第39話:【リソース浪費】名探偵(暇人)のデバッグ
(((……やはり。カニだ。カニの口どころか、彼女の思考回路はすでに北海道へ上陸している)))
榎木さん、立花さん、そして森さん。
三者すべての証言が、彼女の「カニへの渇望」を裏付けている。
それなのに、僕の管理下にある集計シートだけが「不参加」というフィルターに引っかかるのか。
(((……なぜだ。なぜ、そこまで熱望しているイベントを、自ら放棄する必要がある?)))
森さんから預かった、まだ温かいたこ焼きのパック。
その熱が、僕の指先を通して「解けない謎」への苛立ちを加速させる。
原因は不明。
だが、事実は一つ。
佐倉凛は、嘘をついている。
僕は踵を返し、二階のフロアへと戻った。
(探偵ごっこは、これで終わりだ!)
このまま、本心とは裏腹な「不参加」のデータを確定させるわけにはいかない。
2階フロアに戻ると、凛はちょうど来客対応を終えたところで、使用済みの茶器を持って給湯室へ向かうところだった。
僕は音もなくその後を追い、逃げ道を塞ぐように入り口に立った。
「……佐倉さん」
「ひゃいっ!? さ、佐藤先輩、おかえりなさいですっ!!」
飛び上がるかのように驚いた凛は、泡だらけの手でコップを握りしめている。
「おかしいですね。僕が収集したログによれば、君の脳内はすでに北海道へ上陸し、エア・カニ剥きを披露するほどの実装が完了しているはずです。榎木幹事も、同期の立花さんも、配送の森さんも、全員が君の『カニへの渇望』を証言している」
((え……?何?なんか劇が始まった?))
僕は、たこ焼きのパックをトントンと指で叩いた。
「嘘はつけませんよ、佐倉さん。……なぜ、不参加にしたんです。何か論理的な、あるいはこのイベントに致命的な欠陥があるなら言ってみなさい!」
((さ、裁判???示談交渉失敗の??))
追い詰められた凛は、気まずそうに視線を泳がせ、震える声でこう言った。
「あ、あの……佐藤先輩。先輩って、今日……お暇なんですか?」
「…………え?」
「だって、一階の立花ちゃんからも『佐藤がわざわざ来た』って通知きたし、さっき森さんからも『佐藤くんにたこ焼き渡した』って……。あの、そんなに私の『不参加』が、先輩の貴重なリソースを割くほどの一大事なんですか……?」
図星だった。
僕は一体何を求めて支店内を徘徊していたのか。
(は、恥ずかしい……急に恥ずかしくなった)
だが、ここで「君が不参加なのが気になって仕事が手につかない」などと認めるのはどうしても許せない。
「……不備のあるデータをそのままにすれば、後の予約フェーズでエラーが出ます。僕はただ、業務の『最適化』を図っているだけです」
「さ、最適化のために、外の詰め所まで……?」
(……くぅ)
「……いいから、答えてください。不参加理由を。備考欄に不参加理由書いてなかったのはあなただけです!(自由記載)」
逃げられないと悟ったのか、凛はシュンと肩を落とし、シンクに頭をぶつけんばかりに項垂れた。
「……だ、だって……全額会社負担だと思ってたんですぅ!!」
「……何?」
「よくよく案内を読んだら……『参加費一律二万円』って書いてあって……! 今月の私、マッスル猫の新作ぬいぐるみを大人買いしちゃって、残高が、二千円しかないんです……っ! 二万なんて、逆立ちしても、カニを剥いても出てきません……!!」
凛はガックリと沈み込み、消え入りそうな声で白状を続けた。
「先輩たちが、出向組の意地で頑張って手配してくれてるのは知ってます! でも、お金がないんです……っ。私、当日もお留守番して、電話番しながら、コンビニのカニカマ食べて我慢しますからぁ……!」
(…………。)
資金不足(キャッシュフローの破綻)。
僕が全リソースを投入して捜査した「エラー」の正体は、あまりにも原始的で、あまりにも彼女らしい「残高不足」だった。
「…………佐倉さん」
「ひゃいっ」
「……たった二万円で、僕の午前中のリソースをこれほど空転させたという事ですね」
僕は深く、今日一番の溜息を吐き、財布を取り出した。
——二万円。
今この場で僕が貸し……いや、支給すれば、この突合エラーは解決する。
(あれ……)
「……さ、佐倉さん。今の行動すべて忘れてください!!!」
「えっ? ……えぇっ!? さ、佐藤先輩? 急にどうしたんですか、その、般若みたいな顔!」
僕は凛の手元に差し出そうとしていた二万円を、電光石火の速さで財布に叩き込んだ。
脳内のリスク管理システムが、最大音量でアラートを鳴らしている。
(((……待て。僕は今、何をしようとした? 私金で後輩を旅行に誘い出し、給湯室で現金を握らせる。……客観的に見て、ただの温泉に誘い出す、下心満載のパパ活上司だっ!!!)))
もしこれが本社にリークされれば、僕のキャリアは北海道のカニよりも先にボイルされ、解体されるだろう。
「佐藤先輩……? あのなんですか……?」
「…………佐倉さん、君の『不参加』を、そのまま受理します」
「え、ええ。はい、そうしてください?(だから最初からそう言ってるのに)」
呆気にとられる凛を給湯室に残し、僕は逃げるように自席へと戻った。
影から高橋が「……賢明な判断だ」とでも言いたげな顔でこちらを見ている気がしたが、無視だ。
数週間後。
親睦旅行、北海道当日。
榎木さんや森さん、そして立花さんたち一階の営業所組が浮足立って空港へ向かう中、静まり返ったオフィスには僕と凛、そして数名の留守番組だけが残っていた。
「……ふふ、ふふふ。いいんです、先輩。私、このカニカマがあれば……。あ、この繊維がカニの足に見えてきました……」
隣の席で、凛が虚ろな目でコンビニのカニカマを一本ずつ割いている。
僕はそれを視界の端に入れながら、無心でキーボードを叩いていた。
結局、僕は「主幹事」という立場でありながら、直前で【不参加】を届け出た。
理由は「お留守番のフォロー」。
だが本当は、お局様たちに囲まれてカニを食べる自分の姿を想像した結果、その「不毛さ」が許容範囲を超えたからだ。
「……佐倉さん。一本、ください」
「あ、はい……。どうぞ、先輩。……先輩も、行けばよかったのに。お仕事、そんなに大変なんですか?」
「……いえ、主幹事は留守番組のフォローも必要なので」
僕は彼女から受け取ったカニカマを、静かに口に運ぶ。
二万円は守られた。
キャリアも無傷だ。
けれど、高級タラバガニを逃してまで、この赤い練り物を同じく「不参加」の彼女と分かち合っている現状が、僕にとっての唯一の正解であった。
(((……高橋。お前だけ韓国で楽しんでこい。……僕は、これでいい)))
「来年は、……ちゃんと貯金します」
鳴凪支店は、今日は異常なまでに平和だ。
パパ活上司になり損ねたエリートは、後輩のカニカマを一本奪い満足そうに目を細めた。




