(5)
「ただいま!」
「おかえりなさい、アイリスさん!」
観音開きの扉を力強く開け放ち、アイリスがギルドハウスへ帰投する。今日の彼女は鼻息も荒い。
まず彼女に飛びついたのはネムである。アイリスのことが心配で矢も盾もたまらないという心中であったこのエルフは、その気持ちも隠そうとせずにまずはアイリスに抱きついた。残る三人は美しい友情を生ぬるく見つめている。アイリスも戸惑うほどの満面の笑顔であった。
「ネムくんはちょっとアイリスくんが好きすぎやしないか」
「そりゃあお友達ですからな」
オトギリとキルシュヴァッサーは壁に背をつけたまま、並んでお茶をすすっている。ヨザクラは部屋の片隅で箒を振り回していた。現実世界では動かせる身体がないため、彼女は仮想空間においてはやたらと家事ごっこを張り切る傾向にある。
「アイリスさん、心配しましたのよ?」
「う、うん。ごめんねネムさん……」
「ずいぶん元気になって戻ってきたなァ。自分が悪人ではないという確たる証拠でも見つけたのかい」
「いや、ウサ晴らしに低レベルのMOBを蹴散らしてきただけよ」
アイリスはギルドハウスの片隅にあるソファまで歩いていき、どっかりと腰を下ろす。ネムもその隣にちょこんと座り込んで、彼女の両手をとっていた。オトギリもその反対側に座りアイリスの肩に手を回そうとしたが、ヨザクラがやんわりと腕をねじりあげたので未遂に終わる。
「僕たちは双頭の白蛇に喧嘩を売られたよもちろん買わなかったがね」
モヒカン男が、腕をねじり上げられたまま涼しい顔で言った。
「マツナガさんとこに? 珍しいわね。とっくにうちには興味ないんだと思ってたわ」
「まぁそろそろ面白いネタ記事が欲しいというので焚き付けに来たんでしょうな」
「ふぅん……」
キルシュヴァッサーの入れたお茶を、アイリスは受け取る。次第に彼女は難しい顔を作る。
「アイリスさん?」
彼女の隣で、ネムが首を傾げた。
「また、難しいこと考えてらっしゃいますの?」
「んーん、なんでもない……」
アイリスはお茶に口をつけて、じっと虚空を見つめる。
「アイリスさん」
そんな彼女の両目を見て、ネムは言う。
「なに?」
「アイリスさんは悪人ではありませんわ」
「えっ」
ネムがまっすぐな視線でそう言ってくるのだから、アイリスは思わず聞き返した。
「大丈夫。ご心配なさらないで、アイリスさん。他の方がなんと言おうと、わたくしはわかっていますわ。確かにアイリスさんは感情的になりがちで、攻撃的な言葉をお使いになって、自分の身を守るために他の犠牲を省みない判断を下すことがありますけれど、」
「ネムさん結構シビアなこと言うわね……」
「でも、わたくしはわかっていますわ! アイリスさんは心優しい純粋な女性ですもの! ですから、何も気に病むことはありませんのよ?」
「う、うん。ありがとう……」
アイリスが苦笑いを浮かべたのを見て、ネムはまたも首を傾げる。
「わたくし、何か変なこと言いましたかしら……」
「そのフォローがちょっとタイミングを逸していただけだよ君はなんにも悪くはない」
腕をねじりあげられた勢いで、オトギリはそのまま床に組み伏せられ、斬新な柔軟運動に励む結果となっていた。ヨザクラは無表情のままさらにオトギリの腕を締め上げているが、このモヒカンからニヤケ笑いが消える気配はない。やがて柔軟運動は腕ひしぎ十字に発展した。
「アイリスが抱えている問題は二点ですな。あえて口にはいたしませんし、アイリスが助けてというまで私は口を出しませんよ」
壁に背を預けたままのキルシュヴァッサーは、茶をすすりながら涼しい顔だ。
「アイリスさん、いつでも頼っていただいて良いんですのよ?」
「うん。ただ、まだ何を頼れば良いのかわからないから、もうちょっと考えたい気分なのよね」
さて、その後1時間ほど、彼らはだらだらとくだらない話を続けた。アイリスが今日出会った電車に乗れない女性の話やら、石蕗一朗が最近アーケードゲームに興味を持ち始めた話やらである。オトギリも饒舌に公判に向けた自らの作戦について語ってくれた。なお、オトギリのゲーム中の会話は、逃走封所や証拠の隠滅を防ぐために全て警察に提出されることになっている。
日付をまたぐ頃になって、ギルドハウス内にもお開きムードが漂い始めた。明日はネムも大事な商談があると言い、オトギリもまた弁護士との打ち合わせがあると言う。彼らが次々のログアウトして、アイリスとキルシュヴァッサー、そしてヨザクラが残された。
「ねぇ、キルシュさん、ヨザクラさん」
暇つぶしの将棋盤をはさみながら、アイリスがぽつりとたずねる。
「はい」
「なんでしょう」
「アイリスブランドって何のために作ったギルドだったっけ」
「当初は、イチロー様の召し物を作るためのギルドでしたな」
駒を一歩前進させ、キルシュヴァッサーは答えた。彼は設立当初からのメンバーだ。まだ4ヶ月も経過していない頃を懐かしむような声音が混じる。
「その後、オリジナルデザインを請け負う生産職ギルドとして活動を続けました」
ヨザクラのプレイヤーであるローズマリーも、ギルド設立には直接かかわってはいないものの、ゲームバランスを調整するAIとして創立者ツワブキ・イチローの動向に着目していた。故に、その経緯にも詳しい。
「でも、お客さん、来ないわよね」
「来ませんな」
「このギルドを続ける意味って、あると思う?」
「ふむ」
