表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
五月雨式に失礼いたします〜ハイスペ佐藤くん、この恋だけはポンコツです〜  作者: もふおのしっぽ


この作品ページにはなろうチアーズプログラム参加に伴う広告が設置されています。詳細はこちら

46/62

第46話:【確定申告】夢の配当と、ぬるくなったシート

 インフルエンザの熱がもたらす「五月雨式な夢」の中に、僕は再び引きずり込まれていく。




 それは、常に「予測」と「リスクヘッジ」を立ててきた僕が初めて見る、利回り計算不能な未来の断片だった。




 視界が、白く濁る。




 それが熱のせいか、北の大地の雪のせいかは分からない。




 目の前には、驚くほど立派なカニの脚が山積みになっている。




(……なんだ、これは。新種の商談か?)




 分析を始めようとした僕の袖を、誰かがぐいと引っ張った。




「パパ、これむいて! ママよりパパの方がじょうずだもん」




 見上げれば、僕によく似た、けれど瞳の輝きだけが異様に「天然」な光を放つ小さな女の子。




 予測モデルにない単語が、僕の論理回路ロジックをショートさせる。




「こら、凪紗なぎさ。パパは今、カニを分析しているんだから邪魔しちゃダメだよ」




(パパ……。結婚も、なんなら交際アナウンスすら送ってない)




 隣から聞こえてきたのは、聞き慣れた、けれど少しだけ落ち着いたトーンの女性の声。




 そこには、十年分の月日を重ねたような、少しだけ大人びた――けれど、カニの身を掻き出すのに必死で口元に殻をつけている、凛がいた。




「……佐倉、さん?」




「もう、何言ってるんですか巧ちゃま。今日は私の『五千円投資』の満期記念旅行ですよ? ほら、十年前に言った通り。私の五千円、ちゃんとこんなに立派なカニに化けましたよ!」




 凛が誇らしげに微笑みながら、カニスプーンを指揮棒のように振る。




(十年……)




 その言葉が、熱に浮かされた僕の脳裏で、あの鳴凪支店の納豆臭い昼休みとリンクした。




 二年の任期で終わるはずだった。



 僕はここに、十年後はいないはずだった。



 それなのに、夢の中の僕は、当然のように彼女の隣でカニを剥き、当然のように「パパ」と呼ばれ、当然のように、この騒がしい幸せを「想定外の爆益だ」と定義している。




(……ああ。そうか。僕は、解約キャンセルできなかったんだ)




 本社への切符も、海外への野心も、すべてはこの「愛おしい存在」のために書き換えたのか。




「巧ちゃま、何ボーッとしてるんですか? ほら、あーん!」




 凛が、剥き身のカニを僕の口元に突き出す。「ちゃま」なんて、昔のふざけた呼び方に反論しようとしたその時――。




「……っ!」




 ハッと目を開けた。




 視界に入ってきたのは、誰もいない、暗い天井だ。

 時刻は夜の九時。




 (すっかり寝入っていた……)




 先ほどまで、確かに聞こえていた笑い声が、幻聴のように耳に残っている。




 傍らのゴミ箱には、彼女と食べたアイスクリームの空カップ。




 ……彼女は、もう帰ってしまった。





 サイドテーブルに手を伸ばし、眼鏡をかけ直す。




 視界がクリアになるにつれ、夢の中の「十年後」

が、単なる幻覚ではなく「確定した未来」であってほしいと願っている自分に気づき、愕然とする。




 ぬるくなったひえひえシートを額から剥がし、ふらつく足取りでキッチンへ向かった。




 シンクには、彼女が丁寧に洗ってくれた卵スープの小鍋が伏せられていた。



 けれど、その横。




 水切り籠の隅に洗い忘れの、ドロドロになった「何か」がこびりついたお玉が置かれている。




 コンロの脇には、僕のストックであるオートミールの袋が開けっ放しになっていて、その周りに数粒、平たい粒がこぼれていた。




(……ああ。僕にこれを、食べさせようとしたのか)




 キッチンに残された凄惨な格闘の痕跡。




 僕をリカバリーさせるために、彼女がその拙い料理スキルで、僕の「ストイックすぎる備蓄」をどうにかお粥に変えようと四苦八苦した証。




 結局、病人には不向きだと判断して、あのスープに切り替えたのか。



 その、報われなかった努力の残滓ざんしを見つめていると、胸の奥がチリチリと焼けるように痛んだ。




(……寂しい)




 独白が、殺風景な部屋に虚しく響く。




 広すぎる中央区の一等地。




 「仮住まい」のようなこの空間が、今は耐え難いほど、ひどく、寂しかった。




 夢の中で見た、賑やかなカニ旅行の風景。




 現実に残された、無機質なキッチンのオートミールの残骸。




 僕は初めて、自分の「定住できない未来」と「上昇志向の塊」が呪わしく、虚しいと思った。



 この「呪い」を解くための、人生で最も困難な『損切り』の正解を、まだぼんやりとする頭で、けれど必死に手繰り寄せていた。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