婚約者(王子)をたぶらかす平民ヒロインを断罪しようとしたら……この女、推しのために血を吐いて働くただの「限界オタク(社畜)」でしたわ!?
王立学園の静かな中庭。
見事に手入れされた薔薇のアーチの陰で、アルカディア王国筆頭公爵家の令嬢であるわたくし、ミレニア・フォン・グランツは、探していたターゲットをようやく見つけ出した。
「ちょっと。そこのあなた」
声をかけると、小柄な背中がビクッと跳ねる。振り返ったのは、最近学園を騒がせている平民の特待生、ユニだった。
「少しよろしくて? お話がございますの」
「あっ、あなたは……!」
ユニはわたくしの顔を見るなり、ひぃっと息を呑んだ。
その反応。どうやら自分が何をしでかしているか、少しは理解しているらしい。
「あら。わたくしのことをご存じなのかしら?……なら、おわかりですわよね」
扇子をパチンと閉じ、わたくしは冷ややかな視線で見下ろした。
「あなたの行動、目に余りますわ。平民のくせにクライヴ殿下に近づくなど不敬極まりないことよ! 身の程をお知りなさい!」
「はっ、はわわ~!」
絵に描いたように怯える彼女に向かい、わたくしがさらに一歩踏み込もうとした、その時。
「ユニ!ここにいたのか、探したぞ!」
中庭に響き渡る、艶めいたよく通る声。
振り返ると、陽光を弾く金糸の髪をふわりと揺らし、わたくしの婚約者――この国の第一王子であるクライヴ殿下が駆けつけてきたところだった。
焦燥に歪む顔すらも無駄に美しく、マントを翻えすその立ち姿はまるで一枚の絵画のように決まっている。誰もがため息をつく「完璧な王子様」の姿が、そこにはあった。
──中身の軽薄さを除けば、だが。
「きゃっ☆ クライヴ様っ!」
王子の呼びかけに応えるように、甘ったるい声が響く。可憐で儚げで、だが異様にしっかりと通る発声は訓練されたオペラ歌手さながらだ。
その声の主──ユニは、両手を顔の前で組んでうるうると目を潤ませていた。
「ミレニア!お前、ユニになにを――」
「お話をしていただけですわ」
殿下の非難がましい視線を、わたくしは毅然と跳ね返した。
「クライヴ王子殿下。いい加減に目を覚ましてくださいまし。ご存じないわけではありませんわよね? そこの女は、婚約者のある男性たちに次々と色目を――」
「ごっ、ごめんなさい!ミレニア様の仰ることはわかります!でも……その……ごめんなさい! だって、あの、わたし……!」
わたくしの言葉を遮るようにユニがぶんぶんと首を横に振る。その瞳には涙まで浮かべている。
「ユニ!謝る必要などない!ミレニアのいいがかりだ!」
「わたし……箱推しなんですぅ!!」
悲痛な叫び声が、薔薇のアーチを越えて空へと響き渡っていく。
「「……ハコ……オシ?」」
わたくしと殿下の声は、見事に重なった。
◇◇
数十分後。学園内のカフェテリア。
クライヴ殿下が城からの迎えに引きずられて帰った後、わたくしとユニは小さなテーブルを挟んで向かい合っていた。
「……それで」
わたくしは優雅にティーカップを下ろし、目の前の平民を見据えた。
「説明していただけるかしら? 『ハコオシ』とはなんですの?」
「…………」
返事がない。見れば、ユニはわたくしの頭部を食い入るように見つめているではないか。
(──なんて無礼なのかしら)
わたくしの額に、ピキリと青筋が浮かんだ。
「ちょっと! わたくしの話を聞いていますの!?」
「ふわっ!? ごめんなさい! ミレニア様の髪のモデリングが神ってて、つい……!」
「はぁ? モデ……?」
「いえっ、なんでもありません! こっちの話でッ!」
ユニは誤魔化すように自分のティーカップを両手で掴むと、ずずっと下品な音を立てて熱い紅茶を半分ほど一気飲みした。
「ぷはー……って、なんか渋ッ。口に残りますね。あ。えっと箱推しって言うのは、要するに……」
(王室御用達の最高級の茶葉をつかまえて、渋いですって!? そもそも紅茶は一気飲みするものではありませんわ! これだから平民は……!)
