なんて素敵にピカレスク
マツナガ>以上、これにて双頭の白蛇定例会議を終了する
アカマツ>おつかれー
オソマツ>おつー
ケロマツ>おつけろー
ジュウシマツ>おつかれー
マツナガ>はい、おつかれさん
コノシマツ>おっつー
マツナガ>じゃあ明日からのログインはみんな予定通りに
アカマツ>明日の偵察部隊は誰と誰だっけ
コノシマツ>ローテ通りならアカとケツと、あとカラとイチ
ケロマツ>けろー
アカマツ>明日、残業かもしんないから遅くなる
アカマツ>カラマツさんとイチマツさんにも伝えといて
ケロマツ>いいよー
マツナガ>じゃあアカマツが戻るまで俺が入っとこう
オソマツ>リーダー暇だね
マツナガ>暇だからこんなギルドのリーダーが務まるんでしょうが
マツナガ>君たちもっと俺を称えなさいよ
アカマツ>( ゜д゜ )
オソマツ>( ゜д゜ )
ケロマツ>( ゜д゜ )
ジュウシマツ>| / ̄ ̄ ヽ, |
ジュウシマツ>| / ', |
ジュウシマツ>| {0} /¨`ヽ {0}, !
ジュウシマツ>|.l ヽ._.ノ ', |
コノシマツ>( ゜д゜ )
ジュウシマツ>リ `ー'′ ',|
ジュウシマツ>割り込むんじゃねぇよ!
コノシマツ>遅い方が悪い
マツナガ>あー、あとねー
マツナガ>さっき言い忘れたけど
アカマツ>うん
マツナガ>また近いうちにログイン用パスワードを一斉変更するんで
マツナガ>メールチェックよろしくー
アカマツ>りょーかい
オソマツ>おk
ケロマツ>けろー
ジュウシマツ>また全部変えんの?
コノシマツ>おk
マツナガ>全部変えんの
-------------------info:マツタケさんが入室しました----------------------
ジュウシマツ>そかー
ジュウシマツ>裏切り者がきたぞ!殺せ!
マツタケ>いきなりそれか!
マツタケ>こんー
ジュウシマツ>頭にマツを冠するのはリーダー以外許されぬ
ジュウシマツ>立派な裏切り者だよキミは
ケロマツ>キノコ死すべし
オソマツ>慈悲はない
マツタケ>もうやだこのチャット
アカマツ>タケさんばんは
マツナガ>ノ
マツタケ>会議終わったの?
マツナガ>終わったよ
マツナガ>雑談なう
コノシマツ>タケさんって微妙にタイミング逃すよね
マツタケ>このしーに言われたくはないなあw
ジュウシマツ>コノシは割り込むしな
オソマツ>根に持ってるww
マツナガ>タケさん急いできたみたいだけどなんかあったの?
松永久秀は、一日の大半を家の中で過ごす。東京都内の、比較的立地の良い場所にアパートを借り、決して豪勢とは言えないものの、それでも比較的他人から羨ましがられるような生活を送っているのが彼だ。職業はブロガー。アフィリエイト収入だけでメシを食えるのだから、さぞ気楽な人生かと思いきや、これはこれで苦労もある。
彼がVRMMOナローファンタジー・オンラインで組織しているのが、〝双頭の白蛇〟という探索ギルドだ。ナロファン三大ギルドの一角と呼ばれる割に、外部に対しては完全に閉じたギルドであり、仲間の紹介がない限りはその扉を叩くことはできない。徹底した秘密主義と統率力で、多くのプレイヤーから異端視され恐れられているギルドである。
ただ、ひと皮剥けば彼らも人間だ。演技から解き放たれたチャットルームでは、個性的であけすけな各々のキャラクターが露呈する。
松永はこの時、双頭の白蛇のメンバーと、オンラインチャットでの会議を行っていた。彼らはみな、付き合いの古いネトゲ仲間だ。スカイプをはじめとしたコミュニケーションサービスが発展した現在では、ブラウザ上のチャットでリアルタイムの会話を行うサービスは衰退しつつあり、このチャットルームも初代から数えて四回目の引越し先になっていたが、松永と仲間たちはブラウザチャットに固執した。古い人間なのである。
マツタケ>ダークキリヒトの素性がわかったんで報告に来た
アカマツ>あれってリーダーとタケさんの大学の後輩なんでしょ?
