第28話:【侵食】石油の刺客と、一方的な独占権
「……は?」
デスクでメールを開いた瞬間、僕の口から素っ頓狂な声が漏れた。
送り主は本部・石油部門の同期。
かつて新卒研修で、どちらが先に大きな案件を動かすか競い合った、良くも悪くも鼻の利く厄介な男だ。
件名:【依頼】SSDX化に伴う出張受入について
佐藤、息災か。
「凛ちゃんさんの部屋」の噂、本部にも届いてるぞ。
今度、石油部門の新入社員を数名を連れて、DX視察に鳴凪に向かう。一泊二日だ。
主な視察内容は、SSのコミュニケーションアプリ活用と運用内製化だ。そのあたりのスキームを叩き込んでやってくれ。クリエイティブ強化のためにAdobe導入も検討中だ。
で、ここからが本題。
俺も行く。
お前の「彼女」と噂の佐倉さん、一目拝ませろ。
〇日 10:00 空港着。タクシーで支店に行くから迎えは不要。
夜は懇親会のセッティング頼むぞ。
経費はこっち持ちだ。
「……却下だ。一秒で差し戻したい」
僕は頭を抱えた。
SSの内製化? コミュニケーションアプリ活用? そんなものはどうでもいい。
問題は「お前の彼女」という、事実無根かつ無礼な一文だ。そもそも、付き合ってすらいないし、その予定もない。
僕のプライベート・スケジュールは、彼女の五月雨式の暴走を処理するためだけで真っ白なのだ。
『お前の彼女、一目拝ませろ』
松本は仕事ができるが、気に入った『リソース』は手段を選ばず本部に引き抜く、強欲なハイエナだ。
(……佐倉さんを、あんな奴の目に晒したくない)
「巧ちゃま! どうしたんですか、そんな給湯器の配管詰まりみたいな顔して」
ひょい、と背後から凛が覗き込んでくる。
「……佐倉さん。……緊急事態です。本部の石油部門から、新入社員と……僕の『ろくでもない同期』が、一泊二日でここに来ます」
「わあ、石油! ガソリンの匂いですね! 私、SSのクーポン作りたいって思ってたんです。抽選のワクワク感アニメーションとか!」
凛は新しいおもちゃを見つけた子供のように目を輝かせている。
ダメだ。
ダメだ。この無垢すぎる彼女は、本部の狡猾な男たちの前で、どれほど自分が「魅力的なリソース(オモチャ)」であるかを一ミリも理解していない。
(……一泊二日。……懇親会。……経費。……やな予感しかしない)
胸の奥で、まだ名前のついていない、それでいて激しい焦燥感が鎌首をもたげる。
「配信企画なんかは向こうが考えることなので、佐倉さんは内製化できるよう、これまで『凛ちゃんさんの部屋』でやってきたことをリアル開催するイメージで、研修内容を考えてください」
「リ、リアル……」
凛の動きが、ぴたりと止まった。
「ん? どうしました?」
「え、ええ? ……じゅ、重大なミッションです! がんばります、がんばります……っ」
凛はガタガタと震える手でマウスを握りしめ、何事かブツブツと呪文のように唱え始めた。
いつもの「五月雨式」な勢いはどこへやら、その背中からは明らかに『システムダウン』の予兆を感じさせる異様なオーラが漂っている。
(榎木さんは……いいか、今回は外そう。)
クリエイティブの内製化の知識がない人を入れても意味がない。オブザーバーの置物になるだけだ。
この時の僕はまだ、彼女のクリエイティビティに「致命的な脆弱性」があることを、全く計算に入れていなかったのだ。