わたくしの額にさらなる青筋が浮かんだが、ユニはそんなことにはお構いなしで、異様な早口で熱弁を振るい始めた。
要約すると、「ハコオシ」とは。
「誰か一人と結ばれたいわけではなく、彼ら全員が仲良くしている世界そのものを愛好する」思想のこと……らしい。
婚約者であるわたくしや令嬢たちを邪魔するつもりなど毛頭ない。だから自分のことは「ゆるキャラ(ゆるっとした雰囲気のマスコットのことらしい)」とでも思ってくれと。
(り、理解不能ですわ……っ!)
彼女から繰り出される未知の論理の連続に、わたくしが頭を抱えかけた、その時。
「あっ……!」
ユニは目をカッと見開き、窓の外に釘付けになった。
「シリウス様とアーサー様の友情イベ……! しかも音声付きだなんて……尊い……!」
(……完全に不審者ですわ!)
窓にへばりついて荒い鼻息を吐く平民にわたくしがドン引きした、その直後。
何かに憑かれたように身を乗り出したユニは、ガチャンッ!と勢いよく自分のティーカップを倒してしまった。
「あっ!?」
「んもうっ! なにをやっていますの!? スカートが染みになりますわ、早くこれで拭いて──」
わたくしが慌ててレースのハンカチを差し出そうとした、次の瞬間。
ふわり、と。ユニの指先から、淡く光る不可解な文字列が無数に浮かび上がった。
『target=stain; if(target) delete target;』
「っ!?」
「エグゼキュート」
ユニがそう呟いた途端、スカートに広がっていた紅茶のシミが、まるで時間を巻き戻したかのように跡形もなく消え去る。
「んー、よしっキレイになった♡」
わたくしはハンカチを差し出した姿勢のまま、目を丸くして固まってしまった。見たこともない魔法だった。わたくしの知るそれは、火や水など、四大精霊を操るもので……。汚れを跡形もなく消し去るだなんて、聞いたこともない。
「……今のは……呪文ですの?みたことのない文字でしたわ……」
「えっと……呪文じゃなくてコードです」
「コード?」
「うーんと……あらゆる事象を文法と数値で定義して実行する術式……って、いえばいいんでしょうか」
言うが早いか、ユニが両手を空中で踊らせる。今度は先ほどよりも遥かに複雑で、目が眩むほど膨大な光の文字列が、流れるように宙に浮かび上がった。
「四大精霊に祈るとかいう感覚的なやり方じゃなくて、この世界の事象を厳密な『数値と数式』で定義し直すんです。変数に物質を代入して、条件分岐を通して、システム──世界そのものに直接命令を下すというか……。関数なんかの構文は、Cっていう言語をベースに自分でアレンジして……」
「ただ、シミ抜きみたいな軽い処理ならいいんですけど、複雑な事象の書き換えになると、めちゃくちゃ重い処理になっちゃって。電力……ていうか、魔力?の消費が激しいし、脳食いつぶしてバーンっていっちゃいそうだから、さじ加減がすごく難しくて……」
ユニは、そんな恐ろしいことを、まるで今日のランチのメニューでも語るかのようにあっけらかんと説明する。
(……世界そのものに命令を下す? そんなことが本当に──)
宙に浮かぶ、一切の無駄がない幾何学的な文字列の羅列。それがまぐれ当たりの奇跡などではなく、緻密な思考と論理によって構築されたものであることは、わたくしにも一目で理解できた。
そしてそれが──途方もない時間と努力の積み重ねによってのみ、成し得る業だということも。
わたくしが絶句してその文字列を食い入るように見つめていると、ユニはハッとしたように身を震わせた。
「あっ……」
空中に浮かべていた文字列をパッと消し去り、張り付けた笑みを浮かべる。
「ご、ごめんなさい! 意味わからないですよね、こんなの……っ!」
