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かつて、世界の片隅で  作者: 笹栗
いつかの再会のための別れ
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「あら? 貴女、まさか死んだつもりでいるの?」


 気取ったような女の声が、エヴレナの意識を引き戻した。

 否、まだ夢の中なのかもしれない。だって、周囲はごうごうと焼けてもいないし、瓦礫の山でもない。地面は不自然にひび割れていないし、何より、兄がいない。


「まったく、私が目をかけていた子を殺そうとするなんて、今の人間もなかなかの度胸ね」


 歌うようなその声が、そっと耳元で落とされる。


「どなた……!」


 驚きに身を固めて、声の方へと振り返ろうとしたエヴレナの体が、強烈な痛みによって不自然に強ばる。


「あらあら。下手に動くと体が千切れてしまう」


 恐ろしい言葉のわりに、優しい手つきで頭を撫でられる。


「何を……」


 いつの間にか自身を抱きしめるようにしている女をゆっくりと見上げて、エヴレナは言葉を失った。

 透き通るほどの、若葉の瞳。

 揺らめくほどの、命の輝きを全て閉じ込めたかのような瞳。


「さあ、私の愛しい子。貴女はもう、私の神権を受け継いでいる。手始めに自分の体を治してごらんなさい」

「待ってください、何を言って……」

「いくらここが私の領域だからと言っても、早くしないと現実世界の体がもたないわ」


 全くもって、エヴレナの話を聞いてくれない女だった。

 エヴレナの体に触れるその手つきは優しいのに、何も理解していないエヴレナに何事かを強制するのだ。


「仕方がないわね。私が手伝ってあげるから、この機にしっかりと覚えるのよ」


 エヴレナが言葉を組み立てるより早く、彼女の体に手のひらが添えられる。その先は、辛うじて胴に繋がっているかのような彼女の右腕だった。

 少しの衝撃だけでごとりと地に落ちてしまいそうなその細腕は、しかしその惨劇を見せることなく、僅かな温かみをもってして再び接合された。


「何が、起きたんです……?」


 右腕の痛みがきれいさっぱり打ち消されて、エヴレナは他の部位の痛みも忘れて茫然と呟いた。


「あら、言っていなかった? 私は命脈を司る神。そして貴女も、今日からその端くれよ」


 理解ができずに瞬きを繰り返す彼女の頬に手のひらが押しあてられ、親指で目元を拭われる。再び温かな日差しに包まれる感覚がして、そして頭部の痛みが消え去った。


「さあ、感覚は覚えたわね? 残りは自分でやってみなさい」


 彼女にはこれ以上エヴレナを手助けする気は無いようで、添えられる手のひらはもう温かみを伴ってはいなかった。

 しばらくの間考えたのち、エヴレナは促されるままにそっと瞼を下ろした。

 全身を温かい陽だまりで包み、傷ついてしまった皮膚を、筋肉を、骨を、丁寧に繋ぎ合わせていく。


「——さすが私の見初めた子。上出来ね」


 気が付いたら、エヴレナの体は五体満足の状態に戻っていた。ただ、血と肉が染み込んだ衣服と、ぱさついてところどころざんばらになってしまった彼女の薄紅色の髪だけが、先程までの惨状を物語っていた。


「あの、神様」

「なあに?」


 優しく落とされた声と、自分だけに注がれる命の視線。


(わたくし)には、八つ離れた兄がいるのです。兄が(わたくし)を守ってくれたから、(わたくし)は即死せずに済みました。どうか兄を、助けてはくれませんか」


 そっと瞬きがなされた。神の表情には、何の変化もない。瞳に浮かぶ色も、何も変わらない。

 それなのに、エヴレナは直感的に断られると感じた。


「命脈は生きとし生けるもの全てを守るけれど、尽きてしまったらもう手出しはできないの」


 とん、と軽く自立を促されて、エヴレナは回復した四肢でしっかりと地面を踏みしめた。


「それに、彼岸が彼のことを見ている」

「それは……」


 死んだと同義なのではないですか。

 エヴレナの胸中が、言葉にならずに霧散する。


「長生きするのよ、命脈の子。また会える日を楽しみにしているわ」


 まるで周囲に音が響き渡っているかのようだった。

 急速に意識が引き戻される感覚がして、一瞬にして周囲の喧騒が戻ってきた。


「あ、兄様……?」


 そして訳も分からないままにエヴレナが目にしたのは、死んだはずの兄がぼろぼろの体を引きずりながら、一心不乱にどこかへと去っていく後ろ姿だった。

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