第50話:【強制接続】供給過多の食卓と、失われた白米の復讐
――なぜ。
なぜ、僕はこうなっているんだ。
目の前には、湯気を立てる山盛りの白米。
家庭的な、けれど絶妙に食欲をそそる出汁の香りが漂う煮物。
そして、脂の乗った焼き魚。
生活感に満ち溢れたリビングの食卓で、正座をしていた。
(……おかしい。僕はPCを届けに来ただけだ。物資を納品し、不審者疑惑を晴らし、スマートに撤退するはずだった。それなのに、なぜ僕は今、佐倉家の『供給網』に組み込まれているんだ……?)
事の始まりは、僕が自ら「巧ちゃまです」と名乗った数分前だった。
お母様は「まあ、本物の『巧ちゃま』さん!」と、なぜか感動した面持ちで僕の腕を掴み、そのまま玄関の奥へと引きずり込んだのだ。
(凛ちゃんさんみたいに言わないでくれ……。それは二重敬称ですお母様)
「どうぞ、白米はいくらでもあるから食べて! 私の実家が米育ててるから、在庫は過剰なくらいあるのよ!」
お母様が、僕の茶碗に物理的な限界を超えた密度の白米を盛り付ける。
「凛が言ってたわよ。『巧ちゃまさん』のマンションにお見舞いに行った時、白米が全然なかったって! 飢えてるんじゃないかって、あの子、本気で心配してたんだから」
(…………っ!)
あの日の記憶が、高解像度でフラッシュバックする。
オートミールしかない我が家で、彼女が絶望していた顔。
反論する隙も与えられず、気づけば食卓には家庭料理のフルコースが並べられていた。
「さあ、食べて! タワマン(仮)じゃ、こんなの食べられないでしょ!」
お母様が、僕の茶碗にこれでもかと白米をマウンティングしていく。
隣では、蓮くんが不機嫌そうに、けれど僕の動向を監視するように、ガリガリと焼き魚の骨を噛み砕いている。
「……あの、お母様。僕はこれで失礼しないと、業務が……」
「ダメよ! 作ったものを残すのは、わが家では『重大なコンプライアンス違反』なんだから!」
コンプライアンス。
この家では、凛語が公用語として定着しているらしい。
僕は震える手で箸を取り、黄金色に輝く煮物を口に運んだ。
(……美味い。)
悔しいことに、東京のどの高級料亭で食べたものよりも、胃の奥にじわりと、熱いエネルギーが染み渡る。
「……美味しい、です」
熱に浮かされた僕の枕元で、彼女が「この家のストックがストイック過ぎる!」と絶望していたあの光景。
彼女にとって、白米のない僕のキッチンは「エネルギー不毛の地」に見えたのだろう。
「育ち盛りの子が、お米も食べずに『鳥の餌』をたべてるなんて……。ほら、この煮物も食べて! 凛はこれいつも追い煮物するんだから!」
お母様の「親切」という名の波状攻撃。
それは、エネルギー商社が扱うどんなガスよりも熱く、重い。
隣では、蓮くんが「……鳥の餌くってるのか」と、哀れみすら含んだ視線で僕を定点観測している。
(……くっ。鳥の餌じゃない。オートミールだ。しかし佐倉家のエネルギー自給率は、僕の想定を遥かに超えている)
僕は震える手で箸を取り、山盛りの白米に挑んだ。
一口。
……甘い。
一粒一粒が、完璧な熱量を保持している。
東京のオーガニックカフェで出される「意識の高い少量のご飯」とは、設計思想からして違う。
これは、人を動かすための、生きるための「本物の燃料」だ。
「このお米、とても美味しい、です……」
気づけば、本音が漏れていた。
お母様は誉められたことにはしゃぎ、さらに小鉢を僕の前にスライドさせる。
僕の実家とは完全に趣の違う夕食だったが、これが佐倉家の愛情表現の最適解なのだろう。
(こんなザワザワした夕食初めてだけど、悪くない。)
僕が一人っ子だからか何だか、実家の“定期報告の場”のような食事とは違う、不思議な感覚だった。
久しぶりの満腹感に襲われていた、その時。
ガチャリ、と玄関の引き戸が開く音がした。
「ただいまー……おや? 今日は随分賑やかだな」
現れたのは、凛の無邪気さと蓮くんの不機嫌さを足して二で割ったような、大らかな雰囲気の男性――お父様だった。
「お、お邪魔しております。凛さんの同僚の佐藤と申します」
お父様は、正座して固まっている僕を見て、さらにニカッと笑った。
「おお、もしかして凛が言ってた『巧ちゃま』さんか! 」
お父様はそう言うと、テレビの脇に無造作に置かれていた競馬新聞を持ってきて、僕の前にばさりと広げた。
「凛から聞いたぞ。『資産価値』ばかり気にする、可愛げのない御曹司様だそうだな! なら話が早い、この堅いレースの情報を、爆益を生み出す『巧ちゃま』に教えてもらおう!」
(……爆益?)
僕が困惑していると、お父様は新聞の印を指差しながら熱弁を始めた。
(なんだ? 長期投資の話じゃないのか……。)
長期投資とギャンブルの区別がついていないお父様の豪快な笑い声が、リビングに響く。
「で、このレースどれが勝つ? 教えてくれよ、巧ちゃま!」
(…………逃げ場が、ない)
お母様に続き、お父様からの供給網攻撃。
完璧なシミュレーションの敗北を悟りながら、僕は白米の追加を待った。
(……こうなったら、投資論のセオリーを競馬に転用して、それっぽく見せるしかない。……競馬新聞という名のブラックボックスに、僕の思考を投入する)
「お父様、競馬にはセオリーがあります。この血統データと過去のコース相関関係を見れば、期待値の高い馬は自ずと……」
僕は新聞の数字を指差し、数字の羅列を瞬時にデータとして処理する素振りと、競馬解説者のような口調でそれっぽい知ったかぶりをかましてみた。
「そんな理屈いらん、勘だ。どれだ?」
一蹴された。
佐倉家にはロジックは通用しない。
僕は競馬新聞をそっと閉じ、「この騒がしい供給網の末端構成員」として、三膳目の白米を無言で受け入れた。