「……いいえ」
わたくしは扇子で口元を隠し、動揺を悟られないように答えた。
「興味深いわ。……もっと、教えて下さる?」
「えっ」
驚いたように目を瞬かせた後。
ユニは、ぱぁぁっと花が綻ぶような、計算など一切ない純粋な笑顔を見せた。
(――っ)
わたくしは思わず息を呑んだ。なんて、無邪気で真っ直ぐな笑顔だろう。
まるで、愛されるためだけに生まれてきたかのような。
わたくしは、幼い頃から重圧に耐え、すべての時間を王妃教育に費やしてきた。この子だって、きっと同じ。多くの時間を「奇跡」の構築に費やしてきたはずだわ。
なのに、彼女は──少しも自分をすり減らしていない。
(……嫌だわ)
わたくしは、ほんの少しだけ胸の奥がチクリと痛むのを感じて――ふいっ、と目を逸らした。
「もちろんです! たとえば、この世界を構成するマテリアルのパターンは全部でーー」
「――時間ね。失礼するわ」
わずかに強張った表情を悟られないよう、わたくしは立ち上がり、あえて冷たい瞳で言い捨てた。
「とにかく――。手当たり次第に色目を使うのはやめてちょうだい。ハコオシだかなんだか知らないけれど、彼らにも婚約者がいるのだから」
それだけを言い残し、わたくしは足早にカフェテリアを後にする。
振り返ることはできなかった。
あの眩しい笑顔をもう一度見てしまえば、わたくしの中に築き上げてきた貴族としての矜持が、呆気なく崩れ去ってしまいそうだったから。
◇◇
数日後に開かれた、学園主催の夜会でのことだった。
「……ミレニア様、どうかあの方になんとか言ってやっていただけませんか?」
「ええ、本当に! わたくしたちの婚約者をたぶらかすなんて、厚顔無恥にもほどがありますわ!」
壁際で扇子を揺らすわたくしの周りには、眉を吊り上げた令嬢たちがずらりと並んでいた。
彼女たちの視線の先――シャンデリアの光が一番集まるホールの中心で、わぁっと歓声が沸き起こる。
「また、ユニさんですわ!」
「いやですわ、ほらご覧になって……!」
令嬢たちが憎々しげに声を上げる。見れば、見目麗しい令息たち――それも、この国を背負って立つ高位貴族の跡取りたちばかり――にぐるりと囲まれたユニの姿があった。
ユニが小さく呟きながら祈るように手を組むと、彼女の周囲に淡い光──魔法陣が浮かびあがった。その光は、彼女の呼びかけに応え一人の令息を包むように降り注ぐ。
「すごい! 剣術の稽古で痛めた筋が完全に治った……! さすがユニだ!」
「まさに聖女だな!! なあ、俺の古傷も頼むよ!」
「そんなぁ……でもでもぉ、皆さんのお役にたててとってもうれしい♡」
両手を頬に当て、小首を傾げるユニ。あざとさ全開の笑顔に、周囲の男たちは完全にデレっと顔を綻ばせている。
争い合うようにユニに手を差し出す令息たち。ユニがその手を取るたびに、ぱぁっと光が弾け、彼らの疲労や怪我が瞬時に癒されていく。
「ありがとう、ユニ! お礼と言ってはなんだが、今度の休日に観劇でも――」
「抜け駆けはずるいぞ! ユニ、俺が話題のカフェを貸し切るから!」
ついに令息たちが、ユニの隣を巡って言い争いを始めた。場が険悪になりかけた、その時である。
「やぁん♡ わたしのために争わないでぇ! みんな仲良くしなきゃダメですよぉ」
「ユニ……なんて優しい……!」
「そうだ、こうしましょう♡」
人差し指を口元に当て悪戯っぽくウインクを飛ばすと、「だ・れ・に・し・よ・う・か・な♪」と令息たちの鼻先を順番に指差していく。
そのあまりにも浮かれた態度に、周囲の令嬢たちの怒りはついに頂点に達した。ギリィッと嫌な歯ぎしりの音と、扇子を握りつぶす音がそこかしこから聞こえてくる。
これ以上は、見過ごせない。
