第33話:【残響】不機嫌な林檎色と、一万円の自己嫌悪
ガタゴトと揺れるタクシー。
深夜の幹線道路を走るタイヤの音が、やけに耳につく。
私は、一人きりになった後部座席で、深く、深ーく、ため息をついた。
「……うう、私、何やってるの……」
意識は、意外なほどはっきりしていた。
確かにワインは飲んだけど、記憶が飛ばない程度には正気だ。
正気だったからこそ、自分のしでかしたことが鮮明に再生される。
(……中山さんのこと……、わざと言った……)
本部の新人・中山さん。
正直、連絡先なんてどうでもよかった。
でも、あそこで巧ちゃまに「友達できましたー!」なんて、あんなに楽しそうに言ってみせたのは、完全に私の「わざと」だ。
だって、聞きたくなかった。
松本さんがニヤニヤしながら言っていた、あの「アヤセ」とかいう元カノの話。
社交的で、完璧で、受付嬢の鑑。
(……いかにも「ハイスペック・エリート巧ちゃま」にお似合いそうな、解像度の高そうな人)
私と勝手に比べて笑われているようで、たまらなく嫌だったのだ。
(そりゃあ、自称エリートイケメンの巧ちゃまなら、元カノの一人や二人いるでしょうよ……。でも、それを、わざわざ聞かされる身になってほしい)
ムカムカした。
だから、あの中山さんの連絡先をチラつかせて、巧ちゃまの完璧ぶってる顔が歪むのを見て、少しだけ「ざまあみろ」って思った。
(……でも、最後のは。……最後のは、完全にやらかした)
バス停での、あの「ポスっ」。
巧ちゃまの背中に抱きついた、あの瞬間の、上質なコートの感触。
自分でも、なんであんなことしたのか分からない。
ただ、あの広い背中を見ていたら、元カノの話でトゲトゲした私の心を、ぶつけてやりたい衝動に駆られてしまった。
「……はぁ。あのお化けみたいなポーズ、思い出すとまた死にたくなってくる……」
冤罪を恐れるサラリーマンみたいに両手を上げて固まっていた、巧ちゃま。
「巧くん……。」
きっと普通の人なら、そう呼ぶ。
その「アヤセ」さんとかなら。
ふざけた「ちゃま」付けというバリアを外して、一歩踏み込んでしまったあの瞬間の熱。
最後には一万円札を運転手さんに握らせて、私だけをタクシーに乗せたあの人。
ドアが閉まる瞬間の、あのなんとも言えない、怒ってるのか呆れてるのか、それとも別の感情なのか、判別不能なあの人の顔。
「一万円、明日返さなきゃ……」
(でも、どんな顔して返せば……家まで5000円なのに、倍返しのインフレ決済になっちゃったじゃん)
バッグの中のスマホは、さっき巧ちゃまに強制終了(電源オフ)されたままだ。
真っ暗な画面を見つめながら、私は自分の熱い頬を冷たい手のひらで押さえた。
巧ちゃまのバカ。
……そして、私のバカ。




