(3)
「俺たちは知っての通り、プレイヤー・キルをメインに活動しているギルドです」
ダークキリヒトは椅子に腰掛けると、滔々と語り始めた。
「最初は三人で始めた弱小ギルドでした。あの頃は楽しかった……。相手プレイヤーの力量を見定めることもできなかったから、より強い相手に戦闘を吹っかけて返り討ちに合うなんてこともしょっちゅうでした。それでも、楽しかったんです」
ダークキリヒトの口調は、過ぎ去った日々を懐かしむものである。アイリスは心の中で『お、おう……』と煮え切らない相槌を打ちながら、黙って話を聞いていた。こういう時はキルシュヴァッサーが欲しい。黙ってお茶を入れて欲しい。それだけでだいぶ心が安らぐのに。そんな彼女の心中を察したか、横からオトギリがそっと毒ナイフを皿に載せて出してきたので、アイリスは見向きもせず片手で払い除けた。
結局のところ、PK専門戦闘ギルド〝アンチクロス〟のメンバーはアイリスブランドのギルドハウス内に招かれていた。ツワブキ・イチローデザインの大テーブルについて、仮面に黒マントという出で立ちの面々はしんみりとしている。
やがて、ダークキリヒトの言葉には影が落ちた。
「いつからでしょう。俺たちの活動は、新しいメンバーを次々と取り入れて、次第に膨れ上がっていきました。気がつけばそれは、俺一人が制御できるものではなくなっていた……。秩序とモラルの崩壊。それが如実に表れ始めたんです」
果たしてPKを専門に活動するギルドに、秩序とモラルが存在したかどうかというのは難しい問題である。
「俺たちのギルドは、もう昔のままではいられない……。でもそれは、楽しかったあの日々を否定してしまうことになります。絶対的なまとめ役が必要なんです。誰もが納得して従ってくれるような、悪の象徴足り得る人物が……」
アイリスはごくりと唾を飲み、言葉をひとつも発することはできない。
ダークキリヒトはついに立ち上がった。
「そしてついに見つけました! それがアイリスさん、あなたです!」
「冗談じゃないわ!」
アイリスも立ち上がった。
「初対面の人間捕まえていきなり悪人呼ばわりしないでもらえるかしら!」
「褒めてるんです!」
「どこがよ!」
アイリスが両手でテーブルを叩くと、気の弱そうなメンバーが数人、びくりと肩を震わせた。だが、ダークキリヒトが指をパチンと鳴らすと、彼らも席を立ち上がり、どこからかホワイトボードをガラガラと引いてきた。そこにはキャプチャされたゲーム内画面が何枚か写真として貼り付けられており、皿にダークキリヒトは懐から取り出した黒のマーカーでホワイトボードに一心不乱の書き込みを始める。
「見てください! これは先月の終わり頃、超大型モンスターの徘徊イベントが発生したときのこと! この時あなたは友人である芙蓉めぐみ女史のアバターを盾にモンスターのブレス攻撃を防いでいる! こんなこと我々にだってできませんよ!」
「そっ、それは……!」
「君そんなことしてたのか。やるなァ」
背後でロッキングチェアを揺らし、オトギリが嬉しそうに言った。
「それだけではない! あなたがファッション対決の時に吐いた罵詈雑言の数々も録音しました!」
「なんでそんなことしてんのよ!」
「あなたには才能がある! 俺が保証します。徐々に花開いてきた邪悪の化身としての才能が! どうか俺たちアンチクロスのギルドリーダーとなって、俺たちの悪行を導いてください!」
「断るわ!」
「こんなに頭を下げているのに!」
「下げりゃあ良いってもんじゃないのよ!」
アイリスは自らの頭をわしわしとかき乱した。なんなのだこの状況は。なんで見ず知らずの人間にこんなことを言われなければならない。