マツナガ>そうだよ
マツナガ>俺が4年生の時に入ってきたから
マツナガ>ほとんど面識ないけど
マツタケ>なんだもうわかってたのか
松永は画面を眺めながら、ペットボトルのキャップを外してお茶に口をつける。体脂肪燃焼の効果があるとの謳い文句に惹かれてついついこのお茶ばかり買ってしまうが、動かなければ意味はないんだろうな、と毎回思っていた。
いま、チャットで話題に上がったダークキリヒトというのは、先日からナロファンを騒がせているPKギルドのリーダーだ。このギルドはたった数ヶ月でかなりの規模と勢力にのし上がり、ゲームプレイ上無視できない存在になるかと思ったところで、ある一人の少女によって粉々に粉砕された。ダークキリヒトを含めたギルドメンバーは、他のギルドに吸収されてしまっている。
その顛末はちゃっかり松永のブログ記事のネタとなり、やはりアクセス数を伸ばした。松永的にはごちそうさまといったところである。
オソマツ>リーダーとかタケさんとかダークキリヒトとか排出する大学って一体……
アカマツ>魔境だな
マツタケ>いやいや
マツタケ>俺たちなんか可愛いもんだよ
マツタケ>なぁマッちゃん
マツタケがこちらに話題を振ってきたので、松永は画面の前で思わず苦笑いを作った。
マツナガ>まぁすごい人はいたよね
アカマツ>いたんだ
ジュウシマツ>いたんか
マツナガ>だが今はそれを語るべき時ではない
マツタケ>うむ
コノシマツ>焦らすんだなぁ
別に焦らしているわけではない。松永には、最初から〝彼女〟に関して語るつもりはいっさいなかった。すべてを胸に秘めておく、なんて気持ち悪いことを言うつもりもないが。ただ、松永が過去に憧れたあの人は、今は市井で暮らすただの一般人だ。〝皇帝〟はもういないのだ。
〝皇帝〟が残した伝説は、松永が生まれて初めてプロデュースしたイベントである。サークルの会議で、なんとなく提案してみたら採用されて、やってみたらこれが意外と上手くいった。自分の知らない才能を初めて知った気分だった。
その伝説を知る者は決して多くはないが、松永はそれで良いと思っている。彼女が望んだものは、決して知名度なんかではなかったはずだ。ただ、いずれ姿を変え消えていくであろう風景を、誰かの心に鮮烈に残しておきたかったという、それだけである。ならば松永は、それを尊重したい。
彼がガラにもなく、昔を懐かしんでいた時である。
ぴろーん、という軽快な電子音がして、画面の右下にメール着信を告げるウィンドウがポップアップした。松永はペットボトルを机に置いて、マウスを動かした。ウィンドウをクリックしてメーラーを開く。直後、彼は目を丸くした。
原因は、差出人の名前である。
〝本堂世理子〟。おそらく、もう二度と目にすることがないであろうと思った人物の名前が、そこにあった。
件名は、〝明日ひま?〟となっていた。
暇か暇でないかといえば、松永は暇ではない。双頭の白蛇は年中無休でゲーム内各所に偵察部隊を派遣しており、メンバーのリアル事情で部隊に穴が空きそうなときは、松永自身がその穴を埋めなければならない。基本、激務なのだ。偵察部隊はツーマンセル2組が基本であり、リアル会社員のアカマツが残業で遅れる以上、ケロマツの相方として松永がログインしておかねばならなかった。
それでも松永は、メールにはイエスの返答をした。チャットでアカマツとケロマツには謝罪をしたが、彼らも『普段は暇人なリーダーに事情ができたのならよっぽどだろう』と、すぐに納得してくれた。日頃の行いの成果である。
メールの差出人である本堂世理子。今は苗字が変わっているはずだ。
松永の大学時代の先輩であり、根っからのゲーマーであった。誰にでも分け隔てなく接する奔放な性格であり、コミュニケーションの苦手な松永は、彼女の存在でずいぶん救われたことを覚えている。今の生き方ができているのだって、本堂先輩のおかげなのだ。
先輩が大学を出て、就職し、ほどなく結婚し、ゲームセンターにも顔を出さなくなり、やがては年に一回の年賀状のやり取りもなくなって久しい。メーラーのアドレス帳の片隅には、常に〝本堂世理子〟の名前はあったが、このアドレスにメールを送る気には、松永はなれなかった。まさか10年以上前のアドレスが生きているとも思わなかったのだ。