わたくしは苛立つ令嬢たちを片手で制し、コツ、コツ、とヒールの音を響かせて輪の中心へと歩み寄った。
「聖・女・さ・ま・の……」
「──ユニさん。ちょっと、いいかしら?」
「ひゃうっ!?」
背後から冷たい声を響かせると、ユニは小動物のように肩を跳ねさせた。
わたくしはすかさずユニの細い腕を掴み、庇おうとする令息たちを鋭い視線で射抜いた。
「殿方たちは下がっていらして。これはわたくしたち、女性同士の問題ですわ」
次期王妃としての威圧感で彼らを黙らせると、わたくしはそのままユニを引っ張り、壁際で苛立つ令嬢たちの前へと引きずり出した。
「あなた、わたくしの忠告を聞いていなかったんですの!? 誰かれ構わず色目を使うのはおやめなさい! はしたない!」
「えっ、えっとあの……。誰かれかまわずっていう訳じゃぁ……」
「……ここにいる皆様は」
わたくしは、ハンカチを噛み締めている令嬢たちを扇子で指し示した。
「あなたに骨抜きにされている男性たちの婚約者ですわ。本来なら今ごろは、彼女たちとファーストダンスを踊っていたはずなのです。ご自分の立場がおわかり?」
正論で詰め寄るわたくしに対し、ユニはしかし、きっぱりと首を横に振った。
「誤解です! わたしは皆さんのことを純粋に推しているだけで、恋愛感情なんて1ミリもありません! むしろ公式カプ(婚約者)からの供給があるなら、間近で拝みたいくらいで――」
ユニのわけのわからない熱弁は、誇り高き令嬢たちにとって『最悪の侮辱』として受け取られた。
「なんなのっ!? 恋愛感情すらないのに、あんなに殿方たちを侍らせていたというのっ!?」
「わたくしたちの婚約者を、暇つぶしの玩具だとでも言うつもり!?」
ついに我慢の限界を迎え、怒りで顔を真っ赤にした令嬢の一人が前に躍り出る。
「あなたっ、いい加減にーーー」
彼女の右手が、ユニの頬を打つために高く振り上げられる。
―――ゲフゥッ!!
「……え?」
「きゃぁあああ!?」
振り上げられた令嬢の手が、空中でピタリと止まる。
ユニの口から、おびただしい量の鮮血が噴き出したのだ。
真っ赤な血が、彼女の胸元を、そして磨き上げられた大理石の床を無惨に汚していく。
「なっ、なんなの!? ユニッ、ちょっと大丈夫!?」
わたくしは血相を変え、倒れそうになったユニの肩を咄嗟に支えた。
「す、すみません……」
口の端から血を滴らせたまま、ユニは青ざめた顔でへらっと笑った。
「凡ミスでメモリリークが……いえ、力の使い過ぎで……っ。休んでればすぐに治りますから! じゃあわたしはこれでっ!」
言うが早いか、ユニはわたくしの腕からすり抜け、ドレスの裾を血で汚したまま、すたこらさっさとホールから逃げ出してしまった。
「血を……吐いたわよ?」
「力の使い過ぎ……? なんなの、あの子……」
嵐が去った後のような静寂の中、令嬢たちのひそひそ声だけが響く。
わたくしは、自分の手にべっとりと付着したユニの生温かい血を見つめながら、その場に呆然と立ち尽くしていた。
◇◇
夜会から戻ったわたくしは、自室のベッドに倒れ込むこともせず、机に向かっていた。
ドレスを着替えることすらもどかしく、羊皮紙に羽根ペンを走らせる。今日までにユニが空中に描いていた光の文字列を、記憶の限り書き起こしていく。
『target=stain; if(target) delete target;』
『target.status = normal;』
(targetは、対象……。stainは、染み……)
恐ろしくシンプルな術式だ。ユニの言葉の通り、構文と単語さえ分かれば誰にでも操れるだろう。
(delete……対象の存在を、消去する。状態を、『正常』に上書きする……?)
