重すぎるバースデープレゼント
六月十八日、朝。世間一般ではごくありふれた、なんの祝日も祭日もない平凡な月の、普通の日。だがしかし、どこでどうやって調べるのか。今年も辰巳の下駄箱には、幾つかの手紙と下駄箱に収まるサイズの包みや箱が入っていた。
「……誕生日を調べたんなら、そこより違うトコを認識したほうがいいじゃないの?」
例えば送迎の車がいかにもなベンツである理由とか。ニュースで時折飛び交う「海藤組」という言葉と自分の関連性を考察してみるとか。教師の前と生徒しかいない場での変貌ぶりとか、敬遠する理由なら幾らでも挙げられるだろうに。
「女って、ホント、バカ」
辰巳は下駄箱を挟んだ向こう側に女生徒が隠れて様子を窺っているのを見越した上で、わざと大声の独り言を口にした。
手にした包みや小さな小箱を一つずつその場で開く。そうしている間にも、ほかの生徒が続々と登校し、下駄箱から上履きを取り出しながら挨拶を交わし合うやり取りが増えて来る。
「おはよう。辰巳、何してんだ?」
進学校の誉れ高いこの高校の生徒にしては比較的崩れたタイプのクラスメートが、辰巳を恐れることなく声を掛けて来た。
「おはよう。なんか、貢ぎ物が入ってた」
「あ、そか。今日は」
「呪われし悪魔の生誕日」
「はは、自分で言うと信憑性が半減するぞ」
気さくにあけすけな言葉を口にする彼を、辰巳は決して嫌いではなかった。かと言って気を許す間柄でもない。誰にも近付き過ぎず、敵視もされ過ぎず、と留意するのが高校で無事過ごすための処世術となっていた。
「あげる」
「は? 何が悲しくてお前宛のものを俺がもらわなくちゃいけないんだよ」
「だって、念がこもってそう。同世代の女は苦手。頭悪い上にチヤホヤ担がれないとすぐ拗ねる」
そう言いながら辰巳が手にしたものは、制服のブレザーに似合いそうな、そしてなかなか高価と見受けられるタイピンだった。
「げ。これ、表面の金の部分、メッキじゃないぞ」
「あ、じゃあ帰り、付き合えよ。下取りに持っていったら少しは金になりそうじゃん。その金でまたアソコに行こうぜ」
「おまえな」
下駄箱の向こう側から嗚咽が聞こえ、程なくゆるふわなウェイブをなびかせながら、一年生を示す黄色いラインの入った上履きの女子が飛び出して行った。
「……いるのが判ってたな、お前」
「うぃ」
「鬼畜が」
「俺の代名詞っすから」
そんなやり取りを交わしながら、彼の前髪をぐいと掴んでタイピンで前髪を留めてやった。
「俺は大五郎か」
「うぉ、なかなかレトロな趣味だね。『子連れ狼』と来たか」
二年を意味する赤いラインの上履きを取り出して、辰巳はにやりと彼に見下す微笑を投げ掛けた。
「知ってるお前も同類だろ」
こいつにやり込められるのは、意外と嫌いじゃない。
「だな。あ、それよか、なんか誕生日のお祝いちょうだいよ」
そう言って口角をゆるりと上げて笑ってみせた。今日は何がなんでも帰りたくない日。また一つ父親が描いている展望に辰巳が一歩近づいてしまう日。
――成人したら、組の幹部席に据えてやる。
裏で情報戦略の先陣を切っているのがこんなガキだと、今表に立つのはまずいから、と自由を許されている立場。その逃げ場もあと三年でなくなる。そう考えると笑えない心境だった。
「女からのは売るくせに、男にはカツアゲレベルのツラしてせびるのかよ」
笑えないくせに無理して笑うと、そんなふうに見えるらしい。今日のエスケープに巻き込もうとした相手は、呆れた顔でそんな失礼なツッコミを入れて来た。
「だって男を組み伏せるほうが達成感あるじゃん。味方につければ有利だし」
それならと、ジョークで気を紛らせようとバカを言う。
「いちいちアブノーマルな発言かますよな。だからみんなビビるんだっつうの」
「お前だって充分アブノーマルだろ。俺とヘーキでつるんでる」