メールの返答をしたあと、松永は風呂場の鏡で自分の顔を見た。最近は散髪にもろくにいかないので、伸びっぷりがみっともない。次にクローゼットを開けてみた。外出用の服はほとんどない上に、どれもこれもセンスのカケラさえ見当たらない黒ずくめのものばかりだ。
先輩は、自分がどんな姿で行ったところで、気にしないのだと言えばまぁそうだろう。
だが松永には見栄があった。男の見栄である。そんなもの、遠くに投げ捨てて人生歩んできたものとばかり思っていたのだが、底の方にまだギリギリこびりついていたものがあったらしい。松永は悩んだ。急な約束である。会うのは明日なのだ。
どうしたものだろうか、と、思った。
実を言えば、松永の頭の中にプランは立っていた。先輩と約束を取り付けたのは午後1時であって、あまり猶予がないとは言っても、髪を整え服を買うくらいの時間はある。とは言っても、松永はアパレルショップというのが死ぬほど嫌いだった。店員が満面の笑みで『わー、似合ってますよー。お客様ー』と言ってくるのが、彼はどうしても信用できないのである。
しかし、自分で自分に似合うほどのセンスが備わっているかというと、そんなことはない。松永は散々悩んだ末、パソコンの前に再び腰掛け、メーラーからアドレス帳を開いた。
そこに記載されているアドレスに相談のメールを送るのは、相当な勇気を要した。
「おはようございます。マツナガさん、こちらでお会いするのは初めてですわね」
流行の最先端を行くアパレルブランド〝MiZUNO〟の社長は、肥満体の冴えない男を笑顔で迎えてくれた。
「はぁ、どうも……」
なにせ言葉と言えば、ここ数ヶ月はコンビニ店員と佐川の配達員以外とはまともに交わしていない。ゲーム内では饒舌になれる松永だが、やはりリアルでの感覚は違った。声帯を震わせて声を出すという感覚そのもに、妙な違和感がある。
オシャレさの局地に到達したMiZUNOのオフィスである。松永は居心地が悪かったが、なにしろ頼んだのは自分であるので、おとなしくソファに座る。時計を見ると、午前9時半すぎ。今からいろいろと準備を整えて、果たして待ち合わせに間に合うか。
「MiZUNOは女の子用のブランドですから、マツナガさんにお似合いのものは用意できませんけれど……。午前中ならなんとか時間が取れましたので、服のお選び、お手伝いできますわ。ご希望とかございますかしら」
MiZUNO社長・芙蓉めぐみは、松永とは対岸のソファに座り、いくらかのファッション雑誌を開いてみせた。
「いや、ないっていうか……。どれもこれも、シュッとしてますしねぇ……」
「モデルさんですもの。じゃあ、せめて簡単なイメージとかは?」
「不潔にならないような感じで……」
「わかりましたわ」
芙蓉はぱたんとファッション雑誌を閉じる。
ところで松永には、少し気になることがあった。雰囲気の良い応接室をきょろきょろと見渡して、小声で芙蓉に尋ねる。
「MiZUNOって、ポニーの子会社になったんですよね……?」
「えぇ、一朗さんが株を5割以上持ってらして……どうかなさいました?」
「いや、石蕗さんと顔を合わせると気まずいんで……」
松永は、ゲーム内の知り合いに自分のリアルの姿を見せることを極端に嫌っていた。故に、オフ会への参加経験というのも一度もない。なにしろ現実世界では、自分は人生の落伍者といっても差し支えないような人間だ。自分の弱い部分をさらけ出すような気がして、これがたいそうよろしくない。
今回芙蓉に相談のメールを送ったのも、恥を忍んでのことである。彼女は、一度双頭の白蛇のギルドスポンサーになった経緯があり、実は打ち合わせ段階において一度だけ、直接の面識もあった。彼女が、相談しても一番ダメージが少ないと踏んだのである。同じアパレルファッション関係者でも、アイリスなんぞに声をかけたら、決定的な弱点を彼女に晒すことになってしまう。松永も心臓を堂々と掲げて火線の中を歩く勇気はない。
「ご心配なさらなくとも、一朗さんはこちらにはあまりいらっしゃいませんわ。お話をするのは台東区のポニー本社が多いですし……」