これは、四大精霊に干渉する『魔法』とも、聖職者たちの『祈り』とも違う。
世界の理そのものを強制的に捻じ曲げる、神の御業に等しい異常な術式だった。それを理解した瞬間、わたくしは背筋に氷を押し当てられたような悪寒を覚えた。
ふいに、先ほどの夜会での出来事が脳裏をよぎる。血を吐き、崩れ落ちたユニ。その真っ青な顔色と──痛々しい笑顔。
これは、気軽に行使していい術式ではない。
世界の理を乱すこと、それは膨大な代償を支払う行為なのだ。
それなのに彼女は今日、令息たちのちょっとした筋肉痛や古傷を治すためだけに、その『代償』を支払った。息をするように連続で、あんな笑顔を浮かべながら。
「……平民の魔力量で、こんな無茶……。命を削るようなものですわ」
ペンを取り落とし、わたくしは震える両手で顔を覆った。
一体、なんのためにこんなことを……。
クライヴ殿下に取り入って、王妃になるため? 男性たちにチヤホヤされるため?
わからない。そんなことをして何になるというの?
(──いいえ。なんでもいいわ)
動機など、どうでもいい。後まわしでいい。
これは、あの子の命に係わる問題だもの。
「とにかく、こんな力の使い方、すぐにやめさせなければ」
わたくしはユニの血に染まった手元を思い出し、自分の手をぎゅっと握りしめた。
◇◇
翌日。
わたくしたち王立学園の生徒は、王都近郊の村へと視察を兼ねた課外授業に訪れていた。
そこでわたくしたちを待ち受けていたのは、想定外のトラブルだった。村を瘴気から守る結界の要石がひび割れ、漏れ出した微量の瘴気によって、村人たちが体調不良を訴えていたのだ。
「早急に王宮の魔術師団を派遣し、要石の修復にあたらせるべきですわ。同時に、村人たちには国費で解毒の薬草と当面の食糧を配給し――」
次期王妃として、予算と人員の確保を前提とした現実的な施策を提言するわたくし。しかし、クライヴ殿下は鼻で笑ってそれを一蹴した。
「馬鹿馬鹿しい。魔術師団を動かせば金も時間もかかるだろう! それよりも……ユニ!」
「ふぇっ? は、はい!」
「お前のその『祈りの力』で、この村の瘴気を浄化し、村人たちを癒してやってくれ! ユニならなんとかできるはずだ!」
なんの悪気もなく、さも素晴らしい名案を思いついたとばかりに胸を張る殿下。
その底抜けの無責任さに、わたくしの中で何かがブチッと千切れる音がした。
「そうだ、すばらしい考えだ! この実績をもって、俺の婚約者に擁立して──」
「──殿下。無茶ぶりはおやめください」
冷ややかな声が、自分でも驚くほど低く響いた。
「その子は、聖女などではありませんわ。ただの平民です。これほど広範囲の瘴気の浄化など、個人の力でどうにかできる範疇を超えています」
「ふん、必死だな。嫉妬も甚だしい。見損なったぞ、お前がそんなに卑しい女だったとは」
「…………卑しい、ですって?」
わたくしは扇子を握りしめ、殿下を真っ向から睨み据えた。
「まだお分かりになりませんの!? 私たちは、この国の王族であり貴族ではございませんか! 民の苦難は、私たちこそが引き受け解決すべきもの。一人の平民の少女にすべてを丸投げして搾取するなど――」
わたくしが殿下を怒鳴りつけようとした、まさにその時だった。
ぱあぁっ、と。
周囲が、唐突に温かな光に包まれた。
「っ!?」
「おおっ…! あれを!」
「なんて神々しい……」
殿下や令息たちが、感嘆の息を漏らす。
光の中心には、両手を胸の前で組み、視線を伏せて佇むユニがいた。その表情は、普段のあざとさや能天気さが消え失せ、怖いくらいに真剣で──凛としていた。
ユニが、静かに顔をあげる。
「──大丈夫。空間の座標指定に、少しだけ負荷がかかっているだけです」
「参照している数値を書き換えてあげれば、世界は安定します」
『変数』だの『関数』だのといった、あのカフェで聞いたのと同じ異界の言葉。
ユニが指先を動かして空中に光の呪文を紡ぐと、圧倒的な魔力の奔流が巻き起こり、村を覆っていた薄暗い瘴気が嘘のように晴れていく。
ぱあぁっと温かな光に包まれ、その中心に佇むユニ。
それを見ていたわたくしは、思わず息を呑んだ。
(なにが起こっていますの……?)
