第6話:【ドレスコード】きれカジの定義を検索せよ
「……ノー残業デーの次は、これかよ」
火曜日の朝。
管理部から届いた一通のメール『カジュアルデー施行のお知らせ』を読み終えた凛は、デスクに突っ伏した。
わが社は柔軟な発想を云々――。
役職者から率先して範を云々――。
要約すれば「金曜日はスーツを脱いで、オシャレな私服で来い」という、地獄の強制命令だった。
「佐倉さん! カジュアル……オフィスがカジュアルってなんだ!? 私は冠婚葬祭と仕事以外、全部同じジャージで過ごしてきたんだぞ!」
榎木が、スマホを握りしめてガタガタと震えている。
「榎木さん、落ち着いてください。私も今、必死に『オフィスカジュアル 正解』で検索してるところですから」
凛の画面には、ファッション誌の特集が並んでいた。
『こなれ感を演出! ちょっとしたパーティーにも行ける、大人の休日オフィスコーデ』
『清潔感のあるジャケパンスタイルで、好感度をブラッシュアップ!』
「……この、ちょっとしたパーティーって何ですか。この人生、一回も参加したことないですよ、そんなの。この田舎のどこで開催されてるんですか」
凛は毒づきながら、画面をスクロールする。
出てくるのは、モデルのような美男美女が、カフェオレ片手に街角で微笑んでいる写真ばかりだ。
「佐藤くん! カジュアルというのは、この『石川遼くんモデル』のゴルフウェアで合っているかね? これでプレゼンに行っても、失礼にはならないかね!?」
榎木が、先週メーカーと行ったゴルフコンペでの写真を見せながら、一縷の望みをかけて佐藤に詰め寄る。
「……榎木さん。それはただの『これから18ホール回る人』です」
佐藤は、今日も今日とてシュッとした細身のジャケットを完璧に着こなし、余裕の笑みを浮かべていた。
「いいですかオシャレを求められてるのでなくてですね……。大切なのは『清潔感』と『やってる感』です。要は、仕事ができる男が、あえて肩の力を抜いているという……」
「佐藤さん! 本社の奴らの写真、ないですか!!」
凛の叫びに、佐藤は「ええ……」と困惑しながら自分のスマホを差し出した。
そこには、テラス席でこなれ感を出しすぎる美男美女たちが、彩り豊かなランチを楽しんでいる写真があった。
そしてその中心で、一際爽やかな笑顔でサラダをフォークに刺している佐藤の姿が。
「な、なんですかこれ。月9ドラマの撮影ですか?」
「……本社の人たちを、なんだと思ってるの?」
佐藤が不思議そうに笑う。
その無自覚なエリートっぷりが、今の二人には毒でしかない。
「その『あえて』ができないから、私たちは四半世紀も同じ色のスーツを着続けてきたんだよ!」
「そうです! そうですよ佐藤先輩! 私だっていつも、イオンで、『無難なセットアップ』をマネキン買いしてきたんですから!」
凛は、スマホの画面に映る「キラキラした本社の日常」を指差して応戦する。
「いいですか、こっちは『これなら浮かないか、怒られないか』の二点突破で挑もうとしてるんです!それなのに、なんですかそのテラス席のサラダは! 私たちは危険物を扱った、人里離れた所にしか事業所を建てられない運命なんです! そんなサラダ、この辺のどこにも売ってないし、食ったこともねぇです!」
「ちょっと、ちょっと待ってください。二人とも、論点が完全にずれてます」
ヒートアップする二人を前に、佐藤が両手を広げて制止に入った。
「カジュアルデーの目的は、オシャレしてランチの食べる事じゃないです。服装を自由にすることで、思考のバイアスを取り除き、よりクリエイティブな、五月雨式ではないブレイクスルーを生み出すための……」
「……その呪文が、もうバイアスなんですよ」
凛が冷めた目で佐藤を射抜く。
(バイアスは分かるんだ……) と、ちょっと感心した佐藤。
「佐藤先輩。先輩が言う『自由』って、結局は『本社のテラス席でサラダを食べる人たちにとっての自由』