芙蓉はそう言ったあと、ちらりと時計を見て立ち上がった。
「さて、善は急げですわね。失礼ですけどマツナガさん、ご予算は?」
「5万円くらいで。無理をすれば7万までは」
「わかりましたわ。実は、もう美容室も予約してますの」
松永は眉をひそめる。
「なんだか張り切ってますね」
「だってわたくし、誰かに頼られるってことがあんまりなくって……。ごめんなさい、うふふ」
この人もかわいそうな人なんだろうな、と、松永は自分のことを棚にあげて思った。
その後、松永は芙蓉に連れ回される形で、おそらく生涯二度と縁のないであろうオシャレな店の数々を回った。ゆく先々で芙蓉はV.I.P.待遇を受けており、普段彼女が見せるような残念な28歳(29歳だっけ?)の面影はどこにもない。やはり彼女はリアル世界の人間であって、自分はネット世界の人間なのだろうな、と、松永は芙蓉を見ながら考えていた。
「松永さん体格がよろしいから、派手めなものや首元がきっちりしたものなんかは避けようかと思うんですけれど……」
「おまかせしますよ」
「お会いになるのは、初恋の方でしたかしら?」
移動中の車内でそのような話になったとき、松永は露骨に顔をしかめた。
「そんなこと、言ってませんけどね」
「あら、ごめんなさい」
「でも、あまりチャラチャラしたようなのは着ていきたくないですね」
「まぁ、チャラチャラしたのはお似合いにならないと思いますけど……」
けっこうグサリと来るひとことを、芙蓉めぐみは遠慮せずに放つ。ひょっとして、アイリスの毒舌が伝染りつつあるんじゃないか、と思った。
そんなことを言いつつも、芙蓉はけっこう親身になって松永の衣装を見繕ってくれた。予約してくれたという美容室もけっこう良いところだったようで、自分とはまるで住む世界が違うであろうスタリストさんがついた時は、何やら生きていて申し訳ないという気分にすらなった。長かった髪はばっさり切り落とされ、清潔感溢れるスポーツ刈りになった。
芙蓉めぐみプロデュースのスタイリングが完成したのは、だいたい午後0時を回ったころである。
完成した自分のコーディネートを鏡越しに眺め、松永は自信なさげに言った。
「どうですかね……」
「よくお似合いですわ」
「それ本気で言ってます?」
ことビジュアルという面について、松永は褒められたことが一度もない。それが女性からのものともなれば、ついつい疑心暗鬼になってしまうのも仕方のないことなのだ。
だが、芙蓉はにこりと笑ってこう言った。
「もう少し自信を持たれたらいかが? マツナガさんらしくありませんわ」
「いや、どっちかというと、こっちのほうが素なんですけど……」
「そうかしら」
芙蓉は、松永から目をそらして、鏡の中に映った彼を見る。いつもの無難な黒ずくめとは違って、黒のジーンズにワインレッドのベスト、紺のジャケット。ベストもジャケットも何やらよくわからない、ふわふわした手触りのものだった。何やら格好つけている感があり気恥ずかしい。
「マツナガさん、ファッションというのはね、要するに素敵な自分を演じることですのよ。あなたがやってることと変わらないんではなくって?」
「演技しろってんですか」
「ええ。せっかく久しぶりに大学の先輩と会われるんでしょう? ちょっとくらいカッコつけても良いと思いますし、そのためにわたくしに相談されたんでしょう?」
「まぁ、そうなんですけどね……」
結局は男の見栄なのだ。松永は頷かざるを得ない。
本堂先輩からのメールでは、ちょっと会ってご飯を食べよう、くらいのものである。何やらちょっとした用事で東京まで来ていたらしく、松永もこちらに引っ越していたことを思い出しメールを送ったとあった。単なる気まぐれ、思いつきであったとしても、嬉しかったのは事実だ。だから申し出を喜んで承諾した。
だが同時に、先輩を心配させたくないという気持ちがあった。大学時代から、人付き合いの苦手な松永を一番心配してくれたのは本堂先輩である。彼女が卒業し、疎遠になり、そして松永も大学を出るころ、彼は就職に失敗した。おそらくは、本堂先輩の懸念した通りの人生を歩んだ。