(あの子は、本当に……聖なる存在だというの?)
神々しい光を放ちながら、懸命に祈りを捧げる少女。
その人知を超えた美しさと奇跡の御業に、わたくしは完全に打ちのめされていた。
あの子は、神に愛された真の聖女なのかもしれない。
──ならば。
(わたくしが、あの子を護ろうなど……その考えこそが、わたくしの傲慢だったのかもしれないわ)
貴族としての矜持が、音を立てて崩れ落ちそうになった。わたくしのような凡人が、あのような奇跡の存在に手を差し伸べようなどと、おこがましいにも程が――。
そうして事態が完全に収束した、次の瞬間。
「──っ」
「ユニッ!!」
ユニの体がふらっと傾き、糸が切れたように倒れ込んだ。
さっそうと待ち構えていたクライヴ殿下やイケメンの令息たちが、慌ててその小さな体を抱きかかえる。
「みなさん……」
「ユニッ!! しっかりしろ!」
血の気を失った青白い顔で、ユニは殿下たちを見上げた。そして。
「ああ……好感度爆上げ成功……SSR回収キタコレ……ふふっ、作画コスト、高すぎ……(バタッ)」
満足げな笑みを浮かべ、ユニはそのまま白目を剥いて気絶した。
「ユ、ユニィィィィィ!?」
「誰か! 早く馬車を!!」
白目を剥いてぐったりとするユニを囲み、悲痛な叫び声を上げる殿下たち。
「…………」
それを見ていたわたくしは、すっと真顔に戻った。
頭の中から、先ほどまでの神々しい畏敬の念が、さぁぁーっと潮が引くように綺麗さっぱり消え失せていく。
なにが奇跡の御業よ。なにが神々しいよ。
(『聖なる存在』ですって!? ばかばかしい!!)
わたくしは、ピキリとこめかみに青筋を浮かべながら、扇子をバキッとへし折らんばかりに握りしめた。
(あの子は、ただ己の欲望のために限界を超えているだけの……本物の馬鹿ですわ!!)
やはり、わたくしが首根っこを掴んででも、そのふざけた行動を止めさせるしかないだろう。
◇◇
それから数日後のことだった。
王都の空を、突如として禍々しい暗雲が覆い尽くした。
国の結界を支える大魔石に致命的な亀裂が走り、王都全域がかつてないほどの巨大な瘴気に包まれたのだ。
王宮の広場。絶望的な瘴気の渦を前に、魔術師団でさえ手も足も出ず崩れ落ちる中、クライヴ殿下が縋るように叫んだ。
「ユニ! 君の力が必要だ、どうかこの国を救ってくれ!」
またしても、この男は。
わたくしが殿下を怒鳴りつけようとしたその時、ユニが静かに前に出た。
「ええ、殿下。喜んで」
「ユニ!?」
わたくしの口から、悲鳴のような声が漏れた。
「あなた、何を言っているの!?こんなの……世界のために犠牲になれといわれているのと同じことだわ!!」
「──ミレニア様」
だが、ユニは静かに首をふった。いつもへらへらと笑っていた彼女の顔に、今日ばかりは一切のあざとさがない。
「いいんです。言ったでしょう? 私は箱推しだって」
ユニは、広場にいる令息たちを、そしてわたくしを、慈しむような瞳で見つめた。
「私は、私が開発した《つくった》この世界を──みんなを大事に思ってる。まるで自分の子供みたいに」
(つくった? 子供……?)