そんな会話に聞き耳を立てているくせに、聞こえない振りをして通り過ぎていく別のクラスメートを二人で見送った。
「なーんでお前が海藤の息子なんだかね」
「そういうお前も、どうして神代のせがれなんだか」
教室までのほんの数十秒。その間に漂う沈黙が、妙に居心地悪くて仕方がなかった。
彼の名は、神代芳春。海藤組と敵対する籐仁会の若衆の一人、神代芳彦の息子だと知ったのは、随分と意気投合してからだった。似たもの同士だと思ったのは辰巳だけではなかったようで、入学して間もなく、彼のほうから声を掛けて来た。
『なあ、海藤って、あの海藤だろ? ツラがよく似てるよな、親父さんと』
『……だったら、何』
『家の親父も同業だからさ。このガッコ受験するのにめっちゃくちゃ苦労したんだよな。よく海藤のおっさんが許したよなぁ、って興味があって』
すぐに素性を明かしたあけすけさに面食らったあの日が懐かしい。
『好きで仁侠の息子に生まれたわけじゃないのになー』
彼が授業をふけて屋上で煙草を吸っている辰巳を見つけ、そう言いながら籐仁会の名を口にしたのがきっかけだった。海藤周一郎と、その目びいきを受けている息子の噂が、そっちの世界ではあまりにも有名になり過ぎていた。
芳春は辰巳と違い、いわゆる一般人とも普通に交流を続けていた。いつか仁侠の世界から足を洗うときに備え、人脈を作っておくから、だとか。
『やりてえヤツらでやってりゃいいんだよ。俺は人間よりかも的を撃って、オリンピックとかに出てさ、ギネスに載って伝説になりてえ』
『何それ、すげえドリーム』
彼はそう嗤った辰巳に見下す微笑を浮かべ、自信たっぷりに反論した。
『そうやって諦めてるお前にゃあ無理だね。ま、頑張ってグチグチ言いながら鬼神の忠犬をまっとうしてなよ』
多分、辰巳が本気で喧嘩をしたにも関わらず、タイという敗北感を味わわせて来たのは彼が初めてだ。彼の構えた特異のポーズが、何かしらの格闘技を修得していると見せた。それであればこちらも遠慮なく極真をかましてもいいと思い、徹底的に叩き潰すつもりだったのに。
『……お~、なんか、空が青過ぎる』
そう呟いた彼の声のほうが、澄み渡る青を思わせた。直後、ごぼっ、と血を吐く鈍い音。彼が血を吐く元凶になった自分の拳に、少しだけ罪悪感を覚えたりもした。
『おーい、辰巳。生きてるかー?』
耳許でそれが聞こえたことで、ようやく彼が身を起こしたのだと気が付いた。
『……生きてる。けど、なんも見えないー』
『あー、男前を台無しにしちまったもんなー』
パシャ、と嫌な音がする。
『てめ』
『目の腫れが引いたら見せてやるよ。お前のぶっさいくなまだら顔』
やばい、そう思った。相手は籐仁会の人間だ。気を許してはいけないと強い警告が脳内に響く。だがそれが保身から来る警告ではないと、辰巳の心が告げていた。自分が海藤の頭を取るまでは、二度と大事なものなど作らないと決めたのに、それに反するものが芽吹いていた。
芳春は、適度にやんちゃで、適度にマジメ。男子の輪の中心にいて、下品な話からうんちくまで、そこそこ網羅しているユニークなムードメーカー。女子には時々煙たがられる。すぐにナンパ紛いの誘いを口にするせいだ。だが決してしつこくはない。だから気が向けば、男女人数を合わせてカラオケやゲームセンターに行くこともあるらしい。それが辰巳から見た芳春だった。よくある普通の高校生。辰巳の目には、そんなふうに見えていた。とてもまばゆい思いで彼を遠巻きから眺めていた。
辰巳と共通の趣味は、女遊び――多分。 多分、と注釈がつくのは、芳春が認めないからだ。
『元々の素因がお前にあったんだよ。俺はたまたまきっかけを作っただけで、俺はいつでも誰でも何人に対してでも本気モードだ、つまり遊びじゃない』
『って、息継ぎゼロでまくし立てるほど必死になることかっつう』
『黙れっ。お前と一緒にされたかないっ』
『えらい言い草だな、それ……』
