第19話:【解析】アホ毛の才能と、毛根のリカバリー失敗
ふと視線を横にやると、凛がまた「本業」とは無縁の領域で、異常な集中力を発揮していた。
画面の中で蠢いているのは、プロ用動画編集ソフト、モーショングラフィックスの複雑なタイムラインだ。
彼女は、グループ会社のロゴをボウリングの玉に見立て、ピンを豪快に弾き飛ばす3Dアニメーションを制作していた。
ピンが弾け飛んだ跡には、社名が鮮やかに浮かび上がる。
(……モーショングラフィックスか。ロゴがボウリングの玉になるなんて、新手のロゴアニメーションにしては凝りすぎだ。あのピンは僕に見立ててるのか……ピンの顔が僕でなくて良かった……)
本来なら制作会社に外注し、数十万の予算と数週間の納期をかけて作るようなクオリティの代物だ。
それを彼女は、鳴凪の古いデスクで、事務作業の合間に、呼吸をするように完成させていく。
(……怒られるぞ、凛ちゃん。いや、凛ちゃんさん)
本当に、頭のおかしい才能だ。
効率化やロジックといった次元を超えた、純粋な「創る力」。
これだけのスキルがあれば、東京のクリエイティブ業界でもトップを走れるはずなのに、なぜ彼女は日々エクセルと戦っているのか。
佐藤は、モニターを凝視する彼女の後頭部を見つめた。
今日はアホ毛がいつもより多い。
重力に逆らうようにピンと跳ねた数本が、彼女の脳内から溢れ出したアイデアのアンテナのように見える。
(……寝坊でもしたのかな、凛ちゃんさん)
そんなぼんやりとした思考のまま、佐藤はさらにその隣へ視線を移した。
そこには、凛とは別の意味で「重力と戦っている」頭部があった。
隣の席の榎木である。
榎木の心許なくなっている頭頂部からは、数本の産毛が申し訳程度に顔を出し、必死の「リカバリー」を試みていた。
それはまるで、導入に失敗した新システムが、バグだらけのパッチを当てて再起動を図っているような痛々しさだった。
だが、その産毛たちが定着することはない。
一方は、アホ毛をなびかせながら、外注レベルの動画を秒速で産み出す若き才能。
一方は、毛根の再起動に失敗し続け、ただ捻り出すだけにトイレへ向かうベテラン。
このフロアの残酷なまでの「格差」を目の当たりにし、佐藤は深い溜息をついた。
「佐藤先輩! これ見てください!」
突如、凛が弾けた。
「榎木さんと佐藤先輩、二人をインフルエンサー化するためのタイトルアニメーションできました! これはですね、親会社のロゴが旧鳴凪を物理的に破壊して、新会社の社名が浮かび上がるという……現場の恨みと嫌みを最大限に表現してみました!」
(……いや、僕への最大限の嫌みだ。物理的に凛ちゃんさんの名刺を粉砕した僕への恨みだ。)
……しかし、やたらにクリエイティブだ。
しかも、昨日のランチミーティングで撮影した画像をスライドショー形式で完璧に配置している。
彼女は「遊び」のように見えて、出された宿題を期限遵守で、かつ期待値の数倍のクオリティで完成させていた。
すると、一時間近くトイレに籠城していた榎木も戻ってきて、誇らしげにPC画面を見せつけてくる。
「佐藤くん、僕も投稿用の下書き、完成させたよ。一応、コンプラチェックよろしくね」
佐藤は、目の前が暗転するのを感じた。
今日、自分は何をした?
「凛ちゃんアレルギー」だなんだと称して、マスクを深く被り、二人を観察(あるいは監視)していただけではないか。
午前中の「業務」といえば、震える指で週末の東京行きのチケットを、こっそり私的に予約したことだけだ。
このフロアで、もっとも「仕事」をしていなかったのは、他ならぬ僕だった。
親会社から期待を背負って送り込まれた「変革の旗手」。
その実態は、20代の女子社員のアホ毛をアンテナに見立てて妄想し、50代のベテラン社員のトイレ時間を計測するだけの、「高給取りの観察者」に成り下がっていた。
マスクの下で口角がけいれんする。
あまりの落差に、怒りや嫉妬を通り越し、一種の「吊り橋効果」のような高揚感が彼を襲った。
「……すごいです。完璧だ、凛ちゃんさん」
「え? 佐藤先輩、いまなんて?」
凛が怪訝そうに聞き返すが、佐藤はもう止まらない。
効率、論理、親会社のプライド……。そんなものは、彼女のアホ毛から放たれる圧倒的なクリエイティビティの前では無力だ。
「動画の構成、期限遵守の精神、そしてこの皮肉の効いた演出……。感服しました。凛ちゃんさん、あなたは……天才です!僕、あなたの才能、大好きですよ。」
事実上の「愛の告白(技術限定)」を、マスク越しに情熱的にぶつける佐藤。
その豹変ぶりに、今度は凛のほうが「ひっ……!」と短く悲鳴を上げ、椅子を引いた。
「さ、佐藤先輩、目がこわい……。(示談、そんなに効きました? )やっぱり『凛ちゃんさん』って呼ぶの、やめてもらっていいですか?」
一方、そんな空気も読まずに榎木が横から口を出す。
「佐藤くん、僕の下書きはどうかな? 結構自信作なんだけど」
「…………。……榎木さん、この『トイレの個室から見える世界』っていうタイトル、最高にエッジが効いてますね。素晴らしい『おじさん構文』です!採用です!」
僕はもはや、何を認めて何を否定すべきか、その境界線すら見失っていた。
週末の東京行きを前に、この「鳴凪」という名の泥沼に、どっぷりと肩まで浸かり始めていることに気づいていなかった。