彼女が何を言っているのか、わたくしにはまるで理解できなかった。ただ一つ確かなのは、あの子が今、自分の命を天秤にかけて巨大な魔術を行使しようとしていることだけだ。
「だから、これは私が望んだ結末なんです。攻略対象全員の好感度をカンストさせたヒロインが身を挺して世界を救う――『メリーバッドエンド』。みんな、どうか幸せに――」
ユニがふわりと宙に浮き上がり、己の全存在を代償にするための『祈り』を捧げようとした。
「……ふざけないでちょうだいっ!!」
わたくしは、震える足に鞭を打ち、ドレスを翻して駆け出した。
クライヴ殿下すら尻餅をついて見上げている中、わたくしはユニの隣に強引に割り込み、その肩を思い切り引き寄せた。
「あなたが、聖女ですって!? 冗談じゃないわ、とんだ偽物よ!」
「えっ……ミ、ミレニア様!?」
目を丸くするユニを庇うように立ち塞がり、わたくしは天を覆う瘴気を睨みつけた。
「なにがメリーバッドエンドよ!知らないわ、そんなもの!わたくしは……わたしくしは、このアルカディア王国の筆頭貴族、ミレニア・フォン・グランツですわ!! 世界なら、このわたくしが──救って差し上げる!」
見様見真似だった。
夜会から帰ったあの日、自室で何度も書き起こし、脳内で反芻したあの術式。
わたくしが両手を掲げて祈りを捧げると、わたくしの周囲に、不格好で巨大な光の呪文が浮かび上がった。
『target=all(bad_end); delete target;』
それを見たユニが、かつてないほど血相を変えた。
「ミレニア様……っ!! ダメです、そんなざっくりしすぎた雑なコード……! 無限ループして、一瞬で魔力が吸い尽くされて死んじゃ――」
「エクゼキュート!!」
わたくしは、ユニの言葉を遮り、彼女が以前口にしていた『起動の呪文』を声高に叫んだ。
カッ!!
ぱぁぁっと極大な光が広場から沸き起こり、天を貫いた。
(えっ!? 嘘でしょ、なによこれ!? )
(本当に発動するだなんて──しかも、こんな出力! 聞いてませんわ!?)
わたくし自身、内心で猛烈に焦っていた。
ただのハッタリだった。どうにかして、ユニを止めなければならない。ただその一心で滅茶苦茶な術式を放っただけだった。だというのに──。
結果としてその暴力的なまでの光の奔流は、空を覆っていた瘴気を塵一つ残さず浄化し、王都の空に美しい青空を取り戻してしまったのだ。
「瘴気が……消えた?」
「ミレニア令嬢が……真の聖女!?」
「ばかな……聖女はユニのはずで……」
ざわざわとどよめきが広がる中、わたくしは若干引きつりそうになる顔の筋肉を気合で押さえ込み、バサリと扇子を広げて高飛車に言い放った。
「──いやですわ。まだそんなことを仰っているんですの? あなたがたの目は、どこまで節穴なのかしら」
わたくしは、床にへたり込んでいるユニをビシィッ!と扇子で指差した。
「よくって? この子はただの変態──己の欲望のために身を削る、限界オタクよ! わかったら、こんな子に頼るのは金輪際やめることですわ!!」
震える声で高らかに言い放った、その瞬間。
わたくしが指差した先で、ユニが「ゲフゥッ!!」と盛大に血を吐き、ドサァッと膝から崩れ落ちた。
「きゃぁあああ!!ユニ!!!」
わたくしは扇子を放り出し、悲鳴を上げて彼女に駆け寄った。
「あっ、あなた!! まさか力を……!?」
(わっ、わたくしの術式が――この子の命を吸い取ってしまった……っ!?)
