第14話:【毒膳】笑顔の強制ランチミーティング
「……あ、二人とも、そんなに固くならなくて大丈夫ですよ」
会議室に入るなり、佐藤はいつもの、いや、いつも以上に柔らかい微笑みを浮かべて二人を招き入れた。
(((……戻った!? 逆に怖い! !!)))
凛と榎木の脳内が、驚愕のシンクロを果たす。
つい数分前まで「感情の通信をオフ」にしていた男が、今は春の木漏れ日のような爽やかさを放っている。
この落差、情緒不安定を通り越して、もはや精密にプログラミングされたサイコパスの領域である。
「急に呼び出してすみません。外はあんなに賑やか(通知の嵐)ですし、ここなら静かに今後のことを話せますから。ね?」
佐藤は手際よく二人の前に冷えたミネラルウォーターを置く。
その動作は完璧にスマートで、先ほどまでの「ハイライトの消えた瞳」が嘘のようだ。
「さあ、榎木さん。まずは『全社的なインフルエンサー』としての第一歩を、一緒に踏み出しましょう。……あ、『拒否権』なんて悲しいことは言わないでくださいね? 僕、もう住石社長に『前向きに検討中』とリプライしちゃいましたから(ニコッ)」
(((笑顔が……! 笑顔が全力で逃げ道を塞いでくる……!!)))
凛は、冷えたペットボトルの結露が、まるで自分の背中を流れる冷や汗のように感じられた。
「……さて、ちょうどお昼時ですね。少し気分転換しましょうか」
佐藤は、まるで行楽日和の公園へ散歩にでも誘う青年のような、眩しすぎる笑顔を浮かべた。
「えっ、あ、ミーティングは……?」
「ええ、だから場所を変えて『ランチミーティング』です。榎木さん、佐倉さん。僕がおいしいイタリアンを予約しておきましたから。さあ、行きましょう。僕が運転するので、さぁ乗ってください」
断る間も、遺書を書く隙もなかった。
道中、佐藤は軽快に社内コミュニケーションの重要性を語り続けていたが、後部座席の二人は一言も発さず、ただ真っ直ぐ前を見つめていた。
その光景は、警察に連行され、諭されている容疑者のそれである。
連れてこられたのは、支店近くの、少し場違いなほど洒落たテラス付きイタリアンだった。
ここは鳴凪支店がガスの供給を担当している、いわば「神様(お客様)」である。
「……さて。ここのオーナー様は、僕たちのガスを使ってくれているんですよね。鳴凪の『顔』として、しっかり挨拶しておきましょうか」
佐藤は従業員たちに完璧な愛想を振りまき、店の好感度を爆上げしていく。
その横で、榎木は「財布……僕の財布、この後の支払い足りるかな…」と青ざめていたが、佐藤はさらりと言ってのけた。
「今日は僕のおごりです」
「……あの、佐藤くん。ここ高いよ? 悪いよ……」
「いいえ、これは『先行投資』ですから。気にせず召し上がってください。ね?」
佐藤は優雅にワイングラス(中身はガス入りの水だ)を揺らし、ニコリと笑った。
(((先行投資……! この男、あとでどんな利子を請求してくる気だ!?)))
戦慄する二人の前に、佐藤チョイスの色鮮やかな前菜と、香ばしく焼き上がったピッツァが並ぶ。
そして、最高のタイミングで、佐藤が身を乗り出した。
「ところで、榎木さん。……この『幸せな光景』、どう調理しますか?」
「え……調理って、今から食べるんだけど……モグモグ」
榎木のフォークが、中空で停止する。
佐藤の笑顔から、一角だけ温度がスッと消えた。
「違いますよ。このランチミーティングを、いかにして全社員の胃袋を掴むコンテンツとして社内SNSへアップするか、と言っているんですよ。……さあ、スマホを出してください」
佐藤は榎木の端末を操作し、目の前に「投稿画面」を突きつけた。
「まずはこの湯気、そして僕たちの楽しそうな談笑……。これを『住石社長、座布団ありがとうございます! 活力を得て、午後の戦略会議に挑みます!』という文脈で、最高にシズル感たっぷりに仕上げてください。……できますよね? 榎木さんなら!」
その声はどこまでも優しく、慈愛に満ちている。
しかし、その瞳の奥は全く笑っていない。
「もし、満足のいく『調理』ができなければ……。午後のデザートは、管理部からのSNSマナーについての再教育面談になるかもしれません。……冗談ですよ、ふふっ」
(((……笑ってない! 冗談を言う口角以外、一ミリも笑ってない!!)))
凛は、口に運んだマルゲリータの味が一切しなくなった。タバスコをどれだけ振っても辛くもない。重症だ。
目の前の男は、もう「佐藤先輩」ではない。
親切という名のトッピングをこれでもかと盛り付けた、地獄への給仕人だ。
食事が終わり、佐藤がスマートに会計を済ませる。
レジ前で、彼はごく自然な動作で内ポケットから名刺入れを取り出した。
「3人で渡しましょう。……ほら、佐倉さんも、榎木さんも」
エリートの流儀。
それは「感謝」という名の「圧」をかけること。
佐藤が親会社の輝かしいロゴが入った名刺を差し出したその横で、二人がもたもたと取り出した「それ」を見た瞬間。
佐藤の動きが、完全に止まった。
「…………」
佐藤の顔から、営業用のスマイルが剥がれ落ちる。
一瞬。
本当に、瞬きの間だけだったが、佐藤は般若のごとき凄まじい形相で、榎木と凛を睨みつけた。
その瞳には「お前たちは、この最高級のランチを食べておきながら、僕の顔に泥を塗る気か?」という、言葉にならない罵倒が凝縮されていた。
(((ひ、ひいいいっ!? ごめんなさいいいいい!!)))
二人が震える手で差し出したのは、もはや「歴史的資料」に近い代物だった。
「あ、あの……エネルギー、企画推進室……兼、顧客満足度向上タスクフォースの榎木です……」
榎木の名刺は、新会社設立時の混乱期に「何をやっているか分からない部署」を転々とした際、部署名ロンダリングの結果として爆誕した、今や社内の誰も所在を知らない幽霊部署の肩書きだった。
「…………」
そして凛に至っては、さらに深刻だった。
新名刺がいまだに届かず、手元にあるのは「既に消滅した旧会社名」がデカデカと印字された在庫品。
もはや名刺交換というより、滅びた文明の遺物を披露する儀式に近い。
(((恥ずかしい……!! 穴があったら入りたい……!!)))
最新鋭の「フォックスエネルギー」の名刺を差し出す佐藤の横で、何の身分証明にもならない紙屑を渡す二人。
しかし、佐藤はそんな二人の羞恥心を一ミリも拾い上げることなく、オーナーに向かって完璧なビジネススマイルを維持したまま言い放った。
「多様性に富んだチーム構成でしょう? 過去を重んじ、未来を創る。それが我々のスタイルなんです」
(((……嘘をつけ!! 単に発注が遅れてるだけだろうが!!)))
凛は心の中で絶叫した。
佐藤のどんなボロでもコーティングしてしまう、エリート特有の図太さが恐ろしかった。
「いつもありがとうございます。おかげさまで、素晴らしいランチでした。……また(別のミッションで)利用させていただきます」
佐藤の深々とした一礼に、オーナーが困惑気味に三枚のバラバラな名刺を見つめる。
凛は、もうこの店の敷居を二度と跨げないどころか、この街から消え去りたい気持ちで一杯だった。