キルシュヴァッサーの熟考する打ち筋に対して、アイリスの手の動きは素早い。即決から鋭く切り込んでいく攻撃スタイルは、彼女の弁論術そのものだ。あるいはこれも、時折口にする祖父からの受け売りであるのかもしれない。
「あたしはね、キルシュさんのお茶は好きよ。ネムさんのこともヨザクラさんのこともね。オトギリさんのことは嫌いだけど。でも、このギルドを続ける限り、必ずついて回るのよね。御曹司の影が」
「お気に召しませんか」
「ぶっちゃけ楽しかったわ。腹が立つことも多かったけどね? 御曹司がいたころは楽しかったのよ。今がつまんないって言うんじゃなくって……上手く言えないけど、わかるでしょ?」
「まぁ、多少は、そうですな」
キルシュヴァッサーがぱちんと持ち駒を盤面におくのを見て、アイリスは片眉を上げる。
「二歩よ」
「おっと、失礼」
白銀の老騎士はあわてて駒を手元に戻した。
ヨザクラは、今度はどこからか雑巾とバケツを取り出して、床拭きごっこをはじめている。アイリスは、そんなメイド忍者の様子を眺めながら、どこかアンニュイに話を続けた。
「このままダラダラ活動を続けていても、アイリスブランドは腐っていくだけな気がすんのよね」
「ではアイリスはどうなさりたいと? アンチクロスに移られますかな? このような相談をしておいて、実はお心は決まってらっしゃるのでしょう?」
「うん」
アイリスは、打つ手を止めて、静かに視線を上げる。彼女は、床から何かを拾い上げたヨザクラと視線を合わせた後、メニューウィンドウからアプリケーションを開きつつ、言った。
「実はね、」
「アイリスブランドは、もうオワコンかもしれないねぇ」
石造りの冷たい椅子に腰掛け、エルフの斥候・マツナガは言った。
中央魔海の地下ダンジョンに存在する一室が、双頭の白蛇のギルドハウスだ。かつては魚人達の神殿であったと思われる不気味な石室はそこかしこが苔むし、いかにも爬虫類好みしそうなじめじめとした冷気が漂う。トーチに灯る緑色の炎が、マツナガと相対する仮面の男の顔を照らしていた。
仮面の男は、ダークキリヒトである。
石造りの机の上には、小型の水晶が置かれていた。中からはリアルタイムでアイリスブランドでの会話が流れてきている。盗聴器だ。正確には、非正規の音声録音アプリと同調した通話用クリスタルなのだが、マツナガは盗聴器として使用していた。
アイリスブランドにおけるアイリスとキルシュヴァッサーの会話は、マツナガにとってあまり愉快なものではなかった。アイリスは昔を懐かしむような発言をし、最終的にはアイリスブランドにかつての勢いを取り戻したいと言っていた。それ自体は結構なことだ。マツナガからすれば、面白い記事になれば何でも良い。だが、しょせんアイリスにはそれが出来ない。彼女はツワブキ・イチローではないのだ。
「過去の栄光にすがって前を見ようとしないのでは明日はない」
「松永先輩だってそういうところはあったじゃないですか」
ダークキリヒトは肩をすくめる。
「そりゃあね」
マツナガは口元を吊り上げてやや自嘲気味に笑った。
「でもなのかだからなのか、今のアイリスさんとアイリスブランドはどうも好きになれませんねぇ。結局、彼女はツワブキさんの影から逃げ切れていないわけだ。いっそ悪堕ちしていただいたほうが清清しい」
「やっぱりそう思いますよね!」
「何をそんな嬉しそうな顔をしているんですかね」
大学時代の後輩がナローファンタジー・オンラインを始めたと聞いたときは、マツナガも大して興味を持たなかった。彼の所属サークルにはゲーマーが集っていたのだ。なんら不思議なことはない。ちょっと挨拶を交わして、面白いことをしてくれそうならネタ帳にストックしておこう程度に考えていた。実際、ダークキリヒトとアンチクロスは、マツナガのブログにそれなりのネタを提供してくれている。
だが、彼らの装いだけはどうにも好きになれなかった。黒い衣装に仮面とマント。これではまるで、
「先輩のブログを見てずっと思ってたんですよ。アイリスさんには真なる邪悪としての才能がある……! 俺達アンチクロスのリーダーとしてふさわしい器です」
「でもアイリスさんは今あんな感じだよ」
「大丈夫です。俺達が悪の道に引きずり込んで見せますよ。どうせ人間は、自分の本性に嘘をつけませんからね」
嬉々として語るダークキリヒトを見て、マツナガはぼそりと言葉を漏らす。
「あんた達が望むんなら、アイリスブランドがバラバラになるような裏工作をしても良いんですよ」
「い、いや、そこまでエグいのはちょっと……」
「ふぅん……。まぁ別に良いけどね」
盗聴クリスタルからは、今後のアイリスブランドの方針について話し合っている会話が続いている。
ひとまずは次、秋の味覚狩りイベントにおける方針だ。彼らは生産職ギルドではあるが、イベントには参加して楽しみたいというような流れになっているようではあった。退屈な話だ。彼らにもこのあたりでブレイクスルーを入れて欲しかったのだが、どうやら期待できる展開はないのかもしれない。
「ダークキリヒト、次のイベントで、あんた達がアイリスさんに接触しやすいようにお膳立てはしましょう。ただ、あんた達が着ているその衣装だ」
ぴっ、と指を挿してマツナガは言う。
「その装備を身につけている以上、半端な真似は許さない。やるんなら徹底的にね」
「お、なんか悪役っぽいですねぇ。先輩」
「そういうギルド方針なもんでね」




