセンターに足を踏み入れてこの方、投入したすべての100円玉に、無様な戦いをさせたことはなかった。

 小学四年生の時に初めて小遣いをもらって以来、筐体に投じた自分の100円玉は140枚余り。たった1枚にでも魂を込めるのが桜子流だ。おカネを粗末にしてはいけないのである。


「たのもーっ」


 初代サムライスピリッツの筐体に群がるゲーマー達を押しのけて、扇桜子が罷り通る。突如としたロリメイドの出現に、男たちはにわかに狼狽したが、彼女の握り締めた100円玉を見るにつけ、すぐさま目つきを変えた。ゲームセンターでワンコインを握る以上、どのような身なりをしていようと、それはひとりの戦士なのである。ましてや、今このゲームセンター〝アルカディア〟には、選ばれた者しか入店できない。


「ったく、桜さんも血の気が多いんだよなぁ……」


 100円玉を片手に海千山千の猛者達に切り込んでいく妹の姿を眺めながら、桃太郎が呟いた。が、彼もその口元にこらえきれない愉悦を浮かべている。


「俺も、人のことは言えねーけどさぁ」


 そして、彼の片手にもまた、桜の花が描かれた銀色の硬貨が握られていた。桃太郎は、それを親指で弾いてから、ちらりとも見ずにキャッチする。中学生の頃、ゲームセンターでカッコつけるために寝る間も惜しんで習得した特技だ。兄のセリフがクサいとか言っていようとも、やはり彼らは兄弟である。


 三者三様。兄妹がそれぞれの動きを見せる中、ゲームセンター〝アルカディア〟の裏口に、〝彼女〟がようやく到着した。遅刻してきたわけではない。あえて、遅れてやってきたのだ。主役は遅れて到着するものだし、〝彼女〟は主役である。と、この企画の発案者は言っていた。

 彼女、すなわち〝皇帝〟YRK。

 本名を、本堂世理子と言った。東海最強たる彼女は、この日、ある伝説を刻み込むために、発案者の企画に賛同した。世理子には美学があったのである。


 前途に立ち込めた暗雲のような思惑を、当然、扇三兄妹が気づく由はなかった。





     ◆       ◆       ◆





「そこで、私はですね。相手プレイヤーが使う覇王丸の、」

「桜子さん、臨場感たっぷりに語りたいのはわかるんだけど、」

「あっ、はい」


 100円玉にかけた武勇伝を熱く語っていた桜子ではあるが、一朗の言葉でふと我に返る。


「僕は対戦格闘ゲームをやったことがない」

『お父様、私もありません』

「あー……」


 冷静に考えてみれば、その通りであった。目の前にいる二人、というか、目の前にいる一人と、家全体に住み着いている一人は、波動拳コマンドすらわからぬ格闘ゲームド素人である。もちろん、14年前の名古屋において桜子は、対戦格闘のみならず多くのジャンルのアーケードゲームで大立ち回りを演じたのだが、まぁどれに関しても、一朗とローズマリーの認識は同じようなものだろう。

 ただ、ド素人とは言っても、さわりだけ教えればすぐにド素人を卒業して廃人ゲーマーまで飛び級してくれそうだという信頼感もある。


「じゃああとで、私の部屋でちょっとやりましょうかー」

「うん。御飯食べ終わってからね」


 とはいうものの、一朗の目の前の皿はすっかりカラになっており、他に何かを要求してくる気配もない。桜子の主は少食だ。


「ひとまず、桜子さんの話では、まだ肝心の〝怪物〟が出てきていないようだけど」

「いやぁ……なんだか思い出を語ると止まらなくって……」


 そう、この話の主軸はあくまでもその〝怪物〟だ。桜子が12年間で築き上げた価値観を根底から覆した人物である。桜子は今でも兄の梅彦を尊敬しているし、その薫陶を行動基準に据えたりもしているが、そこで出会った〝怪物〟は、やはり同じくらいの影響力を、今なお桜子の中に残している。


 強い女性だった。


 彼女のように生きられるとは思っていないし、同じ人生を歩みたいとも思わないが。だが、桜子にとっては、梅彦と同じように、強い憧れの対象である。ただし、そう、ファースト・インプレッションに関して言えば、最悪であった。


「桜子さん、なんだか遠い目をしているけど」

「おぉっと、トリップしかけちゃいましたね」


 桜子は席を立ち、お茶の準備をすることにした。そこでふと、思い立ったかのように、一朗にたずねる。


「一朗さま、やっぱり女の子って、料理ができたほうがいいですよねぇ」

「ナンセンス。そういう大きな括りでレッテルを作るのは、僕は好きじゃないかな」


 予想通りの反応ではあった。が、さすがに付き合いが長いだけあって、一朗はこうも続けてくれる。


「そんな風に聞いたってことは、そう思うきっかけがあったのかい」

「なくはないですけど……。まぁ、ちょっと思っただけですよ」


 件の怪物は、『女の子が料理下手でも良いじゃない』と言っていた。そこだけは、桜子は永遠に賛同できないだろうなと思う。

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