俺に女教えたのはお前じゃん、と言ったら本気で脳天への踵落としを喰らった。
放課後。辰巳は芳春と一緒に部室棟へ転がり込んで、急いで着替えた。着替えというよりも変装に近い。クラブ活動の道具一式という名目で持ち歩いているエナメルバッグから取り出したのは、黒のTシャツに真っ白のシャツ、黒のビンテージジーンズにトレッキングシューズ。髪を固めるハードムースと似合わない派手な黄色のデザイングラス。
忍び込むのは、いつも演劇部。姿見があるので、自分の姿を確認出来るからだ。
「これでツラがだいぶわかんなくなるだろ?」
「まあなあ。でも、相変わらずセンス悪ぃな。そのトンデモセンスで辰巳ってバレるんじゃね?」
「黙れ」
「こわ」
そんな芳春も私服に着替えていたが。
「何ゴソゴソしてんの?」
「あ? ああ、いや。運動不足かな。腹筋緩んだのか、ベルトがいつもの穴で閉まんなくてさ」
あと数分で部員が部室へ入って来てしまうせいか、うろたえた口調で芳春が言った。
「ふぅん。手伝ってやろうか?」
「い、いいっ」
「何必死で拒否ってんだよ」
「な、なんかヘンなことされそう」
「俺はヘンタイか」
「ありがち。……っと、お待たせ、出来たっ」
そう言って振り返った彼に、特にこれといった異変は感じられなかった。
海藤辰巳の顔は知らなくても、その面構えを見れば、組の人間であれば一目でそうと判ってしまう。だから遊び場はいつも芳春の活動エリアとも言える、籐仁会のシマに位置する繁華街だった。籐仁会とは関係のない、健全なジュエリーの買い取り店舗で誕生日プレゼントを売り、それを資金にゲーセンで遊びつつ、適当な女をナンパする。いつもなら、カラオケボックスで喉を慣らして砕けた雰囲気になったあと、素人が好きな芳春は、掴まえた女が好みであれば二人でふいと消えていく。そのときは残った女を巻いて芳春の名前で玄人のいる店にいくのが辰巳の常だ。今日はそのパターンではないらしい。
(今日はペケだ。あと引きずりそう、この女)
彼女たちが画面を夢中で追いながら自分たちの声に酔っている隙に、芳春が辰巳にそんな耳打ちをして来た。
(んじゃ、テキトーなとこでばっくれるか)
(あ、そだ。プレゼント。今日は俺がゴチってやる)
(ここじゃなくって、次んトコね)
(てめ、そっちのが高くつくじゃねえか。ぼんぼんがケチってんじゃねえよ)
(……次“ぼんぼん”っつったら殺すぞ)
時間終了まで、あと三十分。いつもどおりトイレに行く振りをして、別行動でカラオケボックスの部屋を出ることにした。
先に出た辰巳が向かったのは、芳春に指定されたビルの裏。
「!?」
ビルとビルの狭間に入った途端、数人の何者かにビルの中へ引きずり込まれた。一瞬のうちに両腕を後ろにひねられた手早さは、素人のそれではないとすぐに判った。
「海藤んとこのぼんぼん、だな」
薄明かりの中でそう問い質すのは、見たことのない中年の男だった。だが、どこか既視感を覚える。急激な明暗の差で目が馴染んでいないながらも、辰巳は目を凝らして相手の男を睨みつけた。
「だったら、何」
「人のシマで遊んでるバカがいると聞いたんでな」
「うそだね。俺はそのカイドウなんとかなんて知らないし。トモダチが待ってるんだ。人違いって分かったんだから、さっさと後ろのおっさんたちに手を離せって命令してよ」
百八十センチは越えている長身の辰巳でも、そんな自分と大差がない二人の男を一人で片づけるのはさすがに難しいと思い、無難な線で対応してみた。
「友達、なあ……」
嫌な顔をして男が嗤う。懐をまさぐり出す。
「そいつの名は、神代芳春、というんじゃねえのか?」
「!」
彼の取り出した拳銃の銃口と、言葉の刃が辰巳に突きつけられた。
目尻の下がった細い目、笑うと少しだけ上がる右の眉。芳春と、よく似た、それ。
「あんた、まさか……」