今でこそ彼は超一流のアフィリエイトブロガーとして生計を立てられているが、それも外部から見れば決して健康的な生活ではないだろう。松永久秀は日陰者である。正直それを、本堂先輩に悟られたくはなかった。
だからせめて、カッコいい自分を見せて安心させておきたいのだ。それは事実である。
「まぁ、せめてカッコつけてきますよ。ありがとうございます。芙蓉さん」
「ええ、頑張ってくださいね」
意気込みを悟られないよう、気だるげに言った松永を、芙蓉めぐみは笑顔で送り出した。
松永が待ち合わせ場所についたのは、およそ12時半。30分前行動はいささか気が早すぎと思わないでもないが、さすがに今回の約束に遅刻はできない。松永はスマホの画面を見て時間を確認し、小さくため息をついた。
緊張があとになってやってくる。
考えてもみよ。憧れの先輩である。あれからもう10年以上だ。子供の一人だっていてもおかしくはない、そんな年頃である。自分自身は一向に変わっていないが、きっと先輩には言葉にしつくせないような変化が起きているに違いないのだ。
先輩はどれほど変わってしまっているのだろうか。
その先輩を前に、自分はどれほどカッコイイ自分を演じられるだろうか。
松永は改めて、過ぎ去った月日の重さを実感する。目の前をせわしなく行き交う人々を眺めていると、まるで自分だけが、時間の流れから取り残されたような感覚に陥る。自分が、あの居心地のいいチャットルームの中で過ごしている間、外の世界にはどれだけの変化が訪れたのだろう。
考えるのはよそう。陰気になる。
その時、不意に松永のスマホが音を立てた。着信だ。聴き慣れたはずの音に心臓が飛び上がる感覚がある。昨日、本堂先輩から教えてもらった電話番号と同じものだ。松永は、画面の中にある『通話』のマークをタッチして、スマホを耳にあてがった。
「……もしもし?」
『もしもしー? まっちゃんー?』
昔ながらの呼び名で、先輩の声が聞こえてくる。
『これちゃんと聞こえてるー? 携帯の使い方、いまいちよくわからなくってさぁ』
「相変わらずですね。あってますよ」
『そっか、よかった!』
「それでいま、どこにいるんですか?」
『たぶん、きみのうしろ』
「えっ」
松永が振り向くと、そこには10年前とほとんど変わっていない、本堂世理子の姿があった。
いや、化粧は少し濃くなったかもしれない。だがそれだけだ。自分より2個か3個年上のはずであるのに、目尻の皺も目立たない。さすがに、あの当時のままと言うには無理があるが、実年齢よりはだいぶ若いだろう。
「よっ、まっちゃん。後ろを取られるとはまだまだだなー」
先輩は、キャリーバッグを片手に、笑顔で手をあげて挨拶した。
「本堂せんぱ……あ、結婚されたんでしたっけ」
「うん。今は桐生だよ。でも、昔のままの呼び方でいいかな」
本堂世理子あらため桐生世理子は、松永をまじまじと見つめ、キャリーバッグを引っ張りながら彼の周囲をぐるりと回った。
「な、なんですかね」
「いや、まっちゃんもカッコよくなったなぁって」
「そうですかね」
「そうですとも」
ここで、先輩も綺麗ですねなんて言えれば上出来だったのかもしれないが、松永久秀にはそのような甲斐性、求めるべくもない。
「じゃあ、何か食べに行こうか。そのへんの適当なお店でいい?」
「いいですよ」
実に情けない話ではあるが、こうした時、松永はまったく主導権を握れない。ゲームの中ではアレだけすらすらと言葉が出てくるというのに。現実の喉はどうにも重苦しい。
約束を取り付けてきたくらいだからメシ屋にあたりでもつけているのかと思っていたが、どうやら本当に『そのへんの適当なお店』に入るつもりだったらしく、散々探した末にたどり着いたのは小汚いイタリア料理の店であった。
「相変わらずプラン立てるの下手ですね……」
「どうにもね……」
松永の言葉には、さしもの先輩も苦い顔であった。
さて、店が決まったので二人は中に入る。小汚く小狭い、あまり居心地の良さそうな店ではなかった。雑居ビルの地下にあって天井も低い。バーカウンターを除けば、客席は二人がけのものが三つあるだけで、自分たち以外に客はいなかった。