血の気が引くわたくしの腕の中で、ユニは顔面を血まみれにしながら、よろよろと立ち上がった。
「い、いえ……ちがい、ます……」
「喋ってはダメ! 今すぐお医者様を――」
「これは、吐血じゃなくって……。鼻血が逆流して、口から出ただけで……」
「……は、鼻血……!?」
「はい……」
ユニは口の周りを血(鼻血)で真っ赤に染めながら、恍惚とした瞳でわたくしを見上げた。
「わたし、前世では社畜だったんです。会社に労働力を搾取され続けて……推し活だけが生き甲斐で。だからこの世界でも、推しのために課金することが、一番の喜びだと思い込んでました……」
「な、なにを言っているの……?」
「でも、違ったんです。推しは一方通行だけど……愛は、双方向なんですね」
鼻血を垂れ流しながら、ユニはわたくしの両手を強く、強く握りしめた。
「ミレニア様は、わたしから搾取しなかった。わたしの自己満足を怒って、身を挺して守ってくれた……! こんなの、初めてです!!」
「は、はあ……」
完全に困惑するわたくしをよそに、ユニは鼻息を荒くして叫んだ。
「ミレニア様……! 私の、お嫁さんになってください!!」
「はぁああああああ!?」
世界を救った感動を跡形もなくぶち壊す叫び声が、青空の下に響き渡ったのだった。
◇◇
それから、数ヶ月後。
真の聖女として認定されたわたくしは、王宮内に与えられた立派な執務室で、優雅に紅茶を嗜んでいた。
「クライヴ様! そこの未決裁書類、早く五十音順に並び替えて持ってきてください! あとレオンハルト様、ミレニア様の肩揉みはもう少しソフトなタッチでお願いしますね!」
「わ、わかった! これでいいか、ユニ!」
「俺の力加減はどうだ……!?」
執務室の中央では、わたくしの元婚約者である第一王子や、高位貴族の跡取りたるイケメン令息たちが、汗水垂らして書類の整理やわたくしの雑用をこなしている。
そして、その彼らを顎で使い、完全に現場監督として掌握しているのは――もちろん、ユニだった。
「はい、ミレニア様。新しく仕入れた東方の茶葉です。お疲れですよね、無理しないでくださいね♡」
かいがいしくわたくしの世話を焼き、甘い声で愛をささやいてくるユニ。
あの事件以降、彼女のわたくしに対する矢印の向きがおかしい。
わたくしは呆れたようにため息をつき、ソーサーをテーブルに置いた。
「まったく……。あなたが、前世とやらで『男性』だったなんて。完全に想定外ですわ」
「やだなぁ、元・男性ですよぉ。今はこんなに可憐な美少女じゃないですかぁ♡」
てへっ、とあざとく首を傾げるユニ。
「ふふ、ミレニア様♡ その呆れた顔も、最高に素敵です。尊い……」
「やめて。わたくしに甘い言葉をささやかないで」
わたくしは扇子で彼女の額を軽く小突いた。
「今は少女だというのなら、もっと普通に…………お友達らしくしてちょうだい」
それを聞いて、ユニは少しだけ目を瞬いた。
そして、普段のあざとい美少女の作り笑いが抜け落ち――。
「ええ、そうですね。それも悪くないです。あなたが望むなら」
すこしだけ、前世の――落ち着いた大人の男性の顔をのぞかせて、優しく微笑んだ。
「……っ」
不覚にも、わたくしの心臓がドキン、と小さく跳ねる。
が、ユニはすぐにいつもの美少女の笑顔に戻ると、わたくしの手に自分の手を重ね、こてんと首を傾げて上目遣いで微笑んだ。
「大好きです、ミレニア様。わたしたちは、いつまでも──親友ですよ♡」
まったく、とんだヒロインもいたものだ。
本当に──この子には敵わない。
わたくしは、間近に迫ったあざとい笑顔をキッと睨みつけると、熱くなった頬を隠すように、慌てて扇子を広げたのだった。
(おわり)
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以下は、ユニが主人公の【連載版】です。こちらもぜひどうぞ!
『激重ウツ系乙女ゲームのヒロインに転生した~(以下略)』
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