「仁侠の息子が進学校へ、なんて、そんな変わったなガキが、そう何人もいると思ってたか、世間知らずが」
海藤組との抗争で下手を打ったツケの清算をしなきゃならないとか。
誰も知らない海藤組の秘蔵っ子の情報を入手出来たのを利用しない手はないとか。
横取りはゴメンだから、籐仁会の連中にもまだ詳細は知らせてない、だとか。
「……んなこと……知るか、よ……っ」
――裏切られた。芳春に。
最初から、そのつもりで近付いたのだ、ヤツは。どこで自分の本音の部分を探り当てたのかは解らない。誰にも本音など漏らしたことがないから。強いて言えば、海藤周一郎。
(親父しか、知らない)
仁侠の世界から足を洗いたいということ。普通でいたいという切実な願い。
(あいつも同じだと言っていた、のに……)
噛みしめる下唇から滲み出した塩辛い鉄の味が、辰巳の舌を刺激した。
「貴様の保身のために、息子を利用したのか、神代」
そう問い詰める辰巳の声は、高校生の子供が発する声音とは思えない低さで床を這った。
「利用たあ、聞き捨てならねえな。一石二鳥と言ってくれ」
神代が心底不愉快な顔をして、辰巳の顎を銃先で跳ね上げた。
「俺には学がねえ。こんな世界でしか生きられねえ。芳春には、まっとうに生きて欲しい。あいつもそれを望んでる。学と娑婆で普通に生きる道さえ手に入れられれば、巧く逃げさえしたら、あいつには普通の生活をくれてやれる、そう思わねえか?」
自分をネタに、周一郎と取引をするという。要求は、先般某国より入手した銃刀五百万円相当分と大麻四百万円相当分。プラス、相手組織と籐仁会の仲を取り持つこと。
「てめえを掴まえる経費として、籐仁会に学費を出させてやった。これで芳春を自由にしてやれる。てめえには気の毒な話だがな」
――ガキのうちから諦めてるヤツには、似合いの待遇じゃねえか。
その一言が、砕かれた顎の痛みよりも強く鋭く辰巳の顔を苦痛でゆがめさせた。
「悪ぃな。海藤の使い物にならない程度に、壊させてもらうぜ」
神代がそう言ったと同時に、肩に鋭い激痛が走った。
「うぁがッ!」
不可能な方向へ捻られようとする肩。抗おうと足掻く力さえ出せないダメージを自覚する。体が、ではなく、心が。
「俺は籐仁会に捨てられた駒だ。こいつらがお前を捕らえたあと、俺を殺るのは判ってる。抵抗する気もねえんだよ。諦めの早いクズのよしみで、俺もあとから逝ってやらあ。それで、勘弁してくれや」
ゴキ、と左肩から鈍い音がした。幸い折れた様子はなく、肩関節の外れた痛みが辰巳に低い呻きを漏らさせた。
頭上からハンマーの落とされる音がする。自分の身がくずおれたことをその音で認識した。朦朧とする意識の中で、四肢を狙うつもりだろう、などと他人事のように考えた。
「親父っ」
叫び声と同時に、扉の開く音が響く。同時に弾ける二つの銃声。
「よ、し、はる……てめえ……」
駆け寄る気配がする。強引に肩を入れられる。走る激痛に叫び声を上げた。刹那に走った激痛と焦りと危機感が、辰巳のぼやけた意識を覚醒させた。
「人は、殺れねえ、って、てめえ……そいつはどこで手に入れた」
「親父。もう、いいよ」
そんな芳春のか細い声を、この一年半の付き合いの中で初めて耳にした。
「俺だけ無罪放免なんて、無理なんだ。親父を殺れって、これを渡された。俺、無駄死になんかしたくねえよ」
――初めて出来たトモダチなんだ。こいつ、今日が誕生日なんだ。
芳春の考えていることが、嫌というほどよく解る。銃声は外まで漏れているはずだ。倒れている場合じゃないと思うのに、体が巧く言うことを利いてくれない。
「俺のウソ、全部信じてくれて。諦めんなっつったら、すげえ嬉しそうな顔してくれて……俺と真正面から付き合ってくれたの、辰巳が初めて、なんだ」
カチリとハンマーの落ちる音がする。辰巳の背に、冷たい汗が一度に噴き上がる。
(動け……動け、うごけウゴケ動けッッッ!!)