薄汚れたメニュー表から適当な料理を注文し、すぐに雑談タイムに突入する。互いに積もる話はあったはずだが、互いの近況にはまったく触れないまま話が進んだ。
「先輩、よく電車に乗れましたね……」
「苦労したよ?」
話を聞く限り、ゲームのこと以外に関してはまったくの無能というところは、あれから10年以上経ってもまるで変わっていないらしい。
先輩は、ゲーセンのヌシ的なポジションは引退しているようだが、それでもゲーム好きという点もやはり変わっていないようで、毎月の新作ゲームはしっかりチェックしており、最近のゲームのあれがよかった、これがつまらなかったという話題が次々と飛び出した。VRMMOにかまけすぎた松永がついていけなくなるほどの知識量経験量であったが、同時に少しほっとする。先輩は思っていたほど、変わっていはなかった。
もちろん、変わった点もあるのだ。
「まっちゃんさー、VRMMOってやってる?」
「やってますよ」
まとめブログまで作っている、とは、言わない。
「本堂先輩は?」
「私は、バーチャル酔いがひどくってねぇ。悔しい思いをしたなー」
バーチャル酔いか。いわゆるVRゲームが、その技術革新っぷりに比してさほど流行していない理由のひとつだ。もうひとつは単純に、ゲームハードの値段であるが。この辺にブレイクスルーが起きない限りは、VRゲームが現行のクラシックゲームを駆逐することはないだろう。
「ただ、うちの子がハマっててねー」
その言葉を聞いたとき、松永はぴくりと腕を止めた。本堂先輩が結婚したのはもう10年以上も前の話なのだ。そりゃあ、子供のひとりやふたりは、いるだろう。
変わった点は、ここだ。
先輩はもう一児の母である。今の今まで、つい当時と同じ気持ちで話していた松永は、この一瞬で自分が一気に浦島太郎になったように感じてしまう。時の流れは残酷なのだ。
松永は、いろんなことを聞いてみたかった。例えばその子供のことだ。男の子なのか女の子なのかも、松永は知らない。VRMMOにハマっているというが、それはやはりナローファンタジー・オンラインなのかどうか。一体どんなプレイヤーであるのか。
だが、やめておいた。自分自身が、10年以上前からまったく前に進んでいないという自覚があったからだ。ここで先輩の周囲に起きた変化を根掘り葉掘り聞くのは、届かない未来に手を伸ばしているようで、自分自身に格好がつかない。
「まっちゃんは最近、どうなの?」
注文した料理が運ばれてくる中、先輩がそうたずねる。
この質問は厳しい。目の前で湯気を立てるパスタを見ながら、松永の動きが硬直した。かろうじて出てきた言葉と言えば、
「いろいろですよ」
こんなものだ。
「いろいろかー」
それ以上、本堂先輩は追及してきたりしなかった。彼女の聡さである、見透かされただろうな、と、松永は思った。
「店の汚さの割には美味しいねぇ」
先輩が余計なひとことを付け加え、バーカウンターに戻ったマスターらしき男にじろりと睨まれていたが、松永には料理の味なんかひとかけらもわからなかった。
メシ屋を出た松永に、先輩は『ゲームセンターに行こう』と提案した。正直松永は、この時点で帰りたい気持ちがあった。猛烈な後悔と自己嫌悪が襲ってきたのである。カッコつけようと思っても、無理だった。
それでも松永は、先輩が笑顔で『行こう』と言えば断れない。
松永と本堂先輩が同じサークルに所属していたころに比べれば、ゲームセンターを取り巻く事情も大きく変化していた。コンシューマーゲーム機の発展に伴い、わざわざゲーセンでゲームスキルを競い合う者たちは減り、ゲームセンターの中には、一部のコアなゲーマーにしがみつくタイプのゲームと、新規ユーザーの取り込みに必死なゲームとに二極化されていた。不文律を押し付ける古参と、マナーを知らない新参の間に漂うムードは険悪である。
松永は、てっきり本堂先輩が一番得意な格闘ゲームコーナーに行くのかと思っていたが、彼女はそのへんの適当なガンシューティングを指して、『これをやろう』と言い出した。
シューティングゲームは松永の得意な分野である。特に、FPSと呼ばれる類のものは、当時のサークルでも2番目にうまかった。1番は本堂先輩だ。当時はFPSといっても、『ゴールデンアイ007』くらいしかまともなものはなかったが、『きっとグラフィックが進化すればたくさんFPSが出るから、今のうちにレベル上げときなさい』という先輩の言葉を信じて、松永はめちゃくちゃやりこんだ。