「あたしは! 悪じゃないっての! 普通の善良なサラリーマン家庭の娘なの! お父さんは仕事が忙しくてなかなか帰ってこないけど熱心で真面目な会社員だし、お母さんはパートをいくつも掛け持ちして家計と家のローンを支えている立派な兼業主婦なのよ!」
「そしてその娘である君は学校から帰るとすぐにオンラインゲームにログインしている親不孝者だ」
「オトギリさん黙ってて!」
アイリスが凄まじい剣幕で怒鳴りつけると、オトギリは肩をすくめてナイフを研ぐ作業に戻る。
「繰り返すけどあたしは悪じゃないわ。お父さんもお母さんも普通だし、お爺ちゃんも……」
そこでふと、アイリスの言葉が止まった。ダークキリヒトやオトギリたちも不思議そうな顔をして覗き込んでくる。
「どうかしました?」
「え、えっと……お爺ちゃんはまぁ……。戦後復興の中でコソ泥と闇市を繰り返しながら生計を繋いだりしてた面もあるけど……」
「極悪人ですね」
「ちょ、ちょいワル程度よ! えっと、将棋も上手かったわ! 負けそうになると盤面ひっくり返してたけど!」
「ようやくわかったよ。君の逆ギレは血筋だったんだ。君にはその悪党の血が流れている。呪われし家系だったんだなァ」
「ち、違う……!」
「違わない違わない。いい加減認めるんだ。君は紛れもなくこの世に産み落とされた邪悪の塊だよ」
「なんでそこまで言われなきゃなんないのよ!」
アイリスはとうとうイチローデザインの豪奢なテーブルを力ずくでひっくり返した。アンチクロスのメンバーは、仮面の下から情けない悲鳴を上げる。アイリスは肩を震わせながら、周りをギロリと見渡した。真なる覇王の威厳を秘めた、他を圧する視線であった。心の弱いものであれば石になっていたかもしれない。
「お父さんとお母さんは普通だって言ってんでしょ!」
「知ってる? ハゲって隔世遺伝するんだよ」
「ハゲが邪悪であるかのような言い方してんじゃないわよ!」
アイリスからすれば途方もない言いがかりではあったが、ダークキリヒトの意思も固い様子であった。
「アイリスさん、認めてください。あなたは悪しき存在なんです」
人をそこまで悪人扱いしたがるこの男も大概と言えよう。
「違う……。あたしは……違う……!」
とうとうアイリスも悲壮な表情となり、うわ言のように否定の言葉を繰り返すのみとなった。ダークキリヒトはさらに何かを言おうと口を開いたが、その後オトギリが、彼の肩をぽんと叩いた。
「あと一息ではあるがそのあたりにしておきたまえ」
「わかりました。また来ます」
ダークキリヒトとアンチクロスのメンバーは丁寧に一礼すると、ぞろぞろと列をなしてギルドハウスから出て行った。礼儀をわきまえた、今時気持ちのいい若者たちである。
彼らが出て行ったあとも、アイリスは手と膝をつき、目を見開き、全身から脂汗を垂らしながら床を見つめていた。焦点の定まらない目つきのまま『違う』『あたしは』『悪くない』と繰り返している。オトギリはその様子をひとしきり眺めて楽しむと、ナイフを研ぐ作業に戻った。
「愉快なものが見られたなァ」
「なによ……」
「いや別に? 君がそこまで悪であることを拒む理由もよくわからないんだけどね。別に悪でいいじゃん。善悪なんて自分の尺度で物事を測れない人間が欲しているだけのモノサシじゃないか」
「あんたいつかおカネが正義だって言わなかったっけ」
「言った言った。おカネは正義だけど善じゃない。でも僕は今そこを論じるつもりはないなァ」
オトギリはナイフをしまって立ち上がり、両手を広げる。世紀末モヒカンのような外見も相まって、この仕草が致命的に似合っていない。
「彼らのリーダーになるのも悪くはないんじゃないかなァ。たまには欲望に任せて自分を解き放ってみたまえ。何か違うものが見られるかもしれない」
「イヤよ」
「どうして? このギルドがあの男から残された唯一のものだから? それとも、自分を悪だと思いたくないから?