無傷の脚に力をこめる。右腕がようやく辰巳の言うことを聞き入れ、掌を床につけ肘を立てた。
「……芳春……」
「父ちゃん、ごめん」
四発目が放たれる。顔を上げた瞬間、顎が床にかすり、酷い痛みが走ったが、そんなものは一瞬にして辰巳の中から吹き飛んだ。
神代の左胸から、とろりと赤い筋がこぼれる。次の瞬間、真っ赤なシャワーが辰巳の顔を濡らした。
「辰巳、よく聞けよ」
頭上から降る声は、聞いたこともないほどの苦しげな声だった。
「お前は俺に騙されて、籐仁会に嵌められ拉致られた。揉み合ってるうちに、誤って神代芳彦を撃っちまった」
「ふ、ざ」
ふざけるな、と言いたいのに、顎の痛みがそれを許さない。
「逆上した息子が、暴言を吐きながらお前に銃口を向けた」
芳春の脚が、父親のほうへ向かっていく。彼の握っていた拳銃を手に取り、自分の握っていた拳銃を息絶えた父の手に握らせた。
「最初から海藤組を陥れるための餌として近付いたのに、それにも気付かない海藤組のバカなぼんぼん。海藤組も修一郎一代で終わりだな――父親を侮辱されて、お前はキレて俺に掴みかかった」
やっと立てた右肘が芳春に掴まれ、その手が拳銃を握る彼の手に重ねられた。
「や、めろ」
「俺に顎を砕かれた衝撃で、誤ってハンマーが落ちてしまった。俺の指はトリガーに掛かっていた。お前が撃ったわけじゃない」
間近に迫る芳彦の瞳に、情けない顔の自分が映る。
「辰巳。お前は諦めるなよ。親父みたいな中途半端な場所じゃなくて、トップのせがれなんだからな」
――引きずり下ろして、お前がナンバーワンになることで、自由を手に入れろ。
「親父の分は、俺ら親子からの詫び。これが、俺から辰巳への、誕生日プレゼント」
「や――よせェッ!! やめろーッッッ!!」
「トモダチって言ってくれて、ありがとな。ばいばい」
彼の頬を伝う涙。無理やり彼の眉間に向かってねじられる右手。顎に走った激痛と、胸に走る強い痛み。
次の瞬間、辰巳の視界が紅一色に染まった。
気が付けば、病室だった。顎が固定されて口を開くことが出来ない。ベッドの脇で船を漕いでいる赤木に、目玉だけ動かして目で訴える。
(赤木……起きろ)
念じたのが通じたのか、たまたまガクリとした衝撃で目が覚めたのか、赤木ははっとした顔で瞼を開くと、辰巳の視線にすぐ気が付いた。
「目が覚めたか」
瞼を一度閉じてすぐ開ける。彼はそれを見止めると、無理な作り笑いを浮かべて言った。
「よく怪我をするヤツだな。俺を巻くからだぞ。バカが」
彼は仕置きとばかりに辰巳の額を指で弾いた。激痛がそこを伝って顎を直撃する。視界がすぐにぼやけて、目尻からぬるいものが零れ落ちた。
「籐仁会との抗争が始まった。お前のツラを知ったヤツ全員のデータを親父さんに渡したぞ」
これまでと変わらず、退院すれば高校には通い続けられるから。あの日、芳春が事前に赤木の運転するベンツに近付いて来て、そのときのやり取りを聞けるようにと盗聴器の受信機を赤木に手渡していたことを教えられた。
「なんで止めてくれなかった、ってツラしてるな。出来るわけ、ないだろう?」
敵のシマで実戦経験に乏しい俺に一体何が出来ると問われれば、自分の望む形での解決策など一つも思い浮かばなかった。
「お前には悪いが、俺は神代の親父さんの気持ちが解る」
一度踏み外した道から足を洗うのは容易じゃない。せめて息子だけでもと願う気持ちは痛いほどよく解る。総司が生まれて間もない赤木からのその言葉は、重かった。
「親父さんには、芳春の言ったとおりに伝えた。お前への制裁はなしだ。コケにされたと怒り狂って、神代の属していた長谷川組をぶっ潰してる。その内籐仁会の会長が泣きを入れて手打ちの打診が来るだろう」
少し自重しろ、と柔らかな声音でたしなめられた。自分の立場を忘れるな、と。
「お前がナンバーワンになることで、自由を手に入れろ」
赤木が、芳春と同じ言葉を口にした。辰巳の目尻かららこぼれ落ちてはまた溢れるモノを、彼は苦笑しながら拭い続けてくれた。