「言うほどFPSの時代は来なかったですよね?」
「いやぁ、読みが外れちゃったなぁ」
画面の前にうようよと迫ってくるゾンビを笑顔で片付けながら、先輩は言った。
「まっちゃんさー、当時のうちのサークルの標語、覚えてる?」
「『せめて、悪役らしく』と『やるからには徹底的に』でしょ?」
「そうそう」
どちらも双頭の白蛇が掲げるものと同じ標語だ。
「じゃあ、私が卒業するときの言葉は?」
「『電脳研の悪役魂は永久に不滅である。フハハー』」
「よく覚えてるねぇ」
「記憶力はいい方なんで」
やがて画面の中には、三角錐の被り物をした個性的なボスキャラが出現した。ユーモラスな外観に反し、得物を構えゆっくりと近づいてくる姿は、こちらの不安感を煽る。いつ見ても不気味で秀逸なキャラクターデザインだと、松永は思う。
「で、まっちゃんはどう?」
「どうって?」
二人は画面から目を逸らさず、銃を撃ち続けながら会話を続けた。
「悪役魂残してる?」
「………」
どう答えたものだろうか。松永は逡巡した。
真実は明白である。松永は未だに悪役だ。少なくともゲームの中では。どんな小汚い手段でも使うし、あえて嫌われるようなロールプレイを楽しむ節もある。それはギルド全体の総意であるし、そういったギルド方針を理解してくれる向きも、周囲にはある。
だが、ここで容易に首肯することはためらわれた。松永は、進歩のない自分自身に嫌気がさしていたところなのだ。
結局のところ、彼は正直に答えた。
「残してますよ」
「そっかー」
先輩は、少しだけ嬉しそうに言う。その真意が見えず困惑していた松永に、彼女はさらに追い打ちをかけてきた。
「まっちゃん、また私と一緒に、悪役をやるつもりはない?」
「は?」
松永は思わず画面から目をそらし、先輩を見る。引き金を引く指を緩めた。その瞬間、怪物のマサカリが画面に大きな傷を叩きつけ、松永のライフがひとつ減る。
「ああん、まっちゃん。前、前」
「すいません……」
悪役をやる、というのは、どういうことだろう。
当時、名城大学の電脳研は確かに悪役であった。当時の〝皇帝〟YRKの横暴な態度は、周辺ゲームセンターに多くの敵を作り、しかしそれすら魅了する圧倒的な実力でヘイトを鎮圧してきた。舞台はゲーセンに留まらず、大学でも様々な『悪役っぽいこと』をやって、周囲の頭痛のタネとなった。
幼稚園バスのジャックごっこをやったこともある。途中で乱入してきたヒーロー研究会に成敗されるまでが仕込みの範疇で、大変人気だったので本堂先輩が卒業するまでは毎年の恒例行事と化していた。
まさかおんなじことを、この年になってやるわけでもあるまい。
「事情は話せないんだけど、まっちゃんがノってくれるんなら、ありがたいなーって」
「どうして俺なんです」
「信用できるからだよ?」
おそらく、先輩の言葉に嘘はないのだろう。実に魅力的な提案である。だが、この時も、松永は容易に首肯しかねた。
先輩が何をやろうとしているのか、それには非常に興味があった。きっと面白いことをやるのだろうと、そう思った。片棒を担がせてもらえるならば、これ以上の喜びはない。だがそれは、結局10年以上前のあのサークルと、何も変わっていないのではないだろうか。
先輩は変わった。変わっていないところもあるが、ちょっとは変わった。
それで自分が変わっていないというのは、フェアではない。自分は胸を張って、先輩の隣に立つことができない。
「やめときます」
「そっかー」
先輩の声のトーンは、ほんのちょっとだけ落ちていた。
「相棒探さないといけないなぁ」
「目星はついてるんですか?」
「まっちゃんを含めて、当初は三人いた。でも、一人は期待外れで、一人は予想外の方向に進化しちゃって、一人にはにべもなく断られちゃった」
「すいません」
「いいよー」
画面の中で、三角錐をかぶった怪物をなんとか撃破する。ミスは松永の一回だけで、大層なハイスコアが画面に計算された。先輩は、硝煙が立ち上っているわけでもないおもちゃの銃口をフッと吹いて、くるくると銃を回した。コードが腕に絡まって慌てていた。