ですよね? 私たちの自由は、ポケットに三色ペンを三本差して、現場の砂埃を気にせず、ガシガシ動けることなんです。着慣れ服で、ペンを落として探し回ることに、一体何のクリエイティブがあるんですか!」
「…………」
佐藤が珍しく黙り込んだ。
論理で固めたはずの本社の正義が、鳴凪支店の「ペン差し」という物理的な壁に跳ね返された瞬間だった。
「……しかも佐藤先輩」
凛は追い詰めるように一歩踏み出した。
「現場近くにある唯一の救いのコンビニすら、うちのグループ会社の『フォックス・マート』なんですよ! 並んでるのはオシャレなパワーサラダじゃなくて、茶色い揚げ物と、グループシナジーで大量入荷された謎のPB商品だけ! 自由どころか、昼飯まで親会社の管理下の中なんです!」
(佐倉さんだって、妙な横文字を使いこなしてる自覚はないのか……)
「そうだそうだ! 現場に行けば、グループのロゴが入った看板に見守られながら、グループの店で買ったおにぎりを食う! 私たちの人生は、五月雨式にグループ会社で埋め尽くされているんだ! 服くらい、せめて機能的な『正解』を支給してくれ!」
二人の理不尽な叫びに、佐藤はついに天を仰いだ。
「……わかりました。論点がずれていたのは、僕の方だったみたいだ。……鳴凪支店における『カジュアル』は、本社のそれとは文脈が違いすぎるんですね……。」
佐藤がようやく降参の意を示した。
しかし、理解を得たところで「運命の金曜日」が消えるわけではない。
決戦の金曜日。
フォックスエネルギー鳴凪支店は、かつてない混沌に包まれた。
一張羅のポロシャツをスラックスにきっちりインし、不自然に巨大なベルトポーチを光らせる榎木。
その姿は「仕事」というより「気合の入った町内会清掃」に近い。
「佐倉さん……ダメだ。ポロシャツの胸元に無理やり三色ペンを差したら、生地が伸びて、だらしなくなってしまう。これでは『清潔感』どころか『くたびれ感』しか漂わん……」
「榎木さん、私なんて、社員証に挟んでたペンをどこかに落としました。もう、計算(LTV)ができません……」
凛もまた、イオンで必死に選んだセットアップを纏っていたが、ペンの置き場のなさにストレスは頂点に達していた。
ふと視線を上げれば、制服着用組の営業課と工務課の連中が、高みの見物と言わんばかりにニヤニヤしている。
彼らの胸元には、制服のペン差しに鎮座する三色ボールペンが、勲章のように誇らしげに輝いていた。
「おはようございます」
聞き慣れた、しかし場違いなほど爽やかな声がした。
凛と榎木が振り返ると、そこにはフォックス・マートで買ってきたばかりのカフェオレを片手に、颯爽と現れた佐藤の姿があった。
清潔感あふれる白い無地のTシャツ。
その上には、さりげなくブランドロゴが刺繍されたカーディガンを羽織っている。
パンツは絶妙な丈感で、くるぶしがチラリと覗く細身のシルエット。
足元には、季節に合わせたスエードの革靴。
「……完・全・敗・北」
凛は呆然と呟いた。
榎木があまりの違いに今にも泣き出しそうな顔で震えている。
同じ「カジュアル」という言葉を使っていながら、佐藤との間には深くて長い断絶があった。
隣に座っていることすらいたたまれない。
このフロアで浮いているのは、この「オシャレになりきれない自分たち」なのだという現実に、胸が締め付けられる。
「さて、WBSとLTVを完成させましょう!」
そんな二人の絶望など露知らず、佐藤は眩しいほどのキラキラ笑顔でノートPCを開いた。
その完璧な「きれカジ」姿で、さも当然のように難解な横文字を繰り出す佐藤。
(……許さない。このまま、本社のオシャレごっこに殺されてたまるか)
凛は、震える手でスマートフォンを取り出し、親会社の福利厚生サイトを「殺意」を込めてスワイプした。
(見てなさい佐藤先輩。次の金曜日には、その余裕、ペン差しだらけの重装備で叩き潰してやるんだから……!)
凛の瞳の奥で、かつてないほど邪悪で論理的な「逆襲」の火が灯った。