「どっちもよ」
「君には悪党の素質があると思うんだが。もったいないなァ」
オトギリがそこまで言った時点で、アイリスは立ち上がった。ふらふらとした足取りでギルドハウスの扉へと向かっていく。
「どこに行くんだい」
「あたしを悪く言う人がいないとこ……」
「意外とメンタル弱いなァ君は」
アイリスはそのまま外に出ると、扉はバタンと閉められた。
キルシュヴァッサーとヨザクラがログインし、オトギリから今回の件について事情を聞くのは、この数分後の出来事である。
アイリスは気がつけば、ランカスティオ霊森海の中心部にいた。ツワブキ・イチローが好んでいたマップであるこの森は、彼が運営のトップに君臨した現在もなお変化がない。むせ返るほどに濃密な空気の感覚は、単にフィトンチッドを再現したものだけではないだろう。膨大な数の植物が生み出す酸素と魔力。すべてが電気信号による幻に過ぎないとわかっていても、この森に宿る霊的な雰囲気は確かなものだ。
だが、今のアイリスには、そうした感動に浸れるほどの精神的余裕は一切存在しない。
悪党。邪悪の化身。数々の謂れ無き(謂れある)言葉が、彼女の心に大きな傷を残している。実際問題として、アイリスは自身を悪党であると認めるには、やや潔癖すぎる部分があった。彼女は理想高い人間であり、無自覚な悪に手を染めることはあっても原則として善意の人間である。
普段のアイリスであれば、鼻で笑い飛ばすこともできたかもしれない。だが、今の彼女は精神的に追い詰めれた状態にあった。アイリスブランドのリーダーとしての重責。ゲームを楽しめていないという自覚。そこに覆いかぶさる形での悪党認識は、結果的にアイリスの心に対するトドメの一打となったのだ。
「あたしは、悪じゃない。悪じゃないもん……」
人間は事実を指摘されると腹を立てるという至言もあるが、これ以上彼女をいじめるのはやめておくべきだろう。
さて、アイリスも成長している(レベル的な意味で)。ランカスティオ霊森海に出現するモンスター程度であれば、ソロでも軽くいなすことはできた。安全マージンを考えるといささか冒険しすぎではあるかもしれないが、ムシャクシャした人間の行動原理など得てして不安定なものである。
襲いかかってくる植物系のモンスターを《ウィンドカッター》で蹴散らしながら、アイリスは森を進む。
ふと足を止めたのは、しばらく先に戦闘の気配を感じ取ったからだ。いわゆるガチの戦闘キャラクターではないアイリスは、取得スキルに無駄が多い反面、《魔力感知》をはじめとする、意外なところで役に立つ通好みのスキルを取得している。この霊森海では戦闘時に魔力を放出するモンスターが多いため、アイリスは周囲で発生する戦闘や、奇襲攻撃に対して敏感になれた。
「なにかしら」
ガサガサと茂みをかき分けて進んでいくと、その先にはひとりの剣士がいた。植物系のモンスターに囲まれている。その剣士の出で立ちを見て、アイリスは露骨に顔をしかめた。
黒衣に仮面、背中にはマント。あのアンチクロスのメンバーとそっくりの装備なのだ。逆十字を模した意匠が見られないことから、おそらく彼自身が例のギルドのメンバーということはないのだろうが、なにせさっきの今である。あまり、いい気分はしない。
剣士の動作に危なげはなかったが、周囲に彼の仲間と思しきプレイヤーは見受けられない。完全にソロプレイだ。ナロファンはよほど安全マージンを取らない限り、ソロが推奨されないゲームバランスである。彼が振るう剣から算出されるダメージ量はそう高くなく、レベルはアイリスよりだいぶ低いように思えた。無茶をするな、と、思う。
だが次の瞬間、アイリスの脳裏に〝彼ら〟の言葉が蘇った。
『君にはその悪党の血が流れている』
『あなたは悪しき存在なんです』
『君は紛れもなくこの世に産み落とされた邪悪の塊だよ』
ふざけんじゃないわ。アイリスは茂みから立ち上がった。
あたしは悪じゃない。悪じゃないわ。その証拠に、人助けだってできる。アイリスは右手に意識を集中させ、風の刃を生み出すと、剣士の周囲にいる複数のモンスターにめがけて投射した。まっすぐに飛ぶ《ウィンドカッター》が、植物タイプのモンスターに対して無視できないダメージを生む。
剣士の視線が、仮面越しにこちらへ向けられた。勝手にやっちゃまずかったかしら、と、今さらながらに思うが、アイリスは強気に出ることにした。
「手伝うわよ。回復とか補助とかも一通りできるわ」
「………」
剣士はしばらくアイリスを眺めて動きを止めた後、再び剣を振るいだした。
「助かる」
その一言にほっとする。今は誰でもいいから、自分の中の善意を確認したい時だったのだ。
アイリスは、名も知らぬ仮面の剣士と背中を合わせ、しばしの共闘に興じることとした。