「せ、先輩……」
「いやぁ、でもちょっと残念だけど、ちょっと安心したよ」
絡まったコードを解きながら、先輩は笑顔を作る。
「安心?」
「うん。私の誘いを断るなんて、まっちゃんも成長したね」
正直どきりとした。そんなところまで見透かされていたのか。
「きっと、良い友達がいるんだろうね」
「そんなんじゃありませんよ」
気恥ずかしさから、つい否定をしてしまう。友達なんて言えるものはいない。いるのは、『仲間』か『知り合い』だ。彼らの存在が、すべて自分にとってプラスのものであるだなんて、松永には思えない。
だが、ふと思った。
気がつけば、自分の世界は思ったよりも広い。手を広げたのはオンラインの世界だけであると思っていたが、いま、自分が着ている服は、その世界の延長線上から這い出てきたものだ。自分は、ネットの世界に10年こもって、外を見ていなかったつもりだった。閉じた世界で成長することを諦めていたつもりだった。
だが、ひょっとすると、
「いや、そうかもしれませんね」
松永が神妙な顔で言うと、先輩は笑った。
「あはは、なにそれ」
-------------------info:マツナガさんが入室しました----------------------
アカマツ>お、リーダーだ
ケロマツ>けろー
オソマツ>ばんー
コノシマツ>ノ
カラマツ>やっはろー
マツナガ>ばんー
マツナガ>あれ、5人だけ?
マツタケ>俺もいる
ケロマツ>6人だけ
マツナガ>じゃあ俺が入って7人だ
マツナガ>今日は結局ログインできなくて悪かったね
ケロマツ>いいってことよ
カラマツ>リーダーがログインしなかった日があるのって、もしかして初じゃね
マツナガ>今年の8月を除けばそうだね
コノシマツ>なんかあったっけ
アカマツ>垢ハック事件からのサービス停止
コノシマツ>あー
コノシマツ>暗黒課金卿か
オソマツ>金持ちの家のメイドを俺たちで調教したな
マツナガ>人聞きが悪いからやめなさい
コノシマツ>で、リーダー
コノシマツ>デートはどうだった
マツナガ>は?
マツナガ>なにそれ。そんなことになってたの
コノシマツ>違うの?
マツナガ>違うよ
コノシマツ>タケさんが、そうじゃねって
コノシマツ>なんだ違うんだ
マツナガ>おいこらタケ
マツタケ>でも皇帝と会ったんだろ?
マツナガ>なんで知ってんの
マツタケ>図星か
マツタケ>語るに落ちたなマツナガ
アカマツ>マツナガともあろう者が……
オソマツ>権謀術数のマツナガと呼ばれた男が……
マツナガ>不覚だわ
ケロマツ>その皇帝ってどんな人なの?
マツナガ>バーチャル酔いが激しい人
ケロマツ>あれ、そうなの?
マツナガ>あと生活能力が著しく欠如した人
マツナガ>なにが?
オソマツ>ダークキリヒトって、皇帝とゲーム内で会ってたんだろ?
マツナガ>え
マツナガ>初耳
マツタケ>知らなかったのか
マツタケ>とっくに知ってるもんだと
オソマツ>俺たちもさっき聞いたんだけど
マツナガ>タケさんどういうこと?
マツタケ>そのまんまの意味だよ
マツタケ>この動画 http://www.nucovideo.jp/watch/*********
マツタケ>動きは変だけどたぶん皇帝だろ
マツタケ>マッちゃん?
マツナガ>いまどうがみてる
マツナガ>あー
マツナガ>なるほど
アカマツ>なにかわかったのかリーダー
マツナガ>謎はすべて解けた
マツナガ>諸君
オソマツ>お?
ケロマツ>けろ?
コノシマツ>なんだなんだリーダーどうした
マツナガ>近々、このナロファンに新たなる巨悪が襲来する
カラマツ>まじでか
オソマツ>アイリスよりも恐ろしいのか
マツナガ>あれは邪神
マツナガ>巨悪襲来に備えて情報収集と裏工作を続ける
マツナガ>次の指針は決まった
カラマツ>まじでか
マツナガ>てなわけでこれからもよろしく
カラマツ>まじでか
アカマツ>りょーかい
ケロマツ>けろー
コノシマツ>おk
マツタケ>任せとけ
コノシマツ>で、デートはどうだったの?
マツナガ>違うっつってんだろ殺すぞ