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ハイスペ佐藤くん、この恋だけはポンコツです〜五月雨式に失礼いたします〜  作者: サミダレもふ太
第一章

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第36話:【上書き】独占的なソリューション

 どれくらい、そうしていただろう。


 ハザードランプの点滅が、暗い車内を規則的に赤く染める。


 先輩の腕の力が、少しだけ緩んだ。


 けれど、完全に離してくれるわけじゃない。先輩は私の頭を包んでいた手を下ろし、熱を帯びた指先で、私の頬に残った涙をゆっくりと拭った。


「……泣き止みましたか」


「……はい……すみません、取り乱して」


 至近距離で見つめられる。


 午前中のような冷徹な鋭さはなく、どこか諦めたような穏やかな瞳。


「佐倉さん。君が『わからない』と言うなら、僕が決めていいですか?」


「え……?」


「僕は、ずっと君が理解不能です。おそらくこれからも一生、理解できないと思います」


 それは、エリート街道を歩んできた彼にとっての「敗北宣言」のようにも聞こえた。


 先輩はポケットから自分のスマホを取り出し、私の目の前に掲げた。


「……スマホ出して」


 その声は低く、逃げ場を塞ぐように響いた。


「は、はい」


 促されるまま震える手でスマホを差し出すと、先輩は私の画面をじっと見つめた。


「中山君の連絡先、消していいですか?」


「えっ……でも、中山さんは本部の人で、仕事の連絡も……」


「仕事なら、僕を通せばいい。……いいですか、佐倉さん。これは命令ではなく、僕という個人の『わがまま』です」


 有無を言わさぬ口調。


 けれど、その指先がわずかに震えているのに気づいて、私は何も言えなくなった。


 目の前で「中山」という名前が削除され、代わりに先輩のQRコードが読み取られる。


『佐藤 巧』

 登録された瞬間に表示されたのは――ウルウルした瞳で見つめてくる、あまりにもあざとい「チワワ」のアイコン。


『佐倉 凛』

 そして対する私のアイコンは、以前、佐藤先輩が東京土産にくれた「マッスル猫」のキーホルダーの写真だった。


「…………」


「…………」


 車内の重苦しい空気が、一瞬でフリーズした。


「……ふふ。はは、はははは!」


 先に壊れたのは、佐藤先輩だった。


 眉間に皺を寄せて私を追い詰めていたはずのハイスペック男子が、ハンドルに突っ伏して肩を揺らしている。


「え? ええ? 先輩!?」


「何ですか、このアイコン……。ふふ、マッスル猫って……。僕があげたお土産のじゃないですか。僕、あんなに必死に格好つけて、中山君の削除まで迫ったのに……。一気に台無しだ」


 顔を上げた先輩の目には、笑いすぎて滲んだ涙が浮かんでいた。


 チワワとマッスル猫。


 画面の中で並んだあまりにシュールな二つのアイコンが、私たちの「理解不能」な関係を象徴しているようで、私もつられて小さく吹き出した。


(……あ。先輩、やっと笑った)


 削除された中山さんのログ。


 新しくインストールされた、プライベートの佐藤巧の名。

 

 私たちが「通常運転」に戻るには、どうやら論理(ロジック)よりも、一匹の筋肉質な猫が必要だったらしい。


「……ふふっ、ウケますね!」


 私が笑いながらそう言うと、また優しい目で私を真っ直ぐに見つめた。


「……本当だね。その一言で、全部どうでもよくなった」


 走り出した車の中。


 窓の外に流れる夜景を眺めながら、高級そうなチワワのアイコンを指で撫でた。